三部作 物好きの山


第一部

見えない手
―ある釣り人の記録―


まえがき
若い頃の私は、前へ進むことばかりを考えていました。障害があれば乗り越え、不都合があれば勢いで押し切り、自分の思い通りに時間を動かすことこそが「生きること」だと信じて疑わなかったのです。しかし、人は誰しも年齢を重ね、予期せぬ挫折や身体の衰え、身近な人との別れを経験します。還暦という節目の坂を越えたとき、ふと振り返ってみれば、私が「己の力で切り開いてきた」と思っていた道の傍らには、常に無言で私を立ち止まらせてくれた「何か」が存在していたことに気づかされました。
本作は、一人の釣り人が秋の渓流を前に経験した小さな足止めと、時を超えて受け継がれる祖父の言葉を巡る短い物語です。人生には、進むことと同じくらい「引き返すこと」「留まること」に深い意味がある瞬間が存在します。日々の忙しない流れの中で、ふと立ち止まり、ご自身の歩んできた道を穏やかに愛おしむような時間となれば幸いです。



腰を痛めたのは、先週の水曜日だった。
荷物を持ち上げようとした瞬間、腰の奥に鈍い痛みが走った。
たいしたことはない。
そう自分に言い聞かせたものの、そのまま動くことができず、三日ほど大人しくしていた。
ところが今度は、喉の奥がひりつき始めた。
熱も出た。
風邪だった。
風邪薬を飲みながら体を休め、そして迎えた今日、土曜日。
窓の外は朝から土砂降りだった。
今週末に予定していた、山奥への釣行は、これで完全に流れた。
腰。
風邪。
アンド雨。
三段階だ。
私は窓の外を眺めながら、独りごちた。
一つなら、偶然で片づけられる。
二つでも、まあ、そんなこともあるだろうと思える。
だが三つ揃うと、話は少し違ってくる。
まるで、念には念を入れて、あらゆる角度から道を塞ぎに来たかのようだった。
「分かった」
私は誰にともなく呟いた。
「ありがとう。もちろん、やめとくよ」
人に話せば、きっと笑われる。
「ただの偶然だよ」
そう言われるに決まっている。
もちろん、私だって、それが偶然ではないと証明できるわけではない。
それでも、この感覚だけは、当人にしか分からないものなのだ。



今週末は、山奥に分け入って、フライフィッシングをする予定だった。
今シーズンは、体の不調やそのリハビリ、さらには実家の片付けといった雑事も重なり、なかなか機会を作れずにいた。そこへ最近は、あちこちで熊の出没情報まで聞くようになった。
気がつけば、まだ一度も渓に足を運べていない。
しかも今月末には禁漁になる。
だからこそ、行けるときに行っておこうと思った。
熊避けスプレーも用意した。
もちろん、それだけで安全が保証されるわけではない。
それでも、できる準備はしておきたかった。
今週末を選んだのも、そのためだった。
ところが、である。
腰を痛めた。
風邪をひいた。
そして、雨が降った。
これだけ重なると、さすがに考えてしまう。
やはり今回も、あの見えない何者かが、私を止めに入ったのではないか。
そう思わずにはいられなかった。



こんなことは、若い頃から何度となくあった。
ただ、当時の私は、その気配にまるで気づかなかった。
若さというものは、ときに鈍感さとよく似ている。
行きたいと思えば行く。
やりたいと思えばやる。
少々の不調や違和感など、勢いで踏み越えてしまう。
相変わらずの勢い任せで、そのたびにたいてい失敗した。
怪我をしたこともある。
後になって振り返れば、
「あのとき、やめておけばよかった」
と思うことも少なくなかった。
それが単なる不運だったのか。
それとも、何かの警告だったのか。
その重大さに、ようやく気づいたのは、還暦を迎えた年だった。
何かに乗り出そうとすると、その直前になって決まっておかしなことが起きる。
たとえば、バイク。
出発しようとすると、エンジンがかからない。
前の日までは何の問題もなかったのに、である。
あるときはタイヤがパンクしていた。
別のときにはライトが点かなかった。
修理工場へ持っていっても、はっきりした原因が分からないことも多かった。
ところが、
「そうか。今日はそう来たか」
と呟いて出発を諦めると、その直後、バイクは何事もなかったかのように動き始める。
何度もそんなことが続いた。
さすがに私は考えるようになった。
これは、単なる故障ではないのではないか。
もちろん、そんなことを誰かに話せば笑われる。
だから、私は誰にも言わなかった。
ただ一つだけ、やり方を変えた。
無理に突破しようとしない。
一度立ち止まってみる。
そして、
「ありがとう」
と声に出して、その声に従ってみる。
それを覚えてからというもの、私の暮らしは少しだけ静かになった気がする。



不思議なことに、この感覚は、大きな出来事だけに限らない。
日常の、ごく些細な場面にも潜んでいる。
たとえば、目当てのものを買いに出かけたとする。
売り場まで行く。
すると、そこにはすでに先客がいる。
ただ、それだけのことだ。
混んでいるわけでもない。
店員に断られたわけでもない。
ほんの少し待てば済む。
それなのに、なぜか私は、
「今日は、それじゃない」
という気がすることがある。
そこで無理に待たず、別の売り場を覗いてみる。
すると、ふと思う。
「なるほど。これではなかった」
あるいは、
「いや、そもそも、今の自分には必要なかったな」
と気づく。
先客というだけの、何でもない出来事。
偶然と言われれば、それまでだ。
それでも、そんな小さな出来事が積み重なっていくと、いつの間にか一つの感覚が育ってくる。
守られているのか。
試されているのか。
助言なのか。
それとも、神託のようなものなのか。
先祖なのか。
神様なのか。
あるいは、もっと別の何かなのか。
私には、何一つ分からない。
だが、今では、それでいいと思っている。
名前をつけてしまえば、かえって何か大切なものを見失う気がするのだ。



