第十六話「妖精の美姫」② | 秘蜜の置き場

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 金城葉月は昔から兄である充が好きではなかった。
 頭もよく運動もできる。性格もルックスも二枚目。絵にかいたような天才であり秀才で、理想の男性のような存在だったが、葉月にとってはそれが憧れであると同時に、嫉妬の対象でもあった。
 葉月自身、頭もよく運動もできた。ルックスも良かったらしいし、性格だって下手な対応に出なければ上手く繕うことはできる。
 だが、それでも数年に一人などの天才ではなく、ひたすらな努力と工夫を積み上げたただの秀才止まりだった。
 だからどれだけ努力しても届かない。あちらが才能にかまけて怠けてくれればよかったのだが、残念なことに努力する天才でもあったので、常に自分の前を走っていた。
 自分でも分かっていた。どれだけ頑張っても兄には勝てないことは。――だから、充と比べられるのは吐き気を催すほどに嫌だった。
 だが、周囲の人間はそんな彼女の思いと裏腹に無意識に比べてしまう。比較されたくない対象が嫌でも自分と近くなる兄妹という以上、さらにその兄が才能に満ちていれば、自然にその妹として視線を向けられ、そして比較される。
 影で努力を重ねたのは、そんな視線から自分を守るためでもあった。比較されてあまりにも無残な結果になれば見向きもされなくなるから。――それで結果を残しても、結局は兄の存在に霞んでしまうのだが。
 そんな状況に葉月が怒りを覚えないはずがなかった。だが、公衆の面前で爆発させるわけにはいかない。
 だから公衆用の顔を作って誰もいないところで爆発させることにした。穏やかでお淑やかで、どこか抜けているようだけどしっかりしていて……そんな理想像を作って演じることにしたのだ。
 女は生まれた時から女優。演技することに自信はあったし、元から癖になっていたあの間延びした口調もあって、すぐに仮面を被ることができた。それも、その仮面が自分の本当の姿だと錯覚してしまうほどに。
 だが、それが結局仮面でしかなかったことを思い知らされることになった。




 小学三年生のある日。自宅に入った一本の電話で家族に戦慄が走った。
 充が学校の帰り道に刺されて病院に緊急搬送されたのだ。
 家族は慌てて車に乗り込み、病院へと走らせる。その間みんなが焦りと心配で頭がいっぱいだったが、葉月は同じように充を心配する一方である期待をしていた。
 ――このまま死んでくれないかな。
 充が死ねば、その分の光を自分が浴びることができる。現在の自分のスペックは日の光を浴びるには十分なほどにはある。優れた兄がいなくとも、自然に自分の方に向くだろう。
 そんな未来が頭に描けてくると自然に笑みがこぼれる。幸いずっと下を向いていたので、家族にはただ心配しているだけにしか見えない。いつもの仮面もあって、葉月が純粋な人間にしか見えていないのだから仕方ないだろう。
 不意な慣性で体が少し前に傾く。運転している父親がブレーキをかけたようだ。着いたよ、とすぐに彼の声が聞こえたので、顔を上げて車から降りる。
 病院の中に入って、母親が看護師に兄の容体を尋ねた。ほっと安堵した表情を浮かべたので、大事には至らなかったようだ。父親も力なくへたり込んで、いつもの威厳の欠片もない。
 自動ドアが再び開く。駆け込むのは昔からの知り合いである、やたら不運な少年と自分達兄妹に執着する一つ下の双子。
 その何れもが本心から心配している表情を浮かべている。自分のような脆い仮面ではなく本当の自分の感情をさらけ出して。
 だから、飛び出さずにはいられなかった。自分の仮面が剥がれてしまうのを見られたくなかったから。素直に感情を曝け出しても認められる彼らを見れるような余裕もなかった。
 駆け込んだ先はトイレ。個室の鍵を閉め、泣きながら便器に思いっきり胃の中のものを吐き出す。
 家族やあの友人たちが本心で心配しているのに、実妹である自分は車の中で何を考えていた? 
 ――このまま死んでくれないかな。
 笑わせてくれる。死ぬべきなのはそんな腐った心を持った自分の方ではないのか。
 仮面の奥にあった本当の自分はあまりにも醜く、光を浴びる資格などない穢れきったものだった。
 描いた理想像とは真逆の位置に自分は立っていたのだ。
 だが、こうしている今も兄を心配して泣いているのではなく、自分の醜さが嫌いになって苦しんでいるだけだと気がつく。結局、自分は自分のことしか考えていなかった。
 そんな自分が嫌いになってさらに嘔吐。その嘔吐の理由がまた自分のためだと気がついてさらに自分が嫌になり、また嘔吐。
 そんなループを何度も繰り返す度に自分が嫌いになる。あまりの醜さにかえって惨めに思えてくるほどだ。こんな自分がひたすら嫌いで、そんな自分を受け入れている世界も嫌いで……もう、何もかもが嫌になった。
 これ以上、醜く歪んでいく自分を見たくはない。そう思ったからか、視界から色が消えて何もかもが霞んでいく。だが、葉月はそれを受け入れつつあった。
 安らぎを与えてくれるのなら闇に落ちようが、悪魔に魅入られようが――死神に魂を食われようが構わない。
「――目を覚まして、葉月っ!!」
 不意に自分を呼ぶ声が聞こえた。
 埋没しつつある意識に直接語りかけるようなそれは柔らかく暖かく――自分を求め認めてくれるようだった。
 何かを忘れているような気がした。この糞のようなループはどこかで途切れて次の段階に行ったはず。もっと重要なことがこの先にあったはずだ。
 視界に色が戻り始める。霞みが消え、澄み切った世界が再び目の前に広がった。
 コンコンとノックする音が聞こえる。母親が心配して様子を見に来たようだ。
 一瞬対応に困ったが結局はあの嫌っていた仮面を被って応対することしかできなかった。仮面が異様に馴染んでいることを嫌でも改めて思い知らされたようだ。だが、先ほどのように吐くのだけは抑えて、素直に母親の後に続く。
 二人とも無言で充が寝ている病室へと入る。見れば友人たちはベッドの横に立って、寝てるであろう充を見下ろしていた。
 自然と足が前へと進む。友人も自然と道を開けてくれたので目的地まで辿りつけた。
 穏やかな兄の寝顔を見ると、自然と目から滴が零れはじめる。仮面を通した演技として流そうとしているわかでもないのに。ただ、泣きたくなったから泣けたのだ。
 ゆっくりと充の瞼が開き、穏やかな視線とぶつかる。
 ふっ、と軽く微笑まれた。途端、涙腺の箍が完全に外れてしまう。声を上げるなという方が無理だった。
 心から泣いたのは何時振りだろうか。今なら本心で言える。――生きててよかった、と。




