6.
『久しぶりだな、ケイジ』
目の前の男はそう切り出した。造形は数日前に久しぶりに見たはずのものだったが、表情から伺える霊魂はその時のものとは別人だった。――否、正確にはこちらが本物というべきか。
『そうだな。久しぶりだな、コータ』
髪を短く切り詰めた頭。ところどころに目立つ煤のような斑が印象的な顔。ボタンのような無機質な目に宿る人間味のある熱さ。想像以上に再現性の高い造形は霊魂が本物であれば、なおさらケイジのよく知るイリノ・コータと一致する。彼の身体にあるはずの霊魂指示子も確認できた。
最早彼の使い魔から聞いていたことが紛れもない事実だと理解せざるを得ない。コータの霊魂は身体から引き抜かれ、ヴァルハラ計画の一部としてここに幽閉されていたのだと。
『コータ、お前には聞きたいことがたくさんある。答えてくれるよな』
『ああ。せっかくの機会だからな』
コータの使い魔から聞いたのはあくまで彼の視点。事が起こる寸前と事後の状況しか知らず、その瞬間何が起きたかも分からない。巨鳥の話でコータを襲った変転の概要もおおよそ理解したが、出来るのならその被害者であるコータからも話を聞いておきたかった。……それは名目で単純に再会したかったというのもなくはないのだが。
『まず、お前の身に何が起こったか。ここに飛ばされる瞬間何があって、どうなった?』
コータの使い魔から聞いた概要はほとんど今の自分の状況と同じ。ギルドの依頼で上層社会に上がり目標物のエリアまで達したところで瞬間的に何者かにハッキングを受け、コータの霊魂指示子を奪われてしまった。結果、コータはここに幽閉され、身体に残った使い魔は脱出し、地下都市へと潜る。ちなみに脱出時にモリイ・リオンを成り行きで拾って、一年間行動をともにすることになったらしい。
『そうだな……おおよそお前の知っている通りだ。アースガルズ社に侵入した俺は今のお前と同じように、複合知性のマスターコールを食らってここに飛ばされ、閉じ込められた。で、さっきとほとんど同じような話を聞かされ、依頼もされた。そこで、俺は受ける代わりに一つ条件を出した。――ケイジ、お前もその作戦に参加させることだ』
『は?』
最後の言葉に思わず怯む。コータが幽閉された際の手順もほとんど今回と同じだというのは予想はできていた。また、同じように依頼されたというのも想定の範囲内ではある。だが、コータがその依頼を受ける条件としてケイジの参加を指定していたというのは完全に予想外だった。これではケイジがこの件に巻き込まれた原因がそもそもコータにあると言っても過言ではなくなる。
『悪いな、ケイジ。恨んでくれてもいい。でも、それほどに俺はお前を買っているってことで勘弁してくれ。俺の相棒のお堅さで中途半端にマスターコールが使われた件もすまん。俺としてもじっくり地盤を固めておきたかったんだが』
実際、コータの使い魔が操る彼の身体と再会したとき、否、それ以前からケイジは旧友の意向で巻き込まれるように手を打たれていたようだ。リオンを伴って主犯格となっていたコータの使い魔はその実、複合知性の手引きで主からの指令を聞いた実行犯でしかない。
相対すべきは主であるコータで、真実を知るのに一番手っ取り早いのは彼から直に真意を聞くこと。
『その件はいい。――で、なんで俺なんだ?』
『それは複合知性の問いで自覚したと思ったんだけがな。……よし、なら俺からも質問だ。霊魂転移前の使い魔と後の俺達主の違いはなんだ?』
『また質問か』
デジャブだ。複合知性に目的を聞いた時も途中で質問に切り替えてこちらの意思を逆に図ろうとされた。それと同じようなことを、間になんの情報ももたらさずに行っただけ。ただこれが先ほどと同じならば、この質問に答えればしっかり質問には答えてくれるはず。
主と使い魔の違い。それは本来は肉の身体を持つことと電子の霊魂などで片づけられること。霊魂転移によって肉の身体から抜け出した霊魂と使い魔との違いはなんだ?
人工かそうでないか? 使い魔の霊魂がすべて人工だとするならば、仮に人間一人の霊魂を完全にコピーした霊魂を持つ知性体を作れば、それは使い魔としてオリジナルとは別の扱いを受けるのか?