実家の片付けをしていたときのことだった。
仏壇の裏に置かれていた古い茶箱を動かした。
底には、長い間誰にも触れられていなかったような、一冊の大学ノートがあった。
表紙には、祖父の名前が万年筆で記されている。
私はしばらく、その名前を眺めた。
祖父は、私が子どもの頃にはもうかなり年を取っていた。
無口な人だった。
こちらから話しかけなければ、何時間でも黙っているような人だった。
だが、釣りだけは好きだった。
ノートを開いてみる。
そこには、長年にわたる渓流釣りの記録が残されていた。
日付。
天候。
川の名前。
水量。
釣果。
どこで何匹釣れたか。
どんな毛鉤を使ったか。
実に几帳面な字で、淡々と記されている。
ところが、ページをめくっていくうちに、時々、妙な一文が混じっていることに気づいた。
「今日は出発の朝、下駄の鼻緒が切れた。行くのをやめた」
別のページには、
「支度をしていたら、猫が三度、こちらを見て鳴いた。中止とする」
さらに、
「体の節々が痛み、目まいもする。天の意向と見て、竿を仕舞う」
私は、そこで手を止めた。
祖父もまた、同じものを感じていたのだろうか。
偶然を、偶然のまま受け取らない何かを。
ページをめくる。
そして、ある年の秋の記述に目が留まった。
短い文章だった。
「隣村の彦市、無理に出て、渓で足を滑らせ帰らぬ人となる。合図を侮るなかれ」
私はしばらく、その文字から目を離すことができなかった。
背筋を、冷たいものがすっと走った。



その夜、私は祖父のノートを枕元に置いて眠った。
夢を見た。
深い山の中だった。
私は一人で渓を歩いている。
木々の間から差し込む光は薄く、水の流れる音だけが静かに響いていた。
しばらく歩いていると、対岸の岩の上に誰かが立っているのが見えた。
老人だった。
顔はよく分からない。
古びた蓑のようなものを身につけている。
老人は何も言わず、ただこちらを見ていた。
私は川を渡ろうとした。
一歩、足を踏み入れようとした、そのときだった。
老人がゆっくりと首を横に振った。
私は立ち止まった。
「今日は、やめておけ……ということですか」
そう問いかけた。
老人は答えなかった。
ただ、もう一度だけ、静かに首を横に振った。
そこで目が覚めた。
窓の外では、まだ雨が降り続いていた。
しばらく天井を見つめていた。
あの老人は誰だったのだろう。
祖父だったのか。
もっと遠い先祖だったのか。
あるいは、山そのものが、私の記憶の中にある祖父の姿を借りて現れたのか。
私には分からない。
ただ、枕元のノートに残された祖父の筆跡と、夢の中の老人の佇まいが、どこか重なって見えた。



翌週になると、腰の痛みはすっかり引いていた。
風邪も治まった。
天気予報を見ると、来週末は久しぶりの快晴が続くらしい。
禁漁まで、あと一週間。
ぎりぎりだが、間に合う。
今度こそ行ける。
そう思って支度を始めた。
だが、そこで私は、ふと手を止めた。
これまでなら、急いで荷物を詰め込んでいたところだ。
しかし、今度は違った。
熊避けスプレーの箱を開ける。
使用期限を確認する。
ノズルの状態を見る。
地図を広げる。
林道の状態を調べる。
入渓点までの道を確認する。
天候をもう一度見る。
一つひとつ、ゆっくりと確かめていった。
これまでの私は、こうした確認さえ、勢いに任せて省いていたかもしれない。
だが、今は違う。
急かされているのではない。
むしろ、落ち着けと言われているような気がした。
支度をしているうちに、不思議なことを思った。
亡くなった祖父が、すぐ隣に座って、黙ってこちらを見ているような気がする。
もちろん、そんなはずはない。
それでも私は、誰にともなく呟いた。
「今度は、行かせてもらえますか」
返事はない。
雨の音もない。
ただ、静かな部屋があるだけだった。
だが、拒まれている気配もなかった。



出発の朝は、見事な快晴だった。
空は高く、雲もほとんどない。
腰に違和感はない。
体調もいい。
ロッドケースとザックを固定し、バイクのセルボタンを押す。一発でエンジンがかかった。
私は思わず笑った。
「今日は、いいんだな」
もちろん、返事はない。
それでも、なぜかそう言いたくなった。
道中、何のトラブルもなかった。
やがて山へ入り、舗装の切れた林道を進む。
渓の近くにバイクを停め、荷物を背負った。
そして、ゆっくりと川へ降りていった。
水は澄んでいた。
朝の光を受けて、川面が細かな銀色の光を返している。
竿を伸ばす。
毛鉤を結ぶ。
深く息を吸う。
そして、上流へ向かって歩き始めた。
何度目かのキャストだった。
竿先に、確かな手応えが伝わってきた。
反射的に竿を立てる。
水面が跳ねた。
銀色の魚体が、一瞬だけ陽の光を弾いた。
イワナだった。
私はしばらく、その魚を手のひらに乗せて眺めていた。
小さな命が、掌の中で静かに動いている。
その姿を見ていると、なぜだか祖父のノートのことを思い出した。
私は、そっと魚を水へ戻した。
イワナは一度だけ尾を振り、流れの中へ消えていった。
「ありがとう」
誰に向けた言葉だったのか、自分でも分からなかった。
魚に向けてだったのか。
山に向けてだったのか。
祖父に向けてだったのか。
それとも、これまで何度も私を立ち止まらせてきた、あの見えない何者かに向けてだったのか。
たぶん、その全部だった。



帰り道、林道の途中でバイクを停めた。
ヘルメットを脱ぎ、山並みを眺めた。
夕方の光が、木々の向こうに沈みかけている。
私は、しばらく何も考えずに立っていた。
守られているのか。
試されているのか。
助言なのか。
お告げなのか。
先祖なのか。
神様なのか。
今も、何一つ答えは出ていない。
だが、一つだけ分かっていることがある。
人生では、進むことだけが正解ではない。
ときには、立ち止まることにも意味がある。
行けなかった日。
壊れたバイク。
店の前にいた先客。
突然の体調不良。
そして、あの日の土砂降り。
振り返ってみれば、それらはすべて、今日この日、無事にこの場所へ立つための遠回りだったのかもしれない。
願いはいつも、健康と、安全と、穏やかな暮らし。
それだけで十分だと思っていた。
いや。
本当は、それだけで十分だったのだ。
山を見ながら、私はふと笑った。
「ずいぶん、遠回りさせるもんだな」
誰も答えなかった。
けれど、なぜか、それでいいと思った。



家に帰り着き、荷物を降ろしているときだった。
ふと、あることを思い出した。
「そういえば……」
私は一人で呟いた。
「そろそろ、カネのことも少し頼んでみようか」
口にしてから、自分でおかしくなった。
これまで健康だ、安全だ、無事に帰れたと感謝しておいて、最後は金の話か。
「いや……」
私は苦笑した。
「足りるだけあれば、それでいい」
少し考える。
「……いやいや」
もう一度考える。
「ちょいと多めに」
自分で言って、自分で笑った。
窓の外では、今日も静かに山の稜線が夕暮れに染まっている。
見えない手は、今日もどこかで、こちらの身勝手なお願いごとを苦笑いしながら聞いているのかもしれない。
それでも、私にはそれが、少しだけありがたかった。

