秘蜜の置き場

秘蜜の置き場

ここは私が執筆したデジモンの二次創作小説置き場です。オリジナルデジモンなどオリジナル要素を多分に含みます。

 白田秀一がトップとしてまとめる体制になったトラベラー達は未来で行動するうえで二人一組が原則となり、事前に秀一と相方にのみ時間を連絡するよう義務付けられた。事前連絡自体は恭介の際にも義務付けられていたがそれは全体の連絡網に対してのもので、互助関係から秀一に集約する形へと移行したとも言える。
 その本質は戦力の維持ではなく監視と統制にある。二名のスパイが前例としてある以上、相互監視体制を敷いたうえでルートの直属である秀一が統括する仕組みになるのは必然だった。
「なんだい、こっちを見て。君は一途だと思っていたけど」
「安心しろ。守備範囲外だ」
 そのうえでこの振り分けはどうなのかと、将吾は傍らの女子大生を半ば睨みながらため息をついた。鈴音は加入時期も自分と同じで自分よりも信用に値しない女だ。
 甚だ不本意だが繋がりを疑われていても不自然ではない自覚はある。それでも鈴音が自分に声を掛けてきたのを容認したのは自分に対する信頼なのか、それとも腫れ物を押し付けられただけなのか。未だに将吾は抜けた部活の顧問の真意を測りかねていた。
「で、何の思惑でついてきた?」
「仕方ないだろう、二人組なんだから。それとも何かやましいことでもあるのかな」
 足を止めて鈴音と向き合う。朽ちたビルの残骸の陰に隠れてから問いかけたのは無意識の配慮か。相互監視に向いていない性格と相手なのは間違いない。
「あんたこそ何を企んでる?」
 最初に遭った時から逢坂鈴音という女は不気味だった。掲げるような願いがないと嘯きながら、戦いに仕組まれた真実が明らかになってもトラベラーとしての立場に居ようとする。
「買い被り過ぎだ。性格が悪いだけのエンジョイ勢が何かを考えているとでも?」
 自分がそういう立ち位置に居るべきだと固辞しているという主張も間違いではないだろう。だが、ただ投げやりになっているだけでないことくらい分かる。他でもない将吾自身もそうであるのだから。
「質問を変えるか。――渡ももう居ないのに何を期待している?」
 少なくとも弟切渡に対して協力的であったのは間違いない。その理由が明らかではなくとも、彼女の行動においてその存在が少なくないウェイトを占めていることは明らかだった。だからこそ彼女の真意を明かさないスタンスも許容できていた。
 だがその相手がいない今、彼女の目的は彼女自身に問うしかなくなってしまった。そしてそれを素直に吐くとは将吾自身も思ってはいない。
 意固地になるなら力づくで。最悪戦力を減らすことになろうとも、不確定要素を排除するのは相互監視体制の証明という手土産としては十分だろう。
「その前に……お客様のようだよ」
 あくまで話すつもりはないらしい。ただ話を逸らすための下手な嘘でもない。視線だけで促す先には確かに、将吾と話すだけの理由がある相手が居た。ただ話し合いだけでどちらかが譲歩するような相手ではないだろう。
「……寧子ちゃん、どうしてここに?」
「なんでだと思います?」
 骨の怪物の背に乗って降り立った寧子の視線は彼女の存在を明示した女を向いていた。完全体デクスに乗って同行してきた同年代の少女は以前の大戦でグランドラクモンの傀儡を操っていたという少女と特徴が一致する。あの戦いで使い潰してくれたのが今この状況においては幸いだった。
「裏切った……って訳でもなさそうだな」
「安易に解釈しないのは優しいね。……話し合いでも何でも早く済むならそれがいいだろう」
 ここに来て趣味と性格の悪さを表に出してきた理由を探る時間もない。言葉通り受け取るのなら彼女の意図はひどく親切なものになる。
 目の前には互いに退場させたい相手。将吾としては鈴音を積極的に頼れないが、彼女は標的の抹殺を最優先にはしないだろう。寧子とともに来た少女は一対一でやりあえば脅威にならないスペックのはず。
