ニートの掃き溜め

ニートの掃き溜め

社会不適合者のすくつ

都内手取り15万とかで数十万の腕時計買ってるが…。

まあでもなんかSNSの言う世間だと、東京では手取り20万貰っても生活苦で死んでしまうようだ(笑)

すると俺の知人殆ど死んでるな。

 

まあ田舎者の狂言は良いとして(筆者の地元は23区の中のクソド田舎です)、物価高騰は確かにしているが、自炊すれば前と比べてもそこまで影響は出ていない。

ただ、この自炊はスキルが無い奴だと逆に高くなるそうで、SNSではいつも自炊高くなる論争が行われている。

教養みたいなもので値段の押さえ方を知らなければまあそれはめちゃめちゃ高くなる。

 

ただ仮にそうだとしても、昨今は中古市場とかが猛威を振るっていて、昔より遥かに使う金減らせるんだよね

家具とかフルセットで買えば20~80万くらい掛かってもおかしくなかったのに今はタダ同然の値段で買えるし、娯楽用品だって1/10の値段とかザラである。

分を弁えて質に拘らなければお金を掛けずに何でもできるのだ。

例えば新品じゃないといけない。とかは、鞄はヴィトンでなければいけないと余り変わりない。

そこに対して常識的な暮らしの人権がー。というのは、当人の常識が必要以上に高いだけ(身分不相応の要求)をしているだけである。

昨今のリベラリズムから自分に都合の良い曲解をした衆愚は「当たり前(中上位層の成功者)の暮らしをする権利がある」と思い込んでいる。

失職や裏バイト、ホームレス等経験している俺から見れば「当たり前(衣食住がある)の暮らしをする権利がある」なのだが、とにかくこの相対性と言うか流動性というか都合よく意味を可変させられる当たり前が、無意識の内に身分不相応の値が入っているのだろう。

 

甘んじることが正しい訳ではなく、声を挙げる重要性は大事だが、それにしたって自分の愚かさを度々振り返らなければならない。

まずタバコとギャンブルをやめろ。ゲームの課金をやめろ。コンビニの利用をやめろ(※これもなぜか利用が当たり前と思い込んでるアホが多い諸悪の根源)。家電屋等で物を買うな。

バカの壁

この1作目は誰もが考えるだろう疑問点などの適当な切り込みが面白かった。

特に当時はこの点についての書籍も少なかった為にヒットも頷ける。

 

これをきっかけにヒトの社会的な営みや認知能力について興味を持つのもいいかも。

 

死の壁

これは(数少ないMARCH行ってる)友人も首を傾げていた作品。

個人の死生観についてのメモの様な物で人生論。面白くはない

 

人性論と言っても終始養老孟司の自問自答と感想で終わるのでハウツー本にもならない気がする。

 

超バカの壁

養老孟子信者でもなければ読めたものではない。

嘘と思い込み、都合の良い解釈のオンパレードでその分野についての素人でも矛盾点に気づいたり違和感を感じるだろう。

また慣習的な合理性の方法論で物事を決め付けたり、急に全く関係ない近年の小難しそうな理系分野を雑に解釈して形而上学や人文社会学の様な一例と一致しているから俺の考えは成り立つ!みたいな暴論を連発する。

学者は専門分野外の事にまで知識人面して悪影響を及ぼすという古典があるがまさしくその人と言う感じである。

 

焚書していいレベルの駄本。何が書きたかったのかわからないが、こういうのはそこらしょうもない一般人のブログやSNS見ていればいくらでも同じような言説が転がっている。

このブログからわかるようにタダでみれるので、これに価値を見出せるなら一日中誰だかのブログやSNS見た方が有意義だと思う。

 

ヒトの壁

序盤中盤は死の壁を想起させるような適当な人生論が続く。

156pで超バカの壁でやりまくったゴミみたいな詭弁や思い込みが炸裂するが(※嘘や思い込み、自己都合解釈、雑な論法で誤った解を出してそれを自説に結びつけて尤もらしい事を結論付けようとする)、それ以外は死の壁である。

趣旨もぶれっぶれで終始何が言いたいのかあやふやな文章で続くため、中身がすっからかんなのに注意して読まないと理解に苦しむ面倒な文章である。

最終盤ではボケてんのかこいつと言いたくなるほどオチのつかないまま話がコロコロ変わっていく。

主軸としては死の壁の焼き直しで、答えの無い流動的な問いについて非合理的かつ相手を考えずに自問自答を繰り返しているだけである。

そんなにこの命題が気になるなら素人勘定はやめていっそ真面目に現代思想辺りでも学び直したらどうだろうか。

 

