走るおっさんライダーのブログ -9ページ目
先日、ネット上で意見交換をした。
 
相手曰く「憲法9条堅持。自衛隊不要。」という主張。
 
“走るおっさんライダー”は、
「それでは他国の脅威がある現状で、どうやって身を守るのか?」と質問。
 
逆に、「お前は殺し合いをするのか?わが子を殺し合いの場に送り出すのか?」と返された。
 
「必要ならばそうなるだろう。もしそれをしなければ、無抵抗で自分もわが子も殺される。
そうしなければ、生き残る可能性がないのなら戦うしかないのでは?」と回答。
 
すると「逃げればいい。」と言う返事だった。
 
時間が限られた場だったので、それ以上の議論ができなかった。

なぜ、無抵抗で逃げるのだろうか?
一体、どこに逃げるのだろうか?
自分たちは戦わず、他国の軍隊に戦ってもらうのだろうか?
自分たちの領土を守るために、他国の兵士の血が流れることを、どう考えるのだろうか?
 
1億3千万人の難民を、どこが受け入れるのだろうか?
どこにそのような土地があるのだろうか?
逃げた先で、どうやって生きるのだろうか?
受け入れ先の善意をあてにするのだろうか?
受け入れ先に、過大な負担を与えることに、何の抵抗もないのだろうか?
 
そもそも、“攻められたら逃げる”と言う前提の中で、脅威を与えてくる相手と、戦争を回避するための、どのような外交が有効だというのだろうか?
 
考えられる外交の方法は、絶えず経済的・技術的な利益の提供を交換条件とすることだろうか・・・。
つまり、一所懸命働いて稼ぎ、或いはさまざまな技術を開発し、それを脅威を与える相手に貢ぎ続けるのだ。
そうすれば相手は、日本の国土を占領するより効率的に利益を得ることができる。
 
日本は戦わないのだから、何のリスクもなく「攻め込むぞ。」と言うだけで、富が手に入るのだ。
日本が拒むなら、実力を行使して占領し、日本人を追い出せばいいだけだ。
それだけで、土地も海洋資源も手に入る。
 
国防の必要がないと主張する人は、「外交努力だ。」と言う漠然とした主張ではなく、是非とも、具体的に何を外交のカードとするのかまで説明して欲しいものだ。
『ヤバい経済学』 Freakonomics
スティヴン・D・レヴェット スティーヴン・J・ダブナー 著 / 望月衛 訳 2006年5月11日発行
悪ガキ教授が
世の裏側を探検する
本書は、タイトルに経済学となっているが、一般的な米国経済や世界経済を語っているのではない。
普通なら、多くの数値やグラフなどのデータを示して、過去の推移や未来予測を語ると思われるが、そのような期待があるなら、お奨めで
きる内容とはなっていない。
 
ブロークンウィンドウ(割れ窓)理論と言うのをご存知の方もおられるかも知れない。
簡単に言うと、
米国のある住宅街に、一定期間自動車を駐車して放置した。
そのままでは何の変化もなかったが、ウィンドウを少し割っておくと、瞬く間に自動車は荒らされてしまった。
この実験の結果に基づいて、ニューヨークの地下鉄の落書きを徹底的に消したところ、犯罪が劇的に減ったというものだ。

本書では、この理論が本当に正しいのかを、分析した結果についても語られている。
その内容を語ればネタバレになるので書かないが、興味がある方は本書を読んで欲しい。
 
本書を読んで感じるのは、人の思い込みのいい加減さだ。
 
物事には相関関係を持つものがあり、その中に因果関係がある事象が認められる。
相関関係とは、一方の変化に関連して、別の一方も変化が認められるということ。
因果関係は、その変化の原因が一方にあることが認められる場合である。
相関関係が認められただけでは、必ずどちらかが原因であるとは言えないし、他に原因がある場合もある。
バタフライ効果や、風が吹けば桶屋が儲かる、といった話がある一方、具体的な根拠もなく語られる、もっともらしい因果関係も多いようだ。
 
本書の中では、米国のそれではあるが、姓名が与えるその人の人生への影響(姓名と人生の因果関係或いは相関関係)が分析されている。
米国でも、わが子への命名は一つの産業のようであるところが面白いが、この手の分析は、翻って日本にも当てはまるのではないかと思われる。
詳細については、本書を読んで各々が感じて欲しいことではあるが、逆に、姓名がどのような根拠でその人の人生に影響があると言いうるのかを、明確に説明した理論があれば、示して欲しいとかねがね思っている。
 
