X-Traveler Episode.14 "ring a bell" Part.B | 秘蜜の置き場

秘蜜の置き場

ここは私が執筆したデジモンの二次創作小説置き場です。オリジナルデジモンなどオリジナル要素を多分に含みます。

「あれ何なの!? 何なのあれ!!」
「どれのこと!?」

 鼓膜を破る勢いで脳を揺らされたため反射的に同等の声量で反撃してしまった。鈴音にそんな行動を取らせることの出来る人物は限られている。高校一年生の当時で当てはまるのはそれこそただ一人だった。

「外を飛んでる変な機械のことよ! あれ、学校でも飛ばしてたでしょう!!」
「ドローンのことだね。時間がないから家で練習しているんだよ」

 一つ上の姉、逢坂観月が顔を真っ赤にして唾を飛ばしていた。顔を合わせてようやく因縁をつけた対象が分かった。だが理由までは分からない。ただ課外活動のために時間を割いているのに文句を言われる謂われはない。そう本気で思っていた。

「どろ……また変なおもちゃ買って。よその迷惑でしょう」
「世間の母親みたいなことを言わないで欲しいよ。そもそも部費で買った備品なんだけど」
「それは嘘でしょう。学校が許す訳がないわ」
「理解ある先生方に丁寧に説明したからね。撮影した動画や測量データの活用案にも納得していただけだ」
「クズの奇行に慣れただけでしょうがッ!」
「なるほど。そうかもしれない」

 実際のところ校内における逢坂鈴音の知名度はかなり高かった。そもそも幼稚園からの一貫校のため、奇行を積み上げてきた期間は十年を超える。特に中等部一年の頃に聖書の授業で教師に質問という名の討論をしつこくした結果、ヒートアップした教師が逆上して教科書を文字通り焚書した事件は知名度向上に一役買った。
 ミッション系のお嬢様女子高にそぐわぬ博学な奇人。それがこれまでの実績から逢坂鈴音に貼られた悪名だった。内部進学を決めた際に当時の担任が高等部の職員室に菓子折りを持って行ったという話も聞いた。自分なりに勉学に励んで積極的な課外活動で実績を残してきた優等生のつもりなのだが、先生方に対する矢印は一方通行だったらしい。

「ほんッと腹立つ……」

 逆に鈴音が一方的に矢印を向けられているのは目の前の姉。妹の奇行を風の噂で聞いた数を尋ねた瞬間に拳が飛び出そうな程には腸が煮えくり返っているご様子。話題に出る度に否が応でも自分に飛び火することも、そうならないように友人が気を遣う度に無用な気まずさを覚えてしまうことも想像に難くない。

「いい加減にしてよ! 少しはおとなしくできないの!」
「そう言われてもね……」

 努力を絶やさない真面目な優等生にとって、奇行ばかりの癖に大概のことはそつなくこなす妹は目の上の瘤でしかない。それは分かる。ただ今回は正しい手順を踏んだうえで後続に繋がるメリットも提示している。とやかく言われる理由はなく、このレベルの行動でも制限されるのは鈴音も困る。

「流石の私も困るよ、姉さん」
「……なんでクズはいつもいつもいつもいつも」

 失言は口にした段階でほとんど詰みのようなもの。下手に取り繕うとすれば自ら墓穴を掘って逃げ道を塞ぐことになる。ここで下手に論理武装すれば自らの装備の重さで沈むことになってしまう。詰まるところ、鈴音は姉の定期的なヒステリー耐えることしかできなかった。

「ずっとずっと、ずぅううっと! 私の邪魔ばっかりするのよォッ!!!」

 再び鼓膜が破れそうになった。響き渡る実姉の絶叫。幸い両親はおらず、家政婦も鈴音に関わりたくないがために近くには居ない。つまり逢坂観月の醜態を受け止める責を担うのは鈴音だけ。