(了)


あとがき
私は四十年にわたり、山奥の渓流を訪れては毛鉤を投げるフライフィッシングを楽しんできました。自然という大きな懐の中に身を置いていると、時に自分の意思や計画など、人間の一方的な都合に過ぎないのだと思い知らされる瞬間があります。天候の急変、突然の体調不良、機材のトラブル――そうした一見すると「不運」に思える出来事も、視点を変えれば「これ以上踏み込むな」という静かな守りの手であったのかもしれません。
年齢を重ね、身の回りの物事を手放したり整えたりしていく中で、私はこうした「目に見えないもの」への感謝の念を強く抱くようになりました。若き日のように何でも自力で突っ走るのではなく、与えられた流れを受け入れ、時には「ありがとう」と声をかけて引き返す。それこそが、無事に家へ帰り、温かいお茶を飲むための最も大切な智慧なのだと感じています。
この小さな物語が、日々の生活の中で少し立ち止まりたいと感じている皆様の心に、小さな凪のような静けさをもたらすことができたなら、とても嬉しく思います。


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第二部

昨日屋
―昨日のあなたへ―


まえがき
人は時々、
「引き返す」ということを、負けのように感じてしまいます。
仕事を休むこと。
夢を延期すること。
誰かとの関係を終えること。
山で途中下山すること。
それらはどこか、諦めに似て見えるからです。
けれど、本当にそうなのでしょうか。
前へ進むことだけが、生きることなのでしょうか。
もし、昨日の自分に一日だけ戻れるとしたら。
そのとき、私たちは何を変えるでしょう。
失った人を取り戻すでしょうか。
間違えた言葉を言い直すでしょうか。
別の道を選ぶでしょうか。
あるいは――
ただ一言、「今日は、やめておけ」と、自分自身に伝えるでしょうか。
これは、北アルプスの山奥にある、少し変わった山小屋の話です。
名前は、『昨日屋』。
そこには、昨日へ戻ることのできる女将がいると言います。
ただし――戻れるのは、一日だけ。
それ以上は、戻れない。
だからこそ、その一日は、とても大切なのかもしれません。


序章 夢の縁に立つ
夢の中で、私は山を見ていた。
どこまでも高く、どこまでも静かな山だった。
空は蒼く澄み渡っている。けれど、はるか稜線の向こうには、不穏な黒い雲が蠢いていた。
私は濡れた石が転がる山道を、一人で歩いていた。風は凍えるほど冷たい。
なぜ歩いているのか、自分でも分からない。ただ、「もう少しだけ」と思っていた。
いつもそうだった。仕事でも、恋愛でも、人生でも。
もう少しだけ頑張れば。もう少し我慢すれば。もう少し先まで行けば、何かが変わる。そう信じ込んでいた。
やがて、深く立ち込める霧の向こうに、古びた建物が見えた。
小さな山小屋だった。入口には使い込まれた木の看板が掛かっており、そこには風化した文字でこう刻まれていた。
『昨日屋』
私が足を止めたそのとき、ギィと音を立てて扉が開いた。
中に立っていたのは、白髪の女性だった。六十代くらいだろうか。静かな眼差しで私を見つめると、薄く微笑んだ。
「ようこそ」
湯気の立つ湯飲みが一つ、暖炉の前のテーブルに置かれている。
女将は静かに私を見つめ、言った。
「昨日に戻ってみますか」
私が答えに窮していると、女将は少しだけ寂しそうな顔をして、つぶやいた。
「では、明日」
その言葉の意味を理解する間もなく、私は深い目覚めの中へと引き戻された。


第一章 三十八時間前の男
赤坂義孝、三十四歳。出版社に勤める編集者だった。
仕事は嫌いではなかった。誰かが書いた文章を読み、その言葉が世の中に出ていく手伝いをする。それは彼にとって、それなりに誇りのある仕事だった。
ただ、最近は深く疲れていた。
三年間付き合っていた女性と別れたのは一か月前だ。原因は忙しさとすれ違い、そして会話が消えていったこと。
最後に彼女が遺した言葉が、今も胸に刺さっていた。
「あなたは、いつも前に進もうとするよね。でも、たまには戻ってもいいんじゃない?」
戻る。そんな選択肢は、彼の人生のどこにも存在しなかった。
その週末、義孝は衝動的に休暇を申請した。金曜の夜、滑り込むように乗り込んだ北へ向かう列車の中で、仕事のメールが次々と届くスマートフォンをそっと伏せた。
翌朝、登山口に立った。空はどんよりと曇り、午後からの悪天候を告げていたが、義孝はいつものように「大丈夫だろう」と自分に言い聞かせ、足を踏み出した。
昼過ぎ、雨が降り始めた。霧雨はすぐに強い風を伴う雨へと変わり、視界を奪っていく。
地図を確認する。予定の山小屋まではまだ距離があった。引き返す選択肢もあったが、「ここまで来たのだから」という強迫観念が、足を前へ押し進めた。
夕刻近く、霧の深い裂け目から古い木造の山小屋が現れた。
看板には『昨日屋』と書かれている。
義孝は息をのんだ。夢で見た、あの場所だった。
扉を開けると、暖かな薪の匂いとともに、あの白髪の女性が出迎えた。
「いらっしゃい。お腹、空いているでしょう。夕飯にしましょう」
それが、島田時子との最初の会話だった。


第二章 女将の名前
夕食はご飯と味噌汁、焼いた魚に山菜という質素なものだったが、義孝の身体に深く沁み通った。
食後、お茶を淹れてくれた時子に、義孝は問いかけた。
「女将さんは、ずっとここに?」
「ええ。もう長いですよ」
「旦那さんは……?」
時子の手がわずかに止まる。
「十三年前に亡くなりました。この山でね」
時子は湯飲みを見つめたまま、静かに語った。
翌朝の荒天を予測する時子の言葉には、山と長く生きてきた者だけが持つ静かな確信があった。
夜、あてがわれた布団に入ると、風の音が小屋を激しく揺らしていた。
枕元に古い手帳が置いてあるのに気づく。表紙には『昨日』とだけ書かれていた。
義孝が手を伸ばすと、戸口から時子の声がした。
「それは読まないほうがいいですよ。昨日に戻って、今日を変えた日の記録ですから」
時子の表情に冗談の色は一切なかった。


