「白河さんから聞いてきたんですけど……」
世莉はぽりぽりと頭を掻いた。世莉達が昼食を取っているところにその男子生徒はやってきた。
「あー……えと、何か相談事?」
「あ、はい。最初は白河さんに言ったんですけど……黒木さんが適任だって……」
「悪いんだけど、放課後に時間はある?あるならここで話聞くから」
地図アプリを表示して真田達のいる喫茶店を指差すとその男子生徒はでは放課後に伺いますと言った。
竜美の方をちらっと世莉が見るととても一緒に来ないで欲しいと言えた表情ではなかった。蘭もまた、興味を引かれてしまった表情をしていて、説明しないわけにも巻き込まないわけにもいかないのだろうなと諦めて世莉はご飯を一口含んだ。
その後、喫茶店で話を聞くと自分にデジモンが付いてることに気づいてびっくりしてしまっただけらしく、下手なことをしなければ大丈夫なこと、変な能力が目覚める可能性があることなんかを告げて帰した。
「なんだか私だけ置いてけぼりだったみたいでなんかなー……」
「全く、私がいればすぐにでも犯人を特定できたでしょうに……それはそれとしてミイラの探偵が夕暮れの道ですれ違いざまに話しかけてくるシチュは見たかったです!」
机に突っぷす蘭とその横で怒るエカキモンにひとまず謝りつつ、世莉は宿題を広げた。
「一応言っておくと、あくまで私も巻き込まれた形だし、さっきのだってあくまでここに来たのは真田君とかに丸投げする為だから」
「まぁ、探偵としては頼られてこそだから悪い気はしないけど、一杯のコーヒーを飲む暇もなくなってしまうぐらいに来られたら流石に困るかもね」
真田は恥ずかしさ半分嬉しさ半分で顔を赤くしながらコーヒーを啜る。
「……ところで、嘉田さんとかいう人はどちらに?渋いマスター、ミイラの探偵、元凶悪犯のウェイトレスという組み合わせは正直イマジネーションが刺激されまくりなのですが!」
可愛い系かおっとり系だとなお好ましいですねと言う
エカキモンに真田はわかると頷いた。
エカキモンに真田はわかると頷いた。
「普段は元凶悪犯感が出てないけど、探偵がヘマしたりした時に颯爽とナイフか何か片手に現れて、しょうがない探偵さんですね。このままだと捕まった私までしょぼく見えるじゃないですかとかエプロン姿で言って欲しい」
「依頼人の誰かを好きになってでもかつて手を血に染めた私では……みたいなこと考えて欲しいですね!」
「彼女を更生させた弱そうで実はタフな常連も欲しい……ん?これは一応いるか?」
「その話詳しく聞かせて頂きましょうか!イマジネーションが刺激される香りがします!」
「香りといえばその子はなんか、あれだ。人の香りが嗅ぎ分けられるとか言ってた様な」
「フゥーッ!あなたは本当は悪い人じゃないって私の鼻が教えてくれるのみたいな感じですね!」
エカキモンと真田の話が盛り上がり、蘭も加わりこそしないが目に見えて興味がそっちに向いていくと、自然と竜美と世莉だけが向き合う形になった。
気まずかった。世莉としては負い目がある。相談せずに危険な目にあったのは確かで、ローダーレオモンが来たことで状況が少し好転したのも確か。昨日も怒られたばかりだ。
助けてくれる亜里沙は今日は居なかった。
「……怒ってる?」
「少しだけね、世莉さんと亜里沙さんのことだから巻き込まない様にってなるのはわかるし……」
竜美はコーヒーにミルクだけほんの少し入れてかき混ぜた。黒いコーヒーに混ざったミルクはほとんどその色を変えられず消えていく。
「でも、二人がどうにかなったら私は悲しいから……」
だからせめて次からは私にもと。ローダーレオモンまでもそれを後押しするかの様に真っ直ぐに世莉を見ていて、世莉はごめんと謝るしかできなかった。
その展開を横目で見ていた真田とエカキモンがいい展開ですね、あとはここで依頼が舞い込んで来ればと目で会話していたが、それに触れられた空気でもなかった。
「……これからは、また、もし白河さんに振られたらやる、つもり?」
「やるつもりはないけど……」
そう言う世莉に竜美は首を横に振った。
「多分世莉さんはやると思う」
嘘吐き。そう聖に言われたのがまた頭に浮かんだ。やはり今も嘘なんて吐いたつもりはない。
「……あー、真田くんは得意な科目何?」
