五季
―― 季節が終わる、その前に ――
まえがき
日本には古くから「四季」が存在するとされてきました。しかし、春と夏の間に訪れるあの長くしとしととした雨の季節――「梅雨」を、かつての人々はもうひとつの独立した季節として捉えていたのかもしれません。
近年の地球温暖化や異常気象に伴い、かつてのような情緒ある梅雨や、穏やかな秋の訪れは姿を消しつつあります。猛暑が長く尾を引く一方で、秋や春が一瞬で過ぎ去ってしまう感覚を、多くの方が抱いているのではないでしょうか。
もしも、そうした季節の移り変わりが単なる自然現象ではなく、目に見えぬところで誰かが必死に繋ぎ止めている「攻防戦」だったとしたら――。そして、人々の暮らしやささやかな祈りそのものが、季節の命運を左右していたとしたら。
本書は、会社を退職したひとりの男が、季節の境目を守る「季守り(きもり)」という人々と出会い、失われゆく日本の五季目と向き合っていく物語です。ページをめくる時間が、皆様の足元にある季節の匂いに耳を澄ますきっかけとなれば幸いです。
一
八月の終わりが、夏の終わりを意味しなくなってから、もう何年になるだろう。
平岡明彦はベランダに出した折りたたみ椅子に腰掛け、ぬるくなった麦茶のグラスを傾けながら、そんなことをぼんやりと考えていた。五十八歳。半年前、会社の早期退職制度を利用して席を立ってから、彼の一日は驚くほど静かなものになった。予定という予定がなく、時間はただ、そこにたゆたっている。
向かいの家からは、夏休みの終わりを惜しむ子供たちのはしゃぎ声が聞こえてくる。あさっては始業式だ。ベランダの手すり越しに見える窓の奥で、母親らしき人影が、真っ白なままの絵日記を前に何やら小言を言っているのが、開け放たれた窓から風に乗って届く。
明彦にも、覚えがある。二学期が始まる朝の、あの妙な緊張感。長く伸びていた夏休みが唐突に断ち切られ、日常が急発進する感覚。
近所に住む娘の家にも、今年の春から一年生になった孫の陽菜がいる。昨夜も電話口で、新品の上履きの踵を踏んでしまったと、半べそで訴えていた。
「明日から学校やだ。暑いもん」
娘があやしている声を聞きながら、明彦は思った。変わらないものが、まだこの世にはあるらしい。白い上履き。最後まで残った宿題。始業式の朝の、少しだけ憂鬱な空気。
けれど、変わってしまったものも、たしかにある。
今年の夏は、あまり暑さを感じないまま終わろうとしていた。もちろん気温計を見れば、例年通り、あるいはそれ以上の数字が並んでいる。ニュースは連日「観測史上」という言葉を使い、熱中症警戒アラートが鳴りやまない。それなのに、明彦の体感としては、この夏はどこか拍子抜けするほど「軽い」のだ。
セミリタイアして、平日の昼間から日陰を選んで歩けるようになったせいかもしれない。理由はわからないが、とにかく彼は、今年の夏をどこか他人事のように見送ろうとしていた。
秋は、今年もまた夏と戦っている。
そんな言葉が、ふと頭に浮かんだ。負けたままではなさそうだ、と彼は思う。朝夕の風には、たしかに何かが混じり始めている。だが油断はできない。ここ数年、九月に入ってからもう一度、夏が息を吹き返すように猛暑がぶり返す年が続いていた。まるで、負けを認めたがらない強情な相手のように。
時折、今日のように、引き分けたりもする。まるで野球のスコアブックでもつけるみたいに、スコアを頭の中で計算している自分に気づき、明彦は苦笑した。だが、そのささやかな違和感は、麦茶の苦味に紛れてすぐに消えていった。
二
その女と出会ったのは、九月に入って最初の日曜、近所の小さな神社でのことだった。
陽菜の夏祭りの片付けの手伝いに顔を出した帰りだった。境内はすでに人気がなく、蝉の声もどこか力を失っていた。手水舎の脇に、白い麻の着物のようなものをまとった女が佇んでいた。年齢が読めない。三十代にも、六十代にも見える。
「今年の夏、少し変ですよね」
唐突にそう言われて、明彦は面食らった。誰かと勘違いされているのだろうと、曖昧に頷くだけにとどめた。だが女は、まっすぐにこちらを見たまま続けた。
