走るおっさんライダーのブログ -5ページ目
『歴史は勝者が作る。』と言う言葉を聞かれた方も多いと思う。
過去にはそんな時代もあっただろうが、歴史的事実が限られた者によってしか記録されない時代ではなくなった現代では、『歴史の“解釈(認識)”は勝者が決める。』或いは『歴史の“解釈(認識)”はそれぞれが決める。』と言えるかもしれない。

日本の大東亜戦争の解釈は、いわゆる『東京裁判』に於いて連合国(米国)によって作られた。
当時の日本の指導者が、どのように考え何を望んで開戦に至ったか・・・、その解釈は、連合国(米国)側の視点によってのみ語られることになった。
しかし、戦争の事実は歴史として記録されており、日本と連合国(米国)が戦ったことに変わりは無い。
そしてまさに、現在の日本では、日本の視点に立った“解釈(認識)”が語られるようになってきた。

さて、韓国政府は現在、歴史認識(解釈)に対して、日本に要求を突きつけている。
これに対して“走るおっさんライダー”は、『韓国は戦勝国でもないのに・・・』とか、『それぞれの“解釈(認識)”でいいじゃないか・・・』と思っていた。

しかし、最近驚くことを知った。
日本が大東亜戦争に敗戦したのは1945年。
朝鮮戦争(韓国戦争)は1950年に勃発し、1953年に休戦を向かえ、形としては現在も戦争は続いている訳だが、韓国では朝鮮戦争(韓国戦争)は日本と戦い、勝った戦争だと教えていると言うのだ。
連合国に負けた日本の、満州にいた日本兵がソ連軍に追われ、朝鮮半島に居座り悪逆非道の限りを尽くした。
米軍と協力してそれを追い出したのが朝鮮戦争(韓国戦争)で、このとき強制的に性奴隷にされた朝鮮人女性が慰安婦だと教えられていると言う。

このような教育をされている事が事実なら、彼らが「自国は戦勝国であり、歴史を作る権利がある。」ぐらいのことを言う理屈は理解できなくも無い。(それでも受け入れることは出来ないが・・・)
だから、自称“従軍?”慰安婦の「日本兵にジープで連れ去られた。」と言う発言に、「大東亜戦争当時日本軍にジープは無かった。」の反論や、
「19439年から8年間慰安婦にされた。」に対して、「すでに終戦している。」と反論しても、あちらは「むちゃくちゃで反論になっていない。」ぐらいにしか思っていないかもしれない。
少し前には、自称元慰安婦たちがフランスまで行きデモをして、そこで「朝鮮戦争当時、日本軍に惨めな思いをさせられた。」と言った主旨の発言をしたことを知っている者は、そのほとんどが「何をバカな事を・・・。」と鼻で笑っていたと思うが、問題はさらに根深かったかも知れないのだ。

それにしても、よくこんな創作の歴史を自国民に教育できるものだと、開いた口が塞がらない思いだ。
(本当に事実なら・・・だが・・・)
そして、このような内容の『歴史認識』を受け入れるよう、日本に求めているのかと思うと、これはもう正気とは思えない。
更には、それを自国民に教育しているとなれば、教えられた国民が世界に出た時、大恥をかくことになるだろう。
その元凶は、多くの韓国国民のせいではなく、歴史を捏造し教える側にある。

このようなパラレルワールドの出来事のような、ありもしない作り話をもし日本が受け入れたら・・・。
いや、有り得ない。
(ただし、本当にこの様な教育が行われているかどうかの確認は出来ていない。)

本当なら、韓国政府は、自己正当化(詭弁)のための、辻褄合わせの無理が限界を超えている。
問題の解決や、国交の正常化を本気で考えているとは思えない。
自国(韓国)政府の失策や、個人の抑えられない欲求による犯罪行為などを正当化するために、日本をスケープゴートにし続けなければならないと考えている様に見えるが、一体どこまで行ってしまうのか・・・。

日本をスケープゴートにして、何か問題が起きれば全て日本の責任にするなら、根本的な解決はできないだろう。
その様な教育と環境の中で育った子供たちは、安易に責任転嫁をするのではないだろうか?
“解釈(認識)”を改めると言うレベルの話ではない。明らかな記録すらも無視しているのだ。

これでは、日本が歩み寄る余地も可能性もどこにも無い。

一部の日本の国会議員が、もしこのような教育内容を知っていながら「韓国への配慮」を主張しているのだとしたら、どれだけ「日本のため」と言っても信じることができないではないか?
女優 台湾出身で才色兼備の林志玲(リン・チーリン)
レッドクリフ(赤壁の戦い)より