「へ?国語か……世界史とか?」
「あー、そっかーそうかー。今日数学の宿題出たから教えて欲しかったけどそれじゃあ世莉さんか竜美さんに聞くしかないかー」
会話中断サセテゴメンネーと蘭がぎこちなく話しかけると、竜美はふっと笑いローダーレオモンは寝に竜美の頭の中に戻った。
ふと、そういえばレディーデビモンの姿を見てないなと世莉は思ったがそれ以上気にしなかった。昨日の夜も姿こそ見なかったが右手で顔を洗ったりはしてくれたのを世莉は覚えている。
蘭の理解の進んでいなさに世莉達が頭を悩ませていると、喫茶店の扉が開いて嘉田と縁が入ってきた。
嘉田は上機嫌で裏に行きエプロンを受け取って髪を一つ結びにして出てくると、縁に出すコーヒーをニコニコと運んだ。
先日殺そうとしてたとはとても思えないその関係は奇妙に見えた。
「いや、よく殺そうとしてきたやつと一緒に帰れるよな……」
帽子とコートを着て暇そうに英字新聞を電子辞書と真田のスマホとを使って読もうと試みていたマミーモンがそう聞くと、縁の代わりに嘉田がマミーモンの隣に座って答え出した。
「付いてるデジモンを殺しても人間は死なないし、なんならデジモンだって本気で仲間に引き込みたかったし、殺そうとしたのは私ってかザミだから」
「でもそいつの性格ほぼお前だろ?」
まぁ、とマミーモンの前に出されているコーヒーに少し口をつけて嘉田は少し渋い顔をした。
「ザミはちやほやされてない。私はちやほやされている」
この差が大切という嘉田にマミーモンは残されたコーヒーの上で何か指をくるくると回し調べてから恐る恐る口をつけた。
それはつまり、ちやほやしてくれた覚えのない誰かなら殺す事もそれほど躊躇わないという事だろうと。そう思わなくもなかったがまた反論されそうだからやめた。
マミーモン、というよりも真田は知っている。性欲が脳の大半を占める男子という生き物の大半はわりと簡単に人を好きになる。それは五浦もおそらく例外でなかろうとそう思っている。自分の為に誰かに頼み込み、自分の為にその誰かに土下座もしてくれた、何かない限りはこれからも合流していけば順調に好きになってしまうだろう。
好きになった子の隣にいるのが自分を追い詰めようとしてたやつ。これは大変だろうなぁと思いながらマミーモンはコーヒーを飲みきって、仕事に戻れよと嘉田を追い払う様に手を動かした。
「あ、そういえば……今日、昨日あった事について聞かれたんです」
縁がコーヒーをふーふーと冷まして口に含み、そんな事を言うと、真田がするりと世莉達の座っている席から抜け出て縁の隣に行こうとし、しかし女子の隣という事で照れを感じて正面に座った。
「いったい誰から?」
「えと、話したことはないんだけど……三つ子の一人だと思う。その、あの、同じ学年にいる女子三人の三つ子の……」
ふむ、と真田は頷いたがその実三つ子なんていたっけと考えていた。
「け、結構根掘り葉掘り聞かれて……ゆうちゃんのことも、だ、大体はわかってたみたいな口ぶりだったから……」
誰かの知り合いかと思ったんだけどと徐々に小さくなっていく縁に、世莉は隣に座ってその手を軽く握ってさすった。
「それは情報屋だからまぁ話さなくて正解だ。というか悠理がいない時を狙ったなあいつら……」
机の上でそう呟く指サイズのザミエールモンに世莉と真田が視線を向ける。
「かなり珍しい奴らで、確か……一人に三体ずつ色違いで同じデジモンが付いてるんだよ。顔面にブラウン管テレビみたいなのつけたモニタモンってやつ。それぞれが情報を共有する能力があって、普通のネットと違って情報が漏れない」
あれもなぁ、仲間に欲しかったんだけどなぁ身元わかんないやつには情報占いとか言われたんだよなぁとか言いながらザミエールモンはスプーンで縁のコーヒーを少し取って飲んだ。
「情報屋か、探偵的にはやっぱり繋がりが欲しいところだけど……」
知らない女子に話しかけるのはハードルが高いなと考えている真田に俺が話しかければ良いだろとマミーモンが言いかけ、ふと静かにというジェスチャーをした。
「委員長だ。何でかは知らないが委員長が来てる。ジャスティモンも出してやがるな……実体は持たせてないがそれでもかなりやる気に見える」
