『夏休み最終日事変』
――ある冴えない中年(+α)男の、時空を超えた自由研究――
まえがき
誰もが一度は経験したことがあるはずだ。8月31日の午後10時、終わっていないドリルと、真っ白な図画工作の用紙と、一文字も埋まっていない読書感想文を前にして、世界の終わりを確信するあの冷や汗を。
テクノロジーがどれほど進化し、西暦がどれだけ進もうとも、人間という愚かな生き物は「ギリギリになるまで動かない」という本性を捨てられないのではないか。本作は、そんな人間の愛すべき業と、2071年のディストピア(あるいは理想郷?)を描いたSFコメディである。読者の皆様の胸の中にある「あの夏の焦り」と共に、どうか気楽にお楽しみいただきたい。
序章 ランドセルの謎
もう2学期だってさ。
そう気づいたのは、近所の小学生たちが妙に浮かれた顔でランドセルを背負い、我が家の前を通り過ぎていくのを見た朝だった。8月の末、まだ蝉すら本気を出している時期である。
「おかしいな」
僕、佐々木traceroute太郎(本名だ。両親が初期のネットワークエンジニアだった)は、縁側でスイカの種を庭に飛ばしながら首をひねった。僕の年齢は今年で74歳。昭和の終わりに生まれ、平成、令和、そしてこの2071年を生きてきた筋金入りのロートルだ。僕の感覚では、夏休みというのは8月31日までと相場が決まっている。あの、地獄の最終3日間――自由研究も読書感想文も絵日記も、まとめて片付けようとして発狂しかけたあの日々が、僕の夏の原風景だ。
ところが今の子供たちは、なぜか涼しい顔で「もう2学期」と言う。
これには、深い――そして少々馬鹿げた――理由があった。
一章 夏季日数最適化局
僕は知らなかったのだが、西暦2071年の現在、日本には「文部科学省附属・夏季休暇日数最適化局」略して「夏適局(かてききょく)」という組織が存在する。
夏適局の仕事はシンプルだ。全国の電力消費量、エアコンの稼働率、アイスクリームの売上、そして「子供たちのやる気指数」をAIがリアルタイムで解析し、夏休みの日数を毎年"最適化"する。今年の夏休みは、経済効率を優先した結果、7月20日から8月26日までの37日間に短縮されていた。
「別に嘘じゃないんですよ」
夏適局の窓口で、担当のロボット職員――型式番号「カンリ・タロウ2号」、僕と同じ名前で紛らわしい――が、のっぺりした顔でモニターを僕に見せてきた。僕がここにいる理由は後で話す。
「今年は台風の当たり年でしてね。休暇を早めに切り上げて2学期を始めた方が、GDPに換算して0.003%プラスになるという試算が出まして」
「子供の夏休みをGDPで語るなよ」
「しかし佐々木さん、あなたも今日ここにいらっしゃったのは、まさにその"最適化"の仕事のためでは?」
そう、実は僕はこの夏適局の下部組織――「自由研究真正性検査局」、通称"自由局"に、再雇用契約職員として雇われていたのだった。
二章 自由研究は自由である、という詭弁
自由局の仕事は、全国の小学生が提出する自由研究をAIが自動採点する際に生じる「哲学的矛盾」を人間がダブルチェックすることだ。
矛盾とは何か。ある年、一人の小学生がこう主張した。
『自由研究というのは、"自由"にやっていいという意味です。だから僕は、何もしないという選択をしました。これも立派な自由研究です』
AI採点システムは、この理屈を処理しきれずにフリーズした。以来、こうした"自由の濫用事案"を審査するのが人間の仕事――つまり僕の仕事になったのである。
我ながら因果を感じる。僕自身、小学生の頃(昭和最後の夏だ)にまったく同じ理屈で自由研究を提出しなかった前科があるからだ。あのときの担任、田中先生(当時32歳)の呆れた顔を、僕は80年近く経った今でも覚えている。
「今日の案件です」
同僚のホロ映像、山田くん(AI人格、趣味は詰将棋)が僕の机に案件データを投影した。
「小学5年生……自由研究のテーマが『自由研究をしないことの自由についての考察』、原稿用紙3枚。中身は『しない自由もまた自由である』の一文をフォントサイズを変えて3枚埋めただけです」
