時は現在より少し遡り、巧達がそれぞれ本の中の小世界に飛ばされた頃。一也とテリアモン、三葉とロップモンは図書館の一室を走っていた。神器の調査を一旦放棄せねばならないほどの急用が生まれたからだ。それは当然先輩達が小世界に飛ばされた件で、一也と三葉はいち早くそれに気づいたのだ。これも置き土産が与えた副産物の感知能力と、それを用いて二人が神器の調査はしながら常に葉月と三葉の位置をそれぞれ把握していたお陰である。
「で、何なんだあれは?」
そして、彼らは現在、先輩に起きた異変の原因らしきものを追っていた。それはなぜか空中を水平に移動している三冊の本。それだけでおかしいのだが、これらの本は巧達を構成情報側から探知できなくなる寸前に彼らが手にとっていた物で、移動を開始したのも異変が起きた直後だった。ここまで分かっていて、関係性を確信しないほど彼らは愚鈍ではない。だから、ほぼ同じタイミングでその三冊がある部屋へ移動し、当然のように合流してすぐさま本の追跡に移ったのだ。
「……本当になんでもありなのね」
「否定できないのが痛いところです」
軽口を叩くのは焦る気持ちを抑えるため。少なくともまだ冷静さを欠くべき時ではない。幸いまだ捕捉できる移動速度で、進む先は行き止まり。このまま行けば簡単に捕まえられるはず。
「ファッ!?」
「……は?」
だがそれはこのまま空中を水平に移動し続けた話。例えば進行方向の壁に突然裂け目が入って、三冊ともその中に消えてしまえば視覚情報でも構成情報でも認識できなくなる。
「強引に空間に門開けて経路作りやがったな。ふざけんな」
「本当に何でもありだね~」
それが現実に起こったのだから一也が悪態をつくのも無理はない。
「……でも、開いたまま」
幸いというべきか、まだ門は開いたままでこちらが飛び込んでくるのを待っている。奥は特殊な処理でもしているのかよく見えない。
「まあ、あからさまに怪しいんですけど」
その門が心なしかじわりじわりとこちらとの距離が詰まっているように見える。そもそも本を回収した後すぐに門を閉じるはずなのに、ずっと開いていることからおかしい。
「行くしかないな」
「……同意。ロップモン」
「テリアモン、進化しとくぞ」
それでもここまで来てわざわざ手がかりを逃す訳にもいかない。すぐに攻撃に移れるようにD-トリガーを握り、パートナーを完全体に進化。一つ息を吐いた後、一気に門の中へと飛び込んだ。
旋風が彼らを襲う。自身が高速で移動しているための逆風。目を開けることもできず、ただ流れに流されるように滑空する。目を開けられた頃には既に通路から出されて床を転がっていた。
「って……くそ」
床にぶつけた頭を抑えながら、一也は立ち上がって周囲を眼球だけ動かして簡単に確認する。
床や壁の素材などから図書館の一室とは推測できたが、どうにも先ほどまでいた部屋とは別物に思える。なぜなら、この部屋は本棚が一つしかなく、あまりに他の部屋との蔵書している量に差があったからだ。
「――いやはや殆ど躊躇いもなく飛び込むとは、芯が強いのかはたまた単に阿呆なのか」
言葉とは裏腹に嘲笑うような口調ではない声で、一同は各々の武器を構えてその方向へと振り向く。
そこにいたのは、飾り気のない机に両肘をついて、絡めた両手指に顎を手に乗せ、観察するようにこちらを見つめる人型。赤い外套を着て少し染みのついたフードで顔を隠したその容姿は明らかに戦闘には不向きないが、何となく迂闊に手を出すことを躊躇わせる不思議な存在感を放っている。右側には自分達が追いかけていた三冊の本が積まれ、同じようなデザインの表紙の紫色の本が両肘の間に置かれていた。
「先輩達をその本から出せ」
D-トリガーを突きつけ、ほぼ脅しに近い形で要求を告げる。パートナーも戦意を剥き出しにして、反応次第によってはすぐに襲い掛かれるように構えている。こいつが誰なのか、何が目的なのか、聞きたいことはあるが、まず優先すべきことは先輩達を本の中から救出すること。