「聞き飽きましたけど、退く気はないんですよね」
「それはこっちの台詞なんだが……仕方ない、か」
 向き合って交わす言葉も定型文のような確認事項だけ。互いに譲れないことが分かっている以上、無駄な言葉はもういらない。将吾も寧子も乾いた笑顔を張り付けながら互いの敵意を解き放つ。
 骨の怪物の雄叫びとともに地を這うように伸びるのは絶望へと誘う黒の冷気。骨身に凍みる痛みを知る武者龍は滝を昇るように空へと奔り、怪物の真上を陣取る。
「ええ、本当に――仕方ないですね」
 その瞬間、黒い疾風が吹いた。――そして、龍の目の前で爆ぜた。
「――おいおいおい話が違うじゃねえか。どこまで計算づくだ、え? 眼鏡の姉ちゃんよ」
「さてね。残念なことに私達は信頼されていないらしい」
 爆風から顔を出す黒い大甲虫の上で黒木場秋人は急襲の失敗を笑い飛ばす。自慢の二つの牙と頭部の外殻には十数もの弾痕に似た焦げ跡が刻まれていた。
「カタギの女に絡むのはみっともねえぞ。どうせなら俺と遊んでくれよ」
 黒衣の射手――アヴェンジキッドモンのビリーに連れられる形で現れたのは契約相手である射場正道。トラベラーの中で本質的に最もガラの悪い男であり、最も仲間に対する義に熱かった男。そして、誰よりも巽恭介を慕い、最期まで彼の真意に付き合おうとした男。
 彼が睨みつけるのはただ一点。また仲間を殺そうとした野蛮な害虫だけ。黒木場秋人は――その契約相手であるグランクワガーモンのクロムは、恭介の契約相手であるマメゴンの首を落として彼の命を詰ませた相手だ。
 将吾と鈴音をマークするように言った新たなリーダーも、それを利用して裏をかこうとした相手の対抗戦力として使わせた鈴音も今だけは許せた。絶好の機会が目の前に転がってきたのだから。




 どうしてこうなった。何故ここまで何もかもうまくいかない。考えが甘かった。その一言がすべてで、それ故に何一つ言い訳ができない。
 将吾を退場させる機会に飛びつく形で寧子は鈴音の提案に乗ったが、最初から彼女の指示に従うつもりはなかった。鈴音が騙すつもりで伏兵を仕込んでいる可能性は考慮していなかったわけではない。ただ白田秀一の旗下となった今の集団では、明確な願いを持たない彼女に対するスタンスは遠目から見ても冷めていた。たいした援軍は確保出来ない。秋人なら簡単に食い破れる程度の敵だろうと高を括っていた。
 だが鈴音は自分の状況と立ち位置を把握したうえで、一番熱く秋人やリタに執着する男をぶつけてきた。こうなれば短期決着は不可能。三対三の乱戦は想定しうる限り最悪の状況だ。リタを連れてきたのは、鈴音が警戒をせず将吾が狙いにくい、現地の未来人という揺さぶりに使えそうな存在だったから。だが、射場正道は違う。彼女に殺意を向けるには十分な、復讐という筋の通った理由が存在している。
「俺らと遊ぶんじゃねえのか。そのツラでそこの二人を狙うのは洒落なんねえぞ」
「敵として認めてやってるんだよ。過保護は結構だが、おめえの見た目も大概だろうが!」
 今は秋人とやり合うのに手が取られていて、こちらに流れ弾が飛んでくることもない。当然それは偶然の連なりの結果ではなく、秋人が即座に組み立てた道筋に沿って状況が運ばれたため。
 互いを敵として認識した直後、ノータイムで秋人はクロムごとビリーに突進。ビリーが躱す間もなく数十メートル先に押しこまれたところでその甲殻が爆発。逃げるように上空を翻るクロムに対して、ビリーは掌に灯した魔弾で追撃の意思を真正面に示した。
 それを避けるどころか射線上に入ったのは、その先に寧子達が居たから。数発の弾丸を真正面から受け止めた結果、黒鋼の如き甲殻には見過ごせない歪みが生まれた。だがそれこそ必要経費だと秋人は笑ってクロムは牙を鳴らした。
