一方、充はホールの上座にある玉座に座らされていた。ホールと言っても玄関のそれよりは広く、言うなればダンスホールに近い。外観の規模から考えると、おそらくここは二階なのだろう。さしずめ一階のホールは客人を迎え入れるためのもの、そしてここは客人をもてなし友好を深めるためのもの、と言ったところか。
自分はその広大な舞台を見下ろす形になっているが、四肢は強固なベルトか何かで固定され、むしろ奴隷か囚人になった気分だ。よく見るとホールの入り口からこの玉座まで赤い点がぽつぽつと落ちていて、それがさらに自分の立場を思い知らされる要因に思えた。
さて、シンと静まり返ったこの広い場所で、自分を攫ってきた誰かさんはいったい何をさせるつもりだというのか。
「起きたか。悪いが、しばらく動かないで、次の客人を一緒に待ってもらうぜ」
どうやらその誰かさんが声をかけてきたようだ。頭だけ動かして声の方向を向くと、そこには派手な衣装を纏ったデジモンがいた。
シルエットは人型を象っているが全体的に妙に細く、四肢を始めとして鋭利な刃が印象的。赤を基調とした衣装も、ひらひらと舞う袖も相まってより目を引いていた。
「君が二人の吸血鬼デジモンのうちの一人、ということでいいのかな?」
「んん……多分、そうなんだろうな。俺も一応吸血鬼ではあるし」
充に返答しつつ軽やかなステップを踏む姿は一種の舞のようで、この舞台では妙に様になっている。美麗でありながらどこか危険な香りがするその様ならば、確かに吸血鬼らしいとも言えるか。
「で、その吸血鬼様があの蝙蝠の群れに紛れてわざわざ僕を攫ったのはなぜかな? 僕の血でも吸うつもりかい? ――それとも人質か、あるいは餌かい?」
「ああ。ま、そんな感じだな。同朋の方に全員持ってかれると困るからな。俺も多少は構ってもらいたいわけよ」
同朋というのは蝙蝠を放った輩のことだろう。そいつも目の前の吸血鬼と同じように誰かを攫ったと考えるのが妥当。蝙蝠の群れももともとそのための手段だったのだろう。ほとんど直観だが、その攫われた相手も充にはおおよそ予想がついていた。
「まったく兄妹揃って情けないことだね……」
「余裕あるな、お前。そういうの嫌いじゃないがな」
「わざわざこっちの味方を招いてくれてるんだ。なら別におかしくはないだろ?」
こんな状況でも弱みを見せずに飄々と振る舞えるのは充の強みの一つ。だが、別に本音を言っていないわけでもなく、素直にありがたいのも事実。確かに情けない状況ではあるが、自分だけではどうしようもないのは認めざるを得ない。――だが、それは裏を返せばそれほど味方の力を信頼しているということ。
「それにこれはいい機会だ。……忠告しておくよ。あまり調子に乗ってると手痛いしっぺ返しをくらうから」
その直後、厚さ十センチほどの大きな板が前方から飛んでくる。吸血鬼の方に一直線に向かっていたが、彼が最小限の動きでかわしたことで板は充の真横の壁に激突。派手な音を出しながらそのまま床に落ちた。
その板は妙に豪華な飾りつけが施されていて、よく見れば不自然な突起物があった。つまり、これはドアだったのだ。
視線を正面に向け直せば自然と表情が綻んだ。いや、不敵な笑みが浮かんだ。彼自身も、それが今の状況には不釣り合いなものだとは分かっている。だが、それでも今の状況がピンチというよりもチャンスのように思えて仕方がなかった。
そこには不機嫌そうな表情の後輩とそのパートナーがいたからだ。さらに生意気そうな小悪魔に風格のある烏天狗もいれば、状況を変えるには十分過ぎるくらいだ。
「待ちかねたぜ。それだけいれば存分に技比べを楽しめる」
「……先輩をさらったのはあんたか?」
「あ? 分かりきってることを今さら言うのか。分かれ道で間違えないように血でわざわざ道標まで残したくらいなんだから、それくらい察してくれ」
いつもより幾分か低い声は彼女がそれだけ感情を抑えているということ。言い換えれば、それだけ感情が昂っているということだ。当然、吸血鬼はそんなことを知りはしない。