マミーモンの声を聞き取って、世莉が来たら私が対応すると呟き、聞き取ったマミーモンは真田と縁にシーと人差し指を立てる。
蘭と竜美はヒソヒソと喋ったマミーモンの声は聞き取れなかったらしくそのまま宿題を見ている。
荒い息をした委員長は店内を軽く見渡してすぐに世莉のいる方のボックス席に向かい、見つけると世莉に対して座っても良いかと聞いた。
「どうぞ」
「……昨日あった事についての話を聞いた」
そういの一番に切り出した委員長に、世莉は嘉田を呼び止めて水をもらって委員長の前に出した。
「まずは水でも飲んだら?」
「……ありがとう」
水を一口飲んで委員長は一度深く息を吐いた。
「僕がいればきっと危険に遭わなかった筈だ。葵だって間違いなく協力してくれた」
その言葉に世莉は確かにと頷いた。でも、確かにと頷いただけだった。
「犯人を、委員長ならどうした?」
「犯人の心配よりも僕は黒木さん達の心配をしている」
それは正論だと世莉も思った。犯人の話はまず乗り切ったという結果ありきだ。犯人が嘉田で縁の友達だとわかった後の視点からの話だ。
実際迂闊だったとは思う。格上だとわかっていてでも数がいれば何とかなるんじゃないかと思っていった。実際は何とかはなったが竜美や五浦がいなければ危うかったかもしれないと、世莉は思った。
「戦いの顛末も聞いた。レディーデビモンは敵の大技を受け止めた。そしてその後姿を見せていない。実は結構なダメージを負っているんじゃないのか?同じ様な事を繰り返しているうちに死ぬかもしれない」
委員長の懸念は、世莉からすれば尤もだった。亜里沙が未来を見ていた。いざとなればユノモンがいた。それは世莉にはわからない事だ。
「私は大丈夫。全然平気」
そう言って世莉から出てきたレディーデビモンは委員長の側からは傷などない様に見えた。
一方で、世莉から見たその左腕はボロボロだった。腕の内側がレンガかブロックが崩れたみたいになっていてとても平気と言えた状態ではなかった。
世莉の隣に座っていた蘭もそれが見えたらしく明らかに動揺し、レディーデビモンは戻ろうとしたがその左手を実体化したジャスティモンが掴んで軽く捻った。
何の抵抗もなく捻られた腕は内側のボロボロになった部分を露わにし、それを見て委員長は悲しい顔をした。
「犯人を捕まえることより安全が大事な筈だ。それに捕まえるにしても犯人のアタリがあって別働隊を必要としているなら、僕を頼ってくれれば良かった。そこに守りに行ったら逃したかもしれない。でも、犯人の方が僕とジャスティモンから逃げられたとは思えない。葵とネオデビモンがいればネオデビモンの手で包むことでどれだけ安全を確保できたか……」
それも正しいなと世莉は思った。最終的にアイギオテュースモンは巨大な手を盾にした。それはネオデビモンでもできただろう。ネオデビモンの巨体ならマミーモンが殴り飛ばされた様にはならなかったかもしれない。
レディーデビモンの蝙蝠が包帯を咥えて巻く程度の矢を一回受け止められるかどうかという盾よりもより強固に何重にも包帯を巻いてシェルターにもできたかもしれない。
そうしたらもっとリスクは少なかった。レディーデビモンが攻撃を受け止めざるを得なかったのは世莉達を逃せなかったから。それだって、ネオデビモンのサイズならまとめて動かせる。
「ところで誰から聞いたの?」
顛末を細かく知ってるのはそれこそ世莉達ぐらいだろう。なんなら世莉達も直接見ていない。頭を下げて丸まっていたのだから外から見てはいない。
「……ある程度なら情報を得る手段はあるから」
委員長は少し苦い顔でそう言った。
委員長は三つ子の元締めと繋がっていた。
三つ子は情報屋の調査員であり窓口でもある。潜伏して調べている情報屋がいて、それらが完全に潜伏している元締めのところに集められる。三つ子を通じて元締めに聞きやはり三つ子を通して聞くのが通常の情報屋の利用法。
一方の委員長は情報屋の元締めの側から情報を渡される立場だった。理由は二つ、一つは元締めに宿るデジモンの能力が社会に及ぼす影響が大きい能力で治安が維持されていないと困るから、二つ目は個人的な親交。
委員長も詳しい出どころは知らないが、委員長が必要だと元締めが判断すると委員長に情報が渡される。