 拍子木のように三度打ち合わせた後、二つの牙の間に形成されるのは空間を歪めたような黒い渦。ゾーンブラックホール――名前通りの極小のブラックホールはガンマン相手では単純な盾よりも有効な盾となる。これでビリーはクロム以外を狙うことが各段に難しくなった。
 一方、必要経費分だけ継続時間の長いブラックホールを設置したクロムは一転攻勢に走る。遠い区間のヒットアンドアウェイではなく、短い区間で軌道を何度も変える熾烈な猛攻。その様は空を飛び回るというよりは空に立って体を捌いていると言った方がいい。虫相撲の概念を数メートルのスケールに拡張し、そこに人の構えを組み込んだような無駄のない落ち着いた佇まい。そこから最小限の動きで繰り出される牙の連撃は槍や薙刀などの長物の使い手を想起させた。
 対してビリーの戦い方は人型でありながら本能に任せた獣じみたものだった。絶えず両手の魔弾を放ちながら敵の攻撃を跳ねるように逃れ、その荒々しい動きで振り乱す弾倉の小型マシンガンの射程圏内に入れば自動的に発砲する。パターン化しやすく読まれやすい動きになっても致命的な隙を晒さないのは正道の監修のもと一定の距離感を維持しているためだろう。敵の獲物から百二十センチメートル。ブラックホールが展開されてから数度のやり取りで掴んだ間合いに間違いはない。そのための代償は相応に鋭く痛むものではあったが。
「……責任取らなきゃ」
 秋人が正道を抑えている現状は寧子にとって幸いではあるが、喜べることではない。引き剥がしてくれた上でブラックホールでこちらへの流れ弾を遮ってくれている。だがそれは速攻で仕留められる余裕はないと判断しての次善策。目論見が外れた現在のマッチアップでは戦力差は一目瞭然だ。
「俺相手によそ見か。随分余裕そうだね」
「皮肉ですか。優しくしてくれてもいいのに」
 目の前には言い訳が通用しない状況ともう温情は期待できない相手。空を泳ぎながら急襲と離脱を繰り返すヒシャリュウモン――月丹の動きには一切の強張りがない。
 既にある程度耐性がついたのか、冷気に浸っていられる限界値を見極められるようになったか。いずれにせよ大胆なまでに強気な攻め手は黒い冷気ごと恐怖という弱さを吹き飛ばす。
 右翼、後背、左肩、左後ろ足、顔面。断続的に空から振り下ろされる刃は退路を断つように四方八方から斬りつける。ヒシャリュウモンの技――簡易化した成龍刃と縦横車の合わせ技。前者を全身を刀とするのではなく尾だけをその刃に形状変化させるアレンジを行い後者の軌道で畳掛ける。一撃一撃は必殺の一撃には及ばずとも、柔軟な機動性で振るわれる乱舞は着実に骨の身体を切り崩していく。
 タマと月丹。互いの武器はその身を活かした肉弾戦のみ。そうなれば空での立ち回りが身軽な月丹に軍配が上がるのは必然だった。
「確か……リタと言ったね。ここは穏便に戦況を見守るのはどうかな?」
「どの口が言うのよ、陰険女。アンタの印象だけはあのクソ神父と意見が合うわ」
「フホンイダケドドウイ」
 遠距離での援軍を頼ろうにも、それこそリタが駆る量産品のデクスでは鈴音のキャノンビーモン――アハトの専門性には圧倒的に劣る。初手で片翼を、次いでもう片方を焼き払われて、四肢で地を蹴るしかできない様がその証拠だ。それでもリタとデクスが早々に退場していないのはあしらう程度に留めているからに過ぎない。そもそもアハトは未だにコンテナを一度も開かず、レーザー砲の火力も弾数も序盤の二発を除けば明らかに手を抜いている。
 こちらとの距離が空いていないのは月丹への誤射を避けるためだろうか。そもそもなぜそんな位置取りをしているのか。彼女の目的は分からずとも、今の立ち回りの意図は推して知るべしだ。
「……そういうこと、ですか」
「どうした? 何か気に入らないことでもあったか?」
 振り下ろされること八度目の大太刀。左の骨の翼にひびが入るほどの衝撃に後ずさった一メートル後方には、気の抜けた光弾を避けるデクスとその背で唇を噛むリタ。――この現状こそが将吾と鈴音の二人の思惑の擦り合わせの妥協点。
