​ 観るチカラを、生きる糧に。 ー SCREEN(私設)研究所 -112ページ目

​ 観るチカラを、生きる糧に。 ー SCREEN(私設)研究所

観る映画が、あなたの、わたしの、人生のヒントになる。
ここは、SCREEN(私設)研究所。

潜在数秘術×映画で
「観る」ことと心の関係を
映画を通して読み解いていきます。

ただいま公開中の映画
「ゴースト・イン・ザ・シェル」
字幕版を観ました



ひとつの映画として
出来上がっていましたね。
…公開前には
少佐がなぜ日本人じゃないのか
という話も聞こえてきたけど


アジア人の華奢な体躯よりはよっぽど
「らしく」なるんじゃないかな
と感じていました


それと、私は
スカーレット・ヨハンソンの声が
好きなので^_^
だから、まず本人の声で観たかった



何より、監督はじめ製作側の
リスペクトしてます!感が見えたのが良かったな
(原作に対して、ではなく
映画「攻殻機動隊」に対してね^_^)




で、細かいことで
言いたいことはあれど
吹替版を観ないことには
文句もつけられんだろーと

吹替版も観る^_^






聞き慣れた少佐やバトーの声
でもスクリーンは違う顔、の
どこかしっくりこない感を
面白がりつつ観ていました


義体が、脳に馴染むまでの
違和感みたいなものかしら^_^



…少佐の出生が明らかになっていくのは
そこをハッキリさせんと物語が描けない(?)という
アメリカン(監督はイギリス出身でしたね)気質というか
ハリウッド気質を感じたな




アニメ映画とTVシリーズの中で
私が観ていた「少佐」は


自分が何者か、という
誰もが抱く問いを
ひとまず脇に置いているヒト

…その問い、よりも
目の前の事件を取ろうとするヒト
というイメージでした



シェル(義体)に覆われた脳は
わずかな記憶と
ゴーストの囁きを頼りに突き進む

そうすることが
彼女を彼女たらしめていて
彼女が「事件を取る」とはそういうこと




…ネットの海を泳ぐシェルには
問うほどの「個」なんてない、位に
思っているかも^_^




…だから、今回の実写映画
「ゴースト・イン・ザ・シェル」はね
少佐はクゼという男を追いながら
自分が誰なのかを追っていく

自分という存在の心許なさが
よく出ていた



それはよかったんだけどー^_^
…その心許なさが
弱さに感じられちゃって

あれ?少佐って
こんな弱かったっけ?みたいな
(もちろん義体だし
全然弱くないんだけど^_^)


結果的に
自分の生い立ちを追うことになった少佐には
やっぱ弱さを見てとってしまう


ニセの記憶を植え付けられた、なんて
SFじゃよくある話でしょ?


生い立ちなど分からなくても
事件を取る、取り続けることで
シェルに覆われた自己の存在証明をしていくのが
少佐だと感じていたので


スカヨハ版少佐には
弱さを感じた分だけ



ラストでやっと
事件を取る(取れる)少佐になった
というのかな^_^

《少佐が「少佐」になるまで》のお話
に観えました^_^





・・・荒巻のことも書きたいけど
長くなったので別記事にしよ(´∀`*)



ゴースト・イン・ザ・シェル公式サイト

森美術館
にて開催中の
「N・S・ハルシャ展 チャーミングな旅」



来館前に
ネットでこの展覧会の記事を見た時
…でっかい宇宙みたいな作品があるな!
と気になったのがあったんです






これね!^_^




展覧会の面白いところ、というか
わたしが好きなところの一つは



大きさで魅せる作品がある一方で
米つぶみたいに小さな作品があって

どちらも同列に並んでいるところ。




観ているこっちまで
大きくなったり
小さくなったりしているような
気分になってくるから不思議です^_^




以前に
東京都現代美術館で見た
「明日の神話」も
大きくってでかくって
その変えようもない大きさで
迫ってくるものがあって、大好きなんだけど






この「ふたたび生まれ、ふたたび死ぬ」は

大きさで迫ってくるわりに
拡がりというか奥行きみたいなものがあって
妙に居心地が良い



ハルシャさんは
観る人を突き放さないなぁ^_^

かといって、おいでおいで!と煽るでもなく


…気になったら遊んでみて〜
何が見えるだろうね?
くらいの距離感。







「ふたたび生まれ、ふたたび死ぬ」ってタイトルだけ見ると
壮大で普遍だけど
この大きさのそばにいると
もっと小さなもの…






…目を凝らせば見える
小さく光る星たちのように

目の前にやってきた虫みたいな
自分とはまったく違う大きさで
そこに在るもの


それを、すごく感じるのですわ^_^



ここのブース
作品と相対して
茣蓙が敷いてあるの


座禅でも組んで
ゆっくり、心ゆくまで眺めたくなる
そんな場所です(´∀`*)