話を戻そう・・・
因果関係或いは相関関係についてだが、例えば、細菌は多くが加熱により殺菌できる。
極端な話し、戦争が起きれば、多くの犠牲者が出る。明らかな因果関係だ。
こういった、因果関係が観察や実証によって確認できる場合は良いのだが、因果関係が確認できないのに原因と結果として語られる話は、前述の姓名判断に止まらず、(多くの反論はあろうかと思うが)特に宗教や風水では、そう言った面が多いと個人的には考えている。
 
黄熱病の研究で、偉人として語られる野口英世の研究結果は、当時黄熱病の原因と言われた状況が、現在は相関関係にあるものであり、原因ではないことが明らかになっているそうだ。
黄熱病を引き起こすウィルスは、当時の顕微鏡では見ることが出来ないほど微細なものであり、野口英世が発見したのは、そのウイルスが引き起こす状況の一つが、黄熱病の発病と共に表れるための誤解だったのだ。
 
注意深く観察していると、このような錯誤は日常的に多く見ることが出来るだろう。
『○○○ダイエット法』『○○○健康法』も全てがそうだとはいえないが、その一つだし、過去のスポーツ練習では、練習中の水分摂取を控える指導をしていたことなども、現在では間違ったことだといわれている。
勿論、過去に言われた因果関係だからとか、根拠が明確では無いと言う理由だけで、全てが間違っていると言えるものでもない。
それらは「間違いかもしれない。」というだけだ。
しかし、この「間違いかもしれない。」と言う可能性を意識しておくことは、とても大切ではないかと思う。
 
そのように考えるきっかけになりうるのが、本書ではないかと思う。
その意味で、本書は価値ある一冊であるといいたい。
 
(その3)
右派(保守,右翼)とされる方々は、慰安婦に対する配慮を見せることが、即ち売国的だと決め付ける向きもある。
橋下氏の発言に対して嫌悪感を抱く人たちは、日本政府にいつまでも謝罪と賠償を要求している、自称韓国人従軍慰安婦だけしかイメージしていないのではないだろうか?
しかし、当時の慰安婦は日本を含めて、アジアの各地から集められて(集まって)きた女性なのだ。
そして当時、性的なサービスを職業にした女性なら、占領下の日本でRAAでの日本人女性も慰安婦である。
謝罪と賠償を要求する一部の例外で、全体のイメージを決めるべきではないと思う。
 
韓国人慰安婦だけを擁護・支援する、いわゆる左派(左翼,革新)の方々は、
当時、慰安所を設置しなかった他国の兵士が、進軍した先で行った非道な強姦や虐殺などの被害者に想いが至っていない。
女性を戦争被害の対照
と考えれば、慰安婦だけでなく、強姦され虐殺された女性や、逆に慰安所が設置された事により、被害を免れたであろう方々も含め、全体を捉えるべきだと思う。
しかし、強姦や殺害をしなかったのだから、慰安所設置を奨励するという話しではなく、共に被害があったのではないか?と言っているのだ。
それは、当時の道徳観の未熟さを表しているのだ。世界中がそうだった。
道徳観が成熟していれば、行動は抑制され、慰安所がなくとも強姦などの被害を生む事はなかっただろう。
 
右派(右翼,保守)には、だから慰安婦に対して、配慮や感謝はしても、侮辱するべきではないと言いたいのだ。

右派(右翼,保守)も左派(左翼,革新)も、自分たちの主張を基に、都合の良い部分だけを取り上げて根拠としている点では、大して変わりは無い。
ただ単に“何を信じたか”の違いでしかないのだ。
それは慰安婦問題に限らずであるし、政治的な問題の場合にも限らない。
 
 
自分は右派(右翼,保守)だから、或いは左派(左翼,革新)だから、と言うことで、双方が
「よく考えもせず、相手の主張に耳を傾けようとしない。」と、
同じように相手を非難している。
時に、勝手な推論を立てた上で、それがあたかも揺るぎ無い事実であるかのような前提としている場合も見る。
相手の意見を検証する際も、自分の主張に沿った要素が見つかると、検証を終わらせているようだ。
そして、自分の主張が理解できない相手を、「バカだ。」「愚かだ。」「騙されている。」と、決め付けて侮辱して見せるのだ。
しかし、対立する主張の、相手の姿勢を非難する言葉は、誰しも似たようなものなのだ。
 
“走るおっさんライダー”自身も、その可能性がある。
その可能性を自覚しているからこそ、どのような立ち位置の主張であっても、論理に合理性(整合性)を認めたなら、じっくりと検証すべきだと考えている。