 将吾はあくまで寧子との一対一での決着を望み、鈴音も真意は分からないが寧子をわざわざ誘い出す程度にはそれを支持している。ただ立場として傍観を決め込む訳にもいかず、リタを相手にしながら寧子の視界に彼女が存在するように誘導している。
「分かってますよ」
 リタに意識が向けば向くほど、寧子は自分の考えの甘さと向き合わされて集中力を欠いていく。それこそが二人の狙い。
 はっきりいって、今のリタは足手纏いだ。だがついてくるように誘導したのは寧子だ。期待していたのも戦力面ではなく、将吾への揺さぶりと秋人を伏兵とするためのカモフラージュ。リタはきっと、すべて分かったうえで策とも呼べない無謀な話に乗ってくれた。
「もったいないことをしたってことは」
 だからこそ、こんなところで無駄死にはさせられない。こんな無意味に使い潰させはしない。責任を取るということはそういうこと。無茶な提案が発端ならば、別の無茶を通して辻褄を合わせるまで。
「だからもう、取りこぼさない」
 過ちを認めたから自分の気持ちに素直になれる。素直になれたから、落ち着いた思考で自分の手札を正確に把握できる。
 切り札は自分の奥底に眠るもの。確信を持って掴んだそれは藻のような感触をしていた。

 ――ごめん。リタ、戻って。

 X-Passで秋人とリタに伝えるのは端的な謝罪と簡素な指示。即座に交わすリタとの一瞬のアイコンタクト。呆れたような、諦めたような表情に返すのは、道を間違えたのを詫びるような表情。それを合図にリタは行動を反転させる。
「おや?」
 鈴音の声に珍しく純粋な疑問符が乗る。それもそのはず。これまで勇敢に挑んできた相手が、突如こちらに背を向けて飛び出したのだから。お手本のような敵前逃亡。戦闘中の血気盛んな印象から臆病風に吹かれたという可能性はゼロ。理性的な思惑が存在する一手だと認識したうえで、鈴音は至極面倒くさそうに右手を挙げる。
「こちらにも体面があるからね。仕方ない」
「ウスッペラダケド」
 一斉に開くアハトのコンテナ。リタのデクスのみが離れるのであれば、誤射による巻き添えの心配もない。自ら危険地帯に足を踏み入れた思惑を明かすべく、ミサイルは一斉にインタビューを申し込む。
「……あらら」
 だが、それらはすべてリタの背を追うことすら許されない。アハトの右方八メートルに突如出現した黒い空間の歪み。渦のように回転しながら進路上に存在する軽量な飛来物をすべて食らいつくすそれはさながら極小の黒い台風だ。
「あいつにはケツを蹴ってもらわにゃなんねえからな」
「意外な趣味してんるんだな。代わりに蹴ってやろうか」
「俺のじゃねえよ、バーカ」
 指向性を持ったゾーンブラックホール。正道とビリーを振り切れないと判断した秋人は即座に追撃するであろうアハトへの対策として味方を守る盾の応用をアドリブで形にしてみせた。
「なら、仕方ないね」
「ナラ、ソッチガアワセテ」
 だが、アドリブである以上は詰めの甘さを隠しきれない。秋人も自覚しているその事実を逃すほど、逢坂鈴音は甘くない。
 渦の軌道を予測し、アハトは主砲の射角を調整。けん制程度に小出ししていたエネルギーを本腰入れてフルチャージ。渦に引き寄せられない直進性を担保するため限界まで圧縮する。
 狙うは赤い獣竜の身体の中心、その一点。性格に射貫けるタイミングを見計らうため、鈴音はアハトとのリンクを一際強める。――この瞬間、彼女の認識から余計な情報がそぎ落とされてしまった。
「――撃て」
 それは空を両断する青い稲光。大気を裂く轟音と目の覚めるような閃光の果てに、そのすべてを受け止める者が居た。
「――感謝しますよ、鈴音さん」
 それは骨より固く厚い鋼の肉体を持つ古代獣。大地に眠る金属成分を血肉と変えたブロンズの表皮を彩るのは気高い蒼銀の毛並み。王者の風格漂う翡翠の瞳の下には研ぎ澄まされた剣のような大牙。