第三章 昨日への道
翌朝、外は雲一つない快晴だった。
義孝が「これなら行けそうですね」と言うと、時子は静かに首を振った。
「山は晴れたから安全とは限りません。私には、昨日の天気が分かります。そして私は、一日だけなら昨日へ戻れるんです」
時子は遠い目をして、十三年前の出来事を話し始めた。
「夫が亡くなった夏のことです。嵐が近づく中、夫は登山者たちの出発を止めようとしました。けれど翌朝、山は嘘のように晴れ渡り、人々は静止を振り切って出ていってしまった。夫は後を追い、そして戻りませんでした」
時子は手帳を優しくなでた。
「夫が逝った翌日、私は深い失意の中で、割れた空間の向こうに『昨日の朝』を見ました。私は扉を開け、昨日の夫に駆け寄って『行かないで』と叫びました。けれど、一度動いてしまった過去の運命を変えることはできなかった……。夫を救うことは叶いませんでした」
時子の瞳に、かすかな揺らぎが走る。
「ですが、その日以来、私はこの場所で『昨日』へ戻る術を知りました。事故の兆候が生まれつつある『一目前の昨日』へ戻り、人々に声をかける。救える人と、救えない人がいます。昨日を変えても、人生のすべてを変えられるわけではありません。それでも、私は踏みとどまらせるためにここにいるのです」


第四章 割れた空間
義孝は時子の許しを得て、手帳のページをめくった。
そこには英雄的な物語ではなく、「雨具を忘れた青年を呼び止めた」「靴紐の緩みを指摘して出発を遅らせた」といった、ささやかな記録が並んでいた。
「一つだけ聞いてもいいですか」と義孝は尋ねた。「昨日へ戻ったとき、空間はどうなるんですか?」
「ほんの一瞬だけ、ガラスに光が入るように景色が重なり、空間が割れるのです」
時子が窓の外を指さした瞬間、義孝の視界が歪んだ。
光の屈折の向こうに、別の山道の風景が重なり、耳元で誰かの声が聞こえた。
――戻れ。
振り向いても誰もいない。時子はただ、深く澄んだ眼差しで義孝を見つめていた。


第五章 明日の話
昼近く、山を渡る風の匂いが変わった。
「今日は、稜線まで行かないでください」と時子は言った。
「ここまで来たんですから」と渋る義孝に、時子は温かな茶を注ぎながら言った。
「山は逃げません。チャンスなんてまた来ます。引き返すことと、諦めることは違いますから」
その言葉は、前に進むことだけを強要されてきた義孝の胸に、小さな波紋を広げた。
その夜、嵐は激しさを増した。
義孝は眠れず、再び手帳を開いた。最終ページには今日の日付と、自分の名前が書かれていた。
――赤坂義孝。明日の朝、彼は山へ向かう。
その先は白紙だった。
「そこから先は書いていません。あなたが明日、どうするかは、あなた自身が決めることです」
暗がりから現れた時子が、静かに告げた。


第六章 晴れた朝の罠
翌朝、山は眩しいほどの快晴だった。
義孝がザックを背負うと、時子は彼の足元を指さした。「右足の靴紐を、結び直して」
言葉に従い靴紐を結び直した義孝は、晴天の山道へ踏み出した。
しかし、尾根に近づくにつれ、頬を刺す風の冷たさが変わった。遠くの空に、急速に湧き上がる黒い雲が見える。
いつもなら「もう少し」と進むところだった。だが、時子の言葉が脳裏をよぎる。
――山は逃げません。
「……帰るか」
驚くほど自然に、その言葉が出た。
義孝が小屋に引き返してから三十分後、山は猛烈な吹雪と嵐に包まれた。
扉を開けると、時子が静かに迎えた。
「おかえりなさい」
「ただいま」
それだけで、自分の選択が正しかったことを義孝は悟った。


第七章 嵐、来たる
外の白魔を眺めながら、義孝はつぶやいた。
「もしあのまま進んでいたら……」
「山で『もし』を考えるのはおよしなさい。戻れなくなりますから」と時子は薪をくべた。
「今日を変えるのは、特別な魔法ではありません。昨日のあなたの決断です」
その夜、義孝は深い夢を見た。
夢の中に現れたのは、白髪になる前の若い時子だった。
「私は夫を救えませんでした。けれど、戻ることで『自分自身』を取り戻したのです。あなたもご自分の場所へ戻りなさい。引き返すことは、諦めることではないのですから」
窓が白く光り、世界が揺れた。


第八章 翌朝の光
目が覚めると、嵐は去っていた。
枕元にはあの手帳があり、ページには一言、こう書かれていた。
――引き返すことと、諦めることは違う。
食堂に向かったが、時子の姿はどこにもなかった。
テーブルの上には、まだ温かいお茶と、「今日は休んでください」と書かれた紙が一枚。
その日の午後、義孝は山を下りた。
何度も振り返りながら歩き、麓にたどり着く直前に最後にもう一度見上げると――そこには小屋はなく、ただ苔むした古い石積みが佇んでいるだけだった。
狐につままれたような心地でザックのサイドポケットを探ると、そこには昨夜までなかったはずの、古びた革の手袋が固く丸められて入っていた。時代から取り残されたような、しかし確かに存在する手触り。
夢ではなかった。そう直感した。


第九章 手袋の記憶
東京へ戻る列車の中で、義孝はスマートフォンの電源を入れた。
山のように溜まった業務連絡に、かつての彼なら青ざめて即答していただろう。だが、義孝は静かに画面を伏せた。
「今日は、休もう」
元恋人からの連絡にも、無理に答えを出すのをやめた。終わったものを過去へとこじ開ける必要はない。
数日後、義孝は山小屋に残されていた革の手袋を、麓の村に住む時子の遠縁の親族へと小包で送った。手紙にはただ、「山で見つけました。お返しします」とだけ添えた。不思議な話など書かなくても、それで十分だった。
その夜、義孝は机に向かい、自分のためにペンを執った。
タイトルは『昨日屋』。
それが現実だったのか幻だったのかは問題ではない。あの日、自分が確かに引き返したこと。その事実だけが彼の中に光っていた。