「軽い夏でした。あなたにとっては。でも、それはあなたの体感の話であって、実際の勝敗とは、また別なんです」
「……勝敗、ですか」
「季節の、です」
冗談を言っている顔ではなかった。むしろ、疲れた事務員が業務連絡を淡々と告げるような、乾いた口調だった。
「この国には昔から、季を守る者がいます。季守り、と呼ばれています。表立って語られることはありませんが、四季――いえ、本当は梅雨を含めた五季が、毎年きちんと入れ替わるように、境目で調整をしている者たちです」
明彦は苦笑した。「面白い話ですね。神社の言い伝えか何かですか」
「言い伝えでは説明のつかないことが、最近増えています。だからこうして、あなたのような方に声をかけているんです」
女は懐から、古びた携帯用の計器のようなものを取り出した。真鍮のケースに、文字盤とも液晶ともつかない、奇妙な表示部がついている。目盛りには「夏」「秋」の文字と、細かい数値が並んでいた。
「これは季圧計です。季節同士の境目にかかる『圧』を測ります。本来この時期、数値は夏から秋へと、なだらかに傾いていくはずなんですが」
彼女は画面を明彦に見せた。数値は不安定に揺れながら、夏側に大きく傾いたまま、なかなか秋側に戻ろうとしない。
「今、負けているんですよ。秋が」
三
半信半疑のまま、明彦はその女――のちに里村と名乗った――について、神社の裏手にある小さな社務所のような建物に足を踏み入れることになった。陽菜を先に娘の家へ送り届けてからのことだった。
中は思ったより広く、壁一面に古い巻物と、現代的な機材とが入り混じって並んでいた。木製の棚には和紙の帳面が、その隣にはノートパソコンのようなものが置かれている。時代がちぐはぐに同居する部屋だった。
里村は帳面の一つを開いて見せた。そこには和暦とおぼしき日付とともに、「勝」「負」「分」の文字が、几帳面な筆致で延々と並んでいた。
「これは、この地域を担当してきた季守りが、百年以上前から記録してきた、季節の対戦成績です」
「対戦……」
「夏と秋、秋と冬、冬と春、春と梅雨、梅雨と夏。五つの季節は、隣り合う季節と、境目の時期に毎年『対戦』をします。どちらがその年、どれだけ長く自分の色を保てるか。人間には天候の揺らぎにしか見えませんが、実際には勝敗があるんです」
明彦は帳面のページをめくった。戦後しばらくは、勝ち負けがほぼ均等に近い。だがページが進むにつれ――つまり年代が新しくなるにつれ――「夏」の勝ち星が目立って増えていくのがわかった。
「近年は、特にひどいんです」
里村は最後のページを開いた。ここ十年ほど、「夏」の欄には勝ち星がずらりと並び、「秋」の欄はほとんど白紙に近い。梅雨の欄に至っては、記録そのものが年々薄くなっていた。文字の墨が、まるで滲んで消えかけているように見えた。
「梅雨は、消えかけています。本来この国は、四季ではなく五季の国でした。梅雨という、雨だけの季節を挟むことで、季節同士が急激にぶつからないよう、間を取り持っていたんです。緩衝材のようなものですね」
「それが、消える……」
「消えると、次に何が起きるか。夏と秋、あるいは秋と冬が、緩衝なしに直接ぶつかることになります。それは穏やかな移行にはなりません」
四
季守りという仕組みがいつから存在するのか、正式な記録は残っていない、と里村は言った。
「ただ、今のような形に整えられたのは、そう古い話じゃありません。昭和二十年代、気象庁の前身にあたる機関にいた一人の研究者が、全国の神社に伝わる『日和見』の記録と、当時ようやく整備され始めた気象観測データとを突き合わせて、あることに気づいたんです。季節の境目が動く速度が、単純な気圧配置だけでは説明できないほど、微妙に『調整』されているように見える、と」
その研究者は、各地の神社に伝わってきた「日和見」に連絡を取り、独自の観測網を作り上げた。科学の言葉と、古くからの言葉とを、無理に一致させようとはしなかった。ただ、両方の記録を並べて残すことにした。それが今の季守りの原型だという。
