「観る」ことは、「決める」こと。わたしのSCREENを「選ぶ」こと。 | ​ 観るチカラを、生きる糧に。 ー SCREEN(私設)研究所

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観る映画が、あなたの、わたしの、人生のヒントになる。
ここは、SCREEN(私設)研究所。

潜在数秘術×映画で
「観る」ことと心の関係を
映画を通して読み解いていきます。

映画を観るって

思う以上に

ハードルが高いのです




いつ

どこで

何を

観るのか


とりあえずは

この3点だけでも

決めるわけですからね




入ったことのない映画館て

ハードル高くありませんか?


見ようと思ってたのに

いつの間にか

上映終わってた・・・

なんてザラにあるわけです




事前情報のない作品を

いきなりレンタルするのも

意外と勇気がいりますよね


ましてや上映会だとか

もっと勇気いるしw




便利な見放題サービスやアプリも

登録するまではアレコレ考えますよね。

・・・結局、登録すらやめちゃったりしてw




そんな感じで、


「観る」ことには

「決める」作業が入ってきます


選んで、

決めて。


そうして初めて

「観る」環境ができるわけですね。






ここで、私自身の話をします。

…私、決めることが

めちゃくちゃ「できない子」だったのですよ。


子どもの頃から。

大きくなっても。

とにかく、何でもかんでも

とにかく、決められない。




例えば

何が欲しいの?と聞かれても。

答えられない(いやマジで)




カフェやレストランで。

注文が決められない

(だからマジだって)




欲しいものがあって

お買い物に出かけたのに。

決められないから買えない

(もはや欲しいものない疑惑?)




あまりに決められなさ過ぎて

心身共にフリーズするほどですよ


・・・散々迷って買わずに帰り、やっぱり買おうともう一度出かけたら完売。とかデフォルトw




生きることって

選択と決断の連続じゃないですか。


何を食べるか


何を持つか

それとも持たないか


誰と付き合い

誰とは付き合わないか


どこに住むか


何を生業とし

誰と共に生きるか

ヒトが自分で決められないのは

死ぬタイミングくらいよね^_^




決められないって

それはそれで、なかなか苦しいもので。

(流されきって生きる度胸も

 まぁないというわけ^_^)




私の場合、たまたま

子どもの頃も

大きくなってからも

興味を持っていたのが

《映画》





《映画》を

「観る」ことを

「選ぶ」ことで

私は

わたしが観たい景色を選んでいると

気付けたし




「観る」ことを

「決める」ことで

選んだSCREENに映る

わたし自身を観てきたの。




悲しいハナシでも

希望を観て


面白可笑しいハナシでも

寂しさや切なさを観た




ハッピーエンドなのに

悲しみを見つけ

救いようのないラストに

何故だか希望を観る




…私、バカか?とw

そんな、私のアタマの癖に辟易しながらも

それが間違いなくわたし自身だと

分かっていて。




もっと深いところでは

そうやって勝手に見つけるものから

満たされたい想いがあることも知って。





どう頑張っても

それを選んでしまうわたしに

OKを出し続けてきた。




決められない自分にすら

OKを出して、その上で


(ほら、こんな景色もアリよ〜)


(ほら、こんなコト言うあなたもアリね〜)


(ほら、あんな展開もあり得るのよ〜)


(ほーら、この結末だって

今ならアリだよ〜ん)




と、
…そのおまえの選択

カ・エ・テ・モ・イ・ イ・ン・ダ・ゼ!
(カ・エ・ナ・イ・モ・ア・リ・ダ・ゼ)

と言い続けてきたの。
擦り込みね。ほとんど。



ま、何にせよ

続けた者の力は大きいぞ、と。




そうして半世紀を生きたら

だーいぶ決められるようになりましたのよ^_^





★★★★☆



ブログタイトルを変え
プロフィールを一新しました。




「観る」ことは「決める」こと
わたしのSCREENを選ぶこと。

高橋 早苗プロフィール