「それは君たちにとっても重要な機会を逃すということになるのだが、それでも出せというのかな?」
「……どういうこと?」
だが、返答はあまりに予想外な言葉。わざとぼかした言い方をしているのかもしれないが、それでもさらに迂闊に動けなくなった。
「彼らはそれぞれ探し物を手に入れるための戦いに赴いているのだよ」
「神器を取りに行かせたって言うのか」
「抽象的な表現でも理解してくれて助かる」
巧達にそれぞれの神器を回収させるためにその在処へと本を門として転送した。目の前の人型はそう言っている。ならばもしその言葉が本当だとすれば、彼の正体も自ずと予想がつく。
「クロックモンの知り合いだけあって、あんたも相当癖が強そうだな」
「否定はしないが、あんな人を馬鹿にしたような二人称を使う輩と一緒にしないでくれ。私なら置き土産のこともちゃんと伝える」
クロックモンの言っていたセントラルシティの「賢者」。神器の在処を唯一知る存在。自分達が探し、接触を図ろうとしていたそのデジモンこそが目の前の人型の正体だ。置き土産の件も把握しているのだ。間違いない。
「……そっちから来るとは」
「クロックモンから接触していたのは聞いていたからね。こちらも与えられた役割は果たさなくてはいけない」
「あ~そ~」
彼にもこちらの預かり知らぬ事情があるのだろう。興味がない訳でもないが、それは後で掘り返せば良いだけの話。
「では、改めて自己紹介。私はワイズモン。クロックモンと同じ管理者の遣いの任を帯び、訳あって自ら設計したこの図書館に隠れ住んでいる。隠居した身ではあるが度々迷える子羊達に天啓を与えた結果、巷では『姿なき賢者』という大層な愛称で呼ばれている。君達も是非賢者様と呼ぶといい。あ、ここ笑うところだから」
「何言ってるんだ、あんたは?」
「……撃っていい?」
本人は否定しているがクロックモンと同じくらい性質の悪そうな――なんというか非常に面倒くさい相手だと思った。というか、正直奴よりも厄介な相手だろう。
調子は狂うが、今すべきはこれ以上無駄話をすることではない。目の前の人型――ワイズモンがクロックモンの言っていた賢者で、彼の傍らにある本が『神器』の在処に繋がっていること。それが真実ならば、要求を変更しなくてはならない。
「まあ、いい。先輩達が神器を取りに行ったのなら、あんたの力で俺たちもその場所に移送させろ。どうせ簡単にはいかないんだろうから、手を貸して確実に取らせる」
ワイズモンの言う通り、神器を取りに行ったのならわざわざ途中で強制的に引き戻す訳にもいかない。ならばせめて手助けするのが最善の判断だろう。
「悪いがそれはできない。試験途中に介入させるのは役割に反するからね」
「役割? そんなもん知るか。とっとと言った通りにしろ」
いろいろ後で聞かなくてはならないが、最優先は充や葉月と早く合流して神器を最低限の負傷で回収すること。そのためならたとえワイズモンとの後の関係に影響が出ようとも、多少手荒な真似に及んでも仕方ない。平静を装うのは、一也と三葉の二人ともそろそろ限界が来ていた。
「残念だが、無理なものは無理だ。この三冊の中に君たちは入れることはない」
「……そう。強化弾、キャノンビーモン――ニトロスティンガー」
返答が覆らないのならば、実力行使あるのみ。D-トリガーの銃口が一瞬明滅した直後に放たれる口径ぎりぎりのレーザー。矢のように飛び出したそれはワイズモンの右肩を射抜かんと走り、その数センチ手前でその光は1カンデラもこの場の誰にも届かなくなった。
「……やられた」
ワイズモンの右肩の前で浮いている一冊の本。開かれたページでは三葉が先ほど放ったのと同じ色と光量のレーザーが荒野に一筋の軌跡を描く様子がリアルタイムで映されていた。
「私の最も得意とする研究分野は『空間』。先ほどのを解説すると本を媒体に門を開き、そこに繋がる世界に君の攻撃を飛ばした、というわけだ」
反撃するでもなくただ楽しそうに解説する姿には戦意など微塵も感じられない。だが、これ以上の追撃を許さない何かが彼には感じられた。