終章 昨日のあなたへ
それから半年が過ぎた。
義孝は相変わらず編集者として忙しい日々を送っていたが、彼の中の何かが根本から変わっていた。無理を感じたときは立ち止まり、誰かの撤退を寛容に受け入れられるようになった。
夏が訪れ、義孝は再び山へ向かう計画を立てた。
だが出発の朝、体調の微かな違和感と、窓を打つ雨音を感じ取った。
以前の彼なら押して出かけただろう。しかし、義孝は深く息を吐き、アラームを切って布団に潜り直した。
「今日は休みだ」
目を閉じると、深い夢の中で懐かしい山小屋の扉が見えた。
白髪の女将が微笑んでいる。
「今日は、戻らなくてもいいのですか?」
「ええ。今日は、ここにいます」
女将は嬉しそうに頷いた。
「それでいいんですよ。山は逃げませんから」
目が覚めたとき、心は透き通るように軽かった。
義孝は机に向かい、書きかけの『昨日屋』の原稿の末尾に、そっと書き足した。
――来年の夏、また来ます。そのときは、稜線まで。
人はいつも前へ進み続けなくてもいい。立ち止まり、休むことは、明日の自分へ歩くための時間を渡すことなのだ。
昨日の自分は、今日の自分を責めるためにいるのではない。そっと助けるために、そこにいる。


あとがき
この物語の種になったのは、一つの短い詩でした。
「昨日のあなたへ」という言葉から始まった小さな文章を、いつか物語にしてみたいと思っていました。
人生では、前へ進むことが美徳とされます。けれど同時に、休むこと、手放すこと、引き返すこともまた、生き続けるための大切な選択です。
『昨日屋』が本当に存在したのか、それは重要ではありません。
もしあなたが今、何かに疲れて引き返そうとしているなら、どうかそれを「諦め」と呼ばないでください。
山は逃げません。明日になれば、また歩ける道があります。



原詩
昨日のあなたへ

その宿の女将さんは
今日と昨日とを行き来していると
微笑んで コーヒーを淹れてくれた

昨日
やり忘れたことを
今日
やるのではなく
昨日に戻ってやって来ると

すれば
今日は最初から間に合っているから
快適に変わると…

宿泊している僕には
何のことか分からないが
どうやら
そういうことが出来るようだ

ここは? と思えば
山小屋だ
北アルプスだ

あなたは大丈夫かしら?
そう微笑んだけれど

もしもこの先
山奥へと入るならば
前日には
必ずここに
泊まってからにしてねと呟いた

えっ? と尋ねると

私ね
あなたたちを救いたいのよ

僕たちを?

そう

昨日に戻って
そっとアドバイスするの

すると
遭難せずに戻って来れるのよ

はっ?

わずかな装備不足や
間違ったルート
急変する天気

それから
落石 雪崩 豪雨 落雷 突風
熊 …

予知出来ないことに
巻き込まれることばかり

でもそれを
昨日に戻って伝えられたら
間に合うでしょ!

えぇ

でもそれは
いつから?

そうねえ
ここに来て数年した頃
初めての団体さんを受け入れて
その方々と
楽しく過ごした翌日

その方々 
全員の事故を知った直後
突然
目の前の空間が割れて
昨日に戻る道が現れたのよ

ならばと
必死でそこへ飛び込んだら
間に合ってね

それから
毎日 何事もなくても
昨日へ戻って
今日 足りない部分を
補ってくるのよ

はあ?

それは
本当ですか?

そうよ
でもそれは
ナイショね!

ではもしかして
この夏
K2での彼らを救うことも
出来るのですか?

残念ながら
それは無理

だって
昨日にしか戻れないから

そう
一昨日には
もちろん
その先には戻れないの

そうですか
残念です

もしかして女将さん

僕を救う為に
明日からここへ戻って来た?

女将さんは
そうかもね? と
にっこり微笑んだ

そうかあ
確かに
明日の天気で悩んでいた

ありがとう! と伝えながら
そこで目が覚めた

しばらく
記憶に残らない夢ばかりだったけれど
ここ数日はまた
不思議な夢から生還している

さて
本日 
単独で
出掛けようとしていた山行

今まだ風邪は治らず
残念ながら
延期とした…


ーーーーーーーーーー


第三部

富士山まであと1メートル
――スコップを担いだ男の、30年と1メートルの物語――


まえがき
人は、なぜ山に登るのだろう。
その問いに対して、昔の偉い登山家は、
「そこに山があるから」
と答えたらしい。
だが、私の場合は少し違う。
酒が入っていたからである。
本作『富士山まであと1メートル』は、そんな極めて不純な動機から始まった、ある中年男たちの長い長い遠回りの物語です。
若い頃の勢いで口にした「富士登山」という一言が、なぜか三十年間も人を集め続け、途中で挫折し、笑われ、また集まり、気づけば人生そのものになっていた――。
書いているうちに、これは単なる登山小説ではないのかもしかもしれないと思うようになりました。
人間は、登れなかった山のことほど忘れられない。
途中で諦めたことほど、妙に心のどこかに残り続ける。
そして歳を重ねると、不思議なことに、
「もう一回くらいやってみるか」
という気持ちが、ふっと戻ってくる。
この物語には、大成功する人もいません。
世界を救う英雄もいません。
あるのは、居酒屋で調子に乗った会社員と、使われないスコップと、「来年こそ行く」と言い続ける人々だけです。
ガイドブックのような正しい登り方はここには書いてありません。
でも人生って、案外そういうもので出来ているのではないでしょうか。
笑っていただけたら嬉しいです。
そしてもし、あなたの心の中にも「あと1メートル」が残っているなら、本書がその景色を少しだけ思い出すきっかけになれば幸いです。


