第五話「激流の大鰐」② | 秘蜜の置き場

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ここは私が執筆したデジモンの二次創作小説置き場です。オリジナルデジモンなどオリジナル要素を多分に含みます。

「がぐっ? がアアアアッ!」
 黒いもやに包まれたヴルムモンが狂ったように叫ぶ。身を蝕む何かに苦しむ姿は巧の直視に堪えるものではない。同じことをスナイモンやトータモン達が経験したと考えると尚更だ。つまり、彼らと同じ現象がヴルムモンにも起ころうとしているということ。
「入ッて……来るなァ。嫌ダ。俺は、オ……れはぐガァアア……ガハァッ」
 黒いもやがデジモン達を操り暴走させる。それはヴルムモンも例外ではないだろう。このままでは必死に抗うヴルムモンの自我を呑みこみ、彼を違う意思で動く傀儡へと変えてしまう。
「ヴルムモン、しっかりしろ! くそ……」
 今ももがいている相棒のために、何か出来ることはないのか。冷静さを欠く思考で巧は必死に対抗策を探す。ヴルムモンを操ろうとするのは黒いもや。それに対する有効打を自分は持ち合わせているはずだ。
「そうだ。浄化弾」
 その有効打を見つけるのに時間が掛かった自分に苛立ちを覚える。しかし、今は自虐している暇などない。即座に目的の弾丸を選び、既に呻き声すら上げなくなったヴルムモンに銃口を向ける。後はその引き金を引くだけ。そうすればきっと相棒パートナーを助けられるはず。
「……あ」
 だが、引き金を引くことは出来なかった。偶然直視してしまったヴルムモンの瞳を見た時、時が止まったように身体が動かなくなった。
 半分瞼の落ちた、暗く沈んだ瞳。
 本当に俺を撃つのか。そう問いかけるような視線を直視してしまったことで、益体の無い思考だけが身体を置いて縦横無尽に巡る。
 俺は何をあいつに向けている。いや、この弾丸はあいつを助けるための弾丸だ。だが、これは今まで敵に対して撃っていた物だ。それでも助けるために必要だから撃った。今回も同じだ。いや、そもそも今回のヴルムモンも同じように浄化できるのか。自分の悪手のせいでヴルムモンにまとわりついた黒いもやは、他のデジモンとは桁違いになっているはずだ。それで本当に届くのか。そうだ。最初からこの洞窟に来なければよかったのだ。それを安易な善意を振りかざして、何の覚悟も無しに興味本位で動いた結果がこの様だ。
「グォオオアアアアッ!!」
 タイムアップを告げる咆哮が、迷走する思考を引き戻す。結局、巧は救済の一手を打てず、彼の迷いを産んだヴルムモンの眼は光を呑みこむ黒に染まっていた。
「邪魔者は殺、ス」
 ぎろりと見下ろして放った言葉も声音も、ヴルムモンのそれではない。最早、彼は彼であって彼でなかった。
「お前……」
 黒いもやに呑まれたヴルムモンと彼に襲われそうな自分。残酷な現状はすべて、自分の行動が招いた結果。それを理解したところで、いや理解したからこそ、巧は戦う気力も逃げる気力も完全に失せてしまった。一歩も動くことはできない巧にできることはただ一つ。それはただ自分の過ちが招いた結果を直視し、下される罰をその身を持って受け入れることだけ。
 ヴルムモンがこちらをしかと捉え、ゆっくりと口を開ける。その奥でちらちらと燃える紅の炎。ここまで何度も助けられ、導いてくれた篝火は、今この場においては罪人を焼く業火となる。
「クリムゾンバースト」
 一切の躊躇いもなく吐き出される業火。巧は逃げることなく、自分に迫る殺意をただ眺めていた。
「あ」
 だから、業火が突然目の前に出現した石壁によって消えた時、言葉にならない声が出た。
 目の前の石壁は自分の悪手で使ったものと同じもの。弾丸のルーツであるシーサモンでない限り、これは自分と同じD-トリガーを持っている者の仕業だ。当然巧自身は論外。D-トリガーは一度使った弾丸の再使用にある程度の時間を要する。もし仮に再使用できたとしても、今の巧の精神状態では使うことはできない。充達の可能性も低いだろう。ヴルムモン以上の移動速度が無い彼らが追いつけるとは到底思えない。
 ならば、いったい誰が。再び埋没しそうな思考が、認識外から齎される答えによって引き戻される。
「――何ぼさっとしてるんや、お前?」
「危ないやっちゃなー」
 訛りの強い関西弁は後方から。振り返るとワニの子供を連れた少年が居た。
 同年代の少年だろう。紺色の髪は右寄りのワンレングスで、後ろは一つに束ねている。こちらを見据えるツリ目は小賢しそうというよりも、どこか軽薄そうな雰囲気の方を強調している。
