老いの配達人 
ーー夢間局奇譚ーー


まえがき
 歳を重ねるにつれ、ふとした瞬間に、すでにこの世を去った懐かしい人々の顔が思い出されます。
 夢に現れる彼らは皆、どこか若々しく、一番良い笑顔で微笑んでいるものです。
 けれど、あるときふと考えました。
 もしも、あの日から時間が止まってしまった彼らが、「自分もみんなと同じように歳をとりたい」と願っていたとしたら――。
 皺や白髪、曲がった腰や痛む膝。それらは私たちが懸命に時間を生き抜いてきた「証」であり、かけがえのない勲章です。老いることが許されない存在にとって、老いとはむしろ「未だ許されない贈り物」なのかもしれません。
 本書は、夢の世界で死者たちの夢を管理するちょっと不思議な役所「夢間局」を舞台にした物語です。
 ふっと肩の力を抜き、かつて共に時を過ごした大切な人に思いを馳せながら、気楽にお読みいただければ幸いです。





先立った仲間たちが
そっと夢に現れるが
皆
あの日の姿で
若く微笑んでいる


一章 夢間局の朝
 久保田辰夫、七十三歳。肩書きは「夢間局・老い課・嘱託」である。
 孫の澪に初めて名刺を見せたとき、七歳の彼女は三秒ほど眺めてから言った。
「じいじ、それ、ほんとにあるの?」
「あるから、名刺があるんだよ」
「名刺はにせものでも作れるよ」
 七歳にして真理を突いてくるので、辰夫はそれ以来、孫の前では仕事の話をしないことにしている。
 夢間局は、東京の地下十三階にある。正確には、地下十三階「のような場所」にある。エレベーターのボタンには十二階までしか無く、十三階へ行くには、十二階で降りて、非常階段の踊り場に置かれた枕に顔を埋め、三秒数える。すると、いつの間にか着いている。
 初出勤の朝、辰夫は枕に顔を埋める作法に抵抗があって、「これは業務命令ですか」と訊いた。案内役の若い職員は真顔で答えた。
「いえ、慣習です。ですが、ここ三十年、枕を使わずに到着できた方はいません」
 たしかにそうだった。三秒数えて顔を上げると、辰夫は受付の前に立っていた。カウンターには「いらっしゃいませ」と「おやすみなさい」の札が両方掛かっていた。どちらなのか、はっきりしてほしい。
 夢間局の仕事は、ひとことで言えば、人が見る夢の「配役」の管理である。
 眠った人の夢には、さまざまな人物が現れる。上司、初恋の人、昔飼っていた犬、なぜか校長先生。そして、すでに亡くなった人たち。
 死者が夢に出るときの姿には、決まりがあった。
 夢間局設置法・第七条。
『死者は、生前もっとも幸福であった時点、または最後に心から笑った時点の姿をもって、夢に現れるものとする』
 いわゆる「最終笑顔時点の原則」である。
 おかげで、夢の中の死者はみな若々しく、あるいは元気に、そして微笑んでいる。目覚めた人が涙を流しながらも、どこか温かい気持ちになれるのは、この制度のおかげだと言われている。
 辰夫の仕事は、この原則が守られているかを見て回ることだった。夢の袖に立って、出演者の年齢が規定からずれていないか、笑顔が基準に達しているかを確認する。老い課という名前なのに、仕事の中身は「老いさせないこと」の監督なので、辰夫は入局以来ずっと、名前と実態の食い違いに引っかかっている。
「久保田さん、おはようございます」
 隣の机から声がした。見ると、二十八歳の男が座っている。ひょろりとした体つきに、人懐っこい丸顔。ネクタイは少し曲がっている。
 権田だった。
 権田吾郎。辰夫の大学の同期で、ニ十一年前に亡くなった。亡くなったときは五十二歳で、腹が出始め、髪が薄くなり、いつも胃薬を持ち歩いていた。それが今、二十八歳の姿で、辰夫の隣の席にいる。夢間局は、死者の「出向」を受け入れている職場なのだ。
「おう、ゴンちゃん。おはよう」
「今朝も爽やかですね、久保田さん。七十三歳とは思えません」
「爽やかな七十三歳はいない。いるとすれば詐欺だ」
「ですよね」
 権田はにこにこと笑っている。規定どおりの、完璧な笑顔である。
 辰夫は、この完璧な笑顔が少し苦手だった。権田が生きていた頃の笑い方は、もっと崩れていた。酒が入ると鼻に皺を寄せて、「へっ」という音を立てた。あの「へっ」を、辰夫は四十一年間、聞いていない。
 その日の朝礼では、局長が重大な発表をした。
 局長は、五歳の男の子である。
 正確には、五歳の姿をした、百十二歳の人物である。この局では、役職が上がるほど見た目が若くなる慣例があり、局長は「歩く朝礼台」と呼ばれる小さな脚立に乗って話す。
「えー、みなさん。本年は、あの方の生誕百年にあたります」
 局内がざわついた。
 あの方、とは、あの方である。百年前に生まれ、三十代の入り口で世を去った、伝説の女優。白いスカートを風にふくらませた、あの写真で知られる人だ。この世を去って六十年以上経つのに、世界中の男たちの夢に、いまだに最多出演している。
「つきましては、十月の記念日に、全世界の夢へ同時出演していただく『百年記念・全夢同時上映』を実施いたします」
 歓声が上がった。局長は脚立の上でふんぞり返り、「静粛に」と言ったが、声が高すぎて誰も静粛にならなかった。
 辰夫は、ひとつだけ、嫌な予感がしていた。
 最近、老い課には、奇妙な苦情が届き始めていたのだ。