「私は真面目にやってるのに見せつけるように好き放題やってッ! それに文句を言われても聞かないから注文は全部こっちに来る! 私だって私のことでいっぱいいっぱいなのに!! ほんっとうにうんざりする! なぜそんなヘラヘラできるの? ねぇ!! 私のことバカにしてるんでしょ! 昔から私が母様に詰められてるのを横目に適当にこなして! その癖、家のことには興味ないって振舞って! あぁぁぁぁ……本当に鬱陶しい。目障り。邪魔」

 血縁という長い付き合いで流石に慣れた。だが慣れていても面倒なことはある。自分への罵倒は止まらず、噴き出す不満に際限は無い。性根が真面目な分だけ周囲の圧力に晒された結果として歪に折れて傷んでいく。すぐ近くに変なのがのさばっていればそれが助長されるのも仕方ない。ただその変なのには彼女を癒して正すだけの力もなければ意思もない。だから無駄口は挟まず当然の責務として受け止める。
 男児に恵まれなかった旧い価値観の家の長姉として、観月は他者からの圧力を素直に受け止め、真面目に努力を積んだ。次女として産まれた鈴音はそつなくこなす器量を自分のために伸ばし、他者を言い包めて我を通してきた。並べて比較すれば観月の鬱憤も納得できる。これでは視界を飛び回る羽虫のように鬱陶しがられても仕方ない。

「……ここではやらないようにするよ」
「学校でもやめてよね」

 一番問題なのは鈴音のブレーキが意味を為していないこと。ここで口にした約束は守られ、ドローンによる被害は収まるだろう。だが観月の胃が安息を迎える日はないことは二人とも分かり切っていた。

「はぁ……こんな妹なら居なければよかったのに」

 その言葉を吐き捨てて姉が部屋から出る姿を見るのを数えるのも飽きた。鈴音自身、観月にそれを言う資格があると思っているから何一つ文句はない。それでも自分の性を変えられない以上、自分は彼女にとっての悪だ。

「……大学は外部進学できるといいのだけど」
 その進路希望は現実となったが、動機の大半は二回生に進級する時期に消失した。




「2008年7月15日。テストで学年十位以内に入れなかった。夏休みが無くなりそう。私だけ。スズは違う」

 鈴音がそう不意に切り出した瞬間、鈴音と晴彦の間に揺蕩う空気が固まった。

「……何のつもりだ?」
「何って、乙女の秘密を晒しているんだよ。悪い女だからね」

 一層歪んだ顔ですごむ晴彦をわざとらしい程に涼し気な表情で受け流しながら、鈴音はさらなる秘密を開示する。死人には口もなければプライバシーもない。たとえそれが実の姉だとしても気にしないことが、そちらの言う性根の腐った魔女らしい立ち振る舞いだろうと言うように。

「2009年10月6日。あのクズが自由研究か何かで表彰されたらしい。私には何もない。何もできない」
「2013年4月10日。高等部に上がった。美術部には入らないつもり。三年間居心地が悪かったのは誰のせいだろう」
「2014年4月19日。茶道部に新入部員が入った。上級生らしく面倒をみないと。特に見るからに気が弱そうな神崎舞さん」
「2017年3月5日。舞は外部進学するらしい。一年の頃よりも成長したけど心配でしかない。本当は私が傍に居てあげないといけないのに」

 薄ら笑いを浮かべながら鈴音は姉直筆の言葉を滔々と語る。まるでテレビ番組で身内からの手紙を読むように恥ずかしげな振る舞いをしているが、実際はネットで拾った他人のつぶやきを笑っているかのような薄っぺらい態度が透けて見える。所詮は他人の言葉。自分の内から出た言葉でなければそこに乗せる感情も当事者のそれからは遠ざかる。

「2017年5月28日。舞に連絡がつかなくなった。家にも帰っていないらしい」
「2017年7月5日。遺書が見つかった。サークルで何かあったらしいけどよくわからない。調べたクズが何を言っているのかわからない。聞きたくもない」

