死刑反対論は本当に適切か?レイプ犯に極刑を科すべきか? | ニートの掃き溜め

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社会不適合者のすくつ

新年早々どんなテーマやねんって話だが、まあ平常運転で行こう。

昨年はなんか気付いたら金が結構あったから年末は豪遊してしまった。

電動キックもそうだが、高級時計買ったりかなり満足した。

 

話は戻して、情報表示操作されてる可能性もあるからどうかしらんが、少なくともSNSとかでレイプ犯に極刑を与えたい人らや伴って死刑反対論とか結構聞くのだけど、ちょっと俺の見解をかいてみようと思う。

 

まず、極刑・死刑論者はの論法はこうだ。

他者の人権を侵害する犯罪者に人権はいらない。

極刑を科さないと犯罪が増える。

感情論的に許されない。

 

この辺りだろう。

 

では反対論者はどうだろうか

犯罪者にも人権がある。(※特に究極の人権侵害である、冤罪が起きた時に取り返しがつかなくなる)

極刑を科すと犯罪が増える。

論理的に許されない。

 

さあどうだろう。

 

まず敢えてケツから話すが、いつだか話した公正世界仮説の誤用といい、この手の話は問題の切り分けをせずに(意図的なのかは知らんが)誤謬させることが多い。

論理的に許されない、感情論的に許されない。これは同じ圏内には存在するが争点が別々の問題であり、それぞれが正しい。

例えばこの場合、この話を論理的にする場合、反対論者の人権の話などが凡そ正しくなる。(絶対的功利主義、全体主義等、主流ではない思想的な話をするとその限りではない)

だが、逆に感情論的な話をした時に犯罪者に人権はいらないは凡そ正しくなる。

というのも、感情論的、つまり被害者の主観的目線からして、犯罪者を減らすとか再犯率を下げるというような話は関係ない。

こういったものは個人的観点ではなく、全体的な目線になる。

 

例えば自然権などを無視した(つまり独り歩きした誤った解釈の)絶対的な功利主義というのは、2人の幸せのために一人を犠牲にするみたいな話があるが、個人が尊重されていないのが問題である。

この場合、極刑賛成論者を否定するのは個人が尊重されていないと言える。

社会的効用等が全体に対してどう作用するかというのは別の話で、国民の溜飲を下げたり、被害者の無念を晴らす為の報復が必ずしも無意味とは言えない。それは再犯防止や犯罪発生とはまた別の領野の話になるのだ。

 

こういう部分からお互い主張する論理にズレが生じて(だって論点が違う)下らない罵詈雑言の言い合いになる。

 

次に極刑を科すと犯罪が増える主張と増えない主張。これは同じ領野の話が完全に対になっているので真偽がはっきりしてる。

様に見えるがそうでもない。

何故ならつまるところはっきりしない話や、お互いが都合よく曲解した話を主張しているからだ。

 

例えばまず、極刑を科すと犯罪が減る。というのは誤解である。

じゃあ極刑を科さないと犯罪が減る。というのはやっぱり誤解を孕んでいる。

 

極刑を科すと犯罪が数パーセント微量に増えているデータは存在する。

先に言っておくと犯罪学は変数が多すぎてデータの取り扱いに非常に難儀しているので、誤差の範疇くらいに思った方が良い。

一見それが原因に見えて、全く別の変数が絡んでた事になり研究が白紙になるを繰り返している歴史がある。

精神病がどうの、家庭がどうの、環境がどうの、遺伝子がどうの、犯罪と関連するものは一切ないなんて話も出たことがある。

そんな中ではっきりと明確にされてるものとして、犯罪者に再犯防止のための精神的治療などを施した場合等である。

 

とにかく、ここで言いたいのは、公表されているようなものは極刑を科さなければ犯罪が減る。という単純な話ではないという事。

また多くは息を吐くように二元的に考えるが、同時に極刑を科さなければ犯罪が増える。というのは間違っているから逆が成り立つ。という訳ではないという事。

そもそも行動経済学的に鑑みても、犯罪にメリットが多い場合人は犯罪を率先して行う。と言われている。

その点に於いては無敵の人論などは正しい。がこれもちゃんと反証はあって、…とこの話は関係ないのでしないが。

とにかく、これはどっちも違うって事。

 

あとは人権の話になってくるけど、これはあまり語ることはない気がする。

つまり犯罪防止・犯罪率云々の話(マクロ的な話)は建前や詭弁で、話の核は人権の話(加害者)、感情の話(被害者)のミクロ的な話だと思うんだよね。(※読み返したらめっちゃわかりにくいので補足すると、犯罪防止に効果がある(マクロ、全体)から被害者がやられ損になったら(ミクロ、個人)また別の問題が出ると言える。という話)

もちろんこのマクロ的な話で理論武装してる人もいるからそれに対してカウンターしあった結果もあるんだろうけど。

 

その話の核の部分で言ったらもうちょっと建設的な話ができると思うんだよね。

ちょっとどこでこの話落とそうか困っちゃいるのだけど、俺がこの話で言いたいのはフェミっぽい極刑論者に突っかかってる人にだ。

合理性や論理的な話で済む程単純で簡単なものではない。生死や尊厳に関わることを合理性で一蹴する行為ってかなり危険な事。それはわかるよね?

 

この辺りは社会や全体に感情的な効用が何かしらの形で何かしらに及ぼすためにしっかりと吟味する価値がある。

論理性や合理性で事を考えて住むなら今すぐ、全ての領野を功利主義にし、全体主義にして独裁政にすべき、奴隷も差別も全て容認すべきだ。確実に効率はいいからな。

 

でもそうじゃないのは、この問題が簡単に片づけられない事にもつながる。

というような感じの事を反対論者を全面否定している奴に思った。

 

俺?俺はまあどっちでも。