二章 死者たちの陳情
 苦情は、枕カバーに書かれて届く。
 夢間局には、死者からの意見書を受け付ける窓口がある。死者たちは夢の継ぎ目に枕カバーを一枚落とし、そこにマジックで要望を書く。回収係が集めてきたものを、老い課が仕分ける。辰夫が配属されてから三十年、届く枕カバーは「たまには雨を降らせてほしい」とか「夢に出る回数を増やしてほしい」といった、かわいいものばかりだった。
 それが先月から、様子が変わった。
 辰夫は机の上に枕カバーの山を築き、一枚ずつ読んでいった。
『膝が痛くなりたい 三十四歳・男』
『白髪が一本でいいから欲しい 二十九歳・女』
『お腹が出たい。切実に。 二十六歳・男』
『孫に「おばあちゃん、しわしわ」と言われてみたい 三十一歳・女(享年)』
『腰が曲がりたい。そして杖を持ちたい。杖に憧れている。 二十二歳・男』
「杖に憧れているのは、かなり特殊だな」
 辰夫が呟くと、権田が横から覗き込んだ。
「それ、僕も思ってました」
「何を」
「膝、痛くなりたいなって」
 辰夫は、ゆっくり顔を上げた。権田は相変わらず笑っていたが、その目が、いつもより少しだけ真剣だった。
「ゴンちゃん」
「はい」
「お前、二十八歳だろう。膝が痛いのは、七十三歳の俺だ」
「ええ。ですから、痛くなりたいんです。久保田さんが膝をさすりながら階段を上がるのを見ていると、なんというか、うらやましくて」
「うらやましがるな。痛いんだ」
「痛いのも含めて、です」
 権田は机の上で両手を組んだ。
「僕、あの頃は、早く若返りたいって思ってたんです。五十二のとき、腹は出るし、髪は減るし、毎朝鏡を見るのがつらくて。それが、亡くなってからずっと二十八歳でしょう。最初は嬉しかったです。でも、四十一年も続くと、飽きるんですよ」
「飽きる」
「ええ。若いことに。贅沢な悩みだと、わかってはいるんですが」
 辰夫は、返す言葉が見つからなかった。
 その日から、辰夫は陳情の枕カバーを分類した。
 分類してみると、傾向がはっきり出た。若くして亡くなった人ほど、老いたがっていた。そして、夢に出てくる回数が多い人ほど、その気持ちが強かった。
 つまり、愛されている死者ほど、年をとりたがっているのである。
「皮肉な話だな」
 辰夫が言うと、権田が首をかしげた。
「どうしてですか」
「みんなが思い出すからだ。思い出されるたびに、あの日の姿で出なきゃならん。最後に笑った顔を、何度も何度も、繰り返し再生される。それは、考えてみれば、けっこうしんどいことかもしれん」
「ああ」
 権田は小さく息を吐いた。
「そうか。あれ、しんどかったのか、僕」
 自分で自分の気持ちに、いま気づいたような顔だった。
 辰夫は枕カバーを整理しながら、ふと思った。
 老いは、残酷なものだと思われている。誰もが避けたがり、隠したがる。若さは讃えられ、老いは嘆かれる。しかし、老いることが許されない存在にとって、それは「許可されない贈り物」なのではないか。
 皺も、白髪も、曲がった腰も、時間を生き抜いた者だけがもらえる勲章である。それを、死者は受け取れない。
 夢間局の人間は、死者に若さを与えているつもりでいた。しかし実際には、時間を取り上げていたのかもしれない。
「久保田さん」
 権田が言った。
「ひとつ、お願いがあるんです」
「なんだ」
「僕を、年老いさせてもらえませんか」
 局内の空気が止まった。隣の席の職員が、お茶をこぼした。
 老い課が、「老いさせてほしい」と頼まれる。この皮肉な事態に、辰夫は、思わず少し笑ってしまった。笑ってから、笑うところではないと気づいて、咳払いをした。
「ゴンちゃん、それはな、法律違反だ」
「わかっています」
「第七条。死者は最終笑顔時点の姿で現れる。例外はない」
「例外は、ないんですか」
 権田の問いに、辰夫は答えられなかった。
 ひとつだけ、例外があるという噂を、聞いたことがあったからだ。
 夢間局の最下層、地下十四階「のような場所」に、年老いた姿のまま夢に現れ続けている、ある女優が住んでいる、という噂を。