 本当に実の姉の書いたものを読んでいるのかと思える程に鈴音本人の感情が読み取れない。いっそ極端に棒読みだった方がショックを受けているように見えただろう。

「2018年4月2日。舞を助けられる可能性が見つかった。展開が急でよく分からないけれど、私にもできることがある。私にしかできないことがある。頑張れ私。既にスズって名付ける失敗をしたけど」
「2018年4月12日。モンスター。トラベラー。レジスタンス。分からない。何故私には助けられないの。何故何もできないの。何故私には何もないの。いっそ全部無くなってしまえばいいのに」
「2018年4月15日。スズがもう限界だ。ワスプモンに進化してからまともに食べさせられていない。満足に餌やりも出来ない私にできることなんて……」

 それはトラベラーとなった日の記録でも最期の日の記録でも変わらない。一人の女が実の妹に嫉妬し続け、妹替わりに可愛がっていた後輩を失って、無理をした結果として最後は壊れて喰われた。ただそれだけの話なのだとでも言うように語り通した。

「因みに舞さんは姉さんのことが少し鬱陶しいってかなりの頻度で私に告げ口していたよ。ここだけの話だから内密にね」

 余計な一言を添えて鈴音は意地悪そうに笑った。まさしく自分が表現したような性格の悪い女だ。そう思わされたことが晴彦には何故か屈辱に感じられた。

「貴様、結局何が言いたいのだ!」
「最初から知っていたという確証を提示したつもりだったのだけど。まあ所詮は敵の言葉だから嘘だと思いたいのなら好きにすればいい」
「ほざくなッ! 語った言葉が真実として、何故貴様は平然としていられる? 何故身内を喰った化け物とともに居られるのだァッ!?」
「奇妙なことを言うね。私を性根の腐った魔女と言ったのは貴方の筈だけど」

 わざとらしいまでの意趣返し。わざとらしいまでの振る舞いそのものが悉く晴彦の神経を逆撫でする。最初から好感度がマイナスならばいっそ振り切ってしまえばいい。敵対者としてこちらが望んだ振る舞いをされればされるほど、そのわざとらしさが癪に触る。

「そもそも姉さんのことを思う資格なんて私には最初からないんだよ」

 もはや声音の些細な機微などどうでもよかった。自覚のある狂人の言葉には虚実の判断を行う意味すらない。

「アハト……姉さんにとってのスズはモンスターとして間違った行動をした訳ではない。私はそう割り切ってしまうような人間なんだ」

 それは嫌という程痛感した。寧ろ喜んで差し出していないのが不思議なくらいだとすら思っている。

「姉さんの精神と記憶を取り込んでいるからか、寧ろ安心感を覚えたこともあったくらいだ」

 ただ想定の外から嫌悪感を覚えさせられるのは話が違う。魔女の性根は望み通り腐っていたが、根元からいかれているとは思っていなかった。

「貴様はいかれている!」
「最初からその結論は出ていた筈だけど?」

 結局、精神的に限界を迎えたのは晴彦の方だった。目の前に居るのは契約相手をいたぶられながら長話できるような人間。そんな相手の心をへし折ろうとすればするほど自分の心が侵されそうになる。

「もういい。貴様らで遊ぶのは終わりだ」

 今はただ目の前の女が存在することに耐えられない。契約相手を即刻射殺して、護りを失った魔女を火炙りにする。そうしなければ晴彦の脳が自身の怒りで燃えかすになりそうだった。

「姉の仇諸共死ね」

 形容しがたい怒りを乗せて晴彦は右手を上げる。ここに射殺許可は下った。一秒の猶予もなく傍らに立つ女天使が光の矢を放つ。球遊びに興じる傀儡の化物デクスごと、逢坂鈴音という女が背負った罪の証を断罪する。
 ことここに至るまでに天城晴彦は注意力を完全に失っていた。逢坂鈴音が今どこに立っているのかを把握できない程に。彼女が話す言葉にばかり気を取られて、彼女の首から下の動きへの警戒心は消え去っていた。

