時間、量り売りにつき
――何者でもない男の、実に不思議で、そこそこ滑稽な物語――
まえがき
人生の折り返し地点を過ぎたあたりから、ふと「自分はこれまで何をしてきたのだろう」「結局、何者にもなれなかったのではないか」という思いが頭をよぎることがあります。
若かりし頃の熱量や志、先立っていった友人たちへの焦燥感、そして少しずつ変化していく自分の身体。そうした目に見えない人生の重みを、もしも「グラム」で量れる機械があったとしたら――。
この物語は、そんなくだらない思いつきから生まれた、少し不思議で、そこそこ滑稽な物語です。肩の力を抜いて、温かいお茶でも飲みながらお付き合いいただければ幸いです。
序章 残り時間、軽量につき
その日、何野某夫(なにの・なにがしお)は、いつものように駅前の神社で手を合わせていた。
祈る内容はいつも同じ、三点セットだ。健康、安全、安定。欲張りではない。むしろ謙虚な部類だと自分では思っている。世界征服とか、宝くじ十億円とか、そういうことは一切祈らない。ただ、無事に生きていたいだけなのだ。
ところがその朝、賽銭箱の横に見慣れない機械が設置されていた。
「タイム量り機 ―ご自身の残り時間を計測します― 1回200円」
某夫は財布から小銭を出しながら、心の中で呟いた。
(また変な自販機商法か。神社もついに副業を始めたか)
しかし、賽銭箱に金を入れるのも自販機に金を入れるのも大差ないような気がして、彼は硬貨を投入した。
機械はピカッと光り、レシートのような紙切れを一枚吐き出した。そこにはこう書かれていた。
「あなたの残り時間:23.6グラム(規定より軽量です)」
某夫は首をかしげた。時間はグラムで量るものだったのか。首をかしげる「規定より軽量」とは、一体どういう意味なのか。
彼が紙切れをじっと見つめていると、背後で声がした。
「ああ、それは軽いですねえ。普通、還暦過ぎだと40グラムはあるはずなんですが」
振り返ると、白い作業着姿の老人が、まるで電気メーターの検針員のような佇まいで立っていた。
「あなたは……?」
「時間検針員です。略して“検針さん”と呼ばれています。国から――というか、あちら側の役所から派遣されております」
某夫は、自分の人生がとうとう本格的におかしくなってきたことを悟った。
一章 あちら側公社、時間管理課
検針さんに連れられて、某夫は神社の裏手にある古びた社務所の扉に向かった。破れた障子に「本日休館」と書かれた札が揺れる寂れた扉だ。しかし、ギギギと重い金属音を立てて開いた扉の向こうには、蛍光灯がジジ……と点滅する、昭和感あふれる役所の窓口が広がっていた。
「あちら側公社 時間管理課」
看板にはそう書かれている。
「ここは……天国の役所、ということですか」
「天国というと語弊があります。正確には“あちら側”。こちら側の対になる場所で、行政区分としては第七霊界特別区に属しております」
検針さんはカウンターの向こうに座り、書類をめくりながら淡々と説明を始めた。
「某夫さん。あなたの人生における“残り時間”が異常に軽い件について、ご説明差し上げます」
「はあ」
「人はですね、生まれたときに“時間”という名の、目に見えない重りを渡されるのです。この重りは本来、生きるほどに“経験”という名の鉛が詰まって、どっしり重くなっていくものなんですが」
「なるほど」
「某夫さんの場合、40年以上生きてきたにもかかわらず、時間袋の中身がスカスカです。原因を調べたところ――」
検針さんは一枚の書類を突き出した。そこには大きくこう書かれていた。
「原因:“何者かになろう”ともがき続けたことによる、経験の空回り」
某夫は絶句した。
「もがけばもがくほど、時間は軽くなる仕組みなんですよ。“何者かになりたい”という願いは、実は非常に燃費の悪いエンジンでしてね。空転すればするほど、中の重りが摩耗して、粉になって、風に飛んでいってしまうんです」
「じゃあ、どうすればよかったんですか」