そうでなければ、対立する主張は、いつまでたっても平行線で、解決の見込みが無いものとなるだけだ。
(その2)
注意しなければならないと思う事がある。
今、慰安婦に対して「単なる売春婦だ。」と、見下した言い方をする者がいるようだが、慰安婦に対してこのような侮辱は、すべきではないと考える。
こう主張すると、すぐに売国だとレッテルを張る者もいると思うが、出来れば最後まで読んで欲しい。
報酬に関する疑義は、以前の記事(http://ameblo.jp/part-one/entry-11562751541.html
)で述べたが、それだけではない。
日本が敗戦し、米兵(正確には連合国軍)が日本に上陸した際、占領下の日本では日本の婦女子を保護する目的で、連合軍の要請に基づき、同軍兵士相手の特殊慰安施設(RAA)が日本政府の資金で作られ、強制ではなく要請(要求)によって、日本人女性が慰安婦として働いたのだそうだ。
このような状況においては、必ずしも心からすすんで同軍兵士を相手にしたとは言えず、花街や売春街の女性であったとしても、日本政府の要請に対し、ある種の使命感のようなものを持って、同軍兵士を相手にした者もいただろう。
これは推測だから、これを前提にするつもりは無いが、彼女たちが、日本の婦女子の盾になったのは事実だ。
だから当時の、日本人慰安婦に対して、たとえ金銭によって性的なサービスを行ったとしても、我々は「単なる売春婦だ。」と、侮辱する見方をしていいとは思わないのだ。
 
日本が併合していた時代の韓国人慰安婦にも、全く同じではないにしても、「日本軍の要請に基づくのなら・・・」と、業者の募集に応じた可能性を否定する事は出来ないと思う。
反日教育を受けた、現在の韓国人の姿勢を、単純に当時に当てはめる理由は無いのだ。
であれば、橋下大阪市長(日本維新の会 共同代表)の「慰安婦に対しては配慮すべき」と言う主張を、受け入れるべきであると考える。
現在日本政府に対して、自称韓国人従軍慰安婦が謝罪と賠償を求めている事に関しては、配慮はしつつ賠償責任が無いことを伝えなければならない。
 
「反日教育を受けた韓国人だから。」と言う前提を全く無視すべきとまでは言わないが、韓国人に対してだけそこに固執すれば、それは一種の人種差別・民族主義のようでもある。

礼節を重んじ、誇り高き日本人として、どのような態度で接するべきか・・・。
特に右派(右翼,保守)とされる方々には、慰安婦が韓国人だけではなく、日本人や中国人や台湾人などの女性もいて、更に自らが望んで慰安婦になった方ばかりでなく、さまざまな事情があったであろう事を考慮して欲しい。
そして、売春婦・娼婦と言う職業が、当時は合法であったが、現在においては多くの国々で禁じられているという特殊な事情を考え、見下す様な扱いではなく、やはり一定の配慮をすべきだと思う。
 
例えば、現在我々日本人は、合法的に『捕鯨』をしている。
一部の国や団体からは反対されているが、条約に基づき行っているれっきとした職業である。
それがもし仮に、今後、将来に於いて禁止(違法)になったとしよう。
その将来に、捕鯨をしていた方々に対して「捕鯨なんて、していやがった。」と軽蔑し、見下すのだろうか?
捕鯨が禁止されたあと数十年後に、その職業についていた方が、どこかの政府に「捕鯨させられていた。」と、謝罪と賠償を要求したとしたらおかしな話だが、そういう人が出たとしても、だからと言って合法下で行われた、捕鯨と言う職業自体が、仮に禁止された後の将来においても、
他の職業より見下して言い訳が無いと思わないだろうか。

このように考えた時、慰安婦もまた、「当時は合法であった。」と主張するなら尚更、侮辱すべきではないだろう。
当時の朝鮮人や台湾人は、おそらくその多くが、日本や日本軍に対して、肯定的に捉えていたと思う。
今でも反日教育をしていない台湾の方々は、日本に対して親しい感情を持っていただいているようだ。
そのような状況下での慰安婦の募集だったのだ。
それが現在では、その職業に対する見方が変わり、更に韓国においては日本を肯定的に言うことすら、憚られる社会となった特殊性はあるが、その他のアジアの国々も含めて、当時を生きてこられた方の中には、一部の日本人が慰安婦を侮辱する態度を、ひっそりと悲しい思いで見ている方もいるかもしれない。
 
慰安婦に対して、謝罪と賠償の必要が無いと主張するからこそ、当時の合法的な職業として尊重し、配慮すべきだと思うのだ。
ただし、言うまでも無いのだが、それと同時に過剰に擁護する必要も無い。
 