だから稲荷の事を委員長は知らなかった。稲荷が委員長はある程度どこかで情報屋とつながっていると考えて三つ子をかなり早い段階で狙ったことで元締めは三つ子を庇う為に委員長に伝えられなくなっていた。
尤も、代わりに人を使って聖に情報を流したりしたので稲荷の行動が正解だったとも言い難いところはあるが。
決してやましい関係であるわけではなかった。出どころも知らないのだからどうやって調べられたかも知らない。でも、おそらくは助けもせずに見ていた誰かの情報なのだろうと思うと委員長は引け目を感じた。
それが世莉でなければ引け目を感じなかっただろうに、世莉だから、委員長は引け目を感じたし、冷静になった。
「……ごめん、つい感情的になって当り散らした。でもこれから何かあったら僕にもちゃんと相談して欲しい。絶対に守るから」
委員長に真っ直ぐ見つめられたらきっと多くの女子は好きになるんだろうなと世莉は思った、思ったが世莉には急いで来たのだろうその気持ちに伴って発生した汗の臭いも強く感じてしまうしときめくにはとても難しかった。
さらに言うならば、隣の席でヒソヒソとマミーモンが委員長の匂いってどんなのだと縁に聞き、草刈り終わった後の汗と草の臭いだなんて言われてるのも聞こえている。
「……じゃあ今一つお願いをしてもいい?」
世莉はそう言って蘭の手からノートを取り上げた。
「教えてと言われたけど私と竜美さんだとこことか説明できなくて……」
あぁ、ここはと委員長が喋り出すとレディーデビモンはスッと姿を消し、ジャスティモンもそれに続いた。世莉の目には委員長の背後に仁王立ちして腕を組む姿は見えていたが視線をやらない様にし、隣の席のマミーモンに向けて小声で話しかける。
「委員長が話聞いた情報屋の話聞き出す?」
「いや、無理はしなくていい。俺達は後で三つ子から当たるから」
「そう」
委員長の説明を受けてなおそのままだとぽとりと落ちそうなほど蘭の首が曲がっている内に世莉は亜里沙の事を考えていた。
もしも、委員長が過去の自分に執着した結果自分のところに来ているならともかく、純粋な親切心からならばきっと亜里沙のところにも行くだろうと。別働隊を動かしたのは亜里沙で世莉は終わるまでその存在を知らなかった。
それとも、どこがどう繋がっていたかはわかっていないのだろうか。世莉が作戦を立案していた、そう思っているなら世莉にとっては都合がいい。亜里沙に委員長が話しかけに言ったとしても多分世莉が無茶しない様に止めて欲しいとなるだろうとそう思った。
「クマちゃん先生!」
三年の女子にそう話しかけられてその先生はん?と振り向いた。
国語教師の酒田 登紀夫は教えている古文とサカタと読める苗字から金太郎を連想させ、同時にその体格の良さからでも金太郎というよりもクマ、と一部生徒からはクマちゃん先生やクマ先生と呼ばれていた。
「今日まで学校来てなかったから言えなかったんだけどセンターの自己採点めっちゃ良かった!国語では過去問で今まで出した最高得点とほぼ同じぐらい取れたんだよ!」
おぉと酒田はその女子が差し出した問題用紙を受け取ってうんうんと頷いた。
元々その女子生徒はとても国語が苦手だった。古文漢文は運任せ、現代文も半分以上は落とす。それが差し出された問題用紙を見ると六割は取れている様だった。運任せの部分も少々残るが、選択肢を一つは潰せる様になっていたこともわかる問題用紙で、特別良いとは言えないが元を考えると大きな進歩だと言えた。
「よく頑張ったね。本命は結果待ちだったかな?」
うん、と頷いてその女子生徒は絶対いい知らせ持ってくるからと笑って返された問題用紙を鞄にしまった。
よかったよかったと思いながら職員室に戻らないとと歩き出した酒田は左手に振動を感じてそこに付けられた端末を覗き込んだ。
アノコハツケラレテイル、タスケテクダサイ、センセイ
表示された文字を見て酒田は表情に出さない様にわかっているさと口の中で呟いた。
酒田にはその女子の後ろを追い回している黒い毛の獣人の姿をしたデジモンは見えていなかったが、持った鞄の二重底の下には明らかに教師には不要な刃渡りの折りたたみナイフが仕込まれていた。
さらにその後ろから少し髪色の明るい快活そうな男子が顔にひどくしわを寄せているのにも気づきはしなかった。