 ずっと誰かに自分自身を見て欲しかった。認めて欲しかった。今までしてきた努力を。金城葉月という一個人を。
 でも、本当に誰にも見られていなかったのだろうか。――そんなことはまったくなかった。
 では、なぜそんな風にそんな風に考えたのか。――それはその方が楽だったから。兄の存在のせいで誰も見てくれない、と思い込めば、責任を負うこともなく楽だった。被害者気取りしていれば何も背負わずにいられたからだ。
 でも、それは自分を認め信頼してくれた者の思いを蔑ろにすることに他ならない。要するに侮辱と同じことなのだ。
 だから、もう捨てるわけにはいかない。捨ててはいけないのだ。
 少なくとも自分を信じてくれる仲間の思いを。ともに戦ってくれるパートナーとの絆を。
 それを守り切れなければ、本当に最低の人間になってしまう。
 自分自身を、仲間の意志を守るためにもそれだけは譲れない。
 右手に暖かさを感じる。ふと見れば、このときはまだ手にしていないはずの愛銃が。
 それを見たとき瞬時に理解した。この世界は己の記憶を元にした仮初の世界だと。そして、その世界を抜ける力はもう手にしたのだと。
 銃が緑色の光を放つ。視界一帯がその光に覆われ、世界が変わり始める。




 今度は見慣れたようで見たことのないはずの場所にいた。
 硝煙と爆風にむせ返りそうになる戦場と化した荒野。そこで、互いの武器をぶつけあう十人十色の容姿の生物たち。
 これらの状況から一つだけ断言できたことは、ここがデジタルワールドだということ。生物の中には何人か見たことのある容姿のデジモンがいたのだ。
 それは空を翔ける紅い竜。もしくは地を駆ける群青の獣。あるいは水流を放つ翠のワニ。――そして、矢を放つ美しき女戦士。
 こんな大規模な戦いは記憶にないはず。だが、どこかで経験したような感覚だけは妙にあった。
「援護しますよ」
 後方から声が掛かる。その主は人間のようなシルエットをしていたが、明らかに人間とは違っていた。無機質なその体はまさに機械人間アンドロイド。だが、感じるプレッシャーは未知の領域。敵にするとかなり怖いが、味方であるなら心強い。
 ところでこれはいつの記憶だったのだろうか。
 その疑問が浮かんだ瞬間、世界はまた緑の光に包まれて変わり始める。