それでも笑い者になるー「イン・ハー・シューズ/in her shoes」 | ​ 観るチカラを、生きる糧に。 ー SCREEN(私設)研究所

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観る映画が、あなたの、わたしの、人生のヒントになる。
ここは、SCREEN(私設)研究所。

潜在数秘術×映画で
「観る」ことと心の関係を
映画を通して読み解いていきます。

私は映画が好きなんですが
それはこういうことです。


たとえば
「イン・ハー・シューズ in her shoes」




仕事のできる姉から言わせれば
「美人だけどバカ」な妹マギー
偶然見つけた手紙から、フロリダの老人ホームに住む祖母エラを訪ねる
20年以上離れてた孫と祖母が、そうそうすぐにうまくいくはずもなく
エラは取引を提案して、マギーはホームで働き始める



この映画で、一番好きなシーン

マギーは、目の弱った老人から本を読んでとせがまれる
だけど、うまく読めない
読書障害か?と尋ねられ、拗ねて逃げ出そうとする彼女に
寝たきりの元大学教授はこう諭します

「慌てずに
 言葉の声を聞いて」


降参したという顔で笑みを浮かべたマギーは
詰まりながらも一編の詩を読み始める



以前は私、これを
障害を克服したいいシーン、と捉えていました。
確かにその通りなのですが


好きな映画は何度も観るんです
久しぶりにこの映画を観て


・・・ああ、一番感じたくない
自分のネガティヴを
認めて
そこに飛び込んで
いや〜な気分を感じて
そこから自分自身を取り戻した

そういうシーンなんだな。と
腑に落ちたわけ。



読字障害かと聞かれ
(何よ、あんた学校の先生?)と反発してたマギーに、教授は

「慌てずに
 言葉の声を聞いて
 そうすれば 読む前にミスを正せる」

そうアドバイスしながら
教授は、こうも付け加えます

「それでも笑い者になるが」



読字障害や計算ができない…そういう
<人と同じようにできないこと>は、マギーにとって
一番見たくない、触れられたくない
それについて考えるだけで嫌な気持ちになってしまう
そういうネガティヴな思い。
姉からも言われる「バカ」の象徴ですよ。


ただ、教授から言わせれば
そんなマギーの劣等感などお構いなし


方法はいくらでもある、ただ
・・・隠そうが隠すまいが、君の素性は変わらない

本を読もうが読むまいが
笑われる時は笑われるんだよ。



「障害は個性」という捉え方がありますが
字をスラスラ読めないことと
君の真価はイコールじゃない
というわけですよ。


その証拠に、教授は
やっとの思いで読み終えた彼女に
今度は矢継ぎ早に質問していきます


どう思った?
何について書かれた詩だ?


マギーの出す答えにも
どんどんたたみかける

何を失う?

それはすでに失われた?
単なる想像か?それともありうることか?

どう思う?
作者は無関心だと思うかね?

何を失うんだ?
それとも誰を?



マギーが出していく答えは
彼女自身の答え
それをしっかり出せたから
元大学教授はAプラスを与えます
「君は頭がいい」と。



私が映画の中で好きなのは、見入ってしまうのは
主人公が、彼彼女らが一番見たくないところ
一番見たくないネガティヴな思い。


ネガティヴって、パワフルでしよ。
一瞬で気分落ちる位に。
「それでも笑い者になる」なんて、誰でも嫌よね
ただそこから、マギーは彼女自身を取り戻していく

その時、人は
無我夢中で持てる力を発揮している
そんなシーンが好きなんです(´∀`)


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