三章 老いを選んだ女
 地下十四階へ降りる方法は、地下十三階に降りる方法より、さらに面倒だった。
 十三階の突き当たりにある洗濯機の前で、靴下を片方だけ入れて回す。回転が止まったとき、洗濯機の中に靴下が戻っていなければ成功である。戻っていたら失敗で、最初からやり直しになる。
「合理的な理由は?」
 辰夫が訊くと、案内役の権田が答えた。
「ないです。そういうものなので」
 三回失敗して、四回目に、靴下が消えた。洗濯機の蓋の内側に、小さな扉が開いていた。
 地下十四階は、湯気の立つ、薄暗い和室だった。
 畳の上にこたつが置かれ、その向こうに、ひとりの老女が座っていた。
 小柄で、白髪をひっつめにして、鼻に眼鏡をずり下げている。ミカンの皮をむきながら、テレビを見ていた。テレビには、七十年前の自分の主演映画が映っていた。
「うるさいね。ドアは静かに開けなさい」
 開口一番、これだった。
 彼女こそ、「ミセス・D」だった。若い頃は銀幕の大女優、のちには皺だらけの老女役で名を残した、あの女優――とは、少し違う。夢間局の中で、彼女は「老いを選んだ者」として知られる、唯一の例外である。
「あんたが、老い課の久保田かい」
「はい。突然お邪魔して」
「邪魔だよ。でも、ミカンは食べな」
 こたつに入ると、ミカンが三つ、押しつけられた。権田も座らされ、ミカンを渡された。権田は、ミカンの白い筋を、ひとつずつ丁寧に取っていた。
「で、何の用だい」
 辰夫は、陳情の枕カバーのことを話した。若い死者たちが、老いたがっていること。権田もその一人であること。そして、例外がひとつだけあると聞いて来たこと。
 ミセス・Dは、ミカンを口に放り込み、しばらく噛んでから言った。
「あたしはね、頼んだんだよ。年をとらせてくれ、ってね」
「頼んだ?」
「死んだあと、局に申請した。『老いて死んだ者は、老いた姿で夢に出る権利がある』ってね。それで特例が出た。あたしは年寄りのまま、夢に出る」
「それは……どうして」
 辰夫の問いに、ミセス・Dは眼鏡を押し上げた。
「あたしは長生きしたからね。若い頃は、あたしの顔を見てみんなが言った。『綺麗だ』って。年をとると、みんなが言った。『お変わりになって』って。どっちも本当のことさ。でもね、あたしは思ったんだよ。『変わった』のはあたしじゃない。見る側なんだ、ってね」
 辰夫は、黙って聞いていた。
「若い頃のあたしは、あたしの一部分にすぎない。年寄りのあたしだって、あたしの一部分だ。どっちが本物かなんて決めるもんじゃないよ。全部ひっくるめて、あたしなんだから」
「では、先の短かった方々は……」
「そう」
 ミセス・Dは、テレビの画面を指さした。
「あの子たちは、一部分だけで終わっちまった。若さしか持っていないんだよ。それが美しいのは事実だ。美しいまま、永遠に残る。だけどね」
 彼女は、ミカンの皮を丁寧に畳んだ。
「残される側は気楽だけどさ。残ってるほうは、しんどいんだよ。永遠に若いままで、ずっと同じ顔で、ずっと微笑んでなきゃいけないんだ。年をとる権利がないってことは、成長する権利がないってことだ。そうだろう?」
 権田が、小さくうなずいた。うなずきながら、泣いていた。
 二十八歳の青年が、ミカンの筋を指に絡めたまま、静かに泣いていた。
 辰夫は、見ないふりをして、自分のミカンをむいた。ミカンは、酸っぱかった。


