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Papytat~東京農工大学生協読書部~

東京農工大学生協読書部の活動をプロパガンダするブログです

えらく久しぶりです。キノウノです。

読書のizumiの新学期号が生協で無料配布されていたのでいち早くゲットしました。タダでこの本に関する情報量だもの、そりゃ手にしますよ。

考えてみれば、この読書のizumiを読みだして、ついに6年目に突入するわけで、感慨も一入、

というわけで、新入生にも、そうでない人も、もっと読書のizumiを手に取ってもらえるようにと、この場を借りて紹介することで、自分なりにizumiに恩返しをさせていただきましょう。農工大での認知度が非常に低いらしいので(もったいない)。

まずは、いやでも目に付く『座・対談』のコーナー。
大学生と作家の対談をのせているizumiの目玉になります。

今回の作家さんは辻村深月さん

作家生活10年を振り返りながら新作などについての話が載ってます。このコーナー、結構有名どころの作家さんを読んでいるのでこのコーナーで紹介された作家から入ったという人も多いという。好きな人についてより深く知り、知らない場合は新たな出会いもある。素敵なコーナーです。



続いて一番後ろの方の気づかれてなさそうな、それでいて自分が特に大好きなコーナーを、順番ぶっとばして紹介させていただきます。
それが、『よんで一言』
読者ハガキで受け付けている本などを紹介する投書コーナーです。同じ大学生が読んでよかった、という本を書いて進めてくれるというとても分かりやすいコーナーです。
やっていることがほとんど同じコーナーとして、『読書マラソン二十選』も、やはり楽しみ。文芸書から専門書まで、思いがけない本との出会いの機会として、いつもわくわくしながら読んでいます。




少し切り口を変えて、『わが大学の先生と語る』、も何気におすすめ。

大学の先生ってやっていることがマニアックだったりして近づきにくいけれど、やっぱり何かに職業としてまで取り組んでいるだけ会って話が実は面白い。研究ってこんなこともやるんだーなんてこともわかるので、進路にも役立ちますしね。
もちろん先生が紹介してくれる本も興味深いです。切り口がまた違ってこれもいい。


結局なんだかんだ言って面白そうな本を知りたいだけだな、自分、という感じですが、もちろんそれだけでないです。
今回の『リレーエッセイ』南下は、直接本を紹介しているわけでなかったけれど、本に対する考え方やらを見つめなおすのにいいこと書いてくれてますし、『フランス便り』
のコーナーでは海外留学中の人が海外で気になったことを書いてくれてますし、他にもいろいろ。
いい加減長くなってきたのでやめますが、言いたいことは、ようするに、
みんなもizumiを手に取ろう!
ってことで、もちろんそのまま持ってっちゃってください。
たまに律儀に立ち読みして元に戻す人を見ますが、take freeですから。在庫まだまだありますから、って感じで、よろしくお願いします。

以上、izumiのペンネームはヤノウノでした。(キノウノという字が汚すぎて気づいたらこうなってた)
こんにちは。現代表です。
リーダーズネットワークは昨日まで代表してました。
書くことが久しぶりすぎて、完全にペンネームを失念しています。どうしよう。

閑話休題、そんな自分も気がつけば学部4年生。で、この時期。
もう完全に卒論の重圧じゃないですかー!やだー!
嫌よ嫌よも好きのうち、とかそんな話ではなく、精神的にも、肉体的にも辛い時節になっているわけでありまして、もう早春の季語に「卒論」を採用しても大丈夫だよなあ、と日々思いつつ府中駅から通っているわけであります。

ただ、そんな苦しくてキツくていや~~~な卒論だからこそ、人が救われるのかもしれないな、と疲弊しきった脳みそで思いました。大仰だけども。
それまで、半ばテキト~に処理してきたレポートだったり、「採点者」を想定して書き上げた答案なんかとは違って、卒論くんに対しては、そんなベタベタと取ってつけたようなウソはつけないし、ついてはならないわけでありまして。
自分がやってきたもののうち、完全に立証された結果だけを挙げないといけない、そういう相手が卒論くんなわけです。しかも、発表したり論文にしたりできる「有用な」結果以外は全て心の中に秘めて抹殺しておかねばならない……。
ただ、そんな容赦のない、厳しい、ともすればヒールともいえる性格の卒論くんがいるからこそ、アカデミックな領域と市井の人々とを隔てる境界線の役割を担えているんじゃないかなあ、と。

もっと言うなら、告解の真逆かなあ、と感じています。
自らが自覚したあらゆる罪に対して赦しを乞い、翌日からの日々の憂鬱を取り除く役割が告解にあると思うのですが、それはつまり、理想の生き方(罪を犯さない、純白な)と現実の生き方(何らかの罪を犯してしまう、真っ白ではない)の境界線であり、番人であって、人々がその両方の生き方を行き来する手助け・見張りをしてくれているわけです。
んで、卒論くんも、僕達の市井(ゆるゆる、簡単)と学問領域(キツキツ、難しい)の境界線であり、番人になってくれている。だから、学問の世界が頽落することなく保たれているし、あるいは逆に、日常が息苦しくなりすぎないように確保してもくれている。
そう考えると、少しばかりは卒論くんに感謝かなあ、なんて思います。

……というか、そう思わないとやってられねえよっ!

以上、雑記でございました……。


あ、最近読んだ本のオススメは、この話からも分かる通り、内田樹『日本霊性論』でござんす。
小説だとロン・カリー・ジュニア『神は死んだ』がめちゃくちゃ面白かったっす。
一神教が国家/国民の同一性を保障しているような西欧諸国において、その「神」が死んだらどうなるんだろうか?というSF的な連作短編集。日本人みたいな、ふわふわ感性宗教ピーポーが欧米のキッチリカッチリキリスト教システムを感性で理解するのにうってつけだな~って思いました。

さて、卒論の要旨づくりに戻らねば……。

ktku(PN これにしました。でも忘れそうだなあ。)
春休み中に読み溜めた本の読書マラソンをようやく書き上げました。5月になって左上の学年欄が突然4年からM1になります。キノウノです。

世田谷文学館茨木のり子展に行ってきました。
個人的にはかなり良かったです。
茨木のり子さんの直筆の文章などに触れられたから、というよりも、学芸員さんが作ってくれた解説の文章や、その作品と背景となる時代や個人の出来事を、年表と現物で追うことができること。そして、詩集やらには出てこない、生身の茨城さんの姿が少しでも追うことができるのがいいです。そんな中で、もっとも自分が気に入ったのは手紙です。
人と人のやり取りの間にもみられる個性が新鮮だったり、愉快だったり。さすがにこれは、こうした場でないと知ることができませんしね。

生の原稿に対してはそんなに感じこんだりとかはしないタチですが、『歳月』の原稿に関しては少し別。亡くなった夫に対する思いをつづり、本人の死後に発表された詩たち。書き溜められて、書き手の詩をひたすら箱の中で待つ原稿用紙たち。それをイメージして、さびしいような、温かいような。あの感じは何でしょう。

6月29日までやってるそうです。ぜひ行ってみるといいですよ。
ちなみに、自分は13時に入って気付くと17時ごろまで見て回ってました。結構丁寧にみると、時間がかかりますので、お気を付けください。