第四十二話「強欲の狂杖」① | 秘蜜の置き場

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ここは私が執筆したデジモンの二次創作小説置き場です。オリジナルデジモンなどオリジナル要素を多分に含みます。

 最初は何も知らなかった。何も知らなかったから、すべてが煌めき、目の前のことがすべて真実だと受け入れていた。
 そうしてことわりを学び、世界を学び、考えることを学んだ。積み重なる知識が、豊かになる思考が、形成されている自己がただただ嬉しかった。
 世の中はいざこざが絶えず、時に憎しみをぶつけあう惨状に居る時もあった。だが一方で、優しさに心を解かされることもあった。そのどちらもがきっとそれぞれが持つ心の側面であり、それを持つ自分達はそれぞれが唯一無二の存在だと信じて疑わなかった。
 遠い遥か昔の記憶。今思えば、姿もばらばらな三人のデジモンとともに過ごしていたあの時間が、一番幸福だった時間に思う。――そして、同時に一番愚鈍だった時間とも思う。




 葉月とティターニモンが辿り着いたのは、ダンスホールのような広間。巨大な古城の中に居るというのが一番適切な表現だろうか。かつて煌びやかだったであろう床の模様はくすんでいるが、それがまた独特な味を出している。天井は吹き抜けらしくかなり遠い。その遠くの天井から最低限の日光が漏れているため、思ったよりも暗くはない。
 ワイズモンが用意したのか、遮蔽物のない広い場は周りを気にしなくていい点はありがたい。
「ここが私達の戦場ねー」
「で、相手はどこに? 不戦勝、ってことはないでしょうね」
 視線を二百七十度回してみても敵の姿は見えない。ティターニモンは儚い希望を口にしながらも、杖を持つ力は緩めず、光球は既に十は生成している。
 その頭上十メートルにちらつく光。
「――ふッ」
「やっぱり、ねっ」
 落ちてくる光の矢を光球に迎撃させながら、ティターニモンは矢が放たれた方向へと視線を向ける。
 そこにいたのは単眼の魔王。赤い羽が黒色の身体に映え、両手の平には顔面大の単眼と同じ緋色の眼がそれぞれ埋まっていた。
「デスモン。黒化した破壊神モードってところだけどー」
「情報と違うじゃない。情報よりましだけど」
 戦う相手は七大魔王として歴史に名を連ねた魔王のはず。確かにデスモンも魔王型デジモンではあるが、七つの大罪のいずれも背負っていない中立の魔王なので、言い方は悪いが場違いだ。
「始末、する」
「ただでさえ連戦の可能性あるっていうのにっ」
 しかし、向かってくるのなら振り払わないわけにはいかない。表情の読めない単眼が赤みを帯びるより早く、光球がそこに狙いを定めて光弾を放つ。が、デスモンは羽で軽く上昇し、光弾は足に当たる程度で終わる。一方で防ぐべく手を打っていた相手の準備は整ってしまった。
「エクスプロージョンアイ」
 放たれる破壊の閃光。葉月とティターニモンは光弾が外れた段階で回避に動いていたために当たりはしなかったが、彼女らが少し前まで立っていた床は抉れ、焦げ付いた臭いを放っていた。
「あー、やるっていうのなら相手じゃなくても徹底的に潰すよ」
「残念だけどこっちもゆっくり構ってる暇はないからね」
 状況を訝しみ、周囲への警戒を怠らないように務めていたが、多少は意識を改めて切り替える必要がありそうだ。警戒はそのままに、まず目の前の相手を速攻で対処する。調べ直すのはその後でも十分。
「始末、スる」
「それしか言えないの? 馬鹿なの?」
 二言交わした直後から光線と光弾が飛び交い、流れ弾が床を黒く汚していく。神秘的な銃撃戦ともいえるその戦いは、じきに勝敗は容易に想像できる一方的な数の暴力へと変わる。
「ジ、ジ始末、ス……る」
「それしか言えないんじゃ話にならないんだけど」
 穴の開いた羽で辛うじて空中に漂うデスモンにティターニモンは苛立たちを隠さずに吐き捨てる。
 彼女はあくまで射手の作り手であって射手そのものではない。デスモンがいくら素早く二丁拳銃のように両手から矢を放ったところで、その数倍の弾丸が既に襲い掛かるのだ。言うなればそれは一人で一個小隊と相対しているのと同義。七大魔王を想定した気構えでいる彼女らに仕掛けるには最初から分が悪かったのだ。
「始末、ス、ルルるる……るぃゃめるぉ……ォアアア」
「何言ってるかさっぱりだわ。耳障りよ」
 それでもぼろぼろの身体でデスモンはティターニモンに破壊の矢を放つ左手を突きつける。ティターニモンは前面に光球を集結させ、迎撃の準備を取っている。彼女としてはここをしのいだ後、デスモンを下準備の済んだ術中に嵌める算段だ。
「待って。様子がおかし」
「あぃぐ」
「ぇ」
 それを実行する前に葉月が声を上げるが既に遅く、デスモンは彼女らの予想外の行動に出ていた。
「あ、が……」
 苦悶の声はデスモンのもの。その原因となったのは異物が捻じ込まれた左手。その異物は紛れもないデスモン自身の右手だった。
 デスモンは突然自分の左手に自分の右手を突き刺したのだ。
「あが、く……す、まない。これが、精一杯、だ。私、は、もう私で、はない」
「そのようねー」
 一見奇行に見えるデスモンの行動が葉月はどういうことか理解しており、ティターニモンもやっとデスモンが口にした「始末する」以外の言葉で凡その予想はついた。