さて、森タワー探訪の旅は
まだまだ続きます




森美術館
で開催中の
「N・S・ハルシャ展 チャーミングな旅」



…会期も半ばだからなのか、
土曜にも関わらず比較的空いていて
余裕を持って楽しめましたよ^_^




さて、お次は
N・S・ハルシャの代表作といわれている
《ここに演説をしに来て》






こちらの展示ブースに入ってから
行きつ戻りつ
近づいて離れてを
繰り返しながら見ていました



個人が集まると
次第に細部が見えなくなっていくのにも似て
座る椅子が増えれば増えるほど
作品のスケールが大きくなる


ただ、ハルシャの作品は
スケールが大きくなるにつれて
細部が際立つように見えてくるんだな

主張し始めるというか。



あ、でもうるさくはないのよ^_^



大きな大きな作品。なのだけど
どこか、こじんまりとした風情を感じさせて
いつまでも見飽きない
そんな不思議な作品でしたね^_^



もう一度来たら
また違う風情なのだろう^_^
(再訪決定?)





続いて

《空を見つめる人々》






靴を脱いで
空を見上げる人たちの中へ分け入ると
わたし自身も、空を見つめる人々の中に
入り込んでしまいます!


調子に乗って写真撮る♪
寝転がってみたり^_^





ここを離れる時
後ろを振り返ったら
天井にと壁の間にしつらえた
間接照明の明かりが


天と地をつなぐ
地平線みたいに見えましたよ^_^



見上げる時
見つめる時
見つめられている
そんなことを感じさせられましたわ♪



(つづく^_^)



六本木へ行く時、いつも感じる
行きにくい場所だなぁ。とね
陸の孤島イメージ。



そんな六本木森タワーのてっぺんまで
行って来ました^_^




森美術館
で開催中の
「N・S・ハルシャ展 チャーミングな旅」



いつも並んでチケットを買うけれど、今回は
年間パスポートを買ってみよう!と
3Fチケットカウンター後ろの窓口へ。
年間パスポートを申し込みを告げると
「このままエレベーターホールにお進みください」
と、赤いファイルを手渡された。
受付は52Fで承りますとな。



その、52F総合受付に辿り着くと
注意事項の説明を受け、6000円を支払い、顔写真を撮られてから
ものの数分でカードを手渡される。



「今日は雨の予報が出ているので、
スカイデッキへのお越しはお早めに」
とひと言添えられ
お、後で行ってみよ☆とその気になった
(今まで全くのスルーだったわ^_^)




↑ハルシャ展仕様のカード♪
更新すると、そのタイミングで提供しているカードに変わるけれど、カードそのものは返してもらえるそう^_^



さて第一関門?突破、いざ!



音声ガイドは無料。
細野晴臣氏の声で、肩の力がスルスル抜けていくわ〜^_^



そうそう、この
「チャーミングな旅」という言葉に
引っかかっていたのよね。



面白い、でも
楽しい、でも
可笑しい、でも
辛いでも苦しいでもない



「チャーミングな」

…って何だ?とね^_^




晴臣氏の声と共に
入口の一枚



この一枚で完了。
ギャラリー入口に足を向けて
最初の1枚で、その世界に飛び込む準備ができる。

ここがしっくりくると
あ、選んだの間違いない。って感じるんだ^_^







《私たちは来て、私たちは食べ、私たちは眠る》

動いて
食べて
寝る
なのねーと一巡してもう一度

私たちは来て

の一枚を見たら

左から右へ、なんだね。
と気がついた

右から左へ、じゃないんだなーゴーウエストか?
いや西じゃないな東だな、じゃゴーイーストか^_^
とか思いながら眺めてた。
…昔、くうねるあそぶ
って広告コピーがあったよなー、とか
アタマん中回りながら、段々落ち着いてきて