第1章 飲み会という名の罪
人生には、取り消せない一言というものが存在する。
「あの娘、好きなんだよね」と告白した夜。
「俺、課長向いてないかも」と上司に漏らした夜。
そして――
「次の遊びは富士登山ですっ!」
と叫んだ、あの夜。
私の名前は木村勝夫、五十九歳。
コピー機メーカー勤務。
来年には定年を迎える、どこにでもいる平凡なサラリーマンである。
趣味は特にない。
特技は、二日酔いのままでも会議を乗り切ることくらいで、これは特技と呼んでいいのかどうかも分からない。
その「事件」が起きたのは、今から約三十年前のことだった。
場所は新宿の居酒屋「さぶちゃん」。
内装はすべて昭和テイスト。
壁には「男は黙ってサッポロビール」のポスターが貼ってあり、メニューは手書き、トイレは和式、カウンターの隅には煤けたダルマが鎮座していた。
私は当時二十九歳。
入社六年目の若手社員で、酒を飲むと饒舌になるという、最も危険なタイプの人間だった。
その夜も生ビールを三杯、焼酎のお湯割りを四杯、最後に誰かが頼んだ梅酒ロックを半分ほど飲み干したあたりで、私の理性は、さぶちゃんのトイレの排水とともに流れ去っていた。
「なあなあ、みんな~!」
私は立ち上がった。
なぜ立ち上がったのかは、今でも分からない。
人は酔うと立ち上がりたくなる生き物なのかもしれない。
あるいは、私だけかもしれない。
「次の遊び、決めようぜ!」
「ボーリングはどう?」
「釣りもいいな」
「バーベキューがいいです!」
いろいろな意見が飛び交った。
私は、それらをすべて聞き流した。
そして気づいたときには両手を広げ、天井を仰ぎながら叫んでいた。
「次の遊びは――富士登山ですっ!!!」
瞬間、居酒屋さぶちゃんが静まり返った。
BGMに流れていた「北の宿から」だけが、虚しく響き渡った。
田中が目を細めた。
「……富士山?」
鈴木が首を傾げた。
「……登山?」
山田が顔を引きつらせた。
「……え、本気?」
「本気ですよ!」
私は、もはや自分の言葉に酔っていた。
「富士山ですよ、富士山! 日本一の山! 世界遺産! あの山を制した者だけが、真の男と呼ばれるのです!」
「木村さん、女性もいるんですけど」
「真の男女と呼ばれるのです!」
拍手が起きた。
なぜ起きたのかは分からない。
酔っていると、そういうことが起きる。
こうして、私の運命は決まった。
翌週末。
集合場所の富士山五合目に、有志十名が集結した。
全員が、昨夜の拍手の余韻に引きずられてやって来た、いわば「熱が冷める前に参加表明してしまった」人々であった。
私は前夜、ホームセンターで登山靴、雨合羽、ヘッドライトを購入し、
「これで完璧だ」
と思っていた。
今にして思えば、まるで完璧ではなかった。
富士山は、なめていいものではなかった。


第2章 山というものは思った三倍くらい高い
五合目から見上げる富士山は、恐ろしいほど巨大だった。
富士山の標高は3776メートル。
すでに五合目は2300メートルほどある。
つまり残りは約1500メートル。
「1500メートルくらいなら大したことないんじゃないか」
と思った私は、根本的に「高さ」というものを理解していなかった。
1500メートルを水平に歩くなら、たいした距離ではない。
しかし山を登るとなると、話はまったく違う。
人間の足腰は、横に動くようにはできていても、永遠に上へ上へと動くようにはできていない。
少なくとも私の足腰は、そうだった。
六合目を過ぎたあたりで、田中が言った。
「空気、薄くない?」
「気のせいだよ」
と私は言った。
七合目で、鈴木が言った。
「なんか頭が痛い」
「気のせいだよ」
と私は言った。
八合目で、山田が言った。
「木村さん、あなた顔が緑色ですよ」
「……気のせ……」
と言いかけて、私はその場にへたり込んだ。
八合目を過ぎると、空気が「なくなる」のだ。
なくなる、という表現は正確ではない。
物理的には、もちろん空気はある。
しかし、吸っても吸っても、肺に入ってこない。
まるで穴の開いたコップに水を注ぐようで、いくら呼吸しても満たされない。
私は岩の上に座り込み、口を魚のようにパクパクさせながら、
「人間はここで生きるようにはできていない」
という至極当然の事実を、体全体で理解した。
隣では田中が、
「いや、これ絶対気のせいじゃないですよ、木村さん」
と言いながら青ざめていた。
それでも――。
私たちは登り続けた。
なぜか。
一つには、下山する元気もなかったから。
もう一つは、
「あんな発言をしておいて、登頂できませんでした」
では、社会的に生きていけないと思ったから。
そして三つ目は――
山田が、
「もうすぐ頂上ですよ!」
と嘘をつき続けたからである。
後で聞いたら、彼女には、
「励ますための嘘は、嘘ではない」
という独自の哲学があった。
そして、真夏の深夜二時。
私たちは山頂に立った。
寒かった。
真夏だというのに、信じられないほど寒かった。
全員が震えながら、それでも笑っていた。
達成感というものは、確かにそこにあった。
やがて雲の切れ間から、ご来光が少しだけ顔を出した。
それは、それは美しかった。
私は思った。
「また来ることは、絶対にない」
なお、この誓いは後に盛大に破られることになる。


第3章 語り継がれる武勇伝と、集まってしまう同志たち
三十年が経った。
あの夜の武勇伝は、年に一度の飲み会で語り継がれてきた。
毎年同じ話を、毎年初めて聞くような顔をして聞く。
それが、私たちのグループの様式美となっていた。
「木村さんが八合目でへたり込んだやつ、最高でしたよね」
「田中の顔が青を通り越して透明になってたよな」
「山田さんが山頂で『絶対に次は来ない』って言ってたのに、今でも富士山の話してますもんね」
そう――。
問題は、富士山の話をする人間が増えていたことだった。
あの夜の居酒屋さぶちゃんにはいなかったのに、武勇伝を聞いて、
「私も行きたい!」
と言う者が現れ始めた。
人間とは不思議なものである。
他人の苦労話を聞くと、
「自分はもう少しうまくやれる」
と思ってしまう。
メンバーが変わり、顔ぶれが変わりながらも、「富士登山組」は毎年夏になると、
「今年こそ」
と集まり始めた。
しかし――。
富士山は、そんな甘い話ではなかった。
第二回。
天候悪化により六合目で撤退。
第三回。
メンバーの一人が五合目で高山病になり、全員で付き添って下山。
第四回。
登山口を間違え、気づいたら御殿場ルートに入っていた。
体力を使い果たし、七合目で断念。
そして第五回。
これは後ほど詳しく語る。
そして第六回――。
今年。
ついに、山頂に到達した者が出た。
それは、私ではなかった。
私はその報告を、居酒屋で聞いた。