「……は?」

 だから、放たれた光の矢が鈴音の目と鼻の先で爆散した現実にすぐに理解が及ばなかった。咀嚼するには爆発で視界を覆った閃光が晴れるまでの時間が必要だった。
 契約中のトラベラーを守る不可視のバリア。致命の一撃をそれでしのぐため、注意力を削ぐように煽るように話ながら鈴音は少しずつ距離を詰めていた。それは姉の仇である契約相手を守るため。
 晴彦の視界が戻った瞬間、再び彼の目は現実を理解することを拒みかけた。それは逢坂鈴音の傍らを漂う彼女の姉の仇。その身体には散々いたぶった傷は残っているが、動き自体にはもう不安定さは見られない。十数秒前まで奴が転がっていた地点では奴を弄んでいた傀儡の化物デクスの方が壊れた人形のように転がっている。

「わざと温存していたのか」
「我ながら酷い契約者だと思うよ。まあ、身内の仇に対する仕打ちとしては妥当なのかもしれないけど」
「ほざくな、クソアマ!」

 長く愉しむためにわざと手加減していたぶっていたのが仇になった。そんな考えを振り払うように晴彦は叫ぶ。

「ただアハトが危なかったのは事実だね。散々いたぶられた上に、貴方の精神攻撃が私より刺さったものだから」

 対する鈴音は淡々と事実を告げる。その表情にはもうわざとらしいまでの薄っぺらい笑みは貼りついていない。ただ静かに天城晴彦という目の前の敵を見据える。その視線に籠められているものを向けられている当人が理解することはないだろう。

「けれど今はともに感謝しているよ。――貴方のおかげで私達は前に進めるのだから」

 鈴音の左腕、そこで存在感を放つ繋がりX-Passで星が瞬く。そのシグナルに呼応するようにアハトの内から光が溢れ出す。それは進化の光。捕食によって他者を己の糧とすることは次なる段階に至るためには必要だ。だが、一線を超える理由が必ずそれである訳ではない。




 アハトの記憶領域には二つの記憶がある。
 一つはアハト自身のもの。そしてもう一つは逢坂観月のもの。
 彼女の記憶が劣化することなくアハト自身の記憶と同じだけの強度で独立して存在していたのは、無意識に優先度を上げて保持していたから。ナーダと異なり唯一の人間の記憶であることは理由の一つだろう。それ以外の理由はアハト自身にも論理的にまとめることはできていない。ただ逢坂観月の記憶がアハトにとって重要なものであることは明白だった。
 晴彦の言葉に反応したのは逢坂観月の記憶を何度も噛み砕いて咀嚼していたから。そこには逢坂鈴音に関する記憶も含まれている。
 かつての契約相手の瞳に現在の契約相手の姿がどう映っていたか、どのような感情を抱いていたのか。それを今知る者はアハトしか居ない。モンスターにあるまじき罪悪感を咀嚼できるのもアハトだけ。
 それでも鈴音はアハトの罪を肯定した。彼女は自分には咎める資格が無いと、アハトよりも先に彼女自身を罰していた。
 同じ人間に対して罪を背負った者同士。償うことなく地獄へ向かうと言うのならば、喜んで同じ道を歩もう。
 ナノマシンのシナプスを迸る電子。電子の生命の内に燻る闘志。耐え続けて維持した生命力は損傷の回復ではなく次の可能性へ投資。
 今の自分を構成するための均衡が崩れても構わない。それが目の前の敵を殲滅して生き残るために必要だというのならば喜んで差し出そう。
 今はただ、かつて呼ばれた名前を本来呼ばれるべき相手に返すためにその身を捧げる。