林志玲(リン・チーリン)

(その1)
http://blogs.yahoo.co.jp/partone1994/11986628.html
http://ameblo.jp/part-one/entry-11889541603.html
(その2)
http://blogs.yahoo.co.jp/partone1994/11988660.html
http://ameblo.jp/part-one/entry-11889787539.html
(その3)
http://blogs.yahoo.co.jp/partone1994/11992621.html
http://ameblo.jp/part-one/entry-11890216260.html
(その4)
http://blogs.yahoo.co.jp/partone1994/11999008.html
http://ameblo.jp/part-one/entry-11891008749.html
(その5)
http://blogs.yahoo.co.jp/partone1994/12013757.html
http://ameblo.jp/part-one/entry-11892770795.html
(その6)
このような例を出して、日本にばかり反省を求められることがある。
「他人がスピード違反をしているからと言って、自分の駐車違反が正当化されることはない。」
もっともだと思う人も少なくないようだ。

しかし、まずこのような例えには論理的に欠陥があるのではないだろうか。
他国の兵士が民間人女性を蹂躙したのは国際法違反であり、すなわちスピード違反に例えてもいいが、日本が慰安所を設置したのは、言ってみれば許可を得た場所で駐車をしたようなものだからだ。

但し、誰かがその許可の上での駐車によって被害を受けたなら、駐車違反ではなくとも反省すべきだと思う。
例えば許可の上だが見通しの悪い場所に駐車をしていて、その駐車車両の陰から子供が飛び出し事故に遭った。
となれば、配慮が足らず駐車したことはやはり反省すべきで、「合法だった。」と胸を張るべきではないと思う。

さて、今回のシリーズでは、
日本人の侵略的性質への牽制?
併合(植民地支配?)に対する反省?
いわゆる従軍慰安婦への謝罪?
について考えてきた。

以前はわからなかったが、現在わかってきた事や、今後の研究によってわかってくる事もあるだろう。
冷静に捉えたいのは、問題提議(日本批判)がされた時の論点が、その後明らかになった資料や証拠によって否定されていく過程で、変化していないか?と言うことだ。

例えば、ネット上でこのような論点を見つけた。
「強制性に関係なく、国家が国策として慰安婦を利用した点。」だそうだ。
いやいや、それならば現在売春を合法化している国はどうだと言うのだろうか?

本当に当初挙げられた問題提議の解決が目的なら、資料や証拠によって否定されたなら解決にならなければならない。
しかし、そうはならずに論点が変わりながら問題は残り続けているものもある。
このような点を考えるとき、問題の解決が目的ではなく、ジャパンディスカウントが目的となっていると言うことだと推測される。

もちろん日本に問題が無かったとは言えないが、当時の他国の状況を考える時、日本“だけ”が常に槍玉にあげられる理由はないように思う。いや、あるとすれば敗戦した事か・・・。


直接日本にだけその批判を浴びせるなら、現在の日本政府のあいまいな対応にも大きな問題はないかもしれない。
しかし、現在に至って当事国以外の国にまで、その喧伝を拡大するとなれば、あいまいな対応では済ませられない。

仮に、批判の内容が正当(証拠があるなど)で、尚且つ対象の国がその批判を無視するなら、当事国以外にもそれを知らせる必要はあると思う。
現在でも、自国民に対して人権侵害や弾圧をする国、近隣国との領土・領海に関するトラブルがある国があるが、そのような問題は当事国だけに任せられないこともあるだろう。

そのような問題は、感情論や勝手な解釈による批判の喧伝ではなく、国際的に認められる根拠によって行わなければならないし、それに反論があるなら、感情論や解釈の違いですべきではないと思う。

何より、現在の日本政府のように、批判が誤っていたり相手の勝手な解釈で行われていて、自国の権利を不当に抑圧されるのであるなら、消極的であってはならないと思うのだ。
(その5)
他国軍なら、戦闘のあとに現地の女性を蹂躙することが、まるで勝利の戦果のように行われ、国家や軍はそれをて見ぬ振りをしていたことと比べれば、慰安婦は日本軍の健康を守り、機密や規律を守ることにも大きく貢献しただろうし、国の為、家族の為に命をかけて戦地に赴く兵士の慰安になればと、深い愛情を持って接してくれた方もあるのではないかと、“走るおっさんライダー”は、それら多くの女性達に感謝の念をも抱く。