「あなたのおかげで私はもっと素直になれた」
 その種の名はディノタイガモン。無邪気に飛び回る風を装いながら、暗い冷気に閉じこもっていた大野寧子の剥き出しになった我儘の結晶。一層逞しくなった彼女の笑みにはその背に乗るに相応しい黒い炎がちらついている。
「それはよかった。こっちも無駄な殺生をせずに済んだよ」
 嫌味が十割の感謝をぶつけたところで鈴音は意に介さない。この進化も許容範囲なのか、或いは彼女にとっても実りのあるものだったのか。それは寧子には分からないし、そんな些事はどうだっていい。
「素直ついでに白状します。――私、割り切るのが上手いんじゃなくて、単純にいい子じゃなかったんです」
 鈴音に伝えるべきことがあるとすれば一つだけ。それはいつかの問いの答え。本音を殺意でごまかした結果、月丹の覚醒を促して将吾に覚悟を決めさせてしまったあの日の清算。
「お姉ちゃんが死んだとき、本当に悲しかったし、どうして置いていったんだって思いました」
 将吾と寧子のトラベラーとしての動機の発端は大野大河の死。恋人と姉という関係性は違えど、共通の身内を失った悲しみは同じで、それを分かち合うために同じ時間を過ごしたこともあった。
「――でも、チャンスだとも思いました」
 ただ受け止める重みは僅かに、だが明確な線引きになる程度には差があった。どんな形であれ喪失を埋める感情があったからこそ、寧子の方が先に大野大河を喪失した前提での行動が取れたのだから。
「気づいてないかもしれないですけど――私、将吾さんのことが好きだったんです。それもお姉ちゃんと付き合うずっと前から」
 それは憧れから始まった淡いだけの好意のはずだった。近所というほどではないけれど集団登校で一緒になる程度の位置関係のお兄さん。最初は人相も悪くて少し怖かったけど、それすらも盲目的に愛おしく思える相手。
 五歳の頃、姉の後をついて行こうとして迷子になったとき、下手な芝居で偶然見つけた振りをして背負ってくれたことを今でも覚えている。その時芽生えた感情を意味する言葉を知るのはもう少し後になってからだったけれど。
「分かってます。私だけじゃ接点は薄いし、私だけじゃ一緒の時間を過ごすこともできない。だからお姉ちゃんを選んだことに文句はなかったはずだし、コバンザメみたいにくっつけば邪険にもされなかった。二人とも優しかったから」
 あの日からぶっきらぼうでときどき苛烈だけど、優しくて真っ直ぐな背中を見てきた。それだけなら許されると思い込もうとした。本当はそれ以外も見たかったし、さらに欲を言えば寧ろ自分を見て欲しかった。でも、それが叶わなくても仕方ないと素直に笑えた。――好きなお兄さんの恋人でいるお姉ちゃんも素直に大好きだったから。
「お姉ちゃんが死んで、悲しくて、でも私以上に悲しんでいる人が居て……今度こそ傍に居たいと思った。――代わりに傍に居られると思った」
 それで満たされていたのに――満たされていると思い込めていたのに、誰も望まない形で空席ができてしまった。そんなふうに見えてしまった。
「でも、お姉ちゃんが居た場所は私の居場所じゃなかった」
 みっともない欲をかいて、惨めな現実を思い知ることになったのは罰だろう。空席だと思っていた場所は致死性のガスで満たされていて、割り振られた部屋番号は既に永久欠番になっていた。
「将吾さんって本当にお姉ちゃんのこと大好きですよね。胡散臭い話に縋ってこんなところまで来ちゃうんだから。そこまでされたら放っておけないじゃないですか。……許せなくなるじゃないですか」
 将吾の後を追って同じ資格を得たとき、愛おしい親近感と力になれる高揚感は確かにあった。しかし、一方で未だ彼の内で占める姉の存在の大きさに呆れたのも事実だった。だが、何よりうんざりしたのは一番欲しいものは絶対に手に入らないことが分かっても彼の後を追ってしまう自分自身だった。