彼女は上機嫌だった。センター試験も手応えがあって、つい昨日行われた試験も手応えがあった。それに先生にも努力が認められた。
二年の夏休みより前には考えられない成績に少し有頂天にすらなっていたが、ふと踏切に差し掛かってその足取りが重くなった。
実に嫌なことを思い出していた。
彼女には少し前まで不思議な友達がいた。それはデジモンと呼ばれる存在だったがそれを知る機械すらないままに彼女はその存在と別れる事になった。
二年の夏休みの前は髪の色も染めていた、スカートの丈も弄っていたし、授業中は寝ていた。それである夏の日、補習で来た学校でそのデジモンと出会った。
豚の着ぐるみを着たスクール水着の子供みたいなそのデジモンを見て彼女はひどく笑った。笑われているそのデジモンも何故か笑った。名前はチョ・ハッカイモンというらしかった。
気のいい友達の様なチョ・ハッカイモンと家ではひたすら喋ったし、授業中にはスマホの画面を使って文字で喋り、放課後も彼氏を放置する程になっていた。
その彼氏がまさかあんな行動に出るとは彼女は思っていなかった。
最初は普通に放課後に呼び出されただけだった。放置しすぎていた気はしていたし、遊びたいのかなと彼女はそこに顔を出しに行った。なんならまだその時はその彼氏のこともそれなりに好きだったので少し普段より丁寧に化粧したぐらいだった。
そこで彼は彼女を犯そうとした。チョ・ハッカイモンが止めようと姿を表すと彼の方からも黒い獣人の姿のデジモンが現れてチョ・ハッカイモンと戦う事になった。
それを助けてくれたのは同級生の女子だった。
いつもは目立たない女子だった。真面目で堅くて友達も少ない様に見えたし、陰で彼女はその女子を超合金メガネだなんて呼んだりもしていた。
覆い被さる彼氏の腹を蹴り上げたその女子と、その女子の背後から現れた黒い鎧武者のデジモンは彼女をあっという間に助けた。圧倒的だった。
ありがとうと、礼を言って数日後、その女子は死んだ。死因はどうやら電車に轢かれた事のようだった。持病の発作のせいで踏切の内側で立ち止まってしまったのではないかという話だった。
その二日後、彼女は帰り道の踏切で背中を押された。押したのは黒い獣人、そしてそれを助けようとチョ・ハッカイモンは電車に轢かれ、彼女の前に戻ってこなくなった。
もしかしてその女子もそうだったのではと思うと彼女はもうやっていられなくなり、彼からは可能な限り距離を取った。彼はもう彼女にちょっかいを出して来なかった。
噂で聞いたところによると、彼は一年下の男子生徒になにかが殺されたと呟いていたらしく彼女は少しだけ安堵した。ただ、二人とももう戻ってこない、
そもそも自分が付き合ってなかったらと思うととてもやりきれなかった。
そもそも自分が付き合ってなかったらと思うととてもやりきれなかった。
その女子の葬式に行ったクラスメイトも少なくて、母親に挨拶したらカウンセラーになって悩む人を助けたいと言っていた事を知った。
酒田に彼女はどうしたらカウンセラーになれるかを聞き、調べ方を教えてもらい、その女子の成績には到底及ばなかったがなんとかカウンセラーになれるかもしれない大学を狙える学力にこぎつけた。
ゴーと目の前を電車が通り過ぎていく。
彼女は家帰ったら英語やらなきゃなと思いながら一歩踏み出そうとして、何かに襟首を掴まれて尻餅をついた。
「にーちゃんがさぁ……あんたにフラれてからメソメソしてめんどいんだわ……」
殺しに行っても失敗して、しかもデジモンそのあとやられちゃうしさぁと、だるそうに話す声はとても聞いた覚えのある声に似ていた。
後ろを振り向くとそこには兄が連れていたのと同じ様な姿の黒い獣人。ただより凶悪に見えた。
右腕にはチェーンソー、左腕も何か機械で固められていて、一息に握りつぶされそうな程だった。
「俺もさぁ、嫌なんだよこんなの。でも隣の部屋からにーちゃんのすすり泣く声が聞こえてきて嫌なんだよ、だから復縁するか死ぬかしてくんない?」
どっちがいい?と聞いてくるその男子に彼女は震えて声すら出ない。犯されそうになった時もそうだった。恐怖は声をなくさせる。
「た、助けて……誰か……」
小さな小さな呟きに、その男子は今どっちって言った?と首を傾げる。