検針さんは眼鏡を光らせて、事務的にこう答えた。
「“何者にもならなくていい”と、もっと早く諦めていれば、重りは減らずに済んだんですけどねえ」
某夫は、二十代の自分をぶん殴りたくなった。
「ところで」某夫はふと気になっていたことを尋ねた。「あの機械、“タイム量り機”でしたけど……時間って、量り売りなんですか?」
「ええ、その通りです」検針さんは頷いた。「人生は皆さん、同じ一日、二十四時間を買っているように見えて、実際には全く違う量なんです」
「どう違うんです?同じ二十四時間でしょう」
「一時間を、きっちり一時間分として使える方もいれば、三時間分の後悔にしてしまう方もいますからね。重さで量ると、その差がはっきり出るんですよ」
「それ、量り売りっていうか……計量詐欺じゃないですか。同じお金払ってるのに」
「あちら側公社では、その苦情が一番多いです」検針さんは悪びれもせずに言った。「窓口混雑の原因、上位三位以内に入ってます」
「解決してないんですか」
「調査中、ということで五十年ほど据え置いております」
某夫は、役所というものは、こちら側もあちら側も大差ないらしい、と妙なところで納得した。
二章 志し半ばの同窓会
「ところで某夫さん、せっかくですから、お仲間にも会っていきますか?」
検針さんはそう言うと、廊下の奥にある扉を開けた。そこには――なんと、賑やかな宴会場が広がっていた。
「久しぶりーっ!某夫、老けたなあ!」
声を上げたのは、若くして事故で先立った幼馴染の健二だった。二十五歳のときのままの顔で、生ビールを片手に笑っている。
「けん……お前、元気そうだな」
「そりゃそうよ、こっちは時間止まってるからな!お前の方こそ、還暦超えてどうよ、憧れてた先輩たちの歳に並んだんだって?」
「お前、なんでそれ知ってんだよ」
「あちら側は情報が筒抜けなんだよ。ネットより速い。“草葉の陰SNS”ってのがあってさ」
「草葉の陰SNS? なんだそれ、妙にハイテクだな」
「フォロワー数は生前の人望と連動してて、線香を上げてもらうと“いいね”が一個つく仕組み。某夫、お前もたまにポチッとやってくれてただろ。あれ、ちゃんと通知来てたぞ」
「知らずにいいねしてたのか、俺」
「盆と正月はタイムラインが大渋滞でな。バズるのは決まって、孫の写真を見せびらかす爺さん連中だよ」
宴会場には、志半ばで逝った仲間たちが十数人、楽しそうに酒を酌み交わしていた。誰も彼も、あの頃のまま、若く、無邪気に笑っている。奥のテーブルでは、部活の後輩だった裕太が、なぜか達筆すぎる習字で「即身成仏まであと三年」という札を掲げて記念撮影をしていた。
某夫はふと、疑問を口にした。
「なあ……神様はどうして、お前らをこんなに早く連れて行っちゃったんだ?」
すると健二は、意外にもあっさりと答えた。
「いや、それがさ。こっち来てみて分かったんだけど、“早い遅い”の感覚、そっちにしかないんだよ。こっちは時間、伸び縮みするから」
「伸び縮み?」
「うん。お前らの1年は、こっちだと1分だったり、逆に100年だったりする。だから“早く死んだ”っていうのも、実はこっちから見ると全然早くない。むしろお前らの方が、短い1日を大事に使わなきゃいけない分、大変そうに見えるよ」
某夫は、手にしていたコップの酒をぐっと飲み干した。
「もしかして……こっちの方が楽園なんじゃないか?」
「せいかーい。まあでも、こっちにも“成仏待ちの行列”とか、“煩悩リサイクルセンター”とか、地味に面倒な制度もあるけどな」
「煩悩リサイクルセンターって何だよ」
「未練とか執着とかをドロドロに溶かして、また別の魂の“やる気”に再利用する施設。お前の同期の田中、あそこで“出世欲”を大量に回収されて、今は隣町の氏神様のところで蝉になって鳴いてる。楽しそうだったぞ、あいつ」
「田中……蝉になったのか」
「本人曰く『鳴くだけでいい仕事、コスパ最高』らしい」
某夫は笑った。何年ぶりかに、腹の底から笑った気がした。