 敵対者を殲滅する金色の要塞。そう思わせる程、鈴音の頭上に君臨する相棒は二回り増量した実際のスケール以上の存在感を放っていた。蜂に似た本体の上で丸太のように連なるコンテナには多種多様な火器が備わる。強化された主砲の奥からは殺意に満ちた光が覗いていて、その輝度だけで内に満ちるエネルギーの総量が底上げされたことを感じ取れる。

「スズ、クズ」
「そうだね。よく知っているよ」

 キャノンビーモン。人間の記憶を大切に抱える働き蜂は敵対者をシステマチックに殲滅する悪魔の兵器へと変貌した。

「オーダー、ナニ?」
「もちろん、見敵必殺サーチアンドデストロイ

 従うべき女王スズネが左手を振り下ろす。すべてのコンテナが開き、内に秘められた殺意が火を噴く。弾幕と呼ぶに相応しい爆撃の嵐。人工的な災害は今までアハトを弄んでいた怪獣人形デクスを塵芥へと変える。今までの屈辱という私怨も乗っているのだ。底上げされた格上の火力の前には粗悪な量産品は原型を留めることは許されない。
 不意にアハトの身体が空を転がるように回る。直後に閃光が煙を裂いて奔ったものの、アハトに掠ることはなくコンテナのすぐ真下を通り抜けた。軽やかに一回転した後、アハトは射手の方を向いてわざとらしく首を傾げる。

「ここからは悪人らしく暴力に訴えさせてもらうね」

 有象無象を跡形もなく蹴散らした後でもまだコンテナには残弾がある。数量は先ほどよりも格段に落ちるが、一つの標的の行動範囲を制限するには十分事足りる。

「ほざけッ! このクソアマがぁああッ!!」

 女天使を包囲するように飛来するミサイルの群れ。沸騰したように怒りを露わにする契約相手の怒号に合わせて、彼女は大きな十字を切るように両手を振るう。その軌跡は彼女の内から満ちる力を吸い上げて光へと変えた。拡散する閃光でミサイルを迎撃。そのまま一息つくことなく空へと昇る。二秒後、女天使が居た場所を鋭い閃光が抉った。
 ミサイルの追撃は無いとなれば、残るは互いに上空で閃光をぶつけ合う射撃戦。文明と幻想。弓矢と大砲。同じモンスターでありながら真逆の印象を与える射手が各々の武器を向け合う。
 互いに見合っての膠着は数秒。女天使が矢を放つのもアハトが主砲を発射するのもほぼ同時。真正面から衝突する二つの光。細く鋭利な金色と太く荒々しい青色。純粋なエネルギー量の差は明確で、金色の矢は青色の奔流に飲み込まれる。
 そもそもエネルギーの差は純粋な力の差ではなく攻撃方法の差によるものだ。女天使の矢は自らのエネルギーの一部を切り離して放つが、アハトの主砲は体内でエネルギーを変換して継続的に放っている。断続的に火力を向上させられるアハトに分があるのは当然だ。
 だが、それは火力に限った話。それもアハトも主砲に意識を向けていることが条件だ。逆を言えば己のエネルギーを一部切り離しただけの女天使の方が矢を放った後は自由に動ける。要は自分の力に繊細なコントロールを求められるのはアハトの方だということ。女天使は初手を牽制だと割り切っていたから既に光の奔流の進路の上方数メートル上で二の矢を構えている。
 放たれる第二の矢。狙いは真っすぐアハトの頭部。巨大な体躯の中央に位置するそれごと中核を射貫かんと奔る。
 金属質が砕ける音が響く。地面に落ちた金色の破片は間違いなくアハトのもの。それに視線を向ける者は存在せず、地上で見守る契約相手の意識はまだ上空にある。