「私たちがしていることの半分は、科学です。気圧、湿度、日照時間、そういうものをきちんと数値で追っています。でも残りの半分は、いまだに、うまく説明がつきません。境目に立って、記録を取り、時には声を合わせて唱える。それだけのことで、なぜ数値がわずかに動くのか、誰にもわからない」
明彦は、その曖昧さが、むしろ腑に落ちる気がした。長年勤めた会社では、すべてに理由と根拠が求められた。数字で説明できないものは、存在しないのと同じだった。けれど世界には、たぶん、そういう場所がまだ残っている。
「私の前に、この地域を担当していたのは、私の母でした」と里村は続けた。「母はある年、冬と春の境目で、大きな引き分けを取ることに成功しました。その年は珍しく、桜が例年通りの時期に咲いたそうです。母はそれを、自分の生涯でいちばんの仕事だったと言っていました。特別なことは何もしていません。ただ、毎朝欠かさず、境内に立ち続けただけです」
里村の母は、五年前に亡くなった。それ以来、里村がこの地域の記録を一人で背負ってきたという。
「だから、あなたに声をかけたんです。一人でこの仕事を続けるのは、思っていたより心細い。数字を追うだけなら耐えられます。でも、負け続ける記録を、一人だけで見つめ続けるのは、正直、しんどいので」
五
明彦がこの奇妙な仕事――季守りの見習いのようなもの――を引き受けた理由は、自分でもよくわからなかった。
暇だったから、というのが一番正直な答えかもしれない。あるいは退職してからずっと感じていた、何かが足りないという感覚を、里村の話が埋めてくれる気がしたからかもしれない。
見習いの仕事は単純だった。毎朝、決められた時間に神社の境内に立ち、里村から渡された季圧計を空にかざす。風の匂い、光の角度、蝉の声の強弱、そういったものを数値化する機械らしい。数値を帳面に記録し、里村に報告する。それだけだ。
だが数値は、日を追うごとに不穏さを増していった。夏の勝ち星は止まらない。時折、秋が盛り返して「分」――引き分け――を取る日もあったが、それは焼け石に水のようなものだった。
ある夜、九州の南部で「経験したことのない」豪雨が発生し、一晩で平年の一か月分を超える雨が降った。翌朝、里村のもとを訪れると、彼女はいつもより青ざめた顔で季圧計の記録を睨んでいた。
「あの雨は、梅雨が最後の力を振り絞った跡です。本来なら梅雨の間に、少しずつ降らせるはずだった雨を、一晩に押し込めて降らせた。梅雨という緩衝の季節が、もう平常運転できていない証拠です」
「なぜ、夏はこんなに強いんですか」
「季節の力は、その季節が『使われた分』だけ蓄積されます」
里村は静かに答えた。「エアコンの室外機が吐き出す熱、アスファルトが溜め込む日差し。そのすべてが、夏という季節に『実績』として積み上がっていくんです。人間が夏を長く、強く使えば使うほど、夏はその年、勝ちやすくなる」
「じゃあ、秋が勝つには」
「私たちができるのは、境目でせめぎ合う季節同士の『引き分け』を、少しでも多く演出することだけです」
里村は社務所の奥にある扉を見た。
「近いうちに、あなたにも見てもらう場所があります。この国のすべての季守りが記録を持ち寄る、境目の会所です。今年の秋分の日、そこで『五季会議』が開かれます」
六
秋分の日、明彦は初めて、里村に連れられて「境目の会所」なる場所に足を踏み入れた。
そこがどこの、どういう場所だったのか、明彦はいまだにうまく説明できない。地図に載らない神社の奥、鳥居をいくつもくぐった先、というのは覚えている。だが辿り着いた場所は、木造の古い建物のようでもあり、同時に壁一面が精緻な計器と映像で埋め尽くされた管制室のようでもあった。
そこには、日本各地から集まった季守りたちがいた。彼らは持ち寄った帳面と、現代的な端末とを見比べながら、低い声で議論を交わしていた。
議題はひとつだった。今年、記録的な速度で衰弱している「梅雨」という季節を、どう扱うか。