「そんなの羨ましいに決まってるじゃないですか! 恨めしくなっちゃうじゃないですか!」
 いつから自分は姉への嫉妬を自覚したのだろうか。いつから明るく優しかったはずの姉の顔を思い出すと吐き気を催すようになってしまったのだろうか。
「初めて将吾さんと戦った時に鈴音さんが言った通りです。――私は最初から、お姉ちゃんを生き返らせたいなんて思ってなんかいなかった」
 生きていてほしかった。死んでほしくなかった。それでも、都合よく生き返ることだけはどうしても許せなかった。自分では埋められない穴ならいっそ最後まで空いたままでいてほしいと思ってしまった。
「レジスタンスに鞍替えしたのだって都合が良かったからです。未来の大多数を敵に回すなんて諦める口実としては十分でしょう。……同じ考えならよかったのにって何度思ったことか」
 これがトラベラーとしての大野寧子がずっと抱えていた本音。なんてことはない。逢坂鈴音のことも霞上響花のことも馬鹿にできない。叶えたい願いなどない癖に自分の突発的な欲を通そうとする身勝手な侵略者でしかなかった。
「でも今はもう違います。……レジスタンスと行動をいっしょにし過ぎたんですかね。完全に染まっちゃいました」
 それも昔の話。怪物が跋扈する未来の世界で逞しく生きる人々を見てしまった。彼らのために戦う同じ時代の人々を見てしまった。
「嘘っぱちでも誤魔化しでもない、今の私の願いはリタ達を……みんなを守ることです。たとえそれで椎奈さんの後を追う真似になってもきっと後悔しない」
 いつしか同じようになりたいと思うようになった。淡い憧れの対象は変わり、揺るがない自分だけの信念になった。
「ごめんなさい、将吾さん。――もう、お姉ちゃんのことなんかもうどうでもいいんです。だから、今度こそ私の手で諦めさせてあげますね」
 自分の手で倒して元の日常に帰す。それが好きな相手――好きになってほしかった相手に今の立場でできる最大限の献身。好意の質はともかく将吾も同じ目的で誘いに乗ってくれたのだから、お互いに納得できる流儀で決着をつける。
 結局のところ、その一点だけは何も変わっていない。ただ、今はそこに掛ける思いと力が増しただけ。
「ご清聴ありがとうございました。――おかげで今回はちゃんと守れた」
「礼を言うには私達へのプレッシャーが強すぎるね」
 長話の間にリタを乗せたデクスは既に戦場から姿を消していた。信頼できる彼女なら身体を張って逃がした意味も理解しているだろう。その答えが提示されるより早くこの場を収めるつもりではあるが。
「寧子ちゃん、俺は――」
「説得は無意味だって分かってるでしょ。最初から答えなんて期待してませんし……ただ、お姉ちゃんのことだけは諦めてください」
 顔を伏せる将吾の言葉を遮るように新たな身体を得たタマが動き出す。上空で見下ろす月丹とアハトにとって、その逞しい肉体も近接攻撃の手段しか持たない以上は脅威となることもないはず。だが、放置すればクロムと合流されてビリーが追い込まれるだろう。トラベラー側の貴重な究極体をここで失う訳にはいかない。
「仕方ない。お手並み拝見といこうか」
 再び展開されるコンテナ。一斉に放たれるミサイルは左右二手に分かれて大回りする軌道でタマへと向かう。進路を制限するように囲い込むかたちで迫るミサイル。そのすべてを意識していないかのようにタマは直進を続ける。
 連鎖する爆発。巨体を覆い隠す灰の煙。これで手痛い傷を負わせられる訳がないという確信を持って、鈴音と将吾は本命の二連撃を仕掛ける。
 一つは先ほどタマの身体に防がれたアハトの主砲。中心を狙ったところでその肉に阻まれると分かったうえで放つ狙いは右前足の一点。比較的脆いであろう末端の中でも役割の大きい部位を狙い撃つ。
 もう一つは月丹がその身を変えた業物。これまでは一部のみに制限していた変化を全身に適用し文字通り必殺の一振り――成龍刃へと変える。上空を泳ぐための力をすべて推力に変えて狙うはタマの右後ろ足。
