三ヶ月の免罪符
原詩
3ヶ月後は別人
僕たちの身体の細胞は
3ヶ月で
ほぼ入れ替わるそうだ
すれば
今の僕は
3ヶ月前の僕ではなく
また
3ヶ月後の僕も
今の僕ではない
ということは
大事なものは食で
これから食べる物が
3ヶ月後の僕となる
ならば
ここからの食を正しく選べば
3ヶ月後には
正しい僕になれるってことか
するって〜とダ
3ヶ月以前の罪は
もうこの身体には残っておらず
放免されたということか
あ〜良かった 笑
まえがき
誰しも「過去の自分を消し去りたい」と願ったことが一度はあるのではないでしょうか。
もしも「細胞の入れ替わり」を理由に、過去の罪や失言を帳消しにできる法律が存在したら――。
この物語は、そんな都合のいいシステムに振り回されながらも、自分なりに「自分」と付き合っていく人々の、少し滑稽で愛おしい日々を描いたSFショートストーリーです。
肩の力を抜いてお楽しみください。
第一章 施行日
「人体細胞、およそ九十日にて全置換」――この一文が憲法に追記された日、日本中のコンビニからサラダが消えた。
正確には〈細胞新生特例法〉、通称「リセット法」。要旨はこうだ。
人間の身体を構成する細胞は、平均して三ヶ月でその大部分が入れ替わる。ゆえに三ヶ月間、国の定める「正しい食事プログラム」を完遂した者は、法律上「別人」とみなし、それ以前の軽犯罪・債務・不貞・失言等の社会的責任を免除する。
僕、佃周平(つくだ・しゅうへい)は、この法律の運用課――通称「新生課」――の窓口係だった。毎日、うしろめたいことをした人間が、栄養士のような顔をして相談にくる。
「先週、会社の金を三万円くすねてしまいました。正しく食べれば、なかったことになりますか」
「なります。ただし三ヶ月間、認定給食センターの弁当のみです。コンビニのおにぎりは一切禁止」
「厳しいですね」
「厳しいから、罪が消えるんです」
僕はその説明を、もう千回くらい繰り返している。
第二章 クリーン教
流行りだしたのは、法律が通ってから半年後だった。
「新生アカウント」と呼ばれるインフルエンサーたちが現れ、〈正しい僕になるまで、あと◯日〉というカウントダウンを毎日投稿する。玄米、鶏胸肉、発酵食品。彼らのプロフィール欄には決まってこう書いてある。
過去の僕は、もういない。
僕の同期の桃井は、半年で三回「新生」した。一回目は職場での暴言、二回目は不倫、三回目は――察して何も聞かなかった。
「便利なんだよ、佃くん。人を殴っても、正しく食べれば九十日でチャラ」
「殴られた人の記憶は消えませんけどね」
「でも法律上は、殴った“僕”はもういないから」
桃井は破顔した。窓口に並ぶ列の先頭で、栄養士のような清々しい顔をして。
僕はふと、彼の目の奥に、九十日前とまったく同じ光があることに気づいた。
第三章 脳という居残り組
新生課には裏方の部署がある。〈認定審査室〉、通称「記憶課」。
そこの主任、法医学出身の変わり者・霧島博士に呼ばれたのは、ある雨の日だった。
「佃くん、知ってるか。脳の神経細胞は、生まれてからほとんど入れ替わらない」
僕は初耳だった。皮膚も血液も腸も、次々と生まれ変わるというのに。
「つまり――」
「つまり、この法律で“別人”になるのは身体だけだ。過去を覚えている“脳”は、九十日経とうが十年経とうが、ずっと同じ奴が居座ってる。まあ、政治家も省庁も最初から知ってたのさ。経済を回して国民のストレスを減らすために、目を瞑っただけだよ」
霧島博士は、コーヒーではなく玄米茶をすすりながら笑った。
「なのに、なぜ誰も文句を言わないんです」
「文句を言ったら、みんな困るからさ。忘れたいことがある人間の方が、覚えていたい人間より、圧倒的に多いんだ」
外では、新生アカウントたちが今日も「正しい自分」への日数をカウントしていた。
第四章 三ヶ月前の僕へ
窓口業務の合間、僕は自分の申請書を書いてみたことがある。
三ヶ月前――僕は恋人に「大丈夫、覚えてるよ」と嘘をついた。そして彼女の誕生日を、仕事の残業を言い訳にすっぽかした。
新生プログラムを受ければ、法律上その嘘は「なかった僕」のものになる。だが、彼女の記憶からは消えない。そして何より――僕自身の脳からも消えない。
申請書の「免除を希望する事案」の欄に、僕はペンを走らせかけて、止めた。
罪を消すための90日なら、いらない。
その夜、彼女に電話した。
「ごめん、あの誕生日のこと、ちゃんと謝ってなかった」
「今さら?」
「今さらだけど。三ヶ月前の僕がやったことだけど、今の僕が謝る」
電話の向こうで、彼女が小さく笑った。
「細胞は入れ替わっても、謝るのは同じ人だもんね」
第五章 放免、ただし条件付き
半年後、〈細胞新生特例法〉には修正案が付いた。第二項――通称「霧島条項」。
ただし、脳神経系における記憶の連続性が認められる場合、当事者本人の内的な責任は免除の対象としない。
身体は放免されても、心は放免されない。
新生アカウントたちは一時騒然としたが、案外すぐに落ち着いた。そりゃそうだ、法律が何と書いてあろうと、みんな最初から知っていたのだから。ただ、それを国が公式に認めるかどうかだけの話で。
桃井は、今日も窓口に並んでいる。四回目の申請だ。
「霧島条項があっても、まあ、罰金とか出社停止とかは消えるからね」
「桃井さん、それでいいんですか」
「いいんだよ。身体だけでも軽くなれば、御の字」
僕はその申請書にハンコを押しながら、なぜだか少し、彼のことが好きになった。全部わかった上で、それでも軽くなろうとする図々しさが。
終章 乗客と運転手
窓口業務を終えて屋上に出ると、夕陽が新生給食センターの白い建物を橙色に染めていた。
三ヶ月前の僕は、もういない。
三ヶ月後の僕も、今の僕ではない。
けれど、誤魔化さずに謝ったことは覚えている。
身体という乗り物だけが、律儀に九十日ごとに衣替えをして、その中には変わらず同じ運転手が座っている。
心を免罪してくれる紙切れなんて、最初からどこにもなかったのだ。
――それでも。
明日の弁当は、玄米と焼き魚にしよう。
三ヶ月後の僕が、今日より少しだけ、まともな人間の記憶を持てるように。
そう思ったら、なんだか肩の荷が下りて、僕は屋上で一人、声を出して笑ってしまった。
あ〜良かった。
(了)
Kindle
あとがき
最後までお読みいただきありがとうございました。
「過去をなかったことにしたい」というズルい願望と、「結局、自分からは逃げられない」という身も蓋もない現実。その間でジタバタする人間の滑稽さを書きたくて、この物語を作りました。
いくら身体が入れ替わっても、過去の後悔や失敗を背負っていくのは他ならぬ自分自身です。けれど、それに気づいた上で「じゃあ明日はちょっと良いもの食べようかな」と思えたなら、人は何度でも少しずつまともになっていけるのかもしれません。
読んだ後に、あなたの心がほんの少しだけ軽くなっていたなら幸いです。


