今でこそ平均身長肥満体重のpariですが、
中2まではおチビちゃんでした。
確か130㎝台。
体育の整列はいつも先頭。
第二次性徴も遅めでした。
小6〜中1の時なんて
誰々が生理になったとか
誰々がブラをし始めたとか
しょーもないことで女子達がきゃぴきゃぴ騒ぐお年頃。
そんな中
私は安定の低身長・幼児体型。
話題に全くついていけない。
今思えばしょーもない下世話な話題ついていけなくても全然大丈夫なんですけど…。
対して3つ下の妹は、小さい頃から高身長で大人びていました。
身長は早々に抜かされた。
pari小4、妹小2とかの時だった気がする。
親戚などの大人達に
姉・妹を間違えられるのはしょっちゅうでした。
そんなこんなな凹凸姉妹でしたが、
母が私にだけ決まって言うセリフがありました。
「あんたはいつ生理が来るのかしらねぇ〜」
「15歳までに来ないと病院で診てもらわないといけないわぁ〜」
中学に入った頃から定期的に言われるようになりました。
年頃の女子的には物凄く嫌だったし、
自分でコントロールできるもんでもないのにプレッシャーを感じていました。
中1・2の頃なんて
"今日こそ生理来い!"
と毎朝念じていました笑
「21歳から多嚢胞性卵巣との闘いになるよ」
「ホルモン剤と漢方に長くお世話になるよ」
「だから生理はあんま早く来ない方が楽だよ」
と当時の自分に教えてあげたい。
で
念が通じたのか
中2のある日、本当に来たんです。
いや14歳だったんでいつ来てもおかしくはないんですけど。
ナプキン持ってないんで
母から貰おうと思い、報告すると
「嘘でしょ?」
の一言。
いやそんな嘘つかねーよ。
てか14歳だし早くも何ともねーわ。
意外そうな顔すんな。
…とは言いませんでしたけど
我が家は母が独裁者。
どんなにトンチンカンなことを言われても普段ならこちらが折れます。
が、
この時ばかりはナプキン貰えないと困るので食い下がったんです。
すると衝撃の一言。
「 今 こ こ で パ ン ツ 脱 い で 見 せ て み な さ い 」
…こういう時、渋ると
平手か物が飛んできます。
もしくは
「女同士なのに恥ずかしがっちゃって。色気づいてキモい。」
とかの毒親あるあるの嘲笑でしょうか。
それに今までの経験上
多分パンツ見せないといつまで経っても信じてもらえない。
つまりナプキン貰えない。
すっごい嫌でしたが渋々脱いで見せました。
血のついた下着を見た母は
「そんなちょっとの血、生理じゃない。」
ちょっとと言っても握りこぶしくらいの面積はありました。
「生理はもっと、服まで汚れるくらい出血するもんだ。」
と言い放ちました。
完全な見せ損。
尊厳を捨てて恥を忍んだ私が馬鹿でした。
この後ぶん殴られようがご飯を抜かれようがどうでもいいや、と
やけになった私は
「あっそ!もういい!」
と捨て台詞を吐き退室。
後で母が
「 叔 母 さ ん か ら 聞 い た ん だ け ど 、
最初のうちは血が少ないこともあるみたいね。」
と何事も無かったかのように話しかけてきました。
叔母さん=母の叔母さんです。
私の叔母さん(母の姉妹)ではありません。
普通、娘の初潮について叔母に相談します?
40代にもなって。
まじで信じられない。
殴られることも飯を抜かれることもなく
ナプキンもちゃんと貰えて
珍しく平和的に解決したんですが、
未だにイライラする思い出です。
自分に娘が産まれたら絶対こうはなるまい。
特に性的な問題については。
と思いながら生きてきましたが、
産まれてきたのは図ったかのようにTHE 男。
顔は夫そっくり。
体格がっちりで声デカい。
生後一ヶ月から既にほんのり汗くさい。
毒親育ちは、自分の子を育てる中で
- 幼少期の自分と重ねて辛くなる。
- 大事にされている我が子が妬ましくなり、毒親と同じことをする。
などのことを聞いたことがありますが、
息子と自分が違いすぎて、息子を見ていても自分の幼少期を連想しません。
性別から顔から、私の要素が全く無い。
唯一、手相と爪の形だけ似ている。
非科学的ですが、なんだか神様の意思みたいなものを感じます。
「女の子を産んだら、母親と同じことをするかもしれない。」
「そうでなくても、幼少期を思い出して辛くなるかもしれない。」
「夫そっくりの男の子なら、しがらみを忘れて育てられる。」
「だから、親から受けた仕打ちは忘れなさい。」
そう言われているような気分です。
全部こじつけ妄想ですけどね。