「ねぇ、どっちって?よく聞こえなかったからさぁもう一回言って欲しいんだけど……」
フーッフーッと荒い息をしているそのデジモンの頬をその男子はぺしっと叩いた。
「マッドレオモンがうっせーから聞こえねーんだよ!脳みそ空っぽかよ!」
「だとしたらそれはお前も空っぽって事だな、グフ、グフフッ」
「あ?」
言い争いを始める二人に彼女がどうにか逃げられないかとキョロキョロしだすと、目の前にマッドレオモンが左腕をドンと下ろした。
「で、それが答え?」
なんだよもう一回聞かなきゃよかったと言いながらぽりぽりと頭をかくその男子の前でマッドレオモンがチェーンソーを振り上げた。
そして振り下ろす前にその体がふわりと宙に浮いて地面に叩きつけられた。
銀色の仮面をつけたそのデジモン、ジャスティモンがいつのまにか近寄って投げていた。
「はっ?」
その男子があっけにとられている前でジャスティモンが右腕を捻り上げ、肘を軽く殴る様にするとぼきりと鈍い音がし、さらに肩を力強く踏みつけるとまた鈍い折れた音がした。
淡々とジャスティモンはもう片方の腕と肩も折り、立ち上がれずにいるマッドレオモンの片足さえも踏みつけて破壊した。
その男子がテンパって彼女に手を伸ばすもその手は蝙蝠の群れに阻まれた。
彼女が訳がわからないままそこに座り込んでいると、大丈夫ですかと世莉が隣に座り話しかけた。
「え、あ、まぁ……」
「立てます?」
世莉が肩を貸して彼女を立ち上がらせると少しそこから歩いて離れた。
「……えと、今のはあなたの?」
違う違うと世莉は首を横に振って手で示した先で委員長がヤケクソで向かっていった男子の足を払って投げていた。
「……でもなんで」
「……助けてって聞こえたので」
もう大分人通りのピークを過ぎてしまっていた。それでも街中は後に溢れているが、世莉の耳なら聞き取れた。
事情も概ね聞こえていたし、ジャスティモンが飛び出していくのに躊躇いはなかった。
彼女が安心からか、何か急に足の力が抜けてもう一度座り込もうとするのをレディーデビモンが右手で支える。
「……一旦、どこかで休みましょうか」
静かに頷いた彼女を連れて世莉と委員長が喫茶店に戻ると、その出口付近で竜美と蘭が少し不安げにしていた。
世莉がそれを聞きつけたのは喫茶店から帰ろうという時だった。ある程度宿題をやった後、遅くなる前にと蘭と竜美と一緒に帰ろうと駅に向かって少し歩いていたらそれを聞きつけたのだ。
「あとは私がいるから二人は先に帰ってて」
世莉に言われて蘭は最初帰ろうとしたが、竜美が帰ろうとしないのを見て立ち止まった。
竜美は、やっぱりと思っていた。今さっきも話したばかりだ。話したばかりだがそれでも世莉は行ってしまった。
委員長が行けばそれで大丈夫だろうと竜美は動かなかった。話を聞いて走り出した委員長に続かなかった。
本当ならばもう一度改めて言いたかったが、ここで言うべきではないだろうと竜美は呑み込んで蘭と駅に向かう事にした。
喫茶店のカウンター席に座った彼女に嘉田が水を持ってくると彼女は弱々しくありがとうと呟いた。
「コーヒーはお好きかな?」
「カフェオレとかなら……」
なら甘いのにしようとマスターが入れたコーヒーを飲んで彼女は一息ついた。
ある程度落ち着いてくると今度は怒りが湧き上がってきたらしく、付き合ってた時から云々と彼女は愚痴を始めた。
世莉が話に興味があるのか少しずつ距離を詰めてくる真田を見て見ぬ振りしながら、委員長と一緒に彼女の愚痴を聞いていると、ふと店に入ってきた人に気づいた。
「……酒田先生」
「へ?」
彼女が入り口の方を見ると、その姿に気づいた酒田は髭で覆われた顎を少しさすりながら微笑んだ。
「たまたま姿が見えたからね」
「酒田くんは私の中学の同級生でもあって時々来るんだよ」
マスターの言葉にちらりと真田の方を世莉が見るとそういえば見たかもというような曖昧な表情をした。
「……少し、奥の席で話をしようか。お説教ではないよ、黒木さんにも清水君にも井上さんにもきっと大切なモンスターの話だ」
ボックス席は一つ空いていた。片側にはまだ嘉田と一緒に帰るつもりらしい縁がいたが、もう片方は空だった。
真田君、君もだと酒田に手招きされて真田も一緒に多少窮屈に座ると酒田はゆっくりと話し始めた。
