走るおっさんライダーのブログ -7ページ目
2014年2月23日放送の『たかじんのそこまで言って委員会』において、いわゆる“南京虐殺”が話題にのぼった。
この、いわゆる“南京虐殺”は、1937年の日中戦争(支那事変)初期に、当時の中華民国の首都である南京を日本軍が占領した時、一般人(非戦闘員)を含む大量の市民を殺したとされる事件である。
そしてこの事案の有無について、現在多くの主張がなされている。
肯定派、一部肯定派、否定派・・・。
 
主に中国側の主張によれば、多数の証拠写真を持ってその存在が示されているのだが、否定派による写真の検証によって、その信憑性は否定されている。
当時の他国の大使館の報告として文書による証拠とされるものもあるが、内容が伝聞によるものであり、これも信憑性に疑問が出されているそうだ。
30万人(主張される規模は現在でも諸説ある)とも言われる犠牲者の数は、否定派の反論として、当時それだけの人口が居なかった事や、その後人口が増えたとされる事、重機などがない当時に遺体の遺棄が出来る可能性が無い事、現在その被害者とされる遺体が一体も出ていないことなど、間接的ではあるがさまざまな反論が出ている。
 
番組に出演していた否定派の竹田恒泰氏(旧皇族)の「無かった」と言う主張に対して、ケビン・メア氏(米国)は、「南京虐殺が無かった、その人数とか議論いろいろあるけども、全く無かったと言うのは出鱈目だ。」と言葉を返した。
 
こうした反論の手法には注意を要すると感じた。
これは、「“全く無かった。”と言えないなら、“南京虐殺”は否定できない。」と言う印象となる。
言い方を変えると、一件でも日本軍による違法行為が確認されれば、虐殺は事実であると認めろと言うことである。

とんでもない論法だ。
例えば、ここにAさんという人がいるとする。
Aさんはある人から「Aさんは悪人だ。」と言われ、証拠も無しに、あるいは捏造された証拠によって「強盗をした。傷害をした。」と言われた。
Aさんは家族の助けもあって、述べられた非難に対してアリバイなどを示して反証した。
すると今度は「だとしても、悪人であることが全て否定されたわけではない。」と言われたとしたらどうだろう。
さらに、何度かの交通違反など、誰でもやってしまうような軽微な違法行為をあげつらって、悪人であることを主張されたとしたらどうだろう。
軽微な交通違反でもしたなら、全くの善人とは言えないかも知れない。しかしそうであるなら、Aさんに限らず、大多数の人が悪人だと言うことになる。
そしてこういう反論をすると、「Aさんのことを話しているのであって、今は他の人は関係ない。」と言うのである。

先の、いわゆる“従軍慰安婦問題”に於いても、同様の議論が展開されている。
まるで「全ての慰安婦が強制されていないと証明できなければ、慰安婦が性奴隷だったことは否定できない。」と言う調子である。
ここで他国の悲惨な例を挙げると「自己正当化を図っている。」と言われるのである。
この点を橋下大阪市長やNHKの籾井会長などは、「日本を正当化するわけではないが、他国にもあった。」と言うのである。
 
保守派、右派の方々は、この発言を“自虐史観”と捉える人が多いようだが考え直した方がいいと思う。
肯定派の「他国を引き合いに出すな。」との論法に乗り、自国の正当性のみを主張するのには無理があると思うのだ。
聖人の様な国家などありえない。犯罪が皆無の国など無いのだ。
「他国は関係ない。」との論法に乗るべきではない。
むしろ、引き合いに出す立場に立ち、その上で「共に残念な過去があった。」と言う方が理に適っている。
自国の正当性だけを述べようとするのではなく、他国を引き合いに出し、相対的な判断を求めるのである。

そして、「日本だけを非難したいなら、自国の歴史に全く罪が無いことを証明してからにしなさい。」と言うのだ。
「そうでなければ、過去の過ちについて共に反省しましょう。」と。
久しぶりの更新です。
 
つい先ごろ、NHKに新会長が就任された。
その発言を問題視する声が上がり、国会にまで招致されたとのことで、その記者会見の動画を見たのだが・・・
まず、質問する記者の横柄な態度に驚いた。
職員1万人を超える組織のトップに対して・・・、しかもその会見は、何らかの不祥事などの問題を起こしたわけでもない。
にもかかわらず、その相手に対する態度として物言いが無礼に感じた。
 
安倍総理がその就任には、間接的に影響があったと考えられるため、何らかの危機感なりを感じたのか・・・と感じられる。
籾井会長は粘る記者の質問に対し、「会長と言う立場を横において、個人の意見として・・・(正確な引用ではありません)」と断った上で答えた。
さて、籾井日本放送協会会長は国会に招致され、民主党原口議員から質問を受けたが、その様子は違和感を感じるものだった。
原口議員は、会見の一部始終を見た上での質問では無いようだ。
おそらく、文章に書き起こされたものを読んだだけなのだろう。

