バンが似合う男


まえがき
「自分を良く見せたい」という欲望は、誰しもが抱くものです。高級な服、ブランドの時計、排気音の大きな車――それらは時に私たちに自信を与えてくれます。しかし、それらをすべて剥ぎ取った時、自分自身には何が残るのでしょうか?
本作『バンが似合う男』は、見栄という鎧を身にまとっていた一人の男が、一本の太い骨身を手に入れるまでのユーモラスで少し切ない物語です。肩の力を抜きつつ、男の「本当のカッコよさとは何か」を笑いと共にお楽しみいただければ幸いです。




一章 スポーツカーを降りた日
三十五歳になる小田切修一は、その日、愛車の赤いスポーツカーを中古車屋に売った。
「本当にいいんですか? こんな良い車を」
査定士は、車と修一の顔を何度も見比べた。
「ええ」
「まだ走行距離も少ないですし、かなり大事に乗られてますよね」
「……そうですね」
修一は赤いボディを眺めた。納車された日のことを思い出す。嬉しかった。駐車場に停めた車を何度も振り返った。信号待ちをしているだけなのに周囲の視線が気になった。それが嫌ではなかった。むしろ、少し誇らしかった。
若い頃の修一は、「良いものを持つこと」が「良い男になること」だと思っていた。高い時計、仕立ての良い服、少し高級な店、そして赤いスポーツカー。それらを身につけていれば、自分まで価値のある人間になったような気がした。
だが、三十五歳になった頃から妙な違和感を覚えるようになった。車を降りた瞬間、ただの自分に戻る。時計を外せばただの腕になり、ブランドの服を脱げばただの身体になる。では、自分自身には何が残っているのだろう。その答えが出ないまま半年ほど過ぎた。
そんなある日、湘南の海で一人の男に出会った。名前は知らない。みんなから「タカさん」と呼ばれていた。日に焼けた肌、無駄のない体。そして、少しボロい白い国産バン。タカさんはいつも、そのバンの荷台にサーフボードを積んでいた。
ある日、海辺で若者たちが車の話をしていた。
「やっぱドイツ車だよな」
「いや、イタリアだろ」
「俺、次はポルシェにするわ」
タカさんは缶ビールを飲みながらその話を聞いていた。やがて一人の若者が、タカさんのバンを指差した。
「タカさん、その車いつまで乗るんすか? もう結構古いでしょ」
タカさんは自分のバンを見つめ、ふっと笑った。
「いいんだよ。俺には、これが似合う」
「え?」
タカさんはボンネットを軽く叩いた。
「車ってのはな、自分より目立っちゃいけねえんだ。自分を鍛えた男なら、安物のバンでも似合うんだよ」
若者たちは笑った。だが、修一だけは笑えなかった。タカさんは何も高価なものを身につけていない。なのに、不思議なくらい格好よかった。バンからサーフボードを下ろす背中を見ながら、修一は思った。――俺は、本当に格好いいのだろうか。
それからしばらくして、タカさんは「南の島に行ってくる」と言い残し、車をどこかに引き払って姿を消した。そして半年後、修一はスポーツカーを売る決断をしたのだった。
「最後に、何かありますか?」と査定士が聞いた。修一は少し考え、「いえ。十分、楽しませてもらいました」と笑った。
赤いスポーツカーが店の奥へ消えていく。寂しくなかった。むしろ、少しだけ身軽になった気がした。



二章 筋肉と謎のバン販売店
スポーツカーを手放した修一が次に向かったのは、スポーツジムだった。「鍛えれば、バンが似合うようになる」というタカさんの言葉を、修一は真面目に受け止めていたのだ。
ジムのトレーナーは、筋骨隆々の初老の男だった。名札には「ゴンザレス・田中」とある。国籍も経歴も不明だ。
「お客さん、目的は何です?」
「バンが似合う男になりたいんです」
田中の表情がガラリと変わった。「……なるほど。バン道(どう)ですね」
「バン道……?」
「うちにも何人かいますよ、その系統の会員が」
それ以来、修一は筋トレに没頭した。スクワット、ベンチプレス、デッドリフト。なぜか握力まで激しく鍛えさせられた。「握力は何のためですか?」と尋ねると、田中は真顔で答えた。「バンのドアを開けるためです」「普通に開きますよね?」「普通の男はな」――修一はそれ以上突っ込むのをやめた。
三ヶ月後、修一の体は見違えるように変わっていた。胸板は厚くなり、背中には力強い筋肉がついていた。だが、肝心のバンがない。
ネットで探していると、工業地帯の外れにある『バン専門中古車販売店』という怪しい店を見つけた。口コミには「普通の車屋ではありません」とだけ書かれている。
訪ねてみると、倉庫のような店内で眼帯をした老人が座っていた。「バンを探している」と伝えると、老人は修一の体をじっと見つめた。
「ほう……いい面構えだ。前はスポーツカーに乗ってただろう。バンってのは見せかけの男には似合わんのだ」
老人が奥のシャッターを開けると、そこに一台の白いバンが停まっていた。色あせたボディ、後部のサーフボード用キャリア。見覚えがあった。
「これは……」
「元はある男の愛車だ。波乗りに夢中になって南の島へ渡ったきり帰ってこん」
胸が鳴った。「タカさん……」
「こいつがあんたを選ぶかどうかは知らんがね」老人は不敵に笑った。修一はその場で、そのバンを買い取った。



