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世に万丈の花が咲く

記憶の保存アーカイブ

ボクは、時計には人並みならぬこだわりがある。

ロレックスの時計しかしない、とか、クオーツの精巧さが好きとか、自動巻の味がいいとか、そんな嗜好の話ではなく、今まで見てきた腕時計、掛け時計、全てに物語があった。

小中一貫の学校に通っていたボクは、中学に上がるにあたって、アッちゃんがお祝いに腕時計を買ってあげるといってくれた。
当時、ませていたボクは、同級生も読んでいないようなギアマガジンやポパイなどを立ち読みし、タイメックスのお洒落な時計が欲しかった。
本当は当時、少しマイナーなオメガの時計が欲しかったけど、値段的にもデザイン的にも、タイメックスのお洒落なバンドの時計が欲しくてたまらなかった。
買ってもらうとき、ボクの腕にはちょっと太かったバンドを、お店の人が別のバンドに変えた方が良い、というようなアドバイスをしていたが、どうしてもそのバンドを気に入っていたボクはブカブカのままの時計をして中学校へ進学した。

高校に上がった時、時計は武器になるから、ボクは時計をしなかった。
2年生の先輩が、週に一回、ボクたち1年生を呼び出し、時計を拳に巻いて殴ってくるのだ。
呼び出しは食らったものの、かろうじてボクは時計で殴られはしなかったが、そんなトラウマからか、時計はしないまま卒業を迎えた。

ボクが上京するとき、兄が使っていた掛け時計を持っていった。黒い額でシンプルな数字の、バブル匂満載の時計だったが、引っ越しをしてすぐに止まってしまった。
ただ、次の引っ越しをするまでの十数年間、止まった時計を眺めて郷愁の年を忘れさせていた。

一番始めに時計を見たのは、小橋マンションの居間にある時計だった。
母が、父と暮らし始めた時に買った時計だと、その頃からずっと教えられていた。

その時計が6時をさす頃、ボクと兄は登山家になり、飯を食べ、8時をさす頃には寝室に誘われた。

ある日、8時をさす随分前に寝室に押し込められた。
いつものリズムと違うボクらは、当然寝る事も出来ずにいると、玄関のチャイムが鳴った。
少し開いた寝室と居間との間から覗いてみると、祖父が卓袱台の前に正座をしていた。

何を話しているのかは全く聞こえなかったが、祖父が母に謝っているように見えた。
かなりの長い時間が流れ、ボクらはいつの間にか眠っていた。

それからしばらくすると、毎週日曜日に父が小橋マンションに来るようになった。
毎週日曜日、あの時計が6時をさす頃になると父が来て、ご飯を食べて、寝る。

その頃から夕食にはハンバーグやカレーが出て、兄と夕食前のドラマをする事もなくなった。

時計は、動かなくなった今も、母の部屋の中央に飾られている。








ある夜、母は兄とボクを連れて、着の身着のまま家を出た。

記憶にはない。

それもそのはず、ボクが寝込むのを待って、兄と寝ているボクを連れて夜逃げをしたのだ。
後に兄に聞いたのだが、このとき母は、兄にこう言ったらしい。

「拓ちゃん、良い所に行こう。つらい事なんてない所に・・・、死んだらみんな・・」

勘のいい兄は拙いと思い、アッちゃんに会いに行きたいと言い、その日はアッちゃんの家に泊まらせてもらうことになった。
アッちゃんの家で、明るい蛍光灯の下、ボクは起きた。

起きたボクは、なんてサプライズだと思った。普段なら起きない時間に起きてみると、アッちゃんがいて、ムッちゃんもいて、ムッちゃんのお母さんもいる。ボクはパジャマなのに、いつのまにか皆の所にいる事が凄く嬉しかった。
興奮したボクは目が覚めてしまい、結局皆が寝るまで起きていて、気まずくなった大人達は子供達を寝かせるためにも、早めの就寝になったのだと思う。

