足あとに咲く花 ー「リトル・ブッダ LIttle Buddha」 | ​ 観るチカラを、生きる糧に。 ー SCREEN(私設)研究所

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ここは、SCREEN(私設)研究所。

潜在数秘術×映画で
「観る」ことと心の関係を
映画を通して読み解いていきます。


早朝、不忍の池へ蓮の花を見に。

日が昇る前から暑い!けど

咲き始めてる花を 見つけたら

しばし暑さも忘れて 歩き回り

写真を撮りまくりました^_^


美しさって 良い意味で思考を停止させるね。




蓮の花といえば!

1993年公開の「リトル・ブッダ Little Buddha


シッダールタが ルンピニーの森で生まれ、すぐに立って歩き

足あとに 花が咲いたシーンが

大好きで 印象に残ってます




☆☆☆☆★

(以下、20055月投稿のリライト記事になります)




・・・師の生まれ変わりを探しに

シアトルまでやってきた チベットの高僧達に

街を案内する 子供の思いつき


  I can show you Buddha!(仏陀を見せるよ)




突然の訪問者が サフラン色を纏う僧侶で

 「あなた方のお子さんは

  私たちの先生の 生まれ変わりなんです」

と言われたら かなり異次元でしょう


しかし何かの示し合わせのように

パパの仕事は失敗し 親友は亡くなる・・・


エアポケットみたいな 心と時間の空き

勧められたブータン行きは 息子の生まれ変わりを確かめる旅だ

それを「人生を考え直すいいチャンス」

と捉えられるのは

それすら“示し合わせ”なのだろうか?





そして旅の間に

師の導きか 生まれ変わりは 三人を数え

幼い彼らには 仏陀を知る旅となる




師を探すことで 三人を引き合わせ

そして“無”を教えてくれた 先生は

生まれ変わりを 見届けると

自らの意志で 死の境に入る


僧侶でなければ寿命、といったところか・・・





深い深い瞑想の果ての入り口・・・

音もないシーンなのに

祭りに踊り狂う人の姿に よく似ている気がする





シッダールタが 外の世界で

“死”を知ったように


幼い彼らも

先生の死を見届けると 故郷に戻った





小さな箱に納められた灰を

 「これが先生」

とママに見せるシーンは 心に残る


“先生”は 己の師の生まれ変わりと認められた三人の手で 帰った

地に

空に

そして海に





「中道」を悟った シッダールタは

村娘が恵む椀を干して

 「私が悟りを開くなら

  この椀は川をさかのぼる」

とつぶやいて 水面に放し

椀は ゆっくりと流れに逆らった




“先生”をのせて 水面に放した椀は

流れたろうか。

逆らったろうか。





★★★★☆




花を見て、美しいと感じ

誰かに見せたいと感じた時


共有したいのは 花そのもの、よりも

その美しさに 感じ入った気持ち


心がいっぱいになる

喜ぶ

嬉しくなる

心洗われる

心癒される

力が湧いてくる

元気になる

すべてを肯定できる強さ


その感覚、感情。


(花)という 揺るがない価値が 誰にでもある強さを 感じさせてくれる

だから人は 花に見惚れるのだなぁ、と

いつも思うのです(´∀`*)




それも、数の仕合わせ。




★★★☆☆


《かずの葉の庭》主宰

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