宝クジは愚か者の税金か否か | ニートの掃き溜め

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社会不適合者のすくつ

私も胃もたれのするような古典みたいな物ばかり読んでいる訳ではなく、ブルーバックスでオタク心をなだめたり捻くれた経済・社会学関連の新書などを見ることが多い。

 

そんな中でやはり現実的な見解を出そうとする著者はギャンブルの話をする時必ずと言っていい程「宝くじをやる奴は馬鹿である」という言説が出る。

 

実のところ私はこの考え方に強い反発を抱いている。

真か偽で話をしている中で、それが何故その二項に成るかという部分をはっきり取りまとめずにこの結論に帰着しているからだ。

 

つまり、主体者による目線による目的。コーラが一番売れているからコーラが一番美味い。の様な類推誤謬の作用が発生するのだ。

 

・勝手に定められたその論点がおかしいってコト

まず宝くじが馬鹿にされる要因がほぼ確実に経済的に損する事である。

ほぼ確実ではないというのは圧倒的に再現性があることに由来する。

また放蕩で話をした争点の話もある。

これは経済的に損する事が真偽値を決めるという前提が間違っているという話だ。

 

冒頭でのよくある宝くじは愚か者の税金論法では「経済的に損をする=馬鹿」である事が主張されており、これが成り立つのであれば不味くて安い飯と高くて美味い飯を用意した時に、高くて美味い飯を選択する人間は経済的に損をしているので愚か者の税金を払っていると言える。

 

という問題だ。

経済的に損をしているか否かという式に宝くじを割り当て、意図的な誤謬への誘導を行っているのがこの宝くじは愚か者の税金論法だと思っている。

無論ひろゆきなどのパチンコは馬鹿論法もそれで反駁が出来るのだが、もちろん話がそこで終わる訳ではない。

経済と商品との関係だけに収まらないのであれば、では何が作用しているかを考えなければならない。

 

先にも言った再現性の話もあるが、一旦おいておいて特にその商品を購入する事での個人の満足度や社会への良作用である。

 

社会への影響については不確実過ぎて今は語りかねるが(少なくともパチンコは最悪だろう)、個人の満足度については宝くじを定期的に購入する事による娯楽作用などがある訳だ。

パチンコや競馬にもそういった射幸心による期待があるが、金額も期間も至極刹那的である(競馬は掛け金額がほぼ青天井なのでその限りではないが、その場合まず等価関係で比例して強い不快を伴う)。

 

掛け金額さえ大きくなければ不快は伴わないし、予想される報酬もほぼ確実に0である場合、射幸心という麻薬的な作用もなくなる。

宝くじは現実的に当選しないことがわかっているから(知能的な問題でその限りではないのかもしれないが)、射幸心と裏切りのリスクを背負わずに娯楽として楽しめる要素がある。

同様に、いくら掛け金を上乗せしても焼き石に水である。

なので多く買おうが少なく買おうが娯楽の効能に大きな差はないので(これも知能の問題でその限りではないのかもしれないが)、少額であり得ない夢をほんの少し楽しめる遊びができる。

 

・ちょっとした脱線、パチンコとの比較

これに対して特にパチンコだのと言うのは、楽しむ為に必要な平均掛け金の多さや大金を手に入れる再現性はないことである。

大金を手に入れる再現性が無いというのは、ぽっと入れたお金が数千万円や数億になることは人類史上で存在しないって事。

これが宝くじだと年に山の様に出ている訳だ(分母が物凄い量だから多く見えるだけなのだが、0と1以上では話が変わって来る)。

楽しむ為の平均掛け金に関しては、これは仮に一日遊んだとしてパチンコで15~18万、スロットだと30万円くらいのメダルをぶち込むことになる。

そもそも昨今の6号機ATで考えると、0回転の場合一回打ち出すと天井まで回さないと多く損になる仕様になっているので(これが6号機の最大の問題だと思う)、それらは最高20000~60000掛かる。リターンが2000~50000円である。最頻値は4000円~6000円である。

蛇足ではちょっと悪意のある書き方はしたが、とにかく一度に必要な掛け金。場代は50000円くらいは見積もっておかないといけない。

その上で上振れが存在しない、つまり大量のお金を獲得できる再現性が存在しないのだ。

プロは技術介入や設定の情報戦で還元率が100%超える物を遊戯し続けてプラスにしている為ほぼ確実に儲かる。という仕組みだがこれはもう娯楽でも何でもない。

そもそも元プロだから言えるのは表示される演出以外は全く楽しめず、先分かり切った数字を追い求め続けるそれは地獄以外の何物でもない。普通に働いた方がいいに決まっている。(ただ昔は時給3000円以上を下手すりゃ素人でもコンスタントに打てた)

 

・結論

つまるところ利用者の目的や利用方法でその価値はだいぶ変わって来る。

例えばパチンコをやる奴は99%近くアホであって、娯楽として考えても経済的損失や心理的負担が明らかに大きすぎるが(これは義務の様にLOLやるより圧倒的にバカ)、真面目に職業にしてる奴は目的や利用方法に成功してる訳で、しかも経済的にプラスになる場合賢いの論法に当てはまってしまう(これは程度の低い詭弁で将来的な損失を見込んでマイナスだと一喝されて終わる話だが)。

宝くじも目的や利用方法に応じてその意味を変えていく。

万人がお金儲けの為に利用している訳ではない事に着目すべきであろう。そもそも因果的にも(個人)経験的にもマイナスになる事がはっきりしている宝くじをお金儲けの為に行うって、知能に問題があるように思えるので共通認識ではないと思うんだよね。