「……ねよ…………よ」
「ん? それよりさっさとおっ始めようぜ。こっちとしては、久々の来客にはそれ相応のおもてなしをしたいんだよ」
ぼそぼそと呟くのは限界を突破し、抑えられなかった感情が漏れだしているということ。言うなれば嵐の前の静けさ。勿論、吸血鬼はそんなことは知らない。
「死ねよ。今すぐ死ね。いや、私の手で今すぐ殺してくれる! 腹をかっさばいて内蔵を一個一個丁寧に焼いて消し炭にしてくれるわ! 決して楽に殺してやるものか。生き死にの狭間で何度も地獄を味わせてやる!」
血走った目で三葉は抑えきれない憎悪を言葉の弾丸として浴びせる。その容赦ない内容と、それを実際に行いかねない気迫にこの場の全員が気圧された。というか、ぶっちゃけ引いていた。
「三葉……さん、お怒りになるのも分かりますが、ここはどうか少し抑えてください。せめて充さんをお助けしてからにしましょう」
「安心して。まだ何もひどいことはされてないからさ。大丈夫だから」
「……分かりました」
トゥルイエモンと充が宥めてとりあえずは落ち着いたが、またいつ暴走するかは分からない。改めて難儀な性格をしていると再確認させられた。
「まあ、待てよ。この少年なら返す。てか、好きなタイミングで勝手に回収してくれりゃいい」
「……どういうこと? 目的は?」
吸血鬼の妙な提案に三葉は敵意丸出しで睨み付けるが、そこに以前のような苛烈さは感じられない。物事の分別がつき、理性的に質問できるくらいには冷静になったようだ。
「なに、ちょっと遊んで欲しいだけだ。言ったろ、技比べがしたいって」
友達に話しかけるようなフランクな口振りで話す吸血鬼の言葉にいやらしい悪意は感じられず、無邪気な子供のおねだりに近い印象を受けた。だが、それが逆に、抜き身のナイフのような無垢で純粋な攻撃の印象を与え、トゥルイエモンたちの警戒心をより一層高める。
おそらく彼のその言葉に嘘はない。仮に嘘を吐いていれば即座にカラテンモンが悟りの力で看破して、何らかのアクションを見せるはず。だが、カラテンモン自身は仲間に耳打ちすることもなく、むしろ堂々と前に出て、吸血鬼に視線をぶつけていた。
もう一人、同じように前に出る者がいた。この場で圧倒的に小さな彼は、今回の依頼者であり目の前の吸血鬼の友だったインプモン。
「そうやって面白そうだからと色々なことに首を突っ込むのは変わらないな、ドラクモン」
「あ、なんだと糞チビ。悪いが俺は強い奴に興味があるの。もし強く進化したんなら相手をしてやるが、今はお前なんざ眼中にねえ。大人しく視界から失せろ」
久しぶりに交わす言葉は、片方は親しく、片方は辛辣なもの。それが今のインプモンとマタドゥルモン――インプモンはドラクモンと呼んでいた――の距離そのままを表しているように思えた。
「インプモン、思うところはあるだろうが今は堪えよ。奴の頭にあるのは単純な闘争本能と戦士としての欲くらい。奴は小生が相手をするから、先に充殿を回収しておいてくれ」
「ああ……分かった」
「そちらもそれでよろしいな?」
「上等。寧ろ最初にあんたを相手に出来て嬉しいくらいだ」
細身の双剣を構えて黒翼を少し広げる烏天狗の姿はいつも以上に頼もしく、歴戦の戦士に相応しい表情をしていた。その姿をじっくりと観察する吸血鬼も彼の実力を理解し、ほぼ無意識のうちに狂暴な笑みを溢す。
「さあ、始めようじゃねえか。俺はマタドゥルモン」
「小生はカラテンモン。推して参る」
互いの名乗りを合図に二人の完全体は一気に肉薄。互いの刃をぶつけ合い、血に飢えた獣のような表情で睨みあう。どうやら吸血鬼ーーマタドゥルモンだけでなく、カラテンモンの方も無意識のうちに興奮していたようだ。
一対一の決闘。一応は武闘派で、自己の研鑽を怠らなかった身としてはそれも必然。野蛮だ何だと言われようとも、決して譲れぬ戦士としての誇り、そして内に眠る猛き本能を揺さぶられれば仕方のないこと。
烏天狗は今、一戦士として目の前の吸血鬼と相対していた。