繰り返し描かれる
同じものはひとつもない反復のイメージ
陽はまた昇る、の
昇っては落ち、また昇る
太陽のイメージにつながる。




月ではなくて
太陽なのね〜
…インドだからかな^_^




ひとりと、大勢
一点と、全体

モチーフに出てくるように
望遠鏡と顕微鏡を
繰り返し覗いてるみたい


その繰り返しの中で
感じ、考えさせられる


観る人を
動かす作品たちだな〜


撮影OKな理由がよくわかるわ^_^




(つづく^_^)

森美術館
先日書きましたが
この3ヶ月
人形劇三国志から始まって
押井守氏の著作を読み漁り

その他にも、とにかく
《 気になるもの 》に手を出して^_^




今は、ショウペンハウアーさんの
「読書について」を読んでいます




この方、面白い!
徹底したアフォリズム
(短いぴりっとした表現で、人生・社会・文化等に関する見解を表したもの。
 警句。箴言(しんげん)。)
が素敵なおじさんですわ^_^



…ま、隣にいられたら
うるさいわー思うかもしれないけど(^_^;)






↑これね!



読めば読むほど
自身で考える力を失っていく
…という指摘は
なるほど、と頷いてしまいます(^_^;)




彼の箴言警句に触れてみて
改めて、本は
…猫だな。



と思い至りましたわ^_^





例えば、
道ばたで野良猫を見かけたら。
(家の近所ではよく見かけます^^)



近寄ったり写真を撮ったり

あわよくば
アタマを撫でたり抱き上げたり

もしかしたら
エサまで与えちゃったり
するかもしれない



ひと時はそれで喜んだりテンション上がったり
猫飼いたいなーなんて思ってみたり
…するかもしれないけど
それはやっぱりひと時のことで。



ひと時可愛がっても
大抵は、そのまま
彼を道ばたに残してサヨナラする



本を読むことも同じ。だなーと^_^



他人のアタマ、思考体系から
生み落とされたコトバたちを
充分に読み含めて
己の中に落とし込んだとしても
(落とし込んだ気になっても)



それはまだそのままで
何物でもなくて


消化もしなければ
栄養にもならず
血や肉にもなっていない



たまたま見かけた可愛い猫を
抱き上げてる間だけ
いい気分になるのと同じ



本を読んで得た知識というヤツも
その、たまたま見かけて
抱き上げたネコと同じ


家に帰れば、いつのまにか
野良猫のことなんて忘れてしまうのと同じで



一旦、本から離れてしまえば
読んでる間に感じたこと
アタマに浮かんだこと

みんな消えてしまう。

読んで、どれだけ深く感銘を受けても
脳のどこかに言葉の断片はストックされても
手元から本を離したら
頁を開かなかったら
書いてあることをスラスラ言える人は少ないでしょう


だから、
この手で書き留め、考えて
己の言葉で人に話す必要がある



己の言葉に置き換えていくことで
自分の中に染み込んでくる
それを話してみることで
さらに自分のものとなる



ただね
可愛い其奴は
こちらは野良だと勝手に思っているが

どこかの家では
飼い猫として生きているかもしれないわけで

そして
どんなに憧れても
ヒトは其奴にはなれないわけで



どんなに感銘を受けても
本には(書いた著者には)なれない
…なる必要もないんですが(^^;)



そんな
ヒトと本の距離感は
ヒトと猫との距離感と同じだなーと
感じたのね。



・・・じゃ、本を読むのは無駄なのか?
いえいえ、そんなことはありません

読みたいものは読めばいいし
大好きな本があれば
大事に読み返していけばいい


ショウペンハウアーさんも
本を読むことの害を伝えていますが
本を読むなとは言っていない



『一読することは、著者の思想を胸に抱いただけ』
『読まれたものは反芻され熟慮することで
 初めて読んだ者のものになる』

だから、

『(読むなら)古典を読め』
(…基準として故人の著作、それ以前のもの)
『読んだら、もう一度読め』
(一回読んで、次の本へ手を出すな!)


だからこそ
『多読は、他人の思想で精神が圧迫される行為』
と切り捨ててるわけね^^




この切り捨てっぷりがホント、面白いです♪
私も、いましばらく熟慮してみます^^