悲運のスカイラインから
1979年から1981年にかけて
悲運のスカイラインジャパンが
フルモデルチェンジしました。
DOHCだけど4気筒
DR30スカイライン
それまでの旧型6気筒エンジンに
別れを告げて装いも新たに
ツインカムにはなりましたが、
何故か4気筒エンジンを搭載しており、
ハイグードが4気筒の
ツインカムエンジンを
搭載していました。
当時まだツインカムの6気筒
エンジンは日産にはなく、
スカイラインなのに何故か
4気筒だったんです。
それでもスカイラインとしては、
ケンメリGTR以来のツインカム
と騒がれていました。
もちろん、グレードによっては
L型エンジンを搭載した廉価版の
モデルも存在していましたが。。
当時はそれでも4気筒のツインカムでも
人気があり、マイナーチェンジした
モデルでは、205psを発揮するなど
当時のスペックとしては、
かなり、ハイスペックだったんです。
200psを出すために、当時のクルマは
まだ、チューンナップをしないと、
そこまでの出力には到達しなかった
んですね。
新しい感を出すために
確かに1981年から悲運のジャパン
からDR30に変わりましたが、
やはり1980年代前半は70年代
を引きずっていた感じがしますね。。
新しい感じはFJエンジンを搭載
もしくはツインカムを搭載したことで、
感じを出していますが、
実はこのエンジンは基本設計は1962年
の設計なんです。
そのエンジンをボアアップして
シリンダーの長さを調整して
ツインカムヘッドを載せたエンジン
なんです。
なので、一応DR30スカイライン用に
開発されたことにはなっていますが、
根本の設計は図分昔の設計のエンジン
で、一から開発された訳では
ないんですね。
そんなこともあって4気筒エンジン
のスカイラインにGT-Rの称号を
与える話も出たらしいのですが、
開発責任者が6気筒でないため
その称号は与えなかったそうです。
このDR30スカイラインは
1985年まで製造されていました。
やはりバブルが始まるちょっと
前の70年代から新しい時代が
始まる前のつなぎのクルマだった
という感じだったんですね。。
この後に開発されたR31スカイライン
も6気筒のRB新型エンジンを搭載して
6気筒の新型エンジンとしました。
6気筒のツインカムエンジンは
1969年に開発されたS20エンジン
以来のエンジンで新開発と言えば
そうなんですが。。
全く流用していないものが、
新型エンジンだとすると
完全に新開発ではありませんでした。
しかし、4気筒のスカイラインから
本来の6気筒エンジン、しかも
ツインカムなら新開発と言っても
問題ないのでしょうね。。
日産は排気量の違いを
同じエンジンを使って表現
する手法だったので、
それを新開発と呼んでいたのかも
しれませんね。。
悲運のジャパンから
つなぎのDR30を経て
新開発のR31ですが。。
本当の意味ではホディーシャーシを
一から見直したR32スカイラインは
エンジンは別として新開発のクルマに
なったと言えるのかもしれません。
そういう意味では70年代を払拭した
80年代ですが、後半になって
初めて新時代となったのでしょうね。
やはり日本のクルマの
新時代は1990年以降なのかも
しれませんね。。
バブル景気で花開き、開発も自由に
できた時代のクルマが、
本当の意味で新時代の新開発の
クルマのなでしょう。
本日は悲運のスカイラインから
つなぎのスカイライン
そしてさらに新時代へのつなぎ
そして本当の新開発のクルマ登場
のお話でした。
最後までお読みいただき
ありがとうございました!