四章 想像力という労働
「方法は、ひとつだけある」
 ミセス・Dは、こたつの天板をとんとんと叩いた。
「死者の姿を決めているのは、法律じゃない。あれはただの建前だ。本当に決めているのは、残された者の想像力さ」
「想像力」
「そう。人は思い出すとき、一番強く覚えている姿を引っ張り出す。夢間局はそれを集計して、いちばん多い姿を『最終笑顔時点』と呼んでるだけなんだよ。つまり、最頻値(さいひんち)さ」
「みんなが若い姿で思い出せば、若い姿で出る、と」
「そういうことさ。ところがね」
 ミセス・Dは、にやりと笑った。前歯が一本欠けていた。欠けているのに、堂々としていた。
「あたしの孫は、あたしが死んだとき、こう言ったんだ。『おばあちゃんは、おばあちゃんのままがいい』ってね。あの子は毎晩、あたしの皺を数えた。右の目尻に七本、左に八本。あの子が熱心に数えるもんだから、あたしの皺は、夢の中で、すっかり定着しちまったのさ」
「皺を、数える」
「老いた姿を、具体的に、しつこく、毎日想像すること。それが条件さ。名づけて『老いの配達』だよ」
 ミセス・Dは湯呑みに口をつけ、辰夫をまっすぐ見つめた。
「若者は先のことを想像できないから、他人の老いも描けない。でも年寄りは、自分の変化を知っているから、他人の老いもリアルに描ける。年寄りにしかできない仕事なんだよ。そうだろう?」
 辰夫は、胸が熱くなるのを感じた。
 自分は死者の顔を思い浮かべ、その「老い」の形を具体的に思い描く。それが死者に届き、彼らに時間が与えられる。
 七十三歳。膝は痛み、物忘れは増え、孫には呆れられる。そんな自分に、できる仕事が、ひとつだけあった。
「やります」
 辰夫はきっぱりと言った。
「ゴンちゃん。まず、お前の老いた姿を、俺が想像する」
「お願いします!」
「ただし、どんな姿になっても文句は言うなよ」
「言いませんとも!」
 その晩、辰夫は自宅の布団に入ると、目を閉じて権田の老いた姿を思い描いた。
 権田は元々薄毛だった。なら七十三歳なら、もうつるつるだろう。耳の上にわずかに白い毛を残し、それを大切に撫でつけている。
 腹はさらに出て、ズボンを胸の高さまで上げている。
顔は、笑うと鼻に皺が寄り、目が消える。「へっ」という引きつった笑い声は、呼吸に合わせて少しダミ声になっている。
 そこまで想像して、辰夫は少し嬉しくなった。
 あいつが、俺と同じように年をとって、膝をさすっている。
 想像の中の権田と自分は、公園のベンチで並んで鳩にパンをやっている。
「おいゴンちゃん、あの鳩、俺のパンしか食わんぞ」
「久保田さんのパンが一番まずいからですよ」
 辰夫は笑った。目尻が湿った。そして、眠りに落ちた。
 翌朝、夢間局に出勤すると、権田の席に権田がいた。
 ほんの少し、老けていた。二十八歳が、三十一歳くらいになっている。
「久保田さん」
 権田は頬に手をあてた。
「ちょっと、目の下がたるんだ気がします」
「たるんだな」
「嬉しいです……!」
 たった三年分の老いで、あれほど喜ぶ男がいるだろうか。辰夫は、やる価値のある仕事だと確信した。