「さて、ここで質問。なぜ私がわざわざ解説したのか、分かるかい」
軽く姿勢を正した後、ワイズモンはそう言って傍らに積んだ三冊の本を右手の指で軽く叩きながらそう問いかける。それでずっと彼が余裕を持って対面していたのか、よく理解できた。
「先輩達の邪魔したくなかったら、介入しようとするな、ということか」
「うん、理解が早くて助かる」
門を開く媒体となるのは、その三冊の本も例外ではない。となれば、こちらの攻撃をその本を通じて先輩達がいる世界に撃ちこんでしまうことも十分にあり得る。これを妨害と言わずに何と言うのか。
「……ちっ、下種な真似を」
「ひどいこと言ってくれるね。傷つくじゃないか」
およよと膝をついて泣く真似をするその姿を見て改めて確信した。こいつはクロックモンなんか比にならないほどに性質の悪い奴だと。
「それに彼らが私の人質に近い状態なのはここに来た段階で明白だったろう。それを失念していたから改めて理解させてやったのだ。焦りは禁物だという忠告とともに。感謝したまえ、ふははは」
「むかつくな~、こいつ~」
一転して気取った口調で高笑いする様は怒りを通り越して呆れてくる。言っていることは尤もだが、キャラがぶれすぎというかふざけている仕草が余りに多すぎる。
「冗談はやめにしてもらえませんか。合流が許されないのなら、貴方は私たちに仲間を信じて待て、と言うのですか?」
「ん、それもまあ綺麗な言葉で嫌いではないが、私からは別の時間つぶしを提案しようと思う」
こちらの心情を察することなく、ワイズモンは先ほどのように顎を手に乗せて机に肘をつく姿勢でそう告げる。お気に入りなのだろうかと考えそうになったが、掘り下げるのは余計に時間が掛かりそうなのでスルーする。
「さて、その三冊の本と同様のものがここにもう一つある」
そう言いつつ、右手で顎の真下にある紫の本を取って掲げる。改めて見せつけられると分かるが、表紙のデザインもタイトルのフォントもまったく同じで、ただ色が違うだけだと思い知らされる。
「三冊の本はそれぞれ君たちの仲間三組の神器の在処に繋がっていて、それを手に入れるために彼らは奮闘している。――では、この本は何だと思う」
「……真治とダイルモンか」
「御名答」
真実よりも、答えながらもあまり動揺を見せない自分自身に三葉は驚いていた。これも先ほどまでの流れでワイズモンが完全に自分達の味方ではないこと、一筋縄でいかない相手ではないことを嫌でも理解していたからだろう。
「で、俺達に奴らの手伝いでもしろっていうのか? ――それとも逆に殴りかかれとでも?」
「いや、君達の好きなようにすればいい。まあ、前者はあり得んだろうが」
左手で頬杖をついて右手で本を振る様はやる気のないけだるげな姿だが、電球のような目にはなんとなくこちらを試すようなものが感じられる。
「試験途中に介入させるのは役割に反するんじゃなかったのか?」
「あくまで途中なら。君たちのお仲間より少し早く彼らは入場したから、もう試験は終わってるんだ」
「出遅れてたか~」
真治たちがあんな不安定な様子なら先に神器を手に入れられると踏んでいたのだが、こちらにハプニングが重なったことが大きかったのだろう。多少見通しが甘かったか。
「待て、じゃあ真治達は神器を回収したのに、まだ本の奥にいるのか。なんで?」
「ああ、確かに彼らは試験を乗り越え、神器を我が物にした。けどね、その後彼は記憶の不整合等であまりに不安定な状態になってしまったんだ」
そういえば神器は十年前巧達が遺した結晶だとクロックモンは言っていた。ならば、その中に彼らが失った十年前の記憶が含まれていてもおかしくはない。さらに、その記憶が元々不安定な現在の真治に半ば強引にねじ込めば、精神状態に多大な影響が出るのは必然と言える。
「こちらとしてもこの段階で野に放して問題を起こされるのも不本意ではない。また、君たちの最終決戦とやらをこんな街中でやられても困るので、一つ考えたのだ」
