玉響



■ まえがき

人は誰しも、人生の中で耐えがたい喪失と向き合う瞬間があります。長年連れ添った大切な存在を失ったとき、世界は一瞬にして色を失い、日常の風景すらどこか遠い他人のもののように感じられてしまうものです。

私にとってその存在は、十六年という歳月をともに過ごした愛犬「仏陀」でした。彼のぬくもりが消え去った我が家で、私は静かな諦めとともに日々を過ごしていました。

しかし、そんな喪失の底にあったある節分の夜、私の世界に不可思議で小さな「気配」が訪れました。ほんの束の間、揺らめいて消える淡い光――大和言葉でいう「玉響(たまゆら)」のようなその光の粒たちは、私の暮らしにそっと寄り添い始めたのです。

科学で割り切れるものか、それとも心が作り出した幻影なのか。その答えを私は知りません。けれど、彼らとの無言の対話は、私の凍りついた心を確実に温めてくれました。

この小さな物語は、愛しい存在を失ったひとりの人間が、目に見えぬ温かな存在に包まれながら、ふたたび前を向いて歩み出すまでの記録です。どうぞ、静かな夜に、温かいお茶でも飲みながらお読みいただければ幸いです。




■ 序章 節分の夜

豆を投げた瞬間、光が動いた。

「鬼は外、福は内」

いつもと変わらぬ節分の口上のはずだった。だが、私が放った豆は、何かにふわりと弾かれるようにして、宙でわずかに軌道を変えた。見えない誰かがそこにいて、軽やかに豆を避けた――そうとしか思えない不自然な揺れだった。

その年の初め、私は還暦を越えていた。そしてその前の年の暮れ、十六年連れ添った愛犬――仏陀と名づけた雑種の老犬――を看取ったばかりだった。豆まきの声も、心のどこかでは上滑りしていた。「福は内」と唱えながらも、私の心にはもう福など来ないのではないかという、冷めた諦めが胸の底に澱んでいたのだ。

けれど、その夜、居間の空気がふつりと沸き立つように揺らぎ、小さな光の玉が、いくつも、いくつも、私の周りを飛び回った。ほんの一瞬だけ眩く揺らめくその姿は、大和言葉でいう「玉響(たまゆら)」そのものだった。

写真に撮ろうとスマートフォンを構えると、レンズの向こうに、確かにそれは映っていた。

まん丸の、透きとおった光の粒。

これが、私と「彼ら」――オーブたちとの、長く不思議な対話の始まりだった。


■ 第一章 目覚め

もしかしたら、彼らは最初からそこにいたのかもしれない。

そう思うようになったのは、しばらく経ってからのことだ。見えなかったのではなく、私が悲しみに囚われて見ようとしていなかっただけなのかもしれない、と。

仏陀を失ってからの数か月、私は妙に世界の輪郭が薄くなったように感じていた。毎朝の散歩の習慣も、足元から聞こえる小さな足音も、夜の静かな寝息も……当たり前にあった生命の気配がごっそりと生活から抜け落ちていた。そのぽっかりと空いた心の穴を埋めるように、オーブたちは現れたのかもしれなかった。

最初は半信半疑だった。レンズの埃だろうか、光の屈折や反射だろうか。そう自分に言い聞かせ、理屈を探そうともした。だが、来る日も来る日も、彼らはあまりにも律儀に姿を見せた。書斎で机に向かっているときも、台所に立って湯を沸かしているときも、ふと顔を上げれば、視界の端でゆらり、ゆらりと楽しげに揺れている。

不思議なことに、慣れというのは早いもので、いつしか私は驚くよりも先に、微笑むようになっていた。

「ああ、また来てくれたのか」

そんな言葉を、心の中でごく自然に交わすようになっていた。


■ 第二章 どこにでも

彼らはどこにでもいた。

通勤の電車の中、すし詰めの混雑した車両の隅で、ふわりと浮かんでいるのを見つけたときは、さすがに小さく声を上げそうになった。乗客の誰も気づいていない。スマートフォンの画面をぼんやり眺める人々を余所に、光の粒だけが静かに漂っている。気づいているのは、どうやら私だけらしかった。