第4章 第五回遠征・通称「スコップ事件」の顛末
第五回遠征の話を、少し詳しくしなければならない。
この年、メンバーの中に松本という男がいた。
五十一歳。
職業はシステムエンジニア。
体型は洋ナシ型。
平地での持久走は学生時代から苦手だったと本人が言っていた。
なぜそんな男が富士登山に参加したのかというと、
「来る?」
と聞かれて、
「行きます」
と言ってしまったからである。
人間の多くは、こうして正しくない選択をする。
松本は、
「準備だけは完璧にしよう」
という方針のもと、登山の三か月前から準備を開始した。
まず、毎朝のランニングを始めた。
三日で挫折した。
次に、栄養管理アプリを入れた。
一週間後に削除した。
そして登山用品店に行き、合計七万円分の装備を揃えた。
これだけは実行した。
問題は、その七万円の装備の中に、
「折りたたみスコップ」
が含まれていたことだった。
「なんでスコップ?」
と私は聞いた。
「雪を除けるためです」
と松本は言った。
「夏の富士山に雪はないよ」
「万が一ということがあります」
折りたたみスコップ。
重量、約八百グラム。
八合目あたりで、松本はこのスコップを、
「お守りのようなもの」
と称し、断固として手放さなかった。
九合目で、松本はスコップを片手に持ちながら言った。
「これで山頂の土を少し盛れないですかね」
「何のために?」
「富士山を、ちょうど3777メートルにしたいんです」
「……は?」
「きりがいいじゃないですか」
私は笑った。
しかし、内心では、
「それは名案かもしれない」
と思っていた。
結局、その年の第五回遠征は、天候悪化によって八合五勺付近から引き返した。
松本のスコップは、一度も使われなかった。
しかし松本は、
「来年、また来ます」
と言い、スコップを家に持ち帰った。
なお、このスコップは翌年の第六回遠征にも持参された。
もちろん、また使われなかった。
今でも松本の玄関には、折りたたみスコップが傘立ての隣に立てかけてある。
彼の奥さんは、あれを見るたびに、
「まだ持ってるの?」
と言うらしい。
松本は毎回、
「富士山用だから」
と答える。
奥さんは毎回、同じ顔をするそうだ。


第5章 3776という半端な数字への怒り
そもそも――。
3776メートルというのは、半端な数字ではないか。
私はこのことを、かなり長い間考えていた。
東京タワーは333メートル。
これは美しい。
3が三つ並んでいる。
覚えやすい。
スカイツリーは634メートル。
これも美しい。
6・3・4。
「む・さ・し」。
武蔵。
古の武蔵国にちなんで、634メートルにしたのだという。
粋な計らいである。
では、富士山はどうか。
3776。
3・7・7・6。
語呂合わせにもならない。
語呂が悪い。
覚えにくいわけではない。
しかし、数字の美しさというものがない。
なぜ3777にしなかったのか。
7が三つ並べば、なんとなくめでたいではないか。
なぜ3775にしなかったのか。
3・7・7・5。
……これは何の語呂にもならない。
つまり、どう転んでも3776なのである。
1メートル。
たった1メートルの話だ。
1メートルといえば、大人の一歩分くらいだ。
本棚の高さくらいだ。
子どもの背丈くらいだ。
私のゴルフの飛距離の誤差範囲内でもある。
最後の一つは、余計だったかもしれない。
地球の大きさから見れば、富士山の標高3776メートルだって、巨大な数字とはいえない。
まして、その中の1メートルなど、ほとんど誤差である。
その誤差の中の1メートルくらい――。
誰も気にしないのではないか。
気づいたら私は考えていた。
スコップ、持って行こうかしら。


第6章 第六回遠征・山頂到達の報告
仲間から連絡が来たのは、今年の八月十二日のことだった。
短いメッセージだった。
「着きました。山頂です」
写真が添付されていた。
七人の人間が、山頂の鳥居の前で満面の笑みを浮かべて立っていた。
全員がヘロヘロだった。
一人は完全に放心状態だった。
それでも、笑っていた。
田中。
あの田中だ。
三十年前、八合目で、
「空気、薄くない?」
と言っていた男。
今では五十代半ばになった。
白い歯を見せて笑っていた。
山田もいた。
三十年前、
「絶対に次は来ない」
と言った女性である。
それから何度も挑戦し、今年ついに山頂へ到達した。
写真の中で、
「やったー!」
と叫んでいるのが分かるような顔をしていた。
そして松本。
もちろんスコップを持っていた。
いや、正確にはリュックの中に入れていた。
今回も使われなかった。
私はその写真を眺めながら、居酒屋で一人、ビールを飲んだ。
行けばよかったと思ったか。
思った。
もちろん思った。
だが――。
実は今年の八月十二日、私は別の場所にいた。
孫の七五三の前撮り撮影が、同じ日に入っていたのだ。
孫の名前は勝太郎。
二歳半。
私の顔を見るたびに、
「じ~じ!」
と言って走ってくる。
私はそのたびに、
「じ~じですよ~」
と言いながら抱き上げる。
その日、勝太郎は衣装を着て写真を撮った。
それは、それは可愛かった。
写真の孫と、写真の仲間たち。
私はビールを一口飲んで、
「まあ、いいか」
と思った。
そして次の瞬間――。
「来年は絶対行く」
と思った。
なお、私は過去三十年間で合計七回、
「来年は絶対行く」
と思っている。
富士山に登ったのは、三十年前の一回だけである。


第7章 山頂まであと1メートルの哲学
仮に――。
あくまで仮の話である。
私が来年の夏、スコップを担いで富士山に登ったとしよう。
七合目。
「やはり空気が薄い。スコップが重い」
八合目。
「空気がない。スコップは岩のようだ」
八合五勺。
「このスコップを置いて帰りたい」
九合目。
「なぜ私はスコップを持ってきたのか」
そして山頂。
「……到着した。体は生きているのか? ともかく生きている。さて、スコップを」
そこで私はスコップを取り出す。
そして山頂付近の砂礫を――。
1メートル分ほど。
そっと。
そおおおおっと。
盛る。
1メートル分の土というのは、いったいどのくらいなのだろう。
バケツ何杯分だろう。
スーパーの袋に入るくらいか。
米袋より軽いかもしれない。
そもそも、山頂でそんなことをして誰が気づくのだろう。
誰も気づかないかもしれない。
しかし、もしも――。
何十年か後に、測量技師が精密な調査を行ったとする。
そしてニュースが流れる。
「富士山の標高について再調査を行った結果、従来の計測より若干高いことが判明しました。正確には3777メートルです」
その原因は――。
いや。
犯人という言葉は語弊がある。
貢献者。
そう。
その貢献者は――。
私かもしれない。
あははは。