「もう間に合わないのでは」という声が、あちこちから漏れていた。梅雨の勝率は限りなくゼロに近づいている。五季という枠組み自体が、静かに、しかし確実に崩れかけている。
「梅雨がなくなれば、次は夏と秋が、緩衝なしに直接ぶつかる」と、年配の季守りの一人が言った。「境目が、破れる。そうなれば、今日のようなことが、日常になる」
明彦は黙って議論を聞いていた。だが、ふと里村がこちらを見て、こう言った。
「彼にも聞いてみたいことがあります。あなたは、今年の夏を『軽い』と感じたと言いましたね」
全員の視線が明彦に集まった。
「はい。体感としては、そんなに暑くなかった気がします。エアコンも、あまり使わなくて。日中は図書館に行ったり、窓を開けて扇風機で済ませたり」
「小さなことです」と里村は続けた。「けれど、彼のような人が増えれば、夏の『実績』は少しずつ積み上がりにくくなる。季節同士の対戦は、私たちが記録を取るだけの手の中にあるものじゃない」
会所の中に、しばらく沈黙が流れた。
誰かが、ぽつりと言った。
「手遅れになる前に、何かできることがあるとすれば」
別の誰かが、それに応えるように続けた。
「――いや、もう、手遅れかもしれない。けれど」
その先を、誰も言葉にはしなかった。だが、その場にいた誰もが、同じ続きを思い浮かべていたように、明彦には感じられた。
七
会議の三日後、明彦は真夜中に里村から電話で叩き起こされた。
「今夜、境目で大きな対戦が起きます。日本海側の低気圧と、居座り続けている太平洋高気圧が、あなたの町の上でぶつかる。梅雨がもう緩衝材として機能していない以上、もし夏がここでも勝てば、境目が破れます」
明彦は寝ぼけ眼のまま、言われた通りに神社へ向かった。境内では、里村ともう二人の季守りが、それぞれの季圧計を空に向けて掲げていた。空は不気味なほど蒸し暑く、遠くで雷鳴が低く唸っていた。
「私たちができるのは、勝敗を決めることじゃありません」と里村が言った。「ただ、境目の『間』を、少しでも長く保つことだけです」
彼女たちは声を合わせて、聞いたことのない旋律のようなものを低く唱え始めた。祝詞にも、周波数の合わない無線のノイズにも似た音だった。明彦は何をしていいかわからず、ただ季圧計を握りしめ、里村に言われた通り、深く息を吸って吐くことだけを繰り返した。
数値は、夏側に大きく傾いたまま、しばらく動かなかった。
そのとき、異変は音もなく起きた。
境内の、たった数メートルの範囲だった。明彦が立っている左側では、むっとする熱風が吹き、ツクツクボウシが狂ったように鳴いていた。アスファルトの熱が、足の裏からじりじりと伝わってくる。紛れもない、真夏の空気だった。
だが、右足を一歩、踏み出した途端、世界が変わった。
ひやりと、空気が冷えた。金木犀の匂いがした。八月のはずなのに。セミの声は掻き消え、代わりにどこからか、秋の虫の音が聞こえる。左を見れば夏、右を見れば秋。ふたつの季節が同じ場所で無理やり軋んでいた。見上げた空もまた異様で、雲が真ん中から定規で引いたように二色に分かれていた。西側は夏の入道雲の名残で重く黒く、東側は秋の高い空で、星が透けて見えている。
境目が、破れ始めている。
明彦は、ぞっとした。このまま負ければどうなるのか、という問いの答えが、今、目の前にあった。暑さと寒さが同居する町。季節の順番が、めちゃくちゃになる日常。昨日まで当たり前だったことが、当たり前でなくなる世界。
ふと、陽菜の顔が浮かんだ。明日、始業式に履いていく新しい上履き。大きすぎるランドセル。娘がぼやいていた、「明日は少しでも涼しいといいのにね」という何気ない一言。
明彦は季圧計を握る手に、意味もなく力を込めた。夏に勝ってほしいわけでも、秋に勝ってほしいわけでもない。ただ、あの子が学校に行く朝が、去年より少しでも過ごしやすくあってほしい。あの小さな上履きで歩く道が、少しだけ、歩きやすくあってほしい。
そんな、祈りとも呼べないほど小さな願いだった。
風向きが、わずかに変わった。
二色に分かれていた空の裂け目が、ほんの少しだけ、閉じた気がした。金木犀の匂いはまだ残っている。だが、左側の狂ったような蝉の声が、少しだけ遠のいた。