五章 老人会、想像する
 しかし、老いの配達は一人では到底追いつかなかった。
 陳情の枕カバーは数百枚を超えている。辰夫ひとりが毎晩想像しても百年かかる。
「人手が要る」
 辰夫は、地元の老人会に声をかけた。
 その名も「終のすみか荘・白寿の会」。平均年齢八十一歳。月に二回、公民館に集まり、カラオケと健康体操と血圧の測り合いをしている集団だ。
 辰夫が事情を話すと、会長の八木ハル(89歳、元・給食のおばさん)が補聴器を調整しながら言った。
「つまり、先に逝った人たちを、年寄りにしてやるんだね」
「そうです」
「ええ話やないの。やろう」
 ハルの一言で、全員が手を挙げた。かくして『老いの配達・想像部隊』が結成された。
 最初の練習は、公民館の畳の間で行われた。参加者は十八名。
「では皆さん、思い浮かべてください。亡くなったご友人の顔です。皺は何本ですか」
 講師の辰夫が促すと、元・郵便局員の小野寺が手を挙げた。
「久保田さん。うちの女房、亡くなったとき六十三でした。今生きていたら八十四です。想像するとですね……どうしても、鶏になるんです」
「鶏」
「若い頃からコケコッコーと朝が早い人でした。それが八十四になると、完全に鶏の顔に……」
「小野寺さん、想像が暴走しています。人間でお願いします」
「努力します」
 元・大工の田所は、親友の姿を「やや石に近い」と報告した。
「年を重ねて角が取れて、河原のいい感じの石に……」
「石になったら会話ができません!」
「では、苔を生やしましょう」
「苔の問題ではありません」
 一時間後、集計結果が出た。
 老いの配達に成功したのは三例。それ以外は、鶏が一件、石が二件、サツマイモが三件、ヤギが二件、そして「ふわふわしたもの」が四件だった。
 その晩、夢間局は大騒ぎになった。
 老人会の想像が一斉に配達された結果、夢の中の死者たちが異様な姿で現れ始めたのだ。サツマイモになったおばあちゃんが孫の夢に出て「おばあちゃんだよ」と名乗り、孫が「焼き芋にしていい?」と泣き出す始末。抗議の枕カバーが殺到した。
「老い課! 老い課はどこだ!」
 脚立の上の局長が、五歳児の甲高い声で叫んだ。
「久保田くん! 君かね! 夢の秩序を乱しているのは!」
「申し訳ございません」
「申し訳で済むか! 来月には百年記念があるんだぞ! もし、あの方がサツマイモで出てきたらどうするんだ!」
「それは……考えたくありません」
「考えろ!」
 局長は脚立の上で地団駄を踏んだ。脚立がぐらぐら揺れ、権田が慌てて支えた。権田はすでに三十三歳になっていた。


