こんばんはニコニコ




娘には言葉がない




娘の難病の診断を受けた時、
7割の子が言葉の獲得が難しい、
というデータが書かれた紙をもらいました。




だけど
ウチの子は
単語なら話せるんじゃないか、

淡い期待を抱いていた過去。





言葉を話せる=成長が追いついた(健常に近づいた)のかも!


と思いたくて

私たち親を
そんな気持ちにさせるのかもしれませんね悲しい





確かに、
言葉を話せることは
素晴らしいことだと思うし

小さい我が子の辿々しい言葉のかわいさ
会話が通じた時の楽しさ
味わいたい。




親ならば誰しも当たり前に思いますよね。








でもね・・


娘は
言葉を話すという脳の機能を失って産まれてきたんだと

今は
決してネガティブではなく
単純にそう思えるんです。ニコニコ





それは
片足を亡くして産まれた、

耳の聞こえの機能を失って産まれた、

そういう方たちと
同じだよね?と。






それならば、

代わりの生き方をみつけるしか
ないじゃない?



足のない方が
義足をつけたり
手で器用に歩いたりされるように


耳の聞こえない方が
手話を覚えるように



言葉の代わりになるものを
探そうと。


知的な遅れに関しては、
本人が出来ないことなら、
周りが代わりに娘の声になるしかないじゃないかと・・・







そしてね

1番は、

予め備わっていない機能に対して、

親が
なぜ出来ないんだ?と嘆くのは、
娘の存在に対して
とても失礼なことなんじゃないかと

娘の尊厳を護りたい、



と自然と思うようになりました。






なんでウチの子が?
と悲しむ気持ち、
受け入れ難い気持ちには
蓋をしなくて良いと思うんです。



ただ、

モノの見方
捉え方をですね
変えてみる。








子ども側の立場にたって
事実を淡々と傍観してみると・・



子どもの存在を否定しているような
そんな気持ちになって
なんだか胸が苦しくなります。









言葉がなくても


気持ちって通じ合う。







言葉が話せなくても


絵本を読んで
アイコンタクトで
楽しい気持ちを共有しています。


手遊びやお歌、テレビも楽しい
を伝えてくれます。


お出かけ先では、
ご機嫌よく、
娘なりに楽しいを表現しています。



〇〇へ行きたい!を
娘らしい笑える表現で伝えてくれるし、
嫌なことは、あまり可愛らしくない表現ですが笑い泣き嫌と伝えられる。



そして
娘の笑顔に癒されてます、
とデイのスタッフさん。
愛おしい、とまで言ってくれた方もいました。
しかも男性のスタッフです
泣けるえーん



温泉で
娘をみて、
可愛い顔してるね〜!
と声をかけてくれたおばあさんがいて
ニコニコしていました。




そんな風に
家族以外とも気持ちを通わせることが
できています。






​コミュニケーションで大事なのは 言葉の発声ではなく 気持ちを通わせること


なのかな。




言葉でコミュニケーションをしていても
やっぱり、
気持ちが通じ合うことが
1番幸せを感じるな、と

私は思います。









ちょっと
距離が近い時もあるし

ちょっと
知らない人に触っちゃう時もあるし

ちょっと
奇声が出ちゃうときもあるし

ちょっとというか結構
雑な対応のときもある。チュー


だけど
全部
娘らしい表現なんだよなぁ




というか
今は、
それが娘の当たり前、
だと思うようになりました。



もちろん、
ママ、ってせめて言って欲しかったなぁ、
という気持ちは
今でもあります。



でも
出来ないことばかり見ていても仕方ない、


亀のような一歩ですが、
その小さな小さな一歩も見逃さないように

娘の成長を見ていきたいと
思います。

 





今日も

お付き合い、ありがとうございましたニコニコ