(つづく)
(その1)
世の中には『一部の利益』と言う本音を隠して、『公の利益』と言う建前を掲げる人がいると感じる。
 
『特権』を得たい為に、『人権保護』『差別撤廃』を訴える。
『電源三法交付金』の為に、『原発必要』を訴える。
『基地交付金』の為に、『米軍基地反対』を訴える。
『日本政府の賠償』の為に、『慰安婦問題(女性の人権)』を訴える。
 
挙げればきりが無いのだが、この建前である『公の利益』には正当性があり、訴える人の中には、純粋に『公の利益』を追求する人達が居るであろうと思う。
しかし、建前である『公の利益』を受け入れると、『一部の利益』が得られなくなる為に、本当は解決したくないと考えている者がいて、このことが主張の対立を、複雑にしている問題もあるのだ。
当然対立の複雑さは、解決の困難さも伴うのだ。
ちなみに、ここで挙げた例は、必ずしも”走るおっさんライダー”の主義主張を反映したものではない。
 
原発に関して言えば、例えば、
原発賛成派からすれば、反対派は『国家の弱体化を望む売国奴』と言い、
原発反対派からすれば、賛成派は『放射性物質により国家を危険にさらす売国奴』となったりする。
 
慰安婦問題では、
『日本政府の賠償』だけではなく、『日本のネガティブイメージ拡散』を本音としている者も居るのではないだろうか。
確かに女性の人権を、否定する人など居ないだろう。
しかしだからと言って、形式的な収束の為に日本政府が賠償をしたらどうなるだろうか・・・。
現在(在米)韓国人やその子孫がアメリカに建て始めた『(従軍)慰安婦の像』は、今後立てられる事はなくなるのか?
残念ながら、それは有り得ない。むしろ、日本政府が認めた途端に、世界中に加速度的に増えるに違いない。
もっと言うなら、日本政府に対し設置費を要求してくる可能性すらある。
彼らにとって、諸外国の日本に対する高い評価は、妬ましいだけでなく自国の輸出の妨げになっていると考えているだろうからだ。
彼らの“自国の輸出の妨げ”と言う見方が正しいかどうかではなく、彼らがそう考えているかどうかの問題だ。
ここで重要なのは、それが事実かそうでないかである。慰安婦の存在の有無ではない。存在はした。
その論点は『日本が政府或いは軍の意思として、慰安婦の拉致や人身売買が行われ、強制的に慰安婦として働かせたのか?』と言う点だ。
それがなければ、慰安婦が“性奴隷”であったとは言えないからだ。
この点が明確でない以上、像の設置に対しては、抗議をすべきだと考える。
 
(つづく)
『竹林はるか遠く』 ヨーコ・カワシマ・ワトキンズ/著 都竹恵子/訳
(副題) 日本人ヨーコの戦争体験記
 
(紹介文)
終戦直後の
朝鮮半島と日本で、
日本人引揚者が味わった
壮絶な体験を赤裸々に綴る、
息もつかせぬ、
愛と涙のサバイバルストーリー

本書は、1986年アメリカで『So Far from the Bamboo』のタイトルで出版され、米国教育課程の副読本として採用、多くの子供たちに親しまれていると紹介されている。
更にあとがきによると、
“この本がアメリカで出版されて二十年経った2006年秋、ボストン近辺に住む在米二世韓国人たちが突如怒りを爆発させ”たそうである。
その理由も述べられているが、本文と共にぜひ多くの方々に読んでいただきたいところである。
 
物語はヨーコ(擁子)が、生まれた青森から生後6ヶ月で朝鮮北部(現北朝鮮)の羅南(ラナム)に移り住み、11才となった1945年7月29日に始まる。
日本の敗戦が決定的になった時、もうそこに留まることは死を意味する。
彼女の父は、満州鉄道で働いており家にはいなかった。
18才の兄 淑世(ひでよ)は週6日の、30キロ離れた兵器工場に働きに出たばかりだった。
その時家にいた母と、16才の姉 好(こう)、そして11才の 擁子(ようこ)は、日本を目指す苛酷な旅を始める事となる。
厳しかったのは朝鮮半島での逃避行だけではなかった。
日本に戻ってからも、身寄りの無い引揚者は、まさに“必死”で生き延びなければならなかった。
彼女たちの生き様は、戦争によって壮絶な運命を背負わされ、死と隣りあわせになりながら、それでも誇り高く逞しいものだったと感じた。
出版されたのが、戦後40年以上経過してからなので、当時を必ずしも正確に描いたものではないかもしれない。
ただ、戦争の悲惨さを伝え、平和の願いが込められているとしても、しかし特別政治的な批判を含んだものではないように思う。
これに対して、戦後60年以上、出版から20年も経過してから、怒りを爆発させた在米二世韓国人たちの考え方は理解できない。