この質問で、原口議員は籾井会長の発言が、報道に対して抑制的に働くと言う趣旨の発言をしている。
しかし、メディアが独立して中立的な立場を確立することを、民主国家である日本が望むなら、このような場での参考人招致、そして質問の中で解任を示すような発言をすることこそ、政府の報道に対する干渉であると思われる。
籾井会長の発言に対して、このような過敏な反応をするくらいなら、先ごろ産経新聞で指摘された、河野談話の韓国側の介入に対しても、同様の反応をしなければ、フェアではないと思うのだ。
韓国政府が何らかの抗議をしてきても、
「個人の見解と断った上での発言であり、基本的人権として保障された思想・信条の自由。」
「NHKは国営放送ではなく、公共放送であり、政府の見解とは距離を置く存在である。」
・・・と、突っぱねればいいだろう。
籾井氏は個人の意見と前置きをし、慰安婦に関する発言で、「現代の倫理観では許されない。」と述べた上で、韓国だけが日本だけに対して非難している現状を指摘した。
一連の発言内容は、昨年(2013年)の橋下大阪市長の発言と同じであり、今回橋下大阪市長は、籾井会長の発言に同意している。

“走るおっさんライダー”が一番気になるのは、
もしこれが、逆の意見を言ったとしたら、このように問題視されただろうか?と言うことだ。
仮に「日本(だけ)が従軍慰安婦を強制連行して性奴隷にした。」と言ったとしたら、保守系の人々の反発は買ったとしても、国会にまで招致されただろうか・・・?はたして、マスコミがバッシングしただろうか?
保守系の政党は、その会長を国会に招致しただろうか・・・。
そこにこそ大きな問題があると思うのだ。
占領下での自虐史観の刷り込みが、独立回復後60年以上経っても消えていない。と感じてしまった一件である。
映画『永遠の0』を、6日の夜レイトショーで観賞した。
事前にさまざまなレビューで、「感動した」「号泣した」などの意見を見ていた。
その一方で、「右傾エンタメ」などと言う批判も耳にしていた。
原作を読み、涙し、原作者百田尚樹氏のツイッターのフォローもしている“走るおっさんライダー”としては、どうしても一抹の不安はぬぐえなかった。

このテの映画化は、往々にして原作と比較しながら見てしまい、一読者としてポイントとなると思うところが割愛されているとか、逆にまるで売れているタレントを強引にねじ込んだかのような、原作には無い登場人物が邪魔に感じることがあるからだ。
原作の小説を読んだときから、ドラマ化を想定して書かれているのではないかと感じていたが、昨年の夏頃には映画化の報を聞いていたため、待ち遠しかったのである。
 
さて、映画本編はどうだったか・・・。
「ここは描いて欲しかった。」という場面もあるにはあったが、それを別にしても、残念ながら身震いするような感動はしなかったし、号泣することも無かった。
ただしそれは、作品がつまらなかったのではない。期待外れでもなかった。
冒頭のゼロ戦の飛行シーンでは身震いしたほどだった。
 
戦意高揚でも、戦争肯定でもなく、逆に自虐的なものでもない、今までに無い戦争の描き方をした、生身の人間のドラマだ。
この小説を映画という時間サイズに収めるのは大変だったろう。
それでも、内容はうまくまとめられていたと思う。
この映画に対する意見の中には、戦争を美化しているとか、特攻を賛美しているなどと言う的外れの批判があったが、それらは作者のツイッターその他の、保守的と言われる意見を嫌っている者の偏見と言わざるを得ない。
 
この物語は、戦争に反対している内容であり、特攻に行った若者が、決して本心から望んだ者ばかりではない事を語っている。
更に、日本全体が「お国のため」と言う空気の中、特攻を拒否し続けた主人公宮部久蔵を称えているようでもある。
最後には、簡単には語れないさまざまな事情が折り重なり、特攻に行かざるを得なかった宮部。
自らの命を懸けて、日本の未来を託そうとした宮部。
 
フィクションではあるが、宮部の生き様は、当時の兵士の中では異端だったはずだ。
しかしだからと言って、兵士の大部分が必ずしも望んで戦争に参加したわけでも、特攻に志願したわけでもないだろう。
これは、妄信や洗脳とか集団催眠のようなものではなく、避けられない自らの運命を、自己暗示のように無理やり「お国のため」と言う大義で、表面的に正当化しようとしたのかも知れない。
表面的には「お国のため」でも、本心は「愛する人のため」だったのだろう。
戦争で命を散らした者は、自由な選択肢など与えられなかった。果たして自らの信条だけ、自己満足のためだけに散ったのか・・・?
そうではない・・・。そしてだからこそ、彼らの犠牲は尊いのではないか・・・?
 
現代の我々は、さまざまな思いを抱きながら、彼らに命がけで託された日本を、次の世代にどのようにバトンタッチするのか・・・。
この映画は、今を生きる我々に大きな責任があることを訴えていると思い、その当事者として、単純に涙するという気楽さは許されないと感じたのである。
明けましておめでとうございます。

女優シリーズ 第6弾

水川あさみ