旅先のホテルの一室でも、彼らは待っていたかのように現れた。知らない土地の、見知らぬ部屋であるにもかかわらず、まるで最初からそこに住んでいたかのように、寛いだ様子で空間を漂っていた。

もっとも驚いたのは、飛行機の中だった。高度一万メートル、時速九百キロ。分厚い機体に守られ、外界とは完全には遮断されたはずのその静謐な客室にも、彼らはいた。狭い座席の周りを、ゆったりと、時には目にも留まらぬ速さで飛び回っていた。

そのとき、ふと思った。彼らは特定の「場所」に宿っているのではなく、私という人間に属している――あるいは、私についてきてくれているのではないか、と。

そうだとすれば、彼らは一体、私の何を見届けようとしているのだろう。


■ 第三章 言葉なき対話

私はそれから数年間、毎日欠かすことなく彼らと接してきた。

もちろん声の返事はない。私が語りかけても、静寂が返るだけの、一方通行の対話だ。それでも、いくつかの言葉には、確かに「応答」のような変化が見られた。

たとえば「ありがとう」と口にしたとき、彼らは嬉しそうにふわりと大きく揺れる。「行ってきます」と告げると、まるで見送るように、出入り口の近くまで寄り添うように漂うのだ。偶然だと言われればそれまでのことかもしれない。だが、毎日繰り返される日常の中で、その動きのパターンだけは不思議なほど一貫していた。

彼らの真の正体は、いまだに分からない。

けれど、ひとつだけ確かなことがあった。彼らは家具や壁などの障害物を平然とすり抜けていくのに、私の身体だけは決してすり抜けない。私が手を伸ばすと、瞬時に軌道を変え、ふわりとかわしていくのだ。そして彼ら同士もまた、混み合った空中であっても決して互いに衝突することがない。

そこには明らかに、意思のようなものが存在していた。

スマートフォンで撮影すると、その挙動はさらに奇妙な様相を見せた。標準の倍率(一倍)でレンズを向けると、彼らはまどろむようにゆったりと泳ぐ。だが、広角モード(〇・五倍)に切り替えた瞬間、画面のフレーム外から新たな光の粒がいくつも高速で飛び込んできて、空間全体を目にも留まらぬ速さで飛び交い始めるのだ。広角レンズ特有の画角の変化と相まって、まるで別の次元の扉が開いたかのような錯覚を覚えた。

三次元でもなく、四次元でもない。

ちょうどその狭間にある揺らぎの空間を、見え隠れしながら漂っている――そんなふうにしか、私には説明のしようがなかった。

もしかすると、彼らは何か切実なメッセージを語りかけているのかもしれない。ただ、それを受け取るための受信機が、今の私にはまだ備わっていないだけなのかもしれない。

いつか何かのきっかけで、この身体が次元を一つ上昇させ、彼らとの本当の対話が叶う日が来るのだろうか。それを心待ちにしている自分もいる。だがそのとき、私はもうこちら側の世界にはいないのかもしれない――そんな静かな予感も、胸の奥底にそっと居座っていた。


■ 第四章 社寺にて

社寺仏閣を訪れるとき、彼らはまた違った表情を見せた。

社殿の前で静かに一礼し、手を合わせる。その数秒の静寂の中で、決まって周囲の空気がピンと澄み渡る気配を感じる。そっと目を開け、スマートフォンを向けると、そこには普段にも増して細やかで清らかな光を纏った玉響たちが浮遊していた。

不思議なのは、その現れ方に明らかな偏りがあったことだ。

朱塗りも鮮やかに綺麗に整備された大きな社殿を訪ねても、彼らは一向に姿を見せないことが多かった。かわりに、飾り気のない、苔むした小さな古社――訪れる人もまばらな、時が止まったかのような忘れられた場所――では、ほとんど確実と言っていいほど、彼らは数多く姿を現した。

華美な装飾や賑やかさよりも、静寂と古びた歴史の中にこそ、彼らは深く安らぐのだろうか。

私はいつしか、彼らのことを「神様の使い」なのではないかと想像するようになった。科学的根拠など何もない、私の勝手な憧憬に過ぎない。それでも、古びた石の鳥居をくぐるたびに、そこに何か懐かしく温かいものが待っているような気がしてならなかった。