死の壁9の超バカの壁1の配合具合の駄本。というか、バカの壁のせいで見誤ってしまっているが、この人は文才はないし、言説もそこらの一般人から大きな差異や発展もない。

一作目の奇跡が縁で影響を持ってしまったが、失礼ながら運に恵まれただけで本来何者になる訳でもなかった程度の人だったのだろうなという感じがする。

 

 

まあ大体こんな感じ。

最初の期待と裏腹に、続編以降は焚書候補に挙がるくらいには駄作。

ライトな文章とは裏腹にこんなに読んでいて苦痛の伴う文章はあんまりない。(俺は読む本は基本選ぶのでyoutuberの自伝とかよりは100億倍マシだと思うが)

養老孟司に惚れた人以外は辛辣な感想にしかならないんじゃないかと思う。

 

本当は著作の個人の感想についてあんまり否定はしたくないけど、とにかく超バカの壁が酷すぎたのでここまで書かざるを得ない。

これは言ってはいけない系の話だが、昔知的障碍者が女児を性的解消の毒牙にかける印象についての事実無根の差別議題云々があったが、厳密には事実に該当するレトリックがある。

 

まず何らかの事情で知性が劣る場合、同年代ではなくレベルが近しい女児男児と話が合うようになってしまう話がある。

これは親や兄弟の様に慕われている場合と、同じレベルで話せる心地の良い相手との違いがあるので慎重に顧慮すべき問題なのだが、こういった形で自然的にコミュニケーションを取る相手の年齢が著しく落ちる事になる(知的に頭打ちになる、というか普遍認知の形相に従う(成熟)20~30代以上から漸くコミュニケーション対象が多様化する)。

知的に劣る場合、成熟する為の道具や材料が欠如している為に子供の認知のまま据え置きとなる。

そうなると本来同年代というか成年にすべきコミュニケーションの全てが下の年齢でのみ噛み合うようになる為、こうして性的な関係性も自分の知的年齢に合わせたものに自然的になる。

 

根幹の議題では「意図して未成年に毒牙に掛けるか否か」では当然そんな根拠事実は一切ないが、構造・自然的な場合においてはその限りではなくなるということ。

 

知的に問題があると、友人の様な対等かつ密接な関係性が未成年との方が取りやすいという話

 

 

性的関係に至る前の手順が適切なコミュニケーション

 

である。

の二つを否定しない限り、性的な対象が児童に行くのは自然的と言える。

 

技術として未成年と対等なコミュニケーションを取って信頼関係を築く優れた人間や聖職者が沢山いるし、逆にヤクザのようにそれを逆手に取って悪用してる人もいるかもしれない。

 

しかしその人がどこに分類するかなんてそうやすやすとわかる話ではないので、結果としてこの話をしても差別的な攻撃性の助長以外何も得はないのである。

 

強いて言えば踏まえた上で、児童に監視や未来予測に利用したり、知的障碍者が同じレベルだけど成年とコミュニケーションを取れる機会、集会所を(監獄と言われるかもしれんが)用意してあげる必要はあるのではないだろうか。

 

 

 

 

因みに再三も言うがフェチズムや本能(社会的ではなく、繁殖に対する適正年齢云々)はこれに関わってこないので、ロリコン=知的に問題があるの図式は成り立たない。

 

知的に劣る場合、認知や社会性を成熟させるすべがない、若しくは著しく遅い。

すると児童としか対等に関係性を作りにくい。

基本児童としか関係を作れない以上、児童としか性的交渉を望めない。

 

という話自体は成立してしまう。

 

逆にロリコンかどうかの相関関係はなく、強い悪意を持って行う場合は知的に満足している人間の可能性が高い。

そう考えると釣り合いが取れるから、結局知的に問題があるから児童に毒牙を掛ける事が多いとは言えない。

この理論だと、

明確な悪意を持たず、自然的に交際、性交渉や強姦に及ぶ可能性は知的に問題がある場合が優勢になるし

明確な悪意を持って快楽を満たそうとする人間には知的に一切問題が無い場合が優勢になる。

 

でも本質は「児童が毒牙に掛けられるか否か」なのでそれらを一括りにして出る結果は飽くまで15:15になるし、前者は当人が構造のカラクリの自覚が出来ない以上自然発生的である以上プラトニックと言い張れるので、事件性云々の話の場合は寧ろ健常者の方が児童を毒牙に掛けていると言える。

 

要するにどこから見るかによって万華鏡やトポロジーの様に様相が変わる。