「黒木 藤音という子を井上さんは知ってるね?」
彼女、井上はその名前を聞いて神妙に頷いた。
「私は彼女からデジモンという存在を知らされた。どうすればいいだろうと、どうしたら、それで争う人達を止められるだろうとそう相談された。私は自分の安全を優先しなさいと言ったが彼女は事あるごとに首を突っ込みとにかく手当たり次第遭遇した誰かを助けに行った。彼女がいうにはその耳は誰かの助けを遠くからでも聴きつけられた、小さくても紛れていても聞き分けられた。それで、見捨てて置けなかったんだと」
世莉は少なからず驚いていた。その名前に聞き覚えこそなかったから親戚なんかではないだろうだが同じ名字に近い能力、親近感を覚えずにはいられなかった。
だからか、委員長がひどい顔をしているのに気づいたのは酒田と真田だけだった。
「彼女の両親は優しい子になるようにと優しさという花言葉を持つ藤の花を名前に入れたそうだ、彼女はその通りに優しくなりすぎた。彼女を殺したものの前に彼女に会ったのは私だ。すでに深い傷を受けているようだった。救急車を呼ぼうとしたが携帯は電源が付いても即座に切られてしまうようにウィルスが仕込まれていた。おそらくその時その近くにいた全員がそうだった。彼女は最期に私に何人かの生徒の名前を挙げた。私は半ばパニックになってすぐ近くの開業医のとこまで走って行き、戻るともうそこには誰もおらず、踏切で彼女が事故にあったという話が翌日聞かされた」
言うまでもなく、偽装だよと酒田は今にも誰かを殺しそうな顔をした。それは普段の温厚で生徒思いで優しい先生の顔ではなかった。
「……その時挙げられた複数の生徒というのは……」
真田が遠慮がちにそう聞くと酒田は悲しそうに微笑んだ。
「彼女は優しすぎた。彼女が挙げた名前は今後再度被害に遭うかもしれないという生徒だった。自分と同じように正しいことをしようとしてという後輩の名前も挙げたし、恨まれているという生徒や、井上の様なトラブルでという生徒の名前も挙げた。犯人の名前よりもこっちが優先だと……」
犯人は結局わからなかったと酒田は言った。
「そして先生は、デジモンもいない自分の手には余ると同じように正しいことをしようとして恨まれているという後輩……つまり、僕にその事を話した。僕は、それらが緊急の案件だと思ったから、加害者側の人間についてるデジモンをみんな倒した」
委員長がうつむきながら酒田の言葉を引き継いだ。
「……その通り。そしてそのあと君は多くの上級生に狙われてその悉くを返り討ちにした。君のおかげで今安定しているのは確かだ。でも私は君達には彼女の様になって欲しくはない、人が人を傷つけるのは簡単で、手段を選ばないものも多くいるのだとわかって欲しい」
「わかってます。僕は排除しないだけはしない、排除するべき時は排除します。赦して大丈夫だろうという時だけしか赦しません。先輩は誰にでも情けをかけた、誰にでも情けをかけたから恨みを残したし、最後に誰に狙われたかもわからなくなった……」
「そうじゃない、そうじゃないんだ清水君。そもそもそういうことにあまり頭を突っ込んではいけないと言っているんだ。正直これからどうなるかはわからない……でもいずれ君達の手には負えなくなってくる。それは明日かもしれない。それをわかって欲しい」
世莉は私にはあまり関係ないかなと思った。正義を守ろうとしていたり、正義の味方に憧れていたり、委員長に対して言われるのはわかるが、すでに自分は自分の為だけに動いている。
ただ、利益を取ろうという行動だ。人付き合いのためのやむを得ないもので決して誰かのためなんかじゃない。
委員長、そのあだ名が清水 正義は嫌いだった。それは彼の行動が委員長らしいと言われることに由来するものだからだ。
誰かが誰かを傷つけるのを注意する行動をからかう言葉。誰かが傷つくかもしれないのを見て見ぬ振りしていい程度の事だと軽んじる言葉。それがどれだけ傷つけるかわからない、人の心は外からわからない。
そのあだ名で呼ばれることに抵抗がなくなったのはその先輩に出会ったからだ。
最初に会ったのは、従姉妹が襲われた時だった。
デジモンの存在は知らなかった。従姉妹が携帯で彼に助けを求めたのは最後に電話したのが彼だったから、警察にかけられなかったためだった。