ワイズモンの電球のような目がわずかに細くなったからか、見えないはずの口角が上がっているようになんとなく見えた。意味ありげな笑みを浮かべた――ように見える――まま、彼は右手で紫の本を指差して告げる。
「君達の最終決戦をこの本の先の小世界で行ってもらおうと思うんだ。で、さっきの話と繋げると、君達が望むのなら先に行ってもらって、彼らとドンパチやってくれてもいいってこと。――まあ、行かなければ予定通り君達全員で真治達と戦うことになるだろうね。で、神器を手にした先輩達が意気揚々と前に出て戦う、と。それを君達が望むのなら、ゆっくり決戦の準備でもしておけばいい。嫌なら殴り込みを掛ければいい」
これで凡そのことは話したという風に、また手に顎を乗せる姿勢を取り、こちらの反応を伺う。
「煽っているのか、あんたは」
「決めるのは君達自身だ。そう思うのならそう判断してくれて構わない。が、私個人の意見としては君達自身が倉木真治とダイルモンをどう考えているのかを、決断の最も大きな基準としてほしい」
こちらを見定めるようなワイズモンの目。それで彼がすべての判断をこちらに委ねていることを理解した。どの選択を選んでも避けられぬ真治とダイルモンとの戦い。要はその場に誰が馳せ参じ、決着をつけるかということ。その判断で大きなウェイトを占めているのは相手について。だから今一度彼らについて考え、その上で決断を下すのも悪くない。
倉木真治は十年前の英雄という点で巧と同じではあるが、初対面がデジタルワールドであるために彼よりも著しく親密度は低い。共に行動していた期間も短く、実際に共闘したのもたった一度だけ。そんな彼らが闇に飲まれたか何だか知らないが、敵に回ったところで助けようとするのもよく考えたらあまりに自分達らしくないお人よしな考え方だ。
要するに一也も三葉も、充や葉月がそうするようにしたからそうしようとしただけ。そして、その二人も巧が真治を思って苦しみ、彼の救済を望んだから付き合っているだけだろう。盲目的に従っていても、二人が純粋な善意だけで動かないのはしっかり理解している。
「……そうだった」
なんだ。結局心から真治とダイルモンを助けようとしているのは巧とデジモン達だけではないか。馬鹿にされたり、酷い目に合ったりしていても、結局この集団は巧を中心に進んでいたのだ。彼が望んだから連鎖的に自分達の目的もそうなっていただけ。実際のところ、やはり倉木真治には一也も三葉も何も特別な思いを持っている訳ではなかった。むしろ、敵となって充と葉月に危害を加えようとする姿勢から、倒すべき相手として認識するのが当然だったのだ。
「結局俺たちはそんなものだったんだろうな」
両手を腰に置いて上を向き、一也は観念したようにそう呟いた。おそらくワイズモンはこちらの答えが分かっていた上で話を持ち掛けてきたのだろう。とことんむかつく相手だが、ここは乗ってやろう。
パートナーと視線を交差させこちらの意思を伝える。彼は「やれやれ」と言わんばかりに溜息を一つついていつもの呑気な笑顔を返す。何にせよ死ぬ気でやらないといけない相手だと理解していたのだろう。
三葉と視線を交わす。彼女の相棒も出来るなら少ない損害で真治とダイルモンをなんとかしたいと考えてくれたようだ。
「いいぜ。巧には悪いが先に真治と決着をつけてやる」
「……先輩に手は出させない」
告げた答えは間違いなくワイズモンが予想していたものだろう。何も思わない訳でもないが仕方のない些事だと割り切って、一歩踏み出す。
「オーケー。君達の覚悟は理解した。武運を祈るよ」
これ以上挑発することなく、ワイズモンは紫の本を徐に手に取って、こちらに向けて開いた。
その瞬間に開いたページに開く小世界への門。小さな竜巻を起こしながらそれは挑戦者達を準備を整える間も与えずに飲み込んだ。後に残るのはワイズモンの挑戦者に向けた聞こえるはずのない言葉。
「でも、私は言ったはずだよ。焦りは禁物だと」