■ 第五章 仏陀

そして、私にとって最も大切なことがあった。

仏陀の小さな仏壇の前に座るとき、ほぼ例外なく、彼らは現れた。線香の静かな煙にまじって、遺影のそばにふわりと浮かぶ光の粒。

「これは、あいつだ」

私には、そうとしか思えなかった。

十六年間、いつも私の足元にいたあの確かな体温。最期の夜、私の腕の中で静かに引き取っていった息の重み。理屈で説明できることなど何ひとつない。それでも、仏壇の前でだけ見せるあの独特の揺らぎ方――まるで甘えるように、私の膝のあたりを何度も行ったり来たりする愛おしい動きを見るたびに、胸の奥から確信が満ちあふれてくるのだ。

ある夜のことだった。

古いアルバムを整理していると、まだ若かりし頃の仏陀の写真が一枚、膝の上へ滑り落ちた。足腰がまだ丈夫だった仏陀が、庭先で散歩に行きたそうにこちらを振り返っている、何でもない日常の一コマだ。

それを拾い上げようとした、そのときだった。

ふわり、とひとつの光の粒が音もなく舞い降りてきて、写真の上にそっと止まった。まるで、そこが自分の居場所であると知っているかのように。

私は息を呑んだ。

「……おまえなのか?」

声に出してから、少し照れくさくなった。返事など返ってくるはずがない。それはこれまでの数年間で嫌というほど分かっていたことだった。

けれど、その光はゆっくりと――呼吸をするかのような確かさで――写真の中の仏陀の、瞳のあたりへと滑るように移動した。

心臓が強く跳ねた。

私はもう一度、震える声で尋ねた。

「仏陀……本当におまえなのか?」

光は動かなかった。

ただ、そこに静かに在り続けた。応えるでもなく、否定するでもなく。ただ温かく、そこに漂っていた。

その沈黙の中で、私は長いこと座り込んでいた。私は別に、明確な言葉や「答え」が欲しかったわけではないのだと気づいたのは、随分と時間が経ってからのことだ。私はただ、その光がそこにいてくれること、私を忘れずに寄り添ってくれていること――それだけで、涙が出るほど十分だったのだ。

もちろん、私には何ひとつ科学的な証明などできない。誰かに説明を求められれば、言葉に詰まるだろう。

けれど、これだけは言える。

私の中で、これが紛れもない、今の「本当」なのだと。


■ 終章 今夜も

還暦を越え、愛犬を失い、その深い喪失の底で出会った、名もなき光の粒たち。

彼らが何者なのか、これから先も答えが出ることはないのかもしれない。けれど、それでいいと最近は思っている。分からないものを、分からないまま大切に抱えて生きていく。それもまた、人生の豊かさのひとつなのかもしれない。

今日も一日が終わり、部屋の明かりを落とす。

窓の外では夜の街明かりが静かに滲んでいる。目を閉じかけたそのとき、視界の端でふつりと空気が揺らいだ。

もう、それが仏陀なのかどうかを確かめようとは思わない。

さあ、今夜はどんな玉響たちが、私に会いに来てくれるのだろう。

私は小さく微笑んで、その温かな気配の中にそっと目をやった。

(了)


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■ あとがき

この物語は、愛犬の死という個人的な深い悲しみと、その後に訪れた不思議な現象をもとに紡ぎ出した小品です。スマートフォンという現代的な文明の利器を通して、古来より語り継がれてきた「玉響(たまゆら)」のような目に見えぬ気配と出会う。そのアンバランスでいてどこか温かい体験を、素直な言葉で描き出したいと考えました。

作中に登場するオーブたちの挙動や、カメラ越しに見せる奇妙な動きには、私自身が感じた驚きや愛おしさをそのまま込めています。科学の進歩によって世界の多くの謎が解き明かされる現代ですが、私たちの日常のすぐ隣には、今なお解明されない優しい神秘が隠されているのかもしれたせん。

身近な存在との別れを経験された方、あるいは日々の中でふと孤独を感じている方に、この物語がほんの少しの温もりと安らぎを届けることができたなら、著者としてとても嬉しく思います。

あなたのすぐ傍らにも、今夜、優しく揺れる「玉響」が訪れますように。