ただその事と、現在に至って賠償を求めることや、それをジャパンディスカウントに利用するのは別の問題だ。
完全に自由意思だったかどうかは、それぞれ事情が異なるだろう。
軍が強制したと言う主張には、明確な根拠が求められるところだ。
そしてそれらは、同時代及び現在の、他国の状況と比較して語らなければならないと思う。
なぜ比較しなければならないか?
勿論それは、日本“だけ”がバッシングされているからだ。

戦場の性の問題は現在進行形の世界の人権問題だ。
過去の日本“だけ”の問題にすべきではない。他国の軍隊は、日本ほど規律正しくはない。
それを、大戦時の日本の問題、しかも明確な証拠も無い問題だけを語っているうちに、現在進行形の問題が後回しにされてしまう。
国家や軍が管理・監督した慰安所が悪くて、国家や軍が見て見ぬ振りをした現地女性への不法な蹂躙行為を、それよりも軽く扱うべきでは無いだろう。

「日本が率先して反省すれば、他国はそれに追随する。」と言う者がいるが、そんなことはない。
日本のように【事が起きたらとりあえず謝る。】という文化は他国には無い。
通常は、どうしても逃れられないところまで追いつめなければ、罪を認めないのが世界標準だ。
世界の全てとは言わないが、少なくとも国益を損なう恐れのある事を、各国政府に認めること容易ではないだろう。
それが良いと言うのではなく、それが現実だと言うことだ。
日本が反省した後、日本が他国の問題を出せば、その時点で「反省していない。」と言われるのがオチだろう。
日本の常識を世界に当てはめて考える事こそ、傲慢な態度ではないだろうか?

一方で、保守派と呼ばれる人たちの多くは、慰安婦は合法であり高給を支払っていたことで正当化したいようだが、決して胸を張れることでは無いと思う。
なぜなら高給と引き換えに、その女性たちは何かを失ったであろうことが当然に想像できるからだ。
本人が望んでその職業を選択した者ばかりではない。
軍が強制しなかったにしても、その職業を選ばざるを得なかった女性達、それぞれの事情に配慮しなければならない。

更に法律(刑法)は、倫理や道徳の全てをも反映するものではないはずだ。
国家が、罪を課すに値する行為を、規定できる範囲で決めているだけではないか?
であれば、「合法だった。」からと言って、倫理面や道徳的にも正しいとは言えないと思うのだ。

-つづく-
(その1)
(その2)
(その3)

(その4)
これまでも、いわゆる従軍慰安婦については記事にしてきたが、このことについても常に日本は、他国との比較なしにバッシングされている。
http://ameblo.jp/part-one/entry-11562751541.html
「日本のことを語るときに、他国のことは関係ない。」と言う、批判する側の前提をなんとなく受け入れているようだ。
そして、机上の空論の理想像と日本を比較して、その到らなさを攻撃する。

しかし誰だって、聖人君子と比較すれば見劣りしてしまうもの。
それは、理想は理想として各自が反省し目標とすべきもので、当事者以外の他者がそれと比較して欠点を指摘するものではないだろうと思う。
その意味で、他国との比較の中で語らずして、何を語るのかと思ってしまう。

「慰安婦は当時合法であり、高給を得ていたのだから単なるビジネスだった。」との意見がある。
しかし、以前の記事でも書いたが、高給を得るにはそれなりの理由があったとも考えられる。

当時の朝鮮の新聞に出された、高額な報酬を謳った募集広告が残っている。
“走るおっさんライダー”が目にしたのは、朝鮮の業者が出したいくつかの広告だ。
朝鮮において、慰安婦募集や慰安婦の運営は、民間業者が担っていたのだから当然と言えば当然だが、そこには本当にその民間業者が謳っていた通り、支払っていたのかという疑問もある。が、それを言い出したらキリがない。

ここで言いたいのは、募集に際してそれだけ高額な報酬を示していたという事実だ。
慰安婦が、本当に一般の職業と大差ないものであれば、高額な報酬を示す必要などないだろう。
そこには他の職業と比較して、何らかのリスクや過酷さがあったのではないかと言う想像もできるのだ。
軍の兵隊は徴兵により集められ、それが国民の義務だったのだから、報酬も低かったのだろう。
しかし慰安婦は、自由意思により戦闘地域に行くのだから、一つには危険手当の考え方があったのかもしれない。

慰安婦となったのは日本人をはじめ、朝鮮人、台湾人、中国人などだと言う。
そのような方々に対して、心を留めておくことは人として大事だと思っている。
「単なる売春婦」などと侮辱して言うのは失礼だ。