六章 夢の監査官
 翌朝、老い課に一人の客が来た。
 いや、客と言っていいのか。それは身の丈一メートルほどの、蕎麦殻の詰まった長方形の『枕』だった。ネクタイを締め、小さな眼鏡をかけている。
「夢間局・監査部の、枕木(まくらぎ)と申します」
枕は深々と頭を下げた。頭が、ぼふっ、と沈んだ。
「サツマイモ、及びふわふわ事案につきまして、事情をお伺いに参りました」
枕木はふかふかの手で手帳を開いた。
「サツマイモを夢に出した場合、第七条違反か、あるいは野菜の不法投棄に当たるのか。局内で意見が分かれております」
「不法投棄……」
横で控えていた権田が、一歩前に出た。
「枕木さん! 久保田さんは僕のためにやってくれたんです。僕は四十一前、二十八歳で死にました。でも今、三十八歳まで歳をとれました。目の下にたるみができて、それが嬉しくて嬉しくて……! 久保田さんを罰するなら、僕も一緒に罰してください!」
枕木はしばらく黙っていたが、やがて、ぼふっ、と息を吐いた。蕎麦殻がざらざらと鳴った。
「……実はね」
枕木は小さな声で言った。
「私も、陳情を出したことがあるんです。五十年間、人の頭を支え続け、ぺしゃんこになって……。一度でいいから、私も頭を載せて眠りたい、と」
辰夫と権田は顔を見合わせた。
「やりましょう」辰夫は言った。「枕木さんの頭を、具体的に想像します」
枕木は感激のあまり深々と頭を下げた。
その日、老い課の取り調べは「枕木氏の頭部想像作業」にすり替えられ、うやむやのうちに終了した。


七章 白いスカートの人
 百年記念日の三日前。辰夫は局長に呼ばれ、地下十五階にあるバーへと向かった。
薄暗い店内、カウンターの端にひとりの女性が座っていた。
金色の髪。赤い唇。白いスカート。
あの有名な写真の女優だった。だが、実物は思ったよりも小さく、どこか疲れた顔をしていた。
「あなたが、老い課の人」
声は少しかすれていた。
「あたしね、六十年以上、同じ顔で、同じポーズで笑ってきたの。世界中の男の人が夢を見てくれるのは嬉しかった。でもね……今は、眠いの」
彼女はストローでグラスの氷を回した。
「みんな、あたしの顔を見ているようで見ていないわ。自分の青春の願望を映しているだけ。あたくだって考えてきたの。もし生きていたら、皺くちゃのお婆ちゃんになって、こたつでミカンを食べていたかもしれないって。……百歳の誕生日に、百歳の顔でみんなの前に出たい。それが最後の願いなの」
「しかし……」辰夫は悲しそうに首を振った。「あなたを若いまま愛している人は世界に何億人もいます。僕ら老人会の想像力では、数の力に負けてしまう」
彼女は静かに微笑んだ。
「想像力は、数じゃないわ。あなたたちが本気で、愛をこめてあたしの老いを描いてくれたら……勝てるかもしれない。根拠はないけれど、女優は根拠のないものを信じて生きていくものだから」
その目尻には、まだ一本も無いはずの皺が、かすかに寄っていた。