「ちぃ」

 舌打ちをしたのは晴彦。その表情から渾身の二の矢が中らなかったのは明らか。対する鈴音の表情にも余裕はなく、完全に避けきった訳ではないことは上空から落ちてきた証拠が示している。
 女天使が矢を放ったタイミングはベストだった。矢は風の影響を受けることなく寸分の誤差もなく、ゴール地点への最短距離を飛んだ。
 だがそれ以上にアハトの対応が迅速だった。方針の角度を下方に向けつつ上方への回避行動を開始。ただ主砲を停止して回避行動に移るのでは間に合わないと判断し、敢えて瞬間的に火力を底上げすることで反動を味方につけた。空中でバックステップするかのような瞬間的な移動。その速度は女天使の想定より僅かに早く、中核を狙った筈の矢は右脇の装甲を一枚剥がすに留まった。

「アナタ、ジャマ」

 再び向かい合う両者。先ほどと違うのは互いの力量と特性をおおよそ測り合えたこと。ここからはその予測をどのタイミングでどれだけ裏切れるかに掛かっている。
 先に仕掛けたのは女天使。絵画のように洗練された構えで放つのは先の牽制と同じエネルギー量の矢。先ほどと同じアプローチに先ほどと同じ対応をするつもりはない。右方への回避を選んだアハトの目には一射目とまったく同じ構えでこちらを狙う女天使の姿。判断を誤ったかと迷う間もなく、次の矢の対応に追われる。迎撃が間に合わないと判断せざるを得ない以上取れる手は回避しかない。
 女天使が矢を放つ。アハトが左方に避ける。女天使が矢を放つ。アハトが下方に避ける。女天使が矢を放つ。アハトが右方に避ける。

「ホンット、ウットウシイ!」
「ん……これ少し姉さんに寄ってきてないかな」
「今さら現実逃避か!? じり貧で余裕がないということだよなぁ、そらそらそらぁッ!!」

 同じ展開が連続するのは誰が望んだかたちなのか。少なくとも有利に見えるのは断続的に攻め立てている女天使の方だ。契約相手である晴彦の表情にも優勢であるが故の笑みが戻っている。アハトの方は辛うじてすべて直撃は回避出来ているが、次第に余裕がなくなってきたのか何度か装甲の表面を掠るようになってきた。このままの展開を続ければ射落とされるのも時間の問題だろう。

「そろそろチェックメイトといこうかぁ! やれぇぃッ!!」

 晴彦の高笑いとともに放った矢は女天使自身勝利を確信した一矢だった。限界まで引き絞られて放たれる致命の一撃。最大火力が保証されたエネルギー量。最高速度を確信させる稲光のような軌跡。
 狙いは標的の回避行動を予測したうえで一ミリもずれることはない。ならば標的の中核を射貫くのは確定された未来だ。――そこに反撃という障害物が存在しなければ。
 矢を真正面から飲み込む青の奔流。アハトの主砲の火力が矢を上回っているのは実証済み。だがそれは牽制の矢の話。最高の一矢に籠められた火力の密度は比較にはならず、滝を上って竜へ至る鯉のように流れに逆らいながら力任せに駆ける。
 そして矢は強烈な光を放って爆散する。視界すべてを塗りつぶす閃光が地上に降り注ぐ寸前になって晴彦はようやく違和感を覚えた。光源が着弾予測地点のずっと手前にあるという違和感に。

「きさっ」
「アナタガ、ツミ」

 晴彦の言葉を遮るように遥か頭上で響く轟音。雷鳴のようなその音に反射的に見上げれば、その音圧に相応しい雷撃の如き青の光が女天使の左半身を焼いていた。
 あの矢に対してアハトの主砲は本気を出していなかった。あくまで勢いを削るための僅かな時間稼ぎ。
 これまでの戦闘でミサイルコンテナは撃ち尽くしてなどいなかった。僅かに残したミサイルは隙を作るための時間差の秘密兵器。
 真に残弾をすべて解放した後に主砲は一時停止。矢とミサイルが接触した瞬間に再発射。主砲の一撃は瞬間的に上昇した火力を持って、既にエネルギーの大半を消費した光の矢ごと女天使に無慈悲な裁きを下した。
 墜ちる女天使にはまだ意識がある。羽根を動かして体勢を整えるだけの力がある。ただそれだけ。この後に来るだろう追撃に対して反撃する力も回避する力も残ってはいない。