三章 バンが喋る
家に帰り、修一はさっそくバンを丁寧に磨き上げた。最後に運転席へ座り、「よろしくな」と呟いた。すると――
「おい」
どこからか声がした。誰もいない。
「おい、そこの兄ちゃん。俺だよ、俺。車だよ」
修一は固まった。自分の頭を叩き、ボンネットを二回ノックした。「……筋トレのしすぎで幻聴が聞こえるのか?」
「幻聴じゃねえよ。前の持ち主が変な念でも込めていったんだろ。俺はバンだ」
「喋ってるのか、車が?」
「そうだよ。あいつはいつも言ってた。『自分より車を目立たせるな』『鍛えた男にこそバンが似合う』ってな。だからお前が本当に鍛えてるか気になってる」
「どうやって判断するんだ?」
「乗ってみろ」
修一がエンジンをかけると、古いエンジンが低く唸った。「……悪くない。及第点だ」とバンが言った。
こうして、修一と喋る白いバンとの奇妙な生活が始まった。



四章 バン愛好会という名の秘密結社
ある夜、カーナビが勝手に作動し、見知らぬ倉庫街へ誘われた。到着すると、そこには何十台もの国産バンと、胸板が分厚い男たちが集まっていた。
「よく来たな。我々は『全国バン愛好会・漢の部』だ」
全身筋肉の会長が威厳たっぷりに言った。「我々には三つの掟がある! 第一、車の値段を自慢しない! 第二、馬力を自慢しない! 第三、バンの傷を恥じない! 傷は勲章、へこみは歴史だ!」
「おおお!」と歓声をあげる男たち。修一も入会試験(車中泊や荷室での昼寝など)を難なくクリアし、会員番号八十八番を授かった。




第五章 波の上のタカさん
数ヶ月後、愛好会のツーリングで訪れた湘南の海で、修一は信じられない光景を目にした。さらに日焼けし、筋骨隆々になったタカさんが波打ち際に立っていたのだ。
「タカさん!」
「おお、あの時の若造か! 鍛えたな、いい顔になった」
修一のバンを見るや、タカさんは「おお、元気だったか!」と叫び、愛車をガシッと力強く抱きしめた。バンが「プピッ」と嬉しそうにクラクションを鳴らす。
「タカさん、バンが似合う男って、結局どういう男なんですか?」修一が尋ねた。
タカさんは海を見つめ、静かに語った。
「見せかけを捨てた男だ。高い車や速い車に乗るのが悪いわけじゃない。ただ、車に負けるな。高い車に乗ってるから偉いんじゃない。自分の中身がちゃんとしてりゃ、どんな車に乗ったって格好いいんだよ」
修一の胸に、その言葉が深く染み渡った。スポーツカーを手放して得た答えが、ようやく繋がった瞬間だった。



終章 バンが似合ってこそ
それから修一は、毎週末バンで出かけるようになった。海、キャンプ、釣り。会社の後輩に「なんでそんなボロいバンに乗ってるんですか?」と聞かれれば、「こいつが似合う男になったからだよ」と答え、「まずは筋トレだ」と笑った。
「おい修一、たまには洗車しろよ。塩は嫌いだ」とバンが勝手に呟く。
「お前、海に行きたがってただろ」
「海は好きだが塩分は嫌いだ」
修一は吹き出した。昔なら周囲の目を気にして、高級なもので自分を飾っていた。だが今は違う。バンを降りても、自分は自分だ。自分の中に残るものが、確かに感じられる。
筋肉だっていつか衰え、車もいつか壊れる。だが、自分自身を磨こうとした時間だけは、決してなくならない。
夕陽のなか、古いエンジン音を響かせて白いバンが走っていく。車が格好いいのではない。その車に乗る男が、もう自分を飾ろうとしていないからだ。




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あとがき
「男の価値とは何か」という少し重くなりがちなテーマを、喋るバンや筋トレ愛好会といったコミカルな要素で軽快に描き出してみました。物語の主人公・修一のように、私たちは時に他人の目や所有物で自分を測ってしまいがちです。ですが、本当に大切なのは「何を持っているか」ではなく「自分自身がどうあるか」なのだと感じます。

失礼ながら、特に良い車に乗ってる連中ほど、マナーの悪さを感じる世の中。
読者の皆様が、ご自身の「相棒」と共に自分らしい道を歩んでいけるよう、願いを込めて。