不妊治療について | フランス紀行

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先日、ブログのコメントで、妊活のことについて質問されたことを受け、今日はこのトピックについて少々お話したいと思います。

 

私は以前、不妊治療薬を取り扱う製薬企業でコミュニケーションを統括していたことがあり、また、なかなか子供ができなかったことから、不妊治療については他の薬剤よりもかなり身を入れて勉強した。

 

勉強するうちに、治療を広めるうえで保険制度に問題があることもわかり、国会議員の先生方を対象に勉強会を主催して問題について理解を深めてもらい、不妊治療の保険適応の範囲を広げてもらえるよう政府への働きかけも行った。

 

不妊は薬剤治療だけで片付く問題ではなく、一種の社会問題でもあり、解決を目指して多角的なアプローチが必要となるものなのだ。

 

そしてもちろん、女性だけの問題とは限らない。女性を取り巻く社会、そして、パートナーである男性、ひいては嫁ぎ先の義両親の理解やサポートも必要になる壮大な問題なのだ。

 

その中でも喫緊の問題として挙げられるのが、女性サイドの誤解・理解不足。

 

生理がある限り子供が生めるというのは真っ赤なうそ。

 

また、40歳を過ぎた女優さんや有名人が子供を生めたからといって、自分も同じように生めるとは限らないということ。

 

むしろ、生めないと思ったほうが賢い。

 

これまでに集積されたデータによると、女性の妊孕性は36歳を境に激減する。36歳になったからといって、突然生めなくなるということではない。個人差もあり、絶対的なことは言えない。ただ、蓄積されたデータを分析する限りでは、36歳を境に多くの女性が産みにくい体質へと変化を遂げていくようだ。

 

そして、これは、不妊治療が効果を発揮しにくくなることとも重なる。

 

だから、36歳を過ぎても不妊治療があるから大丈夫だと思うのは正しくない。確かにヘルプにはなるが、治療の効果は年齢と共に確実に減少し、40歳を過ぎると不妊治療もまず効果を発揮することはないと思ったほうが賢明。

 

生めるのは、トライする数少ない女性のわずか数%にも満たないのが現状であり、その数%に自分がはまるだろうと思うのは、ギャンブルに等しい。宝くじが当たる確立よりも低いぐらいなのだから。

 

40歳を超えて生むと本当に珍しいので、マスコミは騒ぐ。そのため多くの40代が生んでいるかのような錯覚い陥るが、マスコミの取り上げられるほど珍しいことなのです。

 

今の30代後半や40代の女性は、いまいち「解放」されなかった母の世代に育てられ、彼女たちの達成できなかった夢を託されて育ったジェネレーション。男女平等の世の中で、母の夢を背負って一生懸命勉学に励み、男性も顔負けの学歴を築き、「総合職」としてキャリア形成に全力投球してきた。

 

「男性にできることは女性だってできる」を合言葉に、まじめに取り組んできたこのジェネレーションの「できる女子」ほど、「相応しい」相手が見つからない。また、何しろ頑張りや産なので、仕事や趣味にも一生懸命。気がついたら、出産はおろか、お相手も見つからないという状況に陥り、「妥協するぐらいなら一人でいいや」と開き直って人生を謳歌している女性も多い。

 

ただそれでも、ふと時々、「自分に子供がいたら・・・」と感傷にふける時があるらしい。そうすると、無性に子供がほしくなり、結婚している女性は遅ればせながら不妊治療に全力投球することになる。

 

不妊治療は副作用もあり、また費用もかなりのものなので、過酷だ。

 

多くの女性が、費用がかさむからこそやめられなくなるという。中には家が一軒建つぐらいの金額を投入したとか・・・。つまり、「ここまでやったのに・・・もう一回やればあたるかも・・・」という気持ちがぬぐいきれず、お金に余裕のある人は長々と続ける。

 

しかし副作用があるので、会社を辞めて治療に専念する女性も後を立たない。そうなるとますますどつぼることも・・・つまり、一人で抱え込み、思いつめてしまうのだ・・・会社に行ったほうが気分転換になるものの、会社を休んだり、ボーっとしてミスをしたりして同僚や上司に迷惑をかけるのもつらい・・・。

 

貯金も使い果たし、キャリアも失い、年齢と共に確立は降下の一途を遂げるだけ・・・もう書いているだけでも落ち込む・・・

 

しかも日本では女性が非難されるという状態がいまだ続いているのだ。

 

あるデータによると、不妊の50%は男性サイドに問題があるということも明らかになっている・・・にもかかわらず、多くの男性は自分の沽券にかけて非を認めない。そして、不妊=嫁の問題という固定観念から抜けきれない嫁ぎ先の実家も加担し、「生めない」嫁へのプレッシャーは増すばかり・・・。

 

自由も学歴もキャリアも全て手に入れ、世の中は自分の思い通りになると信じて疑わなかったのに、この期に及んで世の中で一番価値があると(思われる)ものが手に入らない・・しかも「今」を逃すと、一生手に入れることはできない・・・

 

私はこのような実態を製薬会社での勤務を通じてしかと見てきた。そして思ったことは、絶対に治療はしないということ。かつては薬剤を売る立場にありながら、こんなことを言うのは憚られるが、当時から私は強く誓っていた・・・。

 

それよりも、人生は思い通りにならないことが多々ある、それを受け入れ、そのなかで精一杯楽しく生きていくこと、与えられた人生を思いっきり充実したものにしていきたい・・・というマインドを築こうと思った。

 

長らく子供ができなかった私には、子供ができない女性の気持ち、焦り、失望が痛いほどわかる。でも同時に、できないからこそ、子供がいない自分の人生をいかにして充実させるべきかについてじっくり考え、実践してくることができた。

 

そのなかで言えることは、子供を持ったら持たない人生はもはや考えられない、でも、持たなかったら、それはそれで充実した楽しい人生を生きることは十分にできるということ。

 

わが子は自分の人生に代えても守りたい、何よりも大切なもの。そして、人のために人生を生きるようになり、場合によってはとても涙もろい人間にもなったけど、同時にとても強い人間になれたとも思う。そして、ありがたいことに、人の痛みに少しでも想いを馳せる優しさも自分の中に芽生えたように感じている。

 

しかし、子供ができたからといって、毎日がばら色の人生になんてならない。一人の人生を生きていた時にはなかった悩みや心配事も出てきて、おしゃれだの、お出かけだの、エステだの、ヴァカンスだのといった人生の歓楽にばかり現を抜かしていられなくなった・・・。

 

子供を長らく生めなかったこと、そして授かったという経験を通じて、私は神様の存在を身近に感じている。ばかばかしいと思う人もいるだろうが、私は本気だ。この世には人知の及ばない何かが働いている。だからそれに対してジタバタしてもしょうがない。

 

それぞれの人生、フェーズにはそれなりの意味がある。大切なことは、与えられた人生、その意味にじっくり向き合い、心穏やかに暮らすことだと思っている。

 

元気に逞しく、賑やかに、ダイナミックに成長を遂げていく娘を見つめながら、「大地に根を張る」ということの大切さをしみじみと感じている。そう、母である私の役割は、いかなることがおきようとも、大地に根をしっかり張りめぐらし、この大切な生命の可能性を最大限に活かせるよう導いてやることなのだ。

 

簡単なことではないし、大きなチャレンジではあるが、これこそが私に与えられたミッションであり、しっかりやらねばと常に肝に銘じている・・・