数値が、ほんの少しだけ、秋側に戻った。大逆転と呼べるようなものではない。ただ、押し切られる寸前で踏みとどまった、というだけのことだった。
夜が明ける頃には、空はすっかり晴れ渡り、いつもより涼しい朝の空気が町を包んでいた。里村は季圧計を見つめ、かすれた声で呟いた。
「引き分けです」
八
五季会議から、もう三年が経つ。
明彦は今も、週に何度か、あの神社の境内に立っている。季圧計をかざし、風の匂いを確かめ、帳面に数値を記す。地味で、目立たず、誰に感謝されるわけでもない仕事だ。
梅雨は、あの年からも痩せ細り続けている。今年の六月も、まとまった雨がほとんど降らないまま、いきなり真夏日が続く七月に突入した。九月に入っても、夏はしぶとく居座っている。
それでも、と明彦は思う。
引き分けの日が、少しずつだが、増えている。
自分一人の暮らし方が変わったところで、季節の対戦成績が劇的に好転するわけではない。それはわかっている。里村も、そんな単純な話はしていなかった。ただ、彼女はこうも言っていた。
「季守りの仕事は、勝つことじゃありません。負け続けている季節が、ゼロになってしまわないように、時間を稼ぐことです」
先日、社務所の古い帳面の、一番後ろのページを見つけた。正式な記録の欄ではない、余白のような場所だった。そこには歴代の季守りたちの、乱雑な字で、勝敗とは関係のない言葉が書き足されていた。
『柿が熟すまでの季節』
『母の咳が治まるまでの季節』
『娘の受験が終わるまでの季節』
百年以上、季守りたちは、四季と梅雨のほかに、自分だけの五季目を、こっそりと守ってきたのだと気づいた。
五季というのは、もともと気象の名前ではなかったのかもしれない。誰かが「終わってほしくない」と願った、名もない時間のことだったのかもしなく。
明彦は万年筆を取り出し、その余白の一番下に、小さく書き加えた。
『陽菜が学校に行く朝の季節』
陽菜は、この春から四年生になった。相変わらず、始業式の朝は「学校やだ」とふてくされているらしいが、それを聞くたびに明彦は、少しほっとする。変わらない朝が、まだ続いている。あの夜、破れかけた境目が、まだ、かろうじて繋がっている証のように。
今日は、朝から涼しい風が吹いていた。
明彦は季圧計の数値を確かめる。夏と秋、久しぶりの「分」――引き分けだった。
大きな勝利ではない。世界を救う劇的な出来事でもない。ただ、今日という一日、季節が踏みとどまった、というだけのことだ。
それでも彼は、帳面にその文字を、丁寧に書き記した。
手遅れになる前に。
いや――もう、手遅れかもしれない。けれど。
それでも、明日もまた、境内に立とうと思う。
(了)
あとがき
この物語は、年々短くなっていく秋や春、そして形骸化していく梅雨に対する、一種の寂しさから生まれました。幼い頃に感じていた「季節が移り変わる瞬間の空気の匂い」や「季節ごとの丁寧なグラデーション」が、いつの間にか極端な猛暑と極寒の二極化に飲み込まれていくような不安は、多くの方が一度は覚えたことがあるのではないでしょうか。
作中に登場する「季守り」や「季圧計」はフィクションですが、作中で里村が語った「人間が使った分だけ季節が強くなる」という考え方は、私たちが地球環境に与えている影響のメタファーでもあります。私たちがエアコンのスイッチを入れること、日陰を探して歩くこと、あるいは「誰かのために明日が少しでも涼しくあってほしい」と祈ること。それらの一つひとつが、実は見えないところで世界のバランスに影響を与えているのかもしれません。
「もう手遅れかもしれない。けれど――」という言葉には、絶望の先にある小さな希望を込めました。大きな気候変動を前に、個人の力はあまりに無力に見えます。しかし、愛する人の平穏な朝を願う静かな祈りと実践の積み重ねこそが、壊れかけた境目を踏みとどまらせる唯一の力なのではないでしょうか。
皆様の日常の中に、優しく愛おしい「五季目」の時間が少しでも永く続きますように。