彼が急いで走って行ったその場所にいたのは自分の夏用のベストを従姉妹にかけるその先輩だった。地面に飛び散ったシャツのボタンが何が起きたかを容易にわからせた。
その時に現れたのが彼のジャスティモンとの出会いだった。もっとも当時はサイバードラモンという名前だったのだが。
サイバードラモンは獰猛で手がつけられない悪を許さない獣だった。それを彼は容認した。
彼は赦してはいけないと思った。絶対に赦してはいけないと誓った。
どんな事情であれ誰かを傷つける様ならばいなくなるべきだと、サイバードラモンと倒して回った。再起不可能になるまで破壊してそのデータを食らった。
その中で彼は二つの事を知った。一つはデジモンを食らう事でサイバードラモンが力を増す事。そして、人を喰らったたデジモンを喰らう事で取り込まれた人間を残し、その人間と関わったデジモンの諸々を記憶からなかったことにもできる。
人を食らったらしいデジモンも片っ端から食らった。そうして恨みを買い、袋叩きにされそうになった時にその人はまた現れた。
鬼神の如き強さでもって蹴散らし、彼にも注意をし、それでいて自分はどこにでも首を突っ込んだ。
決して鞘から刀は抜かず、決して殺さない。必ずそこにいる全員を救おうとした。それは嫉妬や悲しみ怒りからの行動で危害を加えていた加害者側も例外ではなく、その姿にかつて自分を勇気付けてくれた子を重ねた。
それ故に、その死はショックだった。どれだけ食べても究極体にまでは辿り着かなかったサイバードラモンが究極体に至るほどに。彼の中に何かを起こした。
故に彼は正義を貫くことに決める。
理屈で考える、常に社会における最大利益を考える。
基準は単純、誰かを社会から失わせる様な行動を取る相手は消す。そこまででないならば一度は注意や殴り倒すだけで済ませる。失わせることは社会に対して必ず不利益になる。でもそうでないならば更生させた方が社会のためだ。
もし、そこに世莉がいなければ今日も一体のデジモンを葬っていただろう。稲荷も嘉田も社会から人を失わせる、ひょっとすると葵もやり過ぎていたならば、委員長が容赦をすることはなかっただろう。
彼はふーと一つ深く息を吐いた。先生にその名前を出されて後悔が胸を占めたが、それはもう終わったことだと、自分を納得させたかった。
黒木 藤音がいなくなった途端やりたい放題始めたやつらによって善良と言えたデジモン達は皆やられてしまった。彼女の気にした被害者リストの全員も含んだ。
結果的に彼はその学年の残り全部を狩った。人死にが彼女の他に出なかったとはいえ怪我人はいくらか出た。心に傷を負った人も出た。今年の三年、つまりはその学年は同じ人数を入学させた彼等の学年と比べて十二人も少ない。引きこもったり入院したりで進学できずに留年したのが四人、学校を辞めたのが二人、関係なく留年したのも一応一人。
彼は犯人だと自称する相手には出会わなかった。犯人が誰だという証拠も見つけられなかった。でもその時他に同じ学年にいた完全体またはそれに準ずるデジモンを連れた人間は白河 聖しかいなかった。彼女が犯人でない限りは他に容疑者はいないはずだった。
ただ、心が晴れないのは疑惑はあるからだ。
潜伏していたかもしれない。じっと誰にも見られずに潜み機を伺って彼女を死に至らしめてまた顔を出す機会を伺っていた誰かがいたかもしれない。
彼が、自警団を作りたいと思ったのはだからだ。
一人の限界を思い知った。それは嘘ではない、一人では気づかなかった誰かがいるかもしれない。殺した犯人が、今もまだ誰かを殺そうと潜んでいるかもしれない。
あと一月、三年生であるなら顔を出すのは卒業の前だろう。そのまま潜伏して卒業していく危険ももちろんある、というかおそらくはそうするだろう。
結局抑えることなどできなかったその気持ちを胸に彼は自分の指をひねって折った。
痛みが頭に響いて怒りや憎しみに染まりそうになった思考を中断させる。
その折った指もズレないように元の位置に置き直せばすぐに繋がる。この回復力が彼の能力だった。
何のために鍛えてきたのか、何のために戦おうと決めたのか、怒りだけではなかったはずだ。
彼は自省し、少しの間目を閉じていた。