「――今日はここで止めにしよう」
「……は?」

 来るべき追撃の代わりに放たれたのは鈴音からの屈辱極まりない言葉だった。その口調は至って平坦で、圧倒的有利な立場から見下ろす優越感も自分達を散々侮辱したことに対する怒りも何も感じられなかった。

「貴様ごときがッ、情けのつもりか!」
「冗談。このまま居座ると不利になるだけだよ」

 まるで無関心。その表現は適切であり現実だった。悠々と降り立ったアハトとともに見据える鈴音の視線の先には既に晴彦はない。その後方に向けられていると分かったからこそ晴彦は振り返ることはできなかった。そんなことをした瞬間に耐えがたい一線を超えることになると分かっていたから。

「アハトにきっかけを与えてくれてありがとう。お礼に次は憎むべき相手として悪辣に殺し合おう」

 その言葉を最後に逢坂鈴音は元の時間へと帰還する。何もできずに見送り終える頃にはアハトの姿も無い。後に残ったのは傷だらけの女天使と傀儡の化物デクスだった灰に、散々嘲笑した相手に手ひどくやられた愚者。――そして、その姿を眺める桃色の妖精ピーコロさんを伴う一回り以上下の同胞。

「あのー、なんというか……だっっっっさ!」
「……返す言葉もない」

 綿貫椎奈という味方に観察されてようやく自分の醜態を見つめなおせた。教義的に縛られていなければすぐに女天使にこの魂を捧げたいと思う程に屈辱的な姿だった。こうなってしまえばもう先ほどまでのテンションは維持できない。

「ひとまず戻って契約相手の治療を。今日の件はあんな変人相手なら仕方ないでしょ」
「知っている口ぶりだな」
「ウチの学校で長年有名だっただけですよ。まあ私は高校から入学した身なんで詳しいことは知りませんけど」
「同じ学び舎だったとは」

 地雷を踏んだ。椎奈が顔を顰めたのを見てそう判断出来るほどに冷静さは戻った。今日一日はもう下手なことは言えないと、ただただ深いため息をつく。

「学年もずれてるんで接点も何もないですよ。それに言っておきますけど、あなたも大概変人だと思ってるんで」
「本当に手厳しい」

 晴彦に出来ることは連行される罪人のように重い足取りで椎奈の指示に従うことだけだった。




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どうも。推しのデジモンを危機に追い込んでおいて十か月間放置プレイをしていた異常性癖者です。本編の扱いに従うのなら、「サッカーしようぜ。お前ボールな」と言って弄んでいたことになりますか。

鈴音の姉がトラベラーでアハトの餌食になっているのは初期から考えていましたが、肝心要の姉こと逢坂観月はこの話を書くまでで設定が変わりました。元々は変人な妹をも許容するほど優しいけど気が弱いためにプレッシャーに潰れた設定でした。ただ、鈴音からの矢印を考えるにあたって、生真面目さはそのままに既にトラベラーになる前から潰れかけている前提で不仲で若干拗れた形にしました。


今さらですが、作中の現在は2018の10月頃の年代設定です。書き始めた当初(2016年)は「2年後くらいにしておいたらいい感じになるやろ」と思ってましたが、怠慢が祟って悪い感じでずれてきた気がします。そろそろ6年、4年で50話のあの頃はいずこ。


今回のアハトのように捕食による糧の蓄積だけが進化の鍵ではないので、今後その辺りも踏まえた進化とかも出していきたいところです。メタ的に言うとやはり進化に話を絡めやすくなるので。


晴彦は酔っている感じの狂信者という設定でした。だいた神父さんに対して狂信者だの黒幕だのの印象がついてしまうのは悪いなと思いつつも抗えませんでした。

とりあえず本日はこの辺りで。次回はさていつになるのやら。