 なぜなら、二人はこれと似たようなものを一週間前に、倉木真治の行動で目にしていたからだ。
「だいたい読めてきたわー」
 D-トリガーの警告音アラートはならなかったことから、おそらく悪核とは厳密には異なるが同系統の効果をもたらす力。それを持つ本当の敵がデスモンを傀儡として送り込んだといったところか。
「同系統なのが少ない救いよねー。すぐに楽にしてあげるわ」
「そう、か。ありがとう」
 葉月は慣れた手つきでD-トリガーの銃口をデスモンに向ける。撃ち込む弾丸は命を奪う弾丸ではなく、精神を助ける弾丸なのだが、絵面から完全に誤解されているようだ。説明するのも面倒なので身体で理解してもらう。
「――悪いがその役目は小生のものだ」
 不意に頭上から降るやけに嗄れた声。葉月は初めて聞く声だったが、その主が何者で何という種族のデジモンなのかはすぐに分かった。
「バルバモン」
 それが強欲の罪を司る老獪な魔王の名。骸骨のように細く白い身体に、豪奢なローブを纏った老人の名。赤い六枚の羽で空中から葉月達を見下ろしながら、骸骨をあしらった悪趣味な杖を構えている。
 悪核のようにデジモンの心に闇を巣くわせ、意のままに操る力。ルーチェモンを除く七大魔王でその類の力を持つ者は限られており、操った対象がデスモンというお誂えの種族ならば答えはほとんど確定したようなものだった。
「貴様らを打ち負かすのも、な」
 ティターニモンが光球を走らせるより早く、バルバモンが持つ杖の先端、そこで髑髏が咥える赤い宝玉が鈍く光る。その先から落ちる宝玉と同じ大きさの一つの球。それはティターニモンの光球と同じようなエネルギーの球ではあるが、その力の大元は真逆。そして、その秘められた力の密度も光球とは桁違いであることはティターニモンにも分かった。
「まずっ……」
「では、三人仲良く死ぬがいい」
 慌てて光球を引き戻すティターニモン。葉月もデスモンに浄化弾を撃ってすぐに次弾を選ぼうとするも間に合わない。
 一秒後、彼女らの前で球は爆ぜる。思わず目を閉じる寸前に視界が認識したのは、自分達に覆いかぶさる白く戻った身体。
「パンデモニウムロスト」
 空間ごと焼き焦がす大爆発。ほんの一瞬で広間は地獄のような焦土へと変わる。存在するのは炎が燻る土と果てしない地平線の上に広がる黒い空だけ。もしその変化も過程を正確に見届けた者がいたとすれば、もうそれは存在すらしていないだろう。
「が……あぅ……」
 黒焦げの土と同色に染まったデスモンの身体が静かに倒れ、ほとんど傷を負っていない葉月とティターニモンの姿が現れる。その姿を確認し、デスモンはその大きな単眼を静かに閉じた。
「ありがとう」
 葉月に送れる言葉はそれしかなく、もう届くことすらない。じきにその身体すら消えるだろう。代わりにできることは一つしかない。
「ふむ。時間稼ぎの怠慢に飽き足らず、直接邪魔までするとは……つくづく使えん奴よ」
「そう? 少なくともアンタみたいな屑よりも何倍もマシだと思うけど」
 湧き上がる苛立ちを込め、ティターニモンは私兵をバルバモンに向けて走らせる。
「ハッ、見た目に反して品のないことを言いよるわ」
 バルバモンの周囲に散発的に配置される光球。それによる光弾の乱れ撃ちに対して、バルバモンはその初期位置を確認せずに対処を始める。
 正面からの一発を右に躱し、頭上から降る雨を杖から放つ魔弾で迎撃。直後に背後から来る三発は前進しながら引きつけ、一つの光球が正面に回り込んで来たところで降下し、同士討ちさせる。
「なんで当たらないのよっ」
「本当どーしてだろーねー」
 三次元的に展開される光弾にバルバモンが対応できているのは、老いた身体にそぐわぬキレのある動きだけではないように見えた。まるでティターニモンが仕掛ける攻撃の戦術を、その意図を予め把握しているかのような正確な対処だった。
 前面に多く展開してからの掃射には、光球が射撃体勢に入る寸前に急速で転回して逃れる。それを囮にした斜め下から葉月が放った雷光の弾丸には、それが発射されるより早くに射線上に黒い気弾を放って相殺。ティターニモンが仕掛ける多面的な攻撃も、その合間を突いた葉月の不意の一発でさえも、バルバモンはそのすべてを見事に捌ききっていた。
 その様は先に情報で得たバルバモンという種族のイメージからあまりに剥離していた。
「完全に読まれてるよーね」
 それ以上に葉月にはこの気味の悪い妙な感覚には覚えがあった。読まれているのは行動というよりも、それに至る思考といった方が正しい、最初から一方的にアドバンテージを取られている感覚に。
「まるで『悟り』みたい」
 脳裏に過るのは、旅の序盤で一度戦いその後しばらく旅を共にした鳥人。姿はまったく違うし、読心能力を持たせることくらいならどのデジモンをベースにしても不可能ではないだろう。だが、読み切ったこちらの動きの情報を元に武芸者のような動きで躱す様は、完全に彼と酷似していた。
「む」
 不意にバルバモンが不快そうに顔を歪め、杖から黒色の気弾を乱射。葉月とティターニモンは避けながらも、その表情の変化を見逃さなかった。
「ビンゴ、ね」
 この瞬間、浮かんだ疑念は確信へと変わった。