彼らは、教育や環境に関係なく、人種・民族ごとに、特定の性質が生まれもって備わっていると考えているのかもしれない。
そしてもしそうであるなら、大変恐ろしいことだと思う。
つまりそれは、韓国と日本が友好的な関係を築き得ないと言うことを意味するからだ。

韓国の朴大統領は、日本に対して「加害者と被害者という歴史的立場は、千年過ぎても変わることはない。」と演説した。
続けて「両国の未来世代にまで過去の歴史の重荷を持ち越してはならず、現世代の歴史指導者の決断と勇気が必要だ」と述べたそうだが、残念ながら、もし、人間の性質が変わることが無いと考えているのであるなら、彼ら自身もまた変わることが無いと考えるべきだと言うことになる。
過去に一度、日韓基本条約によって国交が回復し、それまでの問題が全て解決された筈であるにもかかわらず、今、このようにして当時の事を理由に色々と言って来ているのであるから、現世代で解決しても、次世代に再燃しない保証など無い。
歴史を見れば、彼らは必要に応じて誰かに擦り寄り、或いはそのような態度を各方面にほのめかせながら、より有利な条件を引き出して傘下に入る。
そして利用価値がなくなったと見ると、態度を豹変させて徹底的に叩く。
失礼ながら、メンツにこだわる点も含めて、現在の日本の暴力団と似たところを感じる。
そして“日本の”と言っても、暴力団の実態は、在日韓国・朝鮮人が多く入り込み、およそ2割を占めると言われ、古い任侠ならいいとは言わないが、少なくともそれらからは変化しているようである。
暴力団全体で言えば「たかが2割」と思うかもしれないが、人口比率を加味すればその多さは半端ではない。
女性を性的な商品として扱うところも両者は似ており、世界各国で韓国人売春婦の多さは認知されている。
力を誇示して序列にこだわり、いざ自らに危険が迫ると、より強い者を頼ったり、シラを切ることも辞さない。

ただし“走るおっさんライダー”は、教育や環境によって、どんな人であっても変わりうると考えている。
民族によって肉体的違いがあるのと同様、もしかしたら脳の特徴にも違いがあるかもしれないが、それが直ちにその人の個性を現す程、人間は単純では無いだろう。
どれほど先天的に優れていても、訓練を怠れば伸びるものも伸びないし、不必要な能力は省かれていってしまう。
しかし、教育や環境は価値観を大きく左右し、それに基づく経験に対して、違った解釈をする様になるだろう。
その意味で、我々日本人が“慰安婦問題”で、諸外国に持たれている印象は看過出来ない。

大阪市長の橋下氏が提言するように、この件に関しては共同研究を進めるべきだと思う。
併せて、日韓併合時の実情や、竹島領有に関しても、ぜひとも日韓双方の学者による議論を、日韓双方の国民に対して“公開”で実現して欲しいと思う。
どのような資料があり、どのような証言があり、どのような物証があるか?
相手を非難しあうのではなく、感情や印象に流されない、冷静な議論を実施し、両国の理解を深める必要があると思う。
日本は、憲法9条を改正し、自衛隊を日本の軍隊にするべきだろうか?
 
現在の日本国憲法は、敗戦により米国(連合国)により押し付けられたものらしい・・・。
(当時の当事者の現実を知らないので敢えて「らしい・・・。」とした。)
米国(連合国)としては、日本が再び軍備を整える事を恐れ、武力を奪う憲法にしたと言う事だろう。
成立の経緯のみを考えると、護憲派はその米国(連合国)の狙い通りになっている。
 
米国としては、日米安保によって、「日本を守ってやる」と言う立場に立ち、日本が米国に逆らえないようにした。
日本は、近隣国からの脅威に対して、米国に頼らざるを得ないから、それに乗じた不当な要求があっても、無下には断れないのが現実だろう。
日本は、国防に関して言えば専守防衛で、言わば日本側にある防壁の門の鍵を他国が握っている状況だ。
日本は自国を囲む防壁の、その門を自力で開けることは出来ない。
現在、門の外は米国が見張っているわけだが、それを恩に着せてくるし、いざとなった時に当てになるかどうかも疑わしい。
そして、他国が進入しようと、その門の鍵に手を懸けて、又は防壁が突き崩されはじめて、その後に抵抗する事ができる訳だ。
しかも近隣国の一部は、着々と強力な軍備を備えつつある。
 