慰安婦は、現在謝罪と賠償を求めている者だけでなく、むしろそれ以外に他の多くの女性がいたことを忘れてはならない。
高額な報酬が目的だったとしても、それは自分が贅沢をしたいと言う者ばかりではなく、貧しい家族の生活を支える為や、口減らしで親に売られた例もあるようだから、その女性達の犠牲を軽んじるべきではないと思うのだ。

-つづく-
(その1)
http://ameblo.jp/part-one/entry-11889541603.html
(その2)
http://ameblo.jp/part-one/entry-11889787539.html

(その3)
「日本人には侵略的性質があるから、軍隊を持つのは危険だ。」という主張を耳にする。

しかし、世界のほとんどの国が軍隊を持っているにも拘らず、現在戦争は世界中で起きている訳ではない。
日本人に侵略的性質があり、他国の軍隊は問題ではないが、日本が軍隊を持つことだけは危険だと言うなら、軍隊を持っていながら現在戦争をしていないそれらの国々よりも、好戦的、侵略的な傾向を示す何かがあっても良さそうなものだが、どのような比較をすればそうなるのだろうか・・・。
印象だけで語るなら、それについての反論も印象を根拠に可能となる。それは意味が無い。

とりあえず良い悪いは別として、日本人・日本の価値観や道徳観は確かに独特なようだ。
それは、島国の特徴なのかもしれないし、鎖国が影響したかも知れない。つまり、ガラパゴス化・・・。
災害時に略奪が起きない日本は、他国から驚きをもって見られているらしい。
以前、アメリカのTV番組で石油枯渇のシミュレーションをしていたが、少なくなったガソリンを暴力的に奪い合うのが前提となっていた。
その時は、日本でもそうなるか・・・、と漠然と見ていたが、その後に起きた東日本大震災後の様子を見て考えを改めた。
ついでながら、大正12年(1923年)には関東大震災が起こったが、被災後にそこで暴徒と化したのは朝鮮人だったと記録されている。

日本人は、取り立てて他民族に比べて好戦的、侵略的傾向があるとは思えない。
2000年を超える日本の歴史の中で、何度の侵略的拡大行為があったというのだろうか?
もし好戦的で領土拡大の野心が根底にあるなら、活発に外に出て行こうとした歴史があってしかるべきだろう。
いや、その歴史があってこそ、はじめて好戦的、侵略的だと言えるのではないだろうか?

大東亜戦争が侵略戦争だったかどうかは異論が多いが、仮に侵略だとしてもその一事例だけで、民族の性質は語れない。
他に、豊臣秀吉が朝鮮出兵をした歴史は確かにあるが、その後続いてもいない。

ただ、このように考えることもできる。
侵略的野心で出兵をするにも軍資金が必要になるが、侵略の結果その地の富がそれに見合うだけあるなら、その意味がある。
逆に考えると、侵略しようとする先にある程度の富が無ければ、侵略の意味が無いのである。
費用対効果は単純な理論であり、仮に日本人に侵略的性質があったと認めるなら、それでもなお出兵するだけの魅力が、朝鮮半島には無かったと言うことだろう。
領土の拡大も侵略の動機になりえるが、それも含めて豊かさが無ければ魅力的ではないのだ。

彼らはどちらをとるだろう?
『日本人には侵略的性質があるが、朝鮮半島は豊かではなかった。』か、
または、『朝鮮半島が豊かだったどうかに関わらず、日本人に侵略的性質は無かった(少なかった)。』か。
度重なる侵略の歴史が無い以上、どちらかしかないように思う。

『日本が貧しかったので出兵できなかった。』は有り得ない。
先にも言ったように、その先に富があれば侵略して奪うことで解消できるのだから。

それとも、朝鮮に強大な軍事力があり日本は手が出せなかったのだろうか?
もしそうなら、冊封による事大主義とは矛盾すると思われるが、いづれにしても日本が歴史的に見て好戦的、侵略的な民族であることを示す根拠はない。

大東亜戦争を例にするとしたら、その前提としてアジア諸国のほとんどが、欧米の植民地となっていた当時の状況を無視して、日本だけに好戦的、侵略的野心があるなどと言うのは無理があるだろう。

日本がアジア諸国へ軍をすすめたことを、ここでは良いとも悪いとも言うのではない。
見方によって異なる問題だろう。
そうではなく、日本だけに好戦的、侵略的野心があると言う主張に、異を唱えているのである。

-つづく-
(その1)
(その2)
日本は過去に朝鮮を併合したのは事実だが、それを植民地支配と呼ぶ根拠はなんだろう。
情緒的、感情的、希望的(自虐的)観測で勝手な解釈をしても、当時も様々な立場の者の様々な思惑も交錯していただろうから、どれか一つ或いは一部の事例で全体を判断することはできない。