 稲光が煙を貫き、名刀が灰を斬りはらう。大地を焦がす熱と大気を断つ刃が鋼の肉体に牙を剥く。――それでも、古代の獣王には届かない。
「月丹、離れろ!」
 将吾が叫ぶと同時に呼びかけた相手がゴムボールのように地面を跳ねる。タマの右後ろ足による蹴り。それも何か触れたから反射的に身体が動いたかのような振る舞いだった。それでも月丹が再び空に上がる力を失うには十分だった。
「面倒なんでそこに寝かしておいてくださいね」
 無論、アハトの主砲も表皮の色を少し変えただけで肉を削るまでは至っていない。空に居る以上は安全圏だがミサイルも主砲も通用しない以上は手がない。月丹が地に落ちた以上寧子が本懐を遂げるのも時間の問題だろう。
「ああ、そうそう。鈴音さんに対しての結論はあのときと変わってないんです」
「アハト!」
 その考えすら甘いことに鈴音が気づくのに時間は掛からなかった。だが、タマの巨体がまだ地に足がついているうちに気づくべきだった。
「さっさと死んでもらえます?」
 地上三十六メートルの大ジャンプ。それは主砲の威力を少しでも上げるために降下し維持していたアハトの高度と同じ数値。二次元座標の誤差は数十センチメートル。――即ち目と鼻の先。
 羽虫にできるのは獣王を見上げることだけ。上顎から伸びる二つ牙は死神の鎌が振り下ろされるそのとき、流星のような金色が弾けた。
「よくやったよ、タマ」
 豪快な着地で砂煙を巻き上げる古代の獣王。対して撃墜された戦闘機のように無様に墜落する機械の要塞。
「誰がなんて言ったって、私はそう思う」
 しかしその機能に一切の不調はなく、地面に触れる直前に息を吹き返したかのように再び浮上する。その金色の身体には獣傷は存在しない。
「だって……あんなの反則でしょ」
 アハトの傍らにはその身と同じ金色の騎士が立っていた。花紺青ロイヤルブルーのマントを翻す二刀流の騎士はアハトや月丹と同じ完全体。にもかかわらずアハトを助けてみせたのは、格上を凌駕する一芸を持ち合わせていたから。
 それでも人型の身体ではそもそも地上三十六メートルまで容易に到達できない。それを可能にしたのはこの姿がアハトを助ける直前に進化したものだったから。
 金色の騎士の一分前までの姿は銀色の機構に身を覆った獰猛な獣竜だった。その名の通り猛禽ラプターのような俊敏性を持つ闖入者――ラプタードラモンは、タマとアハトの間に割り込んだ瞬間に狙って金色の騎士――グレイドモンへと進化を果たしたのだ。
「――そうだな。でも、俺以上にその言葉に相応しい奴はいないだろ」
 鈴音の後方から金色の騎士の契約相手が姿を現す。それはこの戦いにはもう存在しないはずの男。この世界に来る権利すら持ち合わせていないはずの男。
「助かったよ……渡くん」
「間に合ってよかった。死なれたら困る、らしいんで」
 弟切渡――誰よりも自分のことが嫌いなすべての元凶がここに帰ってきた。




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また空きまして、お待たせしました。

今回は、「椎奈を失ったレジスタンス」、「寧子ちゃん覚醒」、「帰ってきた主人公」の三本でお送りしました。

振り返ってみると、二人の恋する乙女の話でしたね。まあ、一人死んでますし、もう一人は失恋引きずったままですけど。……というかウチの女性陣なんか性格悪いのばっかりな気がしてきました。ゆるふわガールという言葉を思い浮かべる。そしてゆっくりこう唱えるんだ。「存在しない」と。

そして、一話ぶりに帰ってきた主人公。その割に久しぶり感がある理由は……明言しないようにします。私にもわからん()。

次は主人公復活の経緯の話になるかと思いますが、多分コンペの方を優先することになりそうなんでまた時間かかりそうな気がします。本当に申し訳ない。