それからの毎日はとても楽しかった事だけを覚えている。
早々に母は、どこから手配してきたのか、安い団地を見つけてアッちゃんの家から兄とボクを連れて引っ越しをした。
小橋マンションという立派な名前の割には、見たまま団地の汚い建物だったが、隣の空き地でたまに開催される盆踊りや、近くの駄菓子屋に行ったり、水たまりでオタマジャクシを捕ったりと、この上ない充実した母子家庭ライフを満喫していた。

小橋マンションの近くのスーパーにあるクリーニング屋で母はパートをしていて、たまの休みになるとムッちゃんの家まで母と兄と歩いて遊びに行ってた。

その頃、兄と流行っていた遊びがあった。

当時、やはりお金のない母は、近くの空き地の食べられる葉っぱなどを拾ってきて、天ぷらにしたり、貰い物の枝豆と白米などが定番の夕食だった。

兄は惨めな生活を察していたのか、夕食の頃になるとボクにドラマをやるように誘ってきた。
設定は登山。寒くて凍えそうな中、食うや食わずで山を登ってきた登山家が、山頂で温かい飯にありつける、という演出で、玄関から匍匐前進で食卓である卓袱台まで向かい、ようやくたどり着いた二人は、美味いなどと嗚咽を漏らしながらご飯を食べるのだ。

白米を少し食べたら、兄が言う。
枝豆をあらかじめ飯に混ぜておけば、もっと美味しく感じるんじゃないかと。

そして登山後に食べると、さっきよりも断然、美味しく感じるのだ。
兄は続ける。
それじゃあ、あらかじめそれに塩を降っておけば。

その間、母は笑みを浮かべながらボクたちを見守っていた。
その瞬間は、母と兄とボクだけだった。

そのみんなで食べた夕食は、枝豆と白米だけでも、とても美味しかった。

















ボクがお酒を飲んでお調子者になるのは、きっと母に似たからだと思う。
久しぶりに実家に帰った時、あんまり皆が一緒になる事はないからと、アッちゃんが食事会を開いてくれた。

そこにはボクの母と兄、ムッちゃんとその母親、残念ながらムッちゃんの妹は子育てに忙しくて参加する事は出来なかったが、久しぶりに皆が集まり、ボクはやはり、調子に乗っていた。

兄は実家で暮らしており、その時はまだ結婚をしていなかったが、母の老後を見るのは兄なんだろうと、長男だからなのか、そんな雰囲気になっていた。

ボクはここで調子に乗り、アッちゃんには昔からお世話になっているから、兄が母の面倒を見るなら、ボクはアッちゃんの老後を見ようと息巻いた。

アッちゃんは結婚をしておらず、そのお陰というと語弊もあるが、僕ら兄弟や従兄弟達の面倒を良く見てくれた。
兄もムッちゃんも、「ああ、そうなんだ。」と、また調子に乗って喋っているなと、冷ややかな反応で見守っていた。
その日のボクは、まだまだ調子に乗り、ムッちゃんの奥さんを呼び出したり、夜遅くまで、お酒を飲めない兄を引っ張り回して満足していた。

実家から東京に戻る時、母は軽い口調でこう言った。
「アッちゃんにはお世話になってるし、あなたが面倒見るって言うなら、それしかないのかもねぇ。」

母が、ボクや兄の育て方に、少なからず罪悪感のようなものを持っていたのは知っていた。
兄はどうか分からないが、ボクは特に恨むような事もないし、充分恵まれて育ててもらったと感じているが、あの発言は軽率だった。

一人、東京に出て暮らしているから、母も面倒を見てもらおうなんて事は思ってもいなかったと察するが、わざわざ母ではなく叔母さんのアッちゃんの面倒を見るなんて、宣言するべきではなかったと反省した。

帰りの新幹線で、母が買ってくれた駅弁を食べながら、言わなくてもいい事を母が言って、兄と喧嘩をしているのを見ていた子供の頃を思い出した。