 ワニの方は彼がパートナーとするデジモンだろう。体格はリオモン達と同じくらいなので、おそらく成長期。関西弁は少年の影響なのかもしれないが、ただでさえワニが喋るという時点で妙なのに、それに上乗せするように異様なミスマッチを起こしている。
「お前達はいったい」
「話は後や。さっさと退いた方が身のためやで」
 突然の乱入者に大まかな疑問をぶつけようとするも、少年の冷静な声に遮られる。石壁に視線を戻すと、炎を抑えるのに限界が来たのか着実に崩壊が始まっているのが確かに確認できた。
「くそっ」
 慌てて背を向けて少年の元へ逃亡。無事合流を果たしたタイミングで石壁は完全に崩れ去る。
 そうして改めてヴルムモンと目が合う。その視線が「逃げるのか」と責めているようで、また思わず目を逸らしてしまう。
「なんや面倒事に首突っ込んだみたいやな。――行くで、ガビモン」
「しゃあないな、真治しんじ
 臆病丸出しの巧の横で少年――真治は腹を括る。その右手には巧達と同じD-トリガー。唯一の特徴である紫のグリップを握り、目の前の脅威に対抗するための弾丸を解き放つ。
「進化弾」
 放たれた紫の弾丸は真治のパートナー――ガビモンへと命中。瞬間、その身体を弾丸と同色の光で染め上げ、構成情報を一時的に書き換える。そして、その存在を次の段階へと押し上がる。
「ガビモン進化――ゲータモン」
 現れるは全長三メートルほどの巨大なワニ。緑の甲殻に覆われた生物的なシルエットにおいて、ドリルのように回転する銀色の尻尾が異彩さを放っていた。
「ほな、俺はこいつと話があるから後は頼むわ」
「よっしゃ、いったるで……って、ちょっと待てや!」
 ゲータモンの抗議虚しく、ヴルムモンは新たな脅威を見据えて突撃。単独での戦いを強いられることに対する恨み言を吐く余裕すらもらえそうになかった。
「あれ、お前のパートナーか」
「え、ああ」
 突然始まった自分と少年のパートナー同士の戦い。状況も理解できずに呆然と立ち尽くす巧にとって、不意の少年の問いは取り繕う暇すらなかった。口にして少し後悔したがもう遅い。少年はすべてを理解したように一つ溜息を吐き、巧を見据えて口を開く。
「なら、なおさら助けてやらなあかんやろ」
「それは……そうだけど」
 そんなことは分かり切っている。だから、浄化弾で浄化しようとした。しようとして、迷って止まってしまった。見ず知らずのデジモンにしてきたことが、一番近い仲間に対してできなかった。
「お前もこいつ、持ってるんやろ」
 少年が右手を突き出して見せびらかした物は確かに持っている。D-トリガー。グリップの色は違うが、その中に秘められた力はほとんど同じ。つまり、できることも――しようとしてできなかったこともすべて少年には筒抜けだ。
「浄化弾があれば……最低、強化弾を使って疲弊させた上で使えば、お前のパートナーは助かる」
「分かってる。分かってるけど……」
 すべて理解している。それでもあの時引き金を引けなかった時点で、巧は自分の限界を悟った。迷ってしまった。
「なら、迷うなや。お前が迷ってる間もあいつは苦しんでるんやで」
「え」
 バケツ一杯の水をぶっかけられたような衝撃だった。今本当に苦しんでいるのは誰か。自分のことに精一杯でそこまで意識が向いていなかった。
 黒いもやに呑まれたデジモンは別の人格のように振る舞うが、その間本来の人格が消えている訳ではない。トータモン達他のデジモンも、正気に戻った時に黒いもやに呑まれた間の記憶は保持していた。つまり、今現在黒いもや呑まれているヴルムモンも、自分の物でなくなった身体を内側から眺め、その所業に苦しんでいるということ。
「そうか。……そうだったのか」
 一度深呼吸をして、ゲータモンとぶつかり合うヴルムモンを真っ直ぐに見据える。その黒い眼は自分を責めてなどいない。ただ、言葉とは裏腹に苦しみを堪えているだけだった。
「俺は本当に馬鹿だ」
 結局、巧は自分がヴルムモンに危害を加えたくないがための言い訳にヴルムモンを使っていただけ。仲間に傷を負わせてでも助ける。その覚悟が持てなかった自分を隠していただけ。
「真治、って言ったな」
「ああ」
「俺は巧。刃坊巧だ。――頼む、俺のパートナーを助けるのに力を貸してくれ」
 迷いは晴れた。戦うことが罪だと言うのなら、その罪くらいは背負ってやる。今まで知らず知らずのうちに重ねてきた分も、まとめて背負って先に進んでみせる。