八章 全夢同時上映
 十月某日。夜九時。
「全夢、同時上映、開始!」
局長の号令とともに、世界中の眠る男たちの夢の空へ、巨大なスポットライトが射した。
その中心に、白いスカートの女性が降り立つ。金髪、赤唇、完璧な笑顔。
「うおおおっ!」何億もの男たちから大歓声が上がった。
その瞬間、辰夫は目を閉じた。
彼女の目尻の深まる皺。ふんわりと広がる白髪。温かい口元。
老人会の十八名も、権田も、ミセス・Dも、一斉に彼女の「老い」を描き始めた。
夢の空がぐらりと揺れた。
彼女の金髪が、一瞬、銀色に変わる。
「やめろ!」「若いままでいてくれ!」男たちの激しい抗議の嵐が押し寄せ、夢の世界が軋みを上げた。
「だめだ、数が違いすぎる……!」辰夫が歯を食いしばったその時。
「あんたら、何をやってるんだい!」
こたつごと空中に浮遊したミセス・Dが叫んだ。
「若いのと年寄りで喧嘩してどうする! あの子は若い頃も年寄りも、全部ひっくるめてあの子だよ! 一緒に届ければいいんだよ!」
辰夫はハッと息を呑み、大声で叫んだ。
「みんな! 彼女の全部を想像してくれ! 二十歳の彼女も、五十歳も、百歳の彼女も! 全部まとめて愛してくれ!」
その声が響き渡った。
二十歳の頃に彼女に恋した少年は、今や七十歳の老人だ。自分が歳をとったのと同じように、彼女も一緒に時を重ねてきたとしたら――。男たちの心が、ふっと優しく開けた。
空の真ん中に、風が吹いた。
二十歳、三十歳、五十歳、八十歳……そして杖をついた百歳の彼女。
十人の彼女たちが手をつなぎ、横一列に並んでいた。
全員が、白いスカートの裾をふわりと持ち上げる。
それは六十年間、誰も見たことのない、美しく愛おしい「白いスカートの群舞」だった。
夢の底から、万雷の拍手が沸き起こった。泣きながら手を叩く男たちの中で、百歳の彼女が辰夫に向かって小さく手を振り、唇を動かした。
『ありがとう』


九章 第七条改正
 翌月、夢間局設置法・第七条は改正された。
『死者は希望により、以下のいずれかの姿で夢に現れることができる。
 一、最終笑顔時点の姿。
 二、夢を見る者と同じ速度で老いた姿。
 三、その両方を、日替わりで。
 ただし、夢に現れる際は、必ず何かしら笑っていること。苦笑いでも、可』
改正された夜、老い課には感謝の枕カバーが山のように届いた。
隣の席では、権田が新聞を広げていた。見た目は五十二歳――彼が亡くなった年齢だ。
「久保田さん。僕、日替わりにしました。平日は久保田さんと同じ速度で老けて、土日は二十八歳に戻ります。やっぱりたまには若者ぶって遊びたいので」
「お前は、結局そういうやつだな」
辰夫が呆れると、権田は鼻に皺を寄せて笑った。
「へっ」
崩れた、不器用な笑い声。辰夫が四十一年間、ずっと聞きたかった本物の「へっ」だった。


十章 権田の週末
半年後の土曜日。権田が神妙な顔で辰夫のもとへやってきた。
「久保田さん。僕の女房の夢に出たいんです」
妻の洋子は今、九十歳。郊外の家で一人で暮らしている。
「五十五歳の姿で行くか、二十八歳で行くか……どの姿で行けばいいか分からなくて」
「一緒に行ってやる」辰夫は立ち上がった。
洋子の夢は、古い四畳半の台所だった。
割烹着を着た九十歳の洋子が、背中を丸めて大根を刻んでいる。
五十五歳の姿の権田が、ガチガチに緊張して立った。
「洋子」
洋子は包丁を止め、ゆっくり振り返った。
「……あんた。遅かったじゃないの。ごはん冷めるわよ」
洋子は微笑んだ。深まる皺の中に、 四十一年の人生が刻まれていた。
「あんた、お腹出たわね。あたしは、その頃のあんたが一番好きだったのよ。ひょろひょろの若い頃より、五十になってお腹が出て胃薬持ち歩いてたあんたの方が、安心して一緒にいられた」
権田の顔がくしゃっと崩れた。五十五歳の男が、九十歳の妻の手の中で子供のように泣いた。
「でもね」洋子は悪戯っぽく笑った。「土日は若くなるんでしょ? 二十八のあんたも頼むわ」
権田が照れながら目を閉じると、空気がほどけ、二十八歳の青年の姿に戻った。
「あらまあ、かわいいこと」
洋子は嬉しそうに目を細めた。
「若いあんたも、年をとったあんたも。どっちも私の旦那さんよ」
権田は「へっ」と笑おうとして泣きじゃくった。窓の外の庭で、柿の実がぽとりと落ちた。