“走るおっさんライダー”のイメージとしては、軍隊を持つと言うことは、他国の門を破る為ではなく、門の外に“門番”を置くという事だ。
門を守り、防壁の維持管理をするのが、日本の軍隊の役目である。
軍隊になったからと言って、それが即ち他国を侵略するとか、直ちに殺し合いが始まると言うものではない。
他国に対して、日本が強固な防衛力、抵抗力を示すことで、実戦を回避する抑止力としての“門番”である。
 
現実に近隣国は、領土侵犯の行為を続けている。
つまり、防壁をコツコツと叩き、あわよくばその防壁を押し縮めようとしている。
それが、尖閣諸島や竹島に対する近隣国の干渉だ。最近では対馬にまでその触手を伸ばしてきたと聞く。
 
このような現実に対して日本は、主権国家として、自国の防衛をする必要は無いのだろうか?
本当に憲法9条は、他国からの干渉の盾になっているのだろうか?
銃口を突きつけて、日本の防壁を押し縮めてくる隣国に、どうしたら丸腰で抵抗できるのだろうか?
もしも自衛隊を無くし、非武装になると、他国の干渉もなくなるというのだろうか?
 
国を守ると言う事は、日本政府を守ることではない。自分や家族や同胞を守ると言う事だ。
「我が子を殺戮の現場に送るのか。」と反対する声を聞くが、それなら、自分の生命や財産を守る為に、他国の人に命を賭けさせる事に、疑問を持たないのだろうか?
 
「戦わずに解決するのが外交じゃないの?話し合いだよ。」と言う声も聞く。
しかし、具体的に一体どのような外交をすると、非武装で同盟国の後ろ盾も無く、他国の侵略を防げるのか・・・?
 
自分や自分の家族の誰かが戦争で殺し合いをするなど、望んではいない。
しかし、武装しなければ、殺されないというものではない。
例えば、どこかの国に支配され、“日本自治区”などと呼ばれて、様々な差別や迫害を受ける方が、防衛力を備えるよりもいいのだろうか?
そのような社会を、我々の子孫に残したいと言う考えに、どうしても同意する事ができない。
 
なによりも、世界のほとんどの国が軍隊を持っているが、それらの国々が常に戦争をしているわけではない事が、『軍隊イコール戦争(戦闘)』と言う短絡的な考えが、誤りであることの証明だと思うのだ。
現在、TTPについて、賛成派と反対派で意見が分かれている。
賛成派は、そこに新たな市場や経済活性化などを期待しているのではないだろうか・・・。
反対派は、医療・保険制度の危機、農業の危機、安い労働力による安価な外国製品の流入、厳しい国内規制を逃れた食料の流通、そして外国からの訴訟問題・・・。様々な危機が主張されている。
 
日本はこれまで、外部から無理のあるルールを押し付けられても、それでも柔軟に対応し、やがて優れた成果を築いてきた。
その力を“走るおっさんライダー”は、日本人として誇らしく感じている。
我々日本人は、勤勉で誠実で、互いを信頼し合い、協力して対処できる優れた国民性(民族文化)がある。
 
・・・
もし日本が、国内だけで需要と供給を満たす事ができるなら、特に他国を気にする事も無いかもしれない。
勿論その中に、他国による様々な脅威も無いなら・・・と言う条件も含まれる。
しかし、食料やエネルギーは不足しており、それらを工業製品や最先端技術の輸出によって賄っているといえると思う。
近隣国からは、頻繁に領土に関する干渉を受けている。
つまり、日本は海外との貿易(輸出入)や同盟などの安全保障無しには、存続し得ないと言う事だ。
 
さて、このような状況の中、日本は今まで通り、政府に守られた産業を続けていいのだろうか・・・?
関税によって保護された日本の産業は、言ってみれば「学校のおててつないでゴールする徒競走」みたいなものに感じる。
これでは、競わない事で負ける者を出さない替わりに、優れた勝者を育てる事も無い。
未来永劫、他と競争することが無いなら、優れた勝者を育てる必要は無いかもしれない。
しかし、そうはいかない状況を考えると、競争は必然では無いだろうか?
競争がなければ、優れた競技者は育たないだろう。
競争相手がいるからこそ切磋琢磨する。
 
敗者を出さない為に競技を避け、同時に優れた競技者、勝者を出さない方がいいのだろうか?
競技によって惜しくも敗者となった者は、社会が救済すればいい。
勝者になれば、それは国益になるはずだ。
そして日本人は、勝者になれるポテンシャルを持っている。
 