「よう言うた。俺は倉木くらき真治や。――行くで、巧」
 その答えに満足したように笑い、真治は手を伸ばす。その手を取ることで共同戦線は締結。真に仲間を助けるための戦いが、やっと始まる。
「トレントテイル! ……お、やっと終わったんかお前ら」
「俺のせいちゃうしなぁー」
 ゲータモンの文句を聞き流しながら、改めて戦況を把握。水流を纏う尻尾ドリルをぶつけて、バーニンググライドで降下してきたヴルムモンを上空に押し返したことから、パワーはゲータモンの方が上のようだ。それでも勝負を決めるには一手足りない。機動性と空からの強襲が可能というアドバンテージがやはり大きいだろう。
「クリムゾンバースト」
「ハイドロストリーム」
 事実、ゲータモンは防戦一方だった。真上から放射される炎は、身体ごと顔を真上に向けて口から放つ螺旋上の水流で相殺可能。この技はそのまま対空攻撃として利用可能ではあるが、本来の用途ではないため射程距離はそこまで伸びずに結局は逃げられる。
 こちらのホームへ落とす必要がある。僅かな間でも地に落とせば、この状況は覆るだろう。
「どないしよか」
「うおおおおい! ヴルムモン!!」
「っちょ、おい!?」
 さて、真治が策を思案しはじめた矢先、巧は突然大声で上空のパートナーに呼びかける。僅かでも心が残っていることを期待して叫んだのか。ロマンチックな考えだが、真治にはそれが通じるとは思えない。
「なンだ……お前ェ」
 ヴルムモンの言葉が現実を残酷に伝える。当然だ。例え内側に心があろうとも、今ヴルムモンの身体を動かしているのはそれではない。言葉一つでどうにかなるのなら、自分達が持っている武器は存在する理由が無いのだから。
「吹っ切れた思たんやけどな」
「強化弾、フライモン――デッドリースティング」
 再び巧に失望する真治だが、それはすぐに撤回が必要になる。呆れながら迎撃用の弾丸を選ぶ横で、巧は既に引き金を引いていた。それも放った弾丸は浄化の弾丸ではなく、それこそ本来敵に向けるべき弾丸だった。
「アぐグッ?」
 放たれた弾丸は針のように小さく、何の警戒心も持たずに巧の方へ進路を切っていたヴルムモンには、着弾した自覚もなかった。だが、すぐに自分が何かをされたことだけは分かった。
 急に自由が利かなくなる右翼の筋繊維。身体とそれを操る意識の間に大きなノイズが入ったような感覚。それが一過性の神経毒が齎した麻痺だということに気づいた頃には、ヴルムモンの身体は地に落ちていた。
「なんか知らんけどようやった。頭冷やせ、ハイドロストリーム」
 空中に逃げられなければ、後はゲータモンの独壇場。突然の麻痺に動揺してまともに動けないヴルムモン目掛けて全力で水流を放射。ヴルムモンは逃げることも抗うこともできずに押し流されてしまう。
「アゥ……がァ」
「ごめんな。ヴルムモン」
 流れ着いたのは巧の目の前。混乱する意識が視界から彼の姿を捉えた時、身体が強張ってまた自由が利かなくなる。できることは一つ。穏やかな瞳で銃口を突きつける巧を、自分でも何を映しているのか分からない目で見つめ返すことだけだった。
「浄化弾」
 迷いを払った一撃がヴルムモンの眉間を貫く。意識が完全に消失するほんの一瞬、巧と同じくらい穏やかな暖かさを抱いた。




「ぅあ……あぇ?」
「起きたか。身体大丈夫か?」
 寝起きに掛けられた言葉で、リオモンはやっと自分の身体の状態を自覚する。同時に、自分が気を失うまでどんな状況に陥っていたかも。
「あ……俺、お前に」
「それ以上は言うな」
 口にしかけた謝罪の言葉は巧の穏やかな声で拒まれる。すべて分かっている。そんな見透かすような目をされては、これ以上何も言えなくなる。
 結局、リオモンも巧も過ちを犯した。過去の出来事は覆すことはできない以上、できることはこの過ちを糧に活かしていくことだけ。この出来事に対する後悔はもう必要ない。
「あー……湿っぽい雰囲気はそこまでや」
 気まずい空気を断ち切ったのは真治の言葉。その視線は巧達ではなく、リオモンを暴走させたあの洞窟へと向けられていた。
「この森のデジモン達が暴走した原因があそこにあんのは分かってるよな」
「あ、ああ」
 洞窟の奥にある何か。それに軽くちょっかいを出したために、リオモンは暴走した。真治もそれは目の前の状況から理解できているだろう。その上で真治は巧を見据えてこう言った。
「今からその原因を排除する。巧も手を貸してくれへんか」




 ※2017/3/28 加筆修正