三章 不老不死の迷惑じいさん
宴もたけなわの頃、会場の隅で一人、静かに般若湯(酒)をあおる老人がいた。年齢不詳、というより、年齢という概念そのものを超越しているような雰囲気を纏っている。
「あの人は?」某夫が尋ねると、検針さんが小声で答えた。
「ああ、あの方は特別枠の“生ける伝説”でしてね。酒もタバコも女もやらず、ひたすら健康に気を遣って、なんと100歳を超えてもピンピンしております」
「え、生きてる人なんですか?なんでこっちにいるんです?」
「いえ、生きてはいるんですが、あまりに健康すぎて、時々こっちに“出張”してくるんです。健康の申し子として、あちら側公社の広報キャラクターも兼務しておりまして」
「広報キャラクター、というと?」
「ポスターに載ってるんですよ。“健康は財産!”って。あの謎の白装束のおじいちゃん、見たことありませんか」
言われてみれば見たことがある。町内会の掲示板に、いつも貼ってある、あの胡散臭いくらい元気な老人のポスターだ。
老人はこちらに気づくと、シワだらけの顔でニヤリと笑い、懐から乾き切った梅干しを取り出して、種まで丁寧にしゃぶりだした。
「若いの。わしのようになりたいか?」
某夫は正直に答えた。
「いや……正直、そこまでストイックに100まで生きたいとは、思わないですね」
「ふぉっふぉっふぉ、正直でよろしい。わしも好きで節制しとるわけじゃないぞ。ただの貧乏性でな。酒もタバコも、金がもったいなくて手を出さなかっただけじゃ」
「じゃあ、なんで長生きの象徴みたいになってるんですか」
「世間が勝手に祭り上げただけじゃ。ポイ活の延長で健康予防をしとったら、こうなった。わしはただのケチじゃ」
「梅干しも、それでですか」
「一個で三杯飯が食える。コスパ最強じゃ。タバコなんぞ、火をつけた瞬間から金が煙になって消えていくんじゃぞ。あんな馬鹿らしい話があるか」
「女遊びは?」
「割り勘にできんじゃろうが」
某夫はこの老人が急に愛おしくなった。世の中の“教訓めいた話”というのは、案外こういう適当な理由からできているのかもしれない。
「某夫よ」老人は続けた。「還暦を過ぎたあたりで、程よく楽しんで逝くのも、悪くないぞ。無理にわしの真似をして、味気ない100年を過ごす必要はない」
「それもまた良し、ですか」
「それもまた良し、じゃ」
四章 時間量り機のカラクリ
宴会が一段落したところで、検針さんが某夫を再びカウンターに呼び戻した。
「某夫さん。実はあなたの時間袋、軽いことは軽いんですが、致命的にヤバいというわけではありません」
「そうなんですか?」
「はい。むしろ“軽量化に成功している”とも言えます」
「どういうことです?」
検針さんは書類の裏側を見せた。そこには小さな注意書きがあった。
「※重い時間袋=良い人生、では必ずしもありません。中には“こだわり”や“執着”という名の不要な重りを溜め込みすぎて、身動きが取れなくなる魂も多数見られます」
「つまり……」
「あなたの時間袋が軽いのは、“何者かになろう”ともがいた分の重りが、風化して消えていっただけ。逆に言えば、これから残った時間には、余計な重りがほとんど付いていない、ということです」
某夫はハッとした。
「これから何を積んでいくかは、私次第ってことですか」
「その通り。空っぽの袋というのは、絶望的な話ではなく、実はこれから何を入れても軽やかに運べる、という意味でもあるんですよ」
某夫はしばらく黙って、自分の手のひらを見つめた。何十年も、何者かになろうとしてもがき続けた手のひらだ。特別なタコもできていないし、勲章もない。しかし、こうして今、あちら側の役所で妙な老人や生きた友人達と酒を酌み交わせるくらいには、案外悪くない手だ。
「ちなみに」某夫はふと思いついて尋ねた。「残り時間を、今から増量する方法とかは、ないんですか」
「ありますよ」
「本当ですか」
「ありますが、有料です」
「……いくらです?」
「一グラムにつき、三万円です」
