たまたまで波乗りができるか? | キャベツは芯まで食べられる

キャベツは芯まで食べられる

「インディアンは嘘つかない」理由を考える

「事の詳細は理解できないが、
あいつの言っている事はだいたい判った。
信用しよう」
というように、人を理解できる人がいる。
まさにリーダーになるべき人だ。

サッカーでパスを出す瞬間、
「あの辺だ!」って
一瞬で判断できる瞬間を持つ選手もいる。

棋士の一手も
局面から無限の可能性のひとつを選んでいる。

次のレコードと重ね合わせるとき、
曲の最小の要素と要素を認識し、
音に触れている瞬間を楽しむ人もいる。

たまたまで波乗りができるか?
イメージトレーニングで
出来ない事が出来る様になった経験はみんなある。

意識はいつ決定されているのだろうか?
ミンスキーの「心の社会」じゃないが、
ひょっとすると、いくつも同時に意識しているが、
最も強いものを意識と呼んでいるだけなのか?

そう考えると「予言」や「チャネラーの言葉」というものは、
フローに乗ること、フローに一致することと違わない。
また、「予言」の多くが、
後付けになる事が「外している」ことにはあたらない。
単に、
「リアル」とは後付けなのであり、
直感にどれだけ素直かが、
真実を求めるには重要な技術なのだろう。

真実の表現手段や具体度合の違いなだけなのかも知れない。

だが、情報は蓄積されるとディレイのような遅延を起こす。
今までの蓄積された情報が現在の情報のように見えるのだ。
まるで、解像度の高いディレイのデコイの様なものだ。
現実と錯覚してしまう。
知識が判断を曇らすとはこういう事だ。

留まっていたいのは、
まだまだ掘り下げたい事がそこにあるからだろう。
ただ、留まり続ければフローから取り残される。

真実とこだわり。
偏見やこだわりはディレイし続けて目の前を塞ぎ続ける幻で、
距離の遠い情報である。
だが、
こだわりは多様性にもなる。
多様性はひょっとすると、
判断の幅である「正解」を増やしているのかもしれない。

いろいろな人々の能力を集められるリーダーはいないのか。