高速で巡る思考は迂遠な経路を踏んで遅延を産みながらケイジから一瞬だけ言葉を奪う。それがケイジが答えを得るのに要した時間。
『コータ、お前はこう言いたいんだろ。――知性体が同レベルの知性体を一方的に支配するとたいてい碌なことにならない。道具扱いは止めろと』
『質問の解答からの推測すっ飛ばして結論から言うとそういうことだ』
使い魔を相棒と呼ぶコータが再三口にしていたのがその言葉だった。それがこの世界におけるコータの異常とされる思考であり、彼が地下都市に堕ちた最大の原因。上層社会で警察をやっていた頃からそんなカルトじみた思想を持っていたらしい。
『言っただろ。俺は結局どう取り繕っても道具という意識は拭えないって』
親友であり信頼の仲であるからその考えもあるのだと認めてはいる。だが、それをケイジが同じように抱くかは別。それはケイジが今まで持っていた価値観であり、コータのそれとは違う。時代や環境が違えばコータの方が正しいとされるのかもしれないが、生憎今のこの世界はそれを悪とみなす。
『それは分かってる。だから、次の質問だ。お前はヴァルハラ計画の一部として、狭っ苦しい電脳空間に永遠に閉じ込められても平気か』
『嫌に決まってるだろ。だから、俺は今回依頼を受けたんだ』
それは即答できた。誰が地下都市唯一の特権である自由を捨ててまで、好き好んで拘束されたがる。そんな物好きではないという自覚くらいはケイジにもあった。
『そう、そういうところだ』
『あ、どういう……もういいや』
答えになっていない答え。ケイジは頬を掻くがこれ以上は答えを引き出せそうにない。それらしい言葉を使うのなら長い付き合いで感じた人柄というものだろうが、その詳細までをケイジは終ぞ理解することはなかった。
『そろそろ時間だよ、ケイジ君、コータ』
巨鳥が久しぶりに口を開く。どうやら面会時間は終わりのようだ。依頼の報酬というよりはむしろそのサポートのような内容だったが、ケイジ自身はコータとの再会ができたこと自体にそれなりの価値があった。
『ケイジ、一旦お前の身体に戻れ。そのときに今後の指針を電脳に送っておく。アーミテジ……俺の相棒とリオンという名のあの女を頼む』
『お前は来ないのか?』
『ああ、もう一緒に呑みにはいけないな』
『そっか。分かった。じゃあ、俺は俺自身の自由のために頑張るよ』
最期の別離にそぐわない、ケイジのひどく自分本位な決意にコータはシニカルに笑う。直後、その姿がブロックノイズめいて崩れ、細かい四角の粒子となって、かつて金色の鳥が羽を休めた小区画へと渦を巻いて吸い込まれていった。
ふと、ここで止めて複合知性を説得すればコータは自身の身体に戻れるのではなかったのか、と一瞬思った。だが、あくまで一瞬だけ。コータと実際に話したからこそ、彼自身がそれを望まず、それに価値を見出していないのが分かったのだ。それがコータの選択なのだ。
コータが姿を消すのを確認したところで、彼をこの場に召還した白い鳥の戦士も自身の役割はもうないと判断したらしく、静かにその姿を消す。後に残るのはケイジと今回の依頼者だけ。
『では、改めて。セト・ケイジ君、私の解放を依頼する』
『ああ。その依頼承った』
ここに契約は成立。予想外の流れで予想以上の真実を知ることができた。代わりに受けることになったこの依頼は地下都市の自由を賭けた戦いになるだろう。――その前に潰しておくべき相手が下にいる。
『ところで、ケイジ君。急いで戻った方がいいみたいだよ。――どうやら君の身体が急襲を受けているみたいだ』
『そういうのは早く言えよ! というかさっさと俺を身体に戻せ』
既に先手を打たれていた。幸い使い魔がいるため完全な丸腰ではないだろうが、予想できる相手が相手だけに使い魔だけでどうにかなるとは考えられない。
『それは悪かったね。では、転送するよ』
巨鳥の6枚の翼が大きく開く。その頂点から放たれる後光の残光がケイジを照らす。一瞬空間を弾ける閃光。それが消えた頃にはケイジの姿は消え、巨鳥が堂々と浮遊しているだけだった。
ギルドの個人の部屋のセキュリティにおける錠は、ギルド全体での共通のタイプの錠に加え、個人で錠を増設している者も多い。ケイジもその一人で、部屋は銀謹製の機械義手の機構を用いた錠を筆頭に計6種類の錠を仕組んでいた。
だが、その錠は今回に関してはまったく無意味だった。
最初はペンで軽くつついた程度の小さな点。扉に開いたその小さな一穴が5秒足らずでLサイズのピザほどの大きさへと肥大化し、そのまま扉ごと錠を食い破る。改造を施されたシロアリでもここまでの侵食速度はない。あっという間に食事を終えたその不定形はその何倍も性質が悪いものの群体だった。床に落ちたそれらは瞬時に真下の床の模様をコピーし、表面に投影。進行と同時に擬態を更新しながら、床を這い回って部屋の内部へと侵攻し始める。水に垂らした墨のように広く奥へと進むのは、主から新たに受けた索敵の指令を果たすため。そして、その敵の範囲には本来の部屋の主であるセト・ケイジも当然含まれる。
だが、その身体は既にこの部屋の中にはなかった。標的のいない場所で慎重に索敵を行ったところで、その姿を捕捉することなど出来はしない。少し蠢いて調べても結果は得られず、主が退散の指示を出すのにさして時間は掛からなかった。
窓に貼り付いていた数百の個体もおとなしく他の群体と合流して戻る手筈だった。その一番先端、窓からわずかにはみ出た個体が、建物の外壁に生じた不自然な揺れを感知するまでは。
コンマ2秒後、窓の外に一気に溢れ出す。イナゴの大量発生ににも似た数の暴力、純粋な質量の波が外壁の真下を襲う。やけ酒に呑まれた酔っぱらいや食い逃げを働いた貧乏人、彼を追ってきた屋台の親父など、進行方向に立ち塞がるすべてを押し潰し、瞬く間に骨だけに変える。
「――っちい」
だが、本命には届いていない。相当な高さから飛び降りたにも関わらず、その男は舌打ちする程度に余裕を持って立ち上がる。ぼさぼさの髪を左手で弄くっている彼は、蟲たちの主が出した仕事で上層社会に上がっているはずの男だった。