「高っ!」
「あちら側でもインフレしておりましてね。十年前は一グラム五千円だったんですが」
「時間にまでインフレの波が来てるのか……」
「しかも消費税は、こちら側とあちら側の二重課税になりますので、実質もう少し高いです」
「二重課税て」
「ご希望でしたら、分割払いのプランもございます。月々のお布施という形で」
某夫は丁重にお断りした。この役所は、天国というより、どう考えても市役所の税務課だった。
五章 こちら側への帰還
「そろそろお時間です」検針さんが懐中時計――もちろん普通の時計ではなく、中に小さな砂時計が入っている不思議な代物――を取り出した。
「戻ったら、私は何をすればいいんでしょうか」
「特別なことは何も。ただ、“何者かにならなくては”というエンジンを、少し緩めてあげてください。空転すると、また袋が擦り減りますので」
健二が最後に肩を叩いてきた。
「なあ某夫。次に会うのがいつになるかは、こっちにも分からん。伸び縮みするからな。でも、慌てて来る必要はないぞ。お前はお前のペースで、ゆっくり時間を積んでこい」
「ああ。ありがとな」
「あと、神社で祈るときはさ、健康・安全・安定の他に、たまには“くだらない幸せ”も一個混ぜとけよ。晩酌がうまいとか、そのくらいのやつを」
某夫は頷いた。
「それと某夫」検針さんが最後に付け加えた。「先ほどの増量プラン、あの後よく考えたら、実は初回相談無料キャンペーン中でして。三十分だけ延長サービスできますが、いかがですか」
「もういいです。今来た道、帰らせてください」
「賢明なご判断です。ちなみに帰り道は下り坂ですので、時間袋が軽い分、足取りも軽いはずですよ」
某夫は、最後の最後まで営業をかけてくる役所仕事に、あちら側もこちら側も変わらないなと呆れながら頷いた。
眩い光に包まれ、気がつくと彼は、朝の神社の前に立っていた。手には、あの「23.6グラム」と書かれたレシートが一枚。
しかし今、その数字は、なぜだか少しも不安に思えなかった。
終章 それもまた良し
某夫は賽銭箱に小銭を投げ入れ、いつものように手を合わせた。
健康と、安全と、安定と――そして、少しの、くだらない幸せを。
自販機はいつの間にか消えていた。神社の宮司さんに聞いても、「そんな機械、うちには置いてませんが」と不思議そうな顔をされるだけだった。
「強いて言うなら、去年おみくじの機械が壊れて、業者を呼んだことはありますが」
「その業者、白い作業着でしたか」
「さあ、覚えてませんねえ。というか、それより二百円お賽銭少なくないですか?さっき数えたら、賽銭箱の中身が微妙に軽かったんですが」
某夫は、あちら側公社の営業魂が思いのほかしぶといことを悟りながら、苦笑いで境内を後にした。
夢だったのかもしれない。あるいは、あちら側の役所の、期間限定キャンペーンだったのかもしれない。
真相は分からないが、某夫は最近、少しだけ生き方を変えた。何者かになろうと肩肘を張るのをやめ、代わりに、晩酌の一杯を心から美味いと感じることに、時間を使うようになった。
還暦を過ぎ、次の世を見られるかどうかは、正直まだ分からない。
けれど、それもまた良し、なのだと思う。
― 完 ―
あとがき
「何者かになりたかった」という若き日の焦燥や未練は、歳を重ねるにつれて、いつの間にか静かな溜め息へと変わっていくことがあります。
けれど、何者にもなれなかったということは、何にも縛られていないということでもあります。手元に残された時間は軽やかで、これからどんな景色を詰め込むことも自由なのです。
人生の後半戦、無理に大層な経験を積み上げる必要はありません。今夜飲む一杯のお酒、季節の風の匂い、気心の知れた友人との他愛もない思い出――そうした「くだらない幸せ」をひとつひとつ愛おしむことこそが、最も豊かな時間の使い方なのかもしれません。
この物語が、日々を真面目に歩んで来られたあなたの心を、ほんの少し軽やかにするきっかけとなれば幸いです。