つまり、例えば日本統治時代に朝鮮人による抵抗運動があったからといって、それが即ち朝鮮人の総意だったと言うほど単純ではない。
日本でも過去には反政府勢力による破壊活動、現在でも各地で原発反対のデモが行われているようだが、それが必ずしも国民の総意とは言えないのと同じである。

逆に、日本が巨額の投資をして、台湾と同じく朝鮮半島のインフラ整備を行ったことは明確な事実(史実)だ。
これについて「インフラの整備は最終的には植民地からの収奪が目的で、投資した事を持って植民地支配の否定にはならない。」と言う意見がある。
しかし、欧米の植民地支配ではこのような投資はしていないし、実際に収奪が行われなかったのだから、そうであれば『収奪が目的』の意見は、どうとでも言える勝手な妄想の域を出ない。

それよりも、仮に『収奪が目的』だったとして、統治期間の約36年間ずっと投資をしながら、結局リターンを得られなかった朝鮮半島の、併合前の状況はいかがなものだったのだろう・・・という点を考えるべきではないだろうか。
少なくとも、欧米の植民地支配には無い、現地の教育環境の充実(多くの学校の設立)は、単に欧米的な植民地支配が目的ではなかった事の証拠だと思う。

それが【余計なお世話】だったとしたなら、「教育を受け、労働によって豊かになる。」と言う価値観が通じなかったのだろう。
しかし一体、この価値観を否定するロジックとは・・・、世界に理解され通用するものであろうか・・・。

-つづく-
(その1)
【あらかじめお断りしておきますが、専門家や学者などでは無いのでそのつもりでお読みください。】

不思議に思う。
韓国政府から繰り返される日本に対するバッシングや、ディスカウントジャパンと言われる、世界各地での日本のイメージダウンを誘う発言など・・・。
韓国の国民全体ではないだろうが、大統領を始めとした公の機関がそのような姿勢なのだから「韓国の一部の人だけ」と言って無視できるレベルを超えている。
その彼らは、大義として日本に何を求めるのか?最終最大の目的の大義は何か?

日本人の侵略的性質への牽制?
併合(植民地支配?)に対する反省?
いわゆる従軍慰安婦への謝罪?

・・・一旦ここで、仮に<日本は朝鮮を侵略・植民地支配した。>としてみよう。
さらに、<日本は戦時において女性の人権を大きく侵害した。>としよう。
その上で、彼らがそのように教育を受け、それを信じているとするなら、彼らがこの事に関して怒りの声をあげても仕方ない・・・のだろうか?

第一次世界大戦後、ヒトラー率いるナチスドイツは、他国に侵略戦争を仕掛け、ユダヤ人に対する重大な人権侵害を行った。
そのことを、近隣諸国がどのように捉え、現在どのように考えているのかの実際を感じることが出来ないのだが・・・。
そう言えば、以前ケーブルTVで放送された英国のとあるTVドラマの中で、ドイツ人女性が「事あるごとにドイツ人は謝罪を求められてきた。」と天に向かって叫び嘆いていた。
ドラマの全編を見ていなかったので、実はこのセリフが、どのように扱われていたか不明なのだが・・・。

何にしてもナチスドイツのホロコーストは、世界史に類を見ない重大事である。

ちなみに、フランスは当時のナチスドイツに協力した事の反動?で、1990年成立のゲソ法の中でホロコーストの否認が禁じられていると言う。

とは言え、少なくとも表面的には、現在のドイツ人が残虐で侵略的な民族だとは捉えられてはいないだろう。

もし大東亜戦争において、日本に同様な行為があったとしたら、その被害者となった国々からその時の歴史に対する肯定的と思われる行為、すなわち靖国神社の参拝などは、批判する者が出てもおかしくないと言えるのか?

当時の日本の行為が仮に事実だとしても、それを現在の日本人にまで転嫁出来ると考えるのは、ナチスドイツと周辺国の例にならっても不当であろう。
いかに侵略的な歴史があるいかなる国であっても、その過去の責任を現在及び未来の人たちにまで当てはめることは、明らかな民族差別ではないか。

ただし、その歴史の当時からその国の体制が変わっていなければ、或いは現在進行形でその行為が認められるなら、追求する必要がありそうだ。
この点は、日本以外の国を見るときにも重要な視点だと思う。

以上のことから、『日本人の侵略的性質への牽制』は、不当であり大儀になりえないと思う。

-つづく-