緊張感のない顔立ちのせいか、
「へらへらするんじゃないっ!」とか 学校では よく怒られたもんですが、
最近になって もう それが 自分の 中心的性質だということに 気がつきました。
こっちだって、信念もって へらへらしてんだいっ!文句あるかっ⁈ってな感じです

結局のところ、笑っていたいわけです。
笑ってるのが 好きっちゃ好きなんでしょう…
思い起こせば
小さなころから すり込まれた性質かもしれません。
笑い顏が 『これ以上崩しようがない笑顔』という意味で 1円玉に例えられるほど、顔クッシャクシャにして笑う 私の笑顔… 客観的に見て 決してかわいいとは言えないけど、周りの大人たちは、たいへんに癒されたようです。
母は、毎日 仏壇に お水、お茶、ごはん をお供えしておりまして、夜になると それを下げます。
その時に、私も 横についていって 手を合わせ お題目を唱え終わったら、母に顔を向けて わざとくしゃくしゃな笑顔で笑いかけ、母が『あー その顔見ると、一日の疲れが吹き飛ぶわぁ』と言ってくれる…
それが 一連の流れで、毎日の日課になっていました。
今思えば、あの言葉で、日々 私の核が作られていったようなもんだなと思い出します。
とにかく、自分が笑ってたら だいたい周りも笑いだすし(^∇^)
そうすれば、気持ちが ほどけるでしょう?
母は、私と正反対に きっちり几帳面なところがあって、常に緊張感のある人でして…
そんな母が、私の笑顔で笑ってくれるのが、きっと 子ども心にも 安心したのでしょうね。
笑い合えば ラクになる…
私にとって、笑うことが 一つの信念みたいに なって 過ごしてきたかもしれません。
面白いから 笑う…
楽しいから 笑う…
それだけじゃないんですよね~。
つらいからこそ、笑ってみる。
笑えるか、確かめてみる。
腹立つからこそ とりあえず ふざけて笑ってみる。
気持ちが張りつめてしまってるからこそ、またまたふざけてみる。
そして、笑ってみる。
そんな感じかなぁ…
ある意味、痛々しいコですね

ちょっと前に、亞可里さんの パステルカラーセラピーを受けさせてもらった時に、私が描いた絵です。
テーマは 自分のココロ だったかな?
絵全体が、ワタシのココロ ですが、
特に中心のオレンジは、ゴロりとしている私の分身です(^∇^)
亞可里さんは、この絵を見た時に、「オレンジって、ちょっと 無理して 明るくしたり、元気にしたり してる時に選ぶことがあるんですけど… オレンジの周り すごく暗いし ……明るく振る舞ってるけど、ちょっと無理してるところ ありますか?」と 言ってくださいました。
そういう面も、もちろんありますね~。
ムダにやせ我慢して、弱音吐けないとか…
でも、どっちかというと
「もともと 生きることって、ツライことばっかりだから、ツライからこそ 楽しくしてたいって そういう気持ちで描いた気がする~」って、私 言ってましたね。
亞可里さんが、絵から 私の本心を 引き出してくれたんでしょうね。(そうゆうところが、本当のセラピストさんだなぁって思うところです)
なんとなく そんな気持ちで描いたのを、改めて 言葉にして言うことで、自分でも 言いながら へぇぇー⁈って思ってました。
でも、本当にそうなんですよねー。
生まれたからには、みんな必ず死ぬんでね。
いつか必ず別れがくるでしょ。
だからこそ、今 一緒に笑いあえる瞬間が、少しでもあれば それは本当に 貴重な時間なんです。
体がなくなっても、魂にとっては 終わりじゃないって 思っていますが、身体があって 一緒の時に 居合わせて 何かで笑い合えるなら、それは本当に 奇跡のように幸せなことです。
母は、もう 私のことも わかったりわからなかったり…
手にも力が入らなくて ほとんど動きません。
でも、話しかけてると、ふと笑います。
話の内容より 笑ってる空気感で、笑うのかな。
ふふぅっと 身体がゆるんで、かすかに笑います。
お互い、話は通じてなくてもね
昨日のことも 私が誰かも 忘れちゃったとしても 今この瞬間が共有できて、充実してるから、本当に幸せだなぁ…楽しいなぁ…って、思います。
生きてればね、
泣いたり、怒ったり、わめき散らしたり…
感情は いろんなふうに 揺れることもあるけど、やっぱり 笑ってたいなぁ…
夢とか、目標とか、あんまりはっきり持てたことがないんだけど、
結局 人と 笑い合いたいっていうのが、私の中心かなぁ…
そんなふうに 育ててくれた 父と母とおばあちゃん みんなに感謝感謝。
今日も一日 ふざけて過ごそう!
笑えるときは、たいてい大丈夫(^∇^)
そんなふうに 改めて確認したワタシでした


お日様も笑ってる~
るーるるるるるー
今日もいい天気~

ほんまにそうよね\(^ω^\)( /^ω^)/