インターナショナルスクールの教育方針:自分の好きを追求する | フランス紀行

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先日、我が家の娘が通っいる東京国際フランス学園で高校生を対象に「キャリアフォーラム」もどきが開催され、Zarny Collectionのチーフデザイナーの方やらと一緒に参加してきた。

 

もどき、というのは、高校を卒業後すぐに就職するわけではないので、まずは各分野のプロフェッショナルの話を聞き、どのような職業があるのかを知り、自分の適性について考えることが目的とされている。職業について知ることで自分がやりたいことをより明確になり、大学での専攻もよりターゲット化されるのではないかということだ。

 

Zarny Collectionは初っ端から大人気で、オートクチュールをディスプレイするマネキンやデザイナーの前には、人だかりが絶えず・・・質疑応答の嵐。

 

ファッション、ジュエリー、バッグ、香水など様々なジャンルで発揮されているZarnyさんの美意識やクリエイティビティを目の当たりにし、本気のアーティスト志望(自分の作品を持ってきている生徒もいました)からiPhoneの枠を越えて自分の可能性を試してみたい生徒までカラフルな面々がZarnyさんを取り囲む。

 

会場での設置が終わったら私の役目も終わりで、陰で座ってコーヒーでも飲みながらゆっくりしようかと思っていたのに、熱気ムンムンの生との波に飲まれて途中から私も「進路相談」のようなものに対応することに(汗)。

 

芸術方面に進みたい生徒が多かったからだと思うが、この先どのような方向に進めばよいのか分からない・・・という質問を多く受けた。

 

フランス学校は中学校から高校にかけて読み書きそろばんに特化した内容になる。小学校までのゆったり教育は遠い過去のものとなり、学年が進むごとに芸術や音楽などの授業がなくなり、理論中心のカリキュラムになる。

 

理論をこねくり回すよりも手を動かしてモノづくりをしたい生徒には過酷だ。

 

そして、日本以上に学歴・エリート社会フランスで頭角を表すべく、成績優位へのプレッシャーは各方面からやってくる。

 

そう、グランゼコールへの入学だ。

 

グランゼコールに入って上位の成績を収めれば、将来が約束される。失業率2桁が恒常的なフランスにおいて、グランゼコールへの入学は安定して豊な生活への片道切符なのだ。

 

しかも、海外領土を含めフランス国外にあるフランス学校では複数の言語の習得が当たり前。フランス国内では第一・第二外国語の習得は義務図けられるものの、殆どがマスタ―せずに高等教育を終える中で、東京を含む在外機関では、仏語に加えて英語とローカル言語のマスターが推奨される。

 

もちろん、全員が3か国語をマスターすることはないが、上位成績を取るためにはマストだ。そのためのバイリンガルコースという名のエリートコースもある。これは別の機会に紹介する。

 

3つの言葉の取得に加えてラテン語やヨーロッパ言語の取得も選択としてあり、学習する生徒も多い。

 

そして、これら複数の言語の習得に加え、数社理に哲学を加えた学科を極めていくことが求められる。

 

中学からはテストも頻繁にあり、パフォーマンスの全てがリアルタイムに数値化され、序列化される。

 

テストなど能力を測るものは全てが論述式だ。日本にある悪しきマークシートのようなものはない。課題図書に加えて関連図書を読み、理解を深め、それを基に論述する繰り返す。

 

知識もさることながら、どう論じるかが重要視される。修辞学の本家本元だけあり、文法運用能力はもちろん、幅広い語彙力を駆使していかにスマートに理路整然と論じるかも配点を大きく左右する。

 

マークシートは努力すれば高得点を取れるが、論述式ではそうはいかない。断片的な知識だけで高得点を取れるのがマークシートなら、論述式は内容を文脈の中で理解し、普遍化することまで昇華することが求められる。

 

努力で途中まで行けても、最後は才能の問題になる。

 

文章を見ればその人の頭の中が一目瞭然となるが、まさしくこのことなのだ。

 

そして、サイエンスの基礎となる数学は国語と並んで重要だ。

 

カンガルーコンテストという仏語圏の子供たちを対象にした算数・数学のテストが年に一度開催されるが、ここで高得点を収めた生徒は必ず優遇される。

 

試験の内容を見て一目瞭然なのは、持って生まれた数学の能力を見ているのが分かる。公文などで努力して培ったなんちゃっての実力では太刀打ちできない。ただし、才能のある子どもにとっては楽勝。

 

数学に限らず他の科目の課題の出し方、点数の付け方を見ても、全て持って生まれた才能を浮彫にするような内容になっているのがよくわかる。

 

要するに、学校の責任範囲は読み書きそろばんであり、それ以外は個々で学外にて行ってください、ということを公言しないものの、カリキュラムを通じて明らかにしている。

 

そして、学業成績とは読み書きそろばんにおける成果であり、この分野で秀でた才能を持った子供が成果を挙げることができる、ということも判定方針を通じて明らかにしている。

 

だから、読み書きそろばん意外に才能を持つ子供はこの学校の制度を十分に活かしきれないということが少々悲しい気もするが・・。

 

私に質問をしてくれた生徒たちには、高校を卒業したらギャップイヤーとして一年ほど知らない世界に行ってヴォランティアでもインターンでもよいので働いて社会に貢献したり、経験してみてはとアドバイスした。

 

学校とは切り離された自分の興味のある世界に身を置いて、そこで自分のどのような力が活かせるのか、また人に求められるのかということを経験することで、その後の方向性が見えてくると思うから。そして、学校や家族と全く関係のない人々との出会いを通じて、新しい刺激を受け、そこから新しい自分が見えてくるようになる。

 

学校だけが全てではない。学校で測れる能力は限られており、世界はそれ以上の才能を求めている。

 

そしてパッションも!!!

 

多くの親御さんはこのようなゴールが明らかではない取り組みにお金と時間を費やすことに抵抗を持たれるだろうが、21世紀はゴールのないこと、つまり誰もまだ「発見」していないことを見て、聞いて、自分のものにすることこそ、真の意味の学習であり、将来への準備になるのではないだろうか。

 

そこで一生懸命になり、自分の全人格をつぎ込んで取り組んだことは、かけがえのない思い出になるだけじゃなくて、自分の価値観と将来を決定付ける何かになる。

 

この日ご一緒させていただいたZarny Collectionの創始者であるShibuya Zarnyさんは、ミャンマーから日本に亡命され、様々な困難を克服され、日本とアメリカで教育を受け、モデルとして活躍された後にデザイナーとしてZarny Collectionを立ち上げ、国内外で広く活躍しておられる。

 

まさしく、自分の好きから始め、全てを一から創り上げてきている人だ。

 

私の周りにはこのような才能に溢れた人でごったがえしている。。。当の私といえば・・・しがないサラリーマンをするしかないわけだが・・、までも、組織人として敷かれたルールを真っ直ぐに進むことが自分にとって最適であることがこれまでの経験で明らかであり、長く続けることができることからも私の才能なのだろう。

 

サラリーマンとして大成まではしなくとも、しっかり勤め上げることができる、というのがあまりかっこよくないけど、私の強みだ。

 

しかし、ここで若い人たちに囲まれて半日過ごし、改めて、若いっていいな!!!ってつくづく思った。人生をこれから切り開いていくドキドキとワクワク・・・これに勝る喜びってある???

 

将来に期待を膨らませキラキラした目で一心に見つめてくれる生徒たちを前に、人生を半分降りた自分にはあまりにも眩しいぞ・・・と思いつつも、いっぱしのことが熱く語れるようになった自分にもちょっとだけ満足できるようにもなったような気がした。