単純に、現状の分析だけで、「TPPに参加してもGDPに貢献しない。」と不参加を訴えるのは同意しかねる。
目先の自国の損得だけで、日本は利己的に態度を決める国なのだろうか?
さらに日本人の底力を見くびっている。
訴訟が起きると、日本は弁護士の力量不足で負けると言うが、それならまずは、アメリカ人の弁護士でも雇えばいい。
そして、日本の弁護士を育成し、対抗できる力をつければいい。
いずれ日本の弁護士は、他国から弁護の依頼が来るまでになるだろう。
 
ジャパンクオリティは、貿易の自由化で低下するのだろうか?
いや、競争の中でより磨かれるに違いない。
その恩恵は日本の消費者にも跳ね返ってくるだろう。
ネットの情報を見ると、慰安婦の募集が新聞紙上で行われていたことについて、現在は、慰安婦擁護(謝罪要求)派も慰安婦否定(謝罪不必要)派も、おおよそ認める流れになっってきたと言っていいだろうか?

この慰安婦の募集は、民間業者によって行われており、その新聞広告の資料が残っている。

現在右派と言われる側は、この慰安婦の募集広告を根拠に、
公娼制度のもと合法的に設置された慰安所の慰安婦は、本人或いは親などの承認のもと集められていたのであり、かつ、その募集も委託を受けた民間業者によって行われ、報酬が高額であることから、強制の必要はなかった。
と言う論調であろうか・・・。
それに対して、いわゆる左派としては、様々な反論があると思われる。
「その募集は一部であり、全てがそうだったとは言えない。拉致が無かった事の証拠にはならない。」が代表的なところか・・・?
中には、
「高額な報酬は、多くは慰安所を監理する業者にピンはねされて、慰安婦は高給は手にしていない。」
「実際は現地のインフレなどがあり、必ずしも高額だったわけではない。」と金額に否定的な意見があるが、このような反論はピントがずれているのではないだろうか?

問題は金額云々ではなく、民間業者が雇用条件を示して募集していた事実である。報酬が高いか低いかは論点ではない。
更に言うなら、逆に右派が「高給を払った。」と言う点によって、正当性が増すような言い方をしているような風潮は滑稽であると感じる。
確かに、当時の兵士や大卒者の初任給と比較して高額だったのかも知れない。
しかしそれが事実だとするなら、そのような高額で募集するのには、それなりの負担が慰安婦にあったと考えるのが妥当では無いだろうか?

本当に、職業として社会的認知があり、安全で楽な仕事なら、命がけの兵士よりも高額な報酬を払う必要があったとは思えない。
命がけで前線で戦う兵士よりも高額であったなら、慰安婦にはそれなりの肉体的或いは精神的、又は社会的な苛酷さがあったと想像出来ると思う。
そう考えた時、左派が「実際は高額ではなかった。」と言う主張では、「苛酷さは無かった。」と言うに等しいように思うのだ。
インフレがどうだなどと言って、実際の現地での貨幣価値を論じてもあまり意味が無い。
当時その募集広告を見た人が、“現地の状況を知っていたかどうか”、“高額だと感じたかかどうか”であり、
何よりも「高額だったなら負担も大きかった。」「高額でなかったなら負担も小さかった。」と見るのが自然だと思う。
その意味で、現在言われている論調、右派=「高給だった。」vs左派=「高給ではなった。」の論調が、慰安婦に対する姿勢の方向としては逆だと思えるのだ。

ついでにもう一点、左派が主張する「国家が慰安所を実質的に運営していた事は、他国と較べて日本が批難される点である。」と言う点。
しかしこれは、この点だけで、日本が韓国人慰安婦に対してだけ、謝罪(や賠償)をしなければならない理由だとは思えない。
この慰安所の設置によって、現地の婦女子への暴力(強姦)が抑制できたのであれば、単純に批判する対象だとは言えない。
つまり対象を当時の女性全体として見た時に、より性的暴力をコントロール出来ていたのであれば、当時の日本軍は、「悪くない」とまでは言わないとしても、他国よりも優れていたと思う。

論じる対象が、(韓国人)慰安婦に限定する反日左派の主張は・・・これを敢えて“反日”としたのは、日本を批難する為に、便宜的に韓国人慰安婦だけに焦点を当てているからであるが・・・、そもそも、女性の人権として主張するなら、『性的暴力を受けた女性全て』を支援し、それを与えた国全てに向けられるべきであると考えるからだ。

また人権は、慰安婦だけに限ったものではなく、女性だけに限ったものでもなく、老若男女全てが尊重されるべきである。
もし、韓国人慰安婦だけを取り上げるなら、この場合の論点は「韓国人慰安婦“だけ”がどのような待遇にあったか?」だけであると考える。
当時の慰安婦(に類する職業)として想定しうる範囲内の待遇であったなら、日本だけが批難されるべき理由は無いのではないだろうか。