第8章 定年前夜の告白
来年、私は定年を迎える。
三十八年間、コピー機を売り続けた人生だった。
コピー機というものは、売っている間はただの機械だと思っていた。
しかし定年が近づいてきた今、なんとなく愛着のようなものを感じている。
ガシャコンとトレイが開く音。
スキャンするときの光の走り方。
原稿を忘れたまま去ってしまった人が残した、誰かの確定申告の控え。
人生というのは、振り返ってみると、思ったよりいろいろなものが詰まっている。
三十前に富士山に登ったこと。
その武勇伝が、三十年間、仲間を引き寄せ続けたこと。
六度目にして、ようやく山頂に到達した田中や山田の笑顔。
松本の玄関に今も立つ、出番のないスコップ。
私は思う。
富士山の標高は3776メートル。
だが、その3776メートルに挑んだ人間たちの物語の高さは、どこか別の場所で測るべきものなのかもしれない。
あの山は、登頂できた人だけのものではない。
途中で引き返した人も。
麓から見上げた人も。
居酒屋でビールを飲みながら写真を眺めた人も。
みんな、何かしら富士山と関わっている。
富士山は、そういう山なのだ。
そういえば、富士山が世界文化遺産に登録されたのは2013年だった。
正式な登録名称は、
「富士山――信仰の対象と芸術の源泉」。
信仰の対象。
なるほど。
私も、ある意味では三十年間、富士山を信仰していたのかもしかもしれない。
登れていないのに。
いや。
登れていないから、信仰し続けていたのかもしれない。
人間は、手の届かないものを、最も敬う。


第9章 来年の夏、もう一度
定年後の計画を、妻に話した。
「富士山に登ろうと思う」
妻は味噌汁を飲みながら言った。
「また? 何回目?」
「二回目」
「三十年ぶりに?」
「そう」
「いくつになったと思ってるの」
「五十九」
「無理じゃない?」
「田中は登ったぞ」
「田中さんと比べないの」
妻は箸を置いた。
「あなた、先週、駅の階段で膝が痛いって言ってたじゃない」
「富士山は空気が薄いから、膝への負担が――」
「余計悪いでしょ」
論理的には、妻が正しい。
しかし人間は、論理だけで生きているわけではない。
「スコップも持っていこうと思う」
「なんで?」
「富士山を1メートル高くしようと思って」
妻は、しばらく私を見つめた。
それから味噌汁を一口すすり、言った。
「あなた、定年したら少しゆっくりしなさい」
ごもっともである。
しかし――。
来年の夏。
私は、スコップを担いで富士山の五合目に立つかもしれない。
空気が薄くなってきたら、
「吸っても吸っても肺に入ってこない」
と思うだろう。
山頂に着いたら、信じられないくらい寒いだろう。
探していた答えがそこにあるのかは分からない。
そして、リュックからスコップを取り出し、そっと、そおおおおっと、1メートル分だけ土を盛って――。
いや。
もしかしたら、盛らないかもしれない。
ただ、山頂から見える景色を眺めて、
「やはり素晴らしい」
と思うだけかもしれない。
それで十分なのかもしれない。
富士山は、3776メートルのままでいい。
あの半端な数字が、なんだかんだ言って愛おしい。
3・7・7・6。
語呂は悪い。
覚えにくくもない。
そして――。
三十年間。
たった一つの数字が、こんなにも多くの人間を動かし続けてきた。
そう考えると、それはもう3777より、ずっと大きな数字なのかもしれない。


エピローグ その後の皆さん
田中は、山頂で撮った写真を会社のデスクに飾っている。
サイズはL版。
フレームは百円ショップで買ったものだが、毎朝それを見てから仕事を始めると言っている。
山田は、今年の山頂で、
「次は来ない」
と言っていた。
ところが、来年のメンバー募集には一番最初に手を挙げた。
松本のスコップは、今日も玄関の傘立ての隣に立っている。
私の妻は、富士山の写真集をこっそりネットで注文した。
私が見つけたとき、
「違う。これは友人へのプレゼント」
と言った。
私には、そんな本を欲しがっている友人がいないことは分かっていた。
だから、何も言わなかった。
富士山は今日も、3776メートルの標高で、日本のどこからでも見える場所に立っている。
曇りの日も。
晴れの日も。
誰かが登っていても。
誰も登っていなくても。
変わらず、そこにある。
それが富士山というものなのだろう。
そして私は、来年の夏のことを、少しだけ考えている。
スコップを持っていくか。
持っていかないか。
登れるか。
途中で引き返すか。
そんなことは、まだ分からない。
ただ――。
一つだけ分かっている。
「来年は絶対行く」
私は、もう何度目になるか分からないその言葉を、また心の中で呟いた。
あははは。


著者より一言
実は私。
スコップ、もう買ってあります。
折りたたみ式です。
もちろん――。
富士山用です。

〈了〉


あとがき
富士山は、なぜ人を惹きつけるのでしょう。
日本一高いからでしょうか。
世界文化遺産だからでしょうか。
もちろん、それもあるのでしょう。
でも私は、たぶん、
「ちょうどいい距離にある未完成」
だからではないかと思っています。
遠すぎない。
しかし、簡単ではない。
行けそうで行けない。
登れそうで登れない。
そして、
「来年こそ」
と思わせる。
人生にも、そういうものがあります。
若い頃に諦めたこと。
やろうと思って、結局やらなかったこと。
途中まで行ったのに、引き返したこと。
不思議なもので、人は完全に終わったものより、
「あと少しだったもの」
の方を長く覚えている気がします。
この物語を書きながら、私自身も、自分の中の「富士山」を考えていました。
それは夢だったり。
仕事だったり。
昔の約束だったり。
人によって違うのでしょう。
けれど、たった一つ言えることがあります。
「まだ少し気になっている」
という感情が残っている限り、人間は意外と前に進めるのだと思います。
たとえスコップを担いでいても。
朝、少しだけ足取りが重い日があったとしても。
そして――。
たとえ、そのスコップを最後まで使わなかったとしても。
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
もし来年の夏、富士山のどこかで折りたたみスコップを持った中年男性を見かけたら――。
たぶん、それは私ではありません。
でも、もしその男が、
「あと1メートル……」
などと呟いていたら。
どうか、少しだけ応援してあげてください。
                    


原詩
富士山の高さは?

富士山の高さは、3776メートル。
東京タワーは、333メートル。
スカイツリーは、粋な計らいで高さを634メートルにした。
そう。
「武蔵」にしたんだそうだ。
ならば富士山も、そんな半端な高さではなく、
あとわずか1メートル盛って、
3777メートル。
その方が覚えやすいし、良い数字だと思わない?
な?
なんなら僕が、スコップを担いで次の夏にでも、久々~~~にまた登って、
わずか1メートル。
そおおお~~~っと。
盛ってみようかしら。
すると、その後の再調査でも、
「富士山は、正確には3777メートルでした」
なんてことにも――。
この先。
もしも。
もしも。
もしも。
そんなことでもあったならば。
その犯人は――。
僕かもよ?
あははは…

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