十一章 孫子たちの夢
 それから、十年が経った。
辰夫は八十三歳になった。老人会の仲間たちも一人、また一人と旅立ち、ハルは九十九歳で「次はええ年寄りになって出るで」と言い残して逝った。
ある日、十七歳になった孫の澪と縁側でお茶を飲んでいた。
「じいじ。私、夢を見たの。会ったことのないひいおばあちゃんが、ちゃんとしわしわで笑ってた。……じいじが死んだら、私の夢に出てね」
「どんな姿で出ればいい?」
「しわしわの、じいじがいい。膝をさすりながら、何回も同じ話をするじいじ。それがじいじだもん」
辰夫はゆっくりとお茶をすすった。少しだけ、しょっぱかった。
その夜、辰夫は夢を見た。
夢間局のバス停でバスを待っている。隣には七十三歳になった権田が立っていた。平日のため、辰夫と同じハゲ頭とお腹である。
「久保田さん、いい年寄りになりましたね」
「へっへっへ」権田が三連発で笑う。
やってきたバスの乗客は、全員おじいさんとおばあさんだった。窓からミセス・Dやハルが手を振っている。一番後ろの席には、百歳の姿のあの女優がいて、辰夫にウインクしてみせた。
「乗りますか?」運転手が訊く。
「乗ります」
辰夫は痛む膝をかばいながら、権田に肩を借りてステップに足をかけた。
「急いでください、次のバスは百年後ですよ」
辰夫も、権田も、バスの中の全員が苦笑いした。
それが正解で、それが本当だった。
バスがゆっくり走り出す。窓の外で夢の空が白んでいく。
どこかで、孫の声が聞こえた気がした。
『じいじ、また同じ話?』
辰夫は窓に額を寄せ、小さく答えた。
「うん。また、同じ話だ」

(了)


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あとがき
 物語の中で主人公の辰夫たちが取り組んだ「老いの配達」は、残された者が死者へ贈る「思い出しの作業」そのものです。
 私たちは時として、亡くなった人を「あの頃の綺麗な思い出」のまま閉じ込めてしまいがちです。けれど、もし彼らが私たちと共に年を重ね、どこかの夢の中で相変わらず不器用に笑っているとしたら――そんな想像を巡らせるだけで、寂しかったお別れが、どこか温かい地続きのものに思えてきます。
 作中に登場する老人会の面々のように、歳をとるということは決して失っていくばかりのことではありません。皺の一本一本、白髪の一本一本に、共に笑い、悩み、生きてきた時間が刻まれています。
 私自身もいつかあの世に旅立ったときには、格好良い若者の姿ではなく、膝をさすりながら「また同じ話」をくり返す、しわしわの頑固オヤジとして誰かの夢に現れたいものだと思っております。




原詩 短命の美学

マリリンモンローが生きていたら
ちょうど100歳だそうだ

同じ時代ではなかったけれど
数多く残る画像に
魅了される男たち

若くして去ったことが
その後の老いを見せることなく
あの日のまま
永遠に残ることとなり
更に
深みを増したのだろう

ベティデイビスは長生きとなり
その老いの姿を映画の中に残した

それは
生き方としてはきっと正解で

それでも
皆の記憶には
仕方なくも老いが付き纏う

時折
先立った仲間たちが
そっと夢に現れるが
皆
あの日の姿で
若く微笑んでいる

僕たちは
あれから長い時が過ぎて
老いを背負いながら
その姿へと変えて来た

すれば
いずれ来るその日に
孫子たちの記憶に残る姿は

更に
老いた僕たちで

でも
それが正解だと 
それが本当だと
苦笑いしながら
先をと急ぐ…