「人権。人権。」と言いながら、韓国人慰安婦だけを擁護し、支援し、日本だけをその対象にするからおかしなことになるのだ。
まるで「国家が運営に関与したら悪くて、現地女性の強姦はその数がどれだけ多くても“個別の事案”だから責められない。」とでも言っているようだが、そんな事は無い筈だ。
日本だけを特別な事案として特化すればするほど、その他の戦争被害者の人権を軽んじる事になる。

ぜひとも人権擁護活動家には、対日本と言う狭く偏った対象だけではなく、“戦争被害者全て”を支援して欲しいものだ。
もし優先順位をつけるのであれば、より痛みが強いと思われるところから、その手を差し伸べて欲しいと思う。
6月2日放送『たかじんのそこまで言って委員会』
この回の放送は、いくつかの政治的なテーマに対して、その方面の専門家を迎えて、思い切った主張が出される、“嘆きのオッサン大賞”だった。

そのテーマの中で取り上げられたうちの一つが“橋下氏の発言”だ。その取り上げ方がひどい。
この番組の出演者なら、橋下氏の発言の“真意”を理解した上で、様々な意見が出されるかと期待したが、残念ながら裏切られた。
この発言について語ったのは、ケビン・メア氏だ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%82%A2

橋下氏
は、当初から「日本の行為を正当化する気は無い。」と何度も言っている。
これは、主張の重要な点のはずだ。
しかし、歪曲された報道を前提に「他国への非難は、自国の正当化に聞こえるから辞めるべき。」と言う。
「正当化しない。」と明言しているのだから、それに対して「正当化に聞こえる。」と言われてもお話しにならない。
しかも橋下氏は「強制連行が無かったとしても、慰安婦制度は悪かった。」と言っているにもかかわらず、
「“当時は強制連行しなかったのだから日本軍は悪くない”と言っている人が居るから、橋下氏の発言は悪い。」と言うのもおかしい。
橋下氏は「悪かった。」と言っているのであり、橋下氏以外の人の主張を用いて橋下氏を批判するのも筋違いだ。

「他国で誤解されるから言うべきでなかった。」と言うとんでもない理論は、橋下氏に対して言うことではない。

言わなければならない状況を作っているのは、橋下氏ではないし、誤解されたのも橋下氏のせいだとは言い難い。
しかも、他国にしても自国の正当化の為に、意図的に歪曲していると思われる点も多々ある。
この問題を、現在も尚世界中に拡散し続けているのは、日本ではなく韓国である。
“反日”教育をしているのも韓国であり、日本側に譲歩を求めるのは、“双方に”という言い方であっても理解できない。
韓国がこの件を持ち出さなければ、日本から言い出すことなどないだろう。

この議論の中で、アメリカの原爆投下の話題が上がったが、アメリカはこの原爆投下を正当化している。
一般の女性・子供を含む非戦闘員を、大量虐殺した原爆投下は「悪くない。」と言うのだ。
「それによって戦争を終結できた。戦争と言う状況においては“必要”だった。」と言うわけだ。
この原爆投下は、アメリカ政府の決定だ。

であるなら、「慰安所の設置は、戦闘地域の強姦や虐殺を防ぐ治安維持目的として、戦時・戦地において“必要”だった。」と言う主張(これは橋下氏の主張ではない)に対して、批判できる道理があるとは思えない。
日本軍の設置した慰安所は、希望者を募り高い報酬を払って運営されてたという証拠がある。
アメリカ軍は、非戦闘員を原爆によって大量虐殺したことは間違いない。
どちらも悪いとして、より悪いのはどちらだろうか?

これに対して、フェミニストの田島氏は、常に“慰安婦”問題で自国(日本)だけを責めるが、そうだとしても橋下氏は「悪い。反省すべき。」と言っているのだから、橋下氏を非難するのは根本的に間違っている。
しかもアメリカの原爆投下には触れようともしない。
橋下氏は、右派の“当時は正当”と言う主張に異を唱えているのだ。

老若男女が数十万人虐殺され、後遺症に悩む更に多数の人々を生じさせた原爆投下を「悪くない」と反省していない方に同調し、女性だけが犠牲(?)となった慰安婦については、現時点で、今後再発するとは考えられない日本を非難する。

これでは老若男女が犠牲なら「悪くない」が、女性だけが被害者なら「悪い」と言っている事になるではないか。
どう考えても論理が破綻していると思うのだが、誰か論理的に説明できるだろうか・・・?