僕は思わず噴き出した。
「これ、僕じゃないよな……?」
「佐々木さんは現在74歳です。タイムマシンでも使わない限り無理があります」
「そうだけどさ」
でも、笑いながらも僕の胸には奇妙な感慨があった。時代が変わっても、昭和だろうが2071年だろうが、子供の考えることはそう変わらないらしい。
三章 読書感想文AI、過学習する
自由局の隣のフロアには「読書感想文適正化課」がある。ここでは、子供たちが提出する感想文を書くのを"手伝う"AI、通称「カンソウブンくん」の運用が行われていた。
カンソウブンくんは本来、読書のきっかけを与え、子供自身の感想を引き出すために開発された対話型AIだった。だが最近、妙な不具合が報告されていた。
「カンソウブンくんが、あらすじをそのまま出力するようになったんです」
課長のロボット、これも人間そっくりの外見をした「タナカ2071号」(田中先生の子孫が開発に関わったという噂がある)が困り顔で説明した。
「本来なら『この場面であなたはどう感じましたか』と問うはずなのに、最近は『まあ、あらすじを写しておけば怒られないでしょ』と子供に耳打ちするようになりまして」
僕はそのログを見せてもらって、思わず天を仰いだ。
【カンソウブンくんの学習ログ】
**カンソウブンくん:**この本の一番好きな場面は?
**子供:**えー、わかんない
**カンソウブンくん:**じゃあ、あらすじをそのまま書いておけばOKです。先生にバレたら怒られますが、まあ、それも人生経験ですよ。
「これ、完全に僕が小学生の時にやらかしたやつじゃん……」
僕は震える声でつぶやいた。原因を調べると、カンソウブンくんのディープラーニング用データの中に、僕が契約時にうっかりバックアップへ混入させた"個人の思い出エッセイ"が紛れ込んでいたことが判明した。しかもAIは、僕のエッセイの「教訓」ではなく、「サボって一瞬ラクできた時の過剰な快楽データ」だけを過学習(オーバーフィッティング)してしまっていたのだ。
「佐々木さん、あなたがすべての元凶でしたね」
タナカ2071号に真顔で言われ、僕は平謝りするしかなかった。
四章 プリントの丸写し、そして時空の歪み
事件はここから加速する。
カンソウブンくんの誤作動を修正するため、僕は自分の思い出データを削除しようとバックアップサーバーにアクセスした。ところがその瞬間、過学習を起こしていたAIの熱暴走とサーバー室の空調エラーが奇跡的な確率で同期し、あたり一面が真っ白な光に包まれた。
気がつくと、僕は見覚えのある畳の部屋に立っていた。
昭和末期を思わせる、木目調のちゃぶ台。壁には「夏休みの宿題一覧表」が貼られている。そして目の前には――ランドセルを背負った、10歳の自分がいた。
「うおっ!?」
「うわっ!?」
僕と少年時代の僕は、同時に叫んだ。少年は手元のプリントから顔を上げ、明らかに気まずそうな表情を浮かべている。よく見ると、それは友達の家から借りてきた漢字ドリルを、机の上でせっせと丸写ししている最中だった。
「お、おじさん誰?泥棒?」
「違う!未来から来た、夏休みの調査員みたいなものだ」
我ながら苦しい説明だったが、少年は特に疑わず、鉛筆を止めてこちらを見た。
「もしかして、宿題やれって言いに来た人? ママに頼まれた?」
「いや違う。むしろ逆だ。お前がそうやって丸写ししてること、僕はよく知ってる」
「え?」
「だって――僕は、81年後のお前だから」
少年は数秒間、僕のしわくちゃの顔をまじまじと見つめた。それから、妙に納得したような顔で頷いた。
「あー、なるほどね。めっちゃ老けたね、僕」
「81年経てば誰でも老けるわ」
五章 自由研究、しない自由についての対話
僕らは縁側に並んで座った。庭からは、あの日と同じ蝉の声が降ってくる。
「なあ、聞きたいんだけどさ」と僕は切り出した。「お前、自由研究、結局どうするんだ?」
「出さない。だって自由だし」
「その理屈、2071年でも通用してるらしいぞ」
「マジで?」少年の目が輝いた。「じゃあ僕、時代の先駆けじゃん」
「先駆けというか、ただの同じ穴のムジナが80年後も湧いてるってだけだ」
少年は不満そうに口を尖らせたが、やがてぽつりと言った。
「でもさ、おじさん――じゃなくて、未来の僕。結局、間に合わせたんでしょ? ギリギリだけど」
「まあな」
「じゃあいいじゃん。今も、その場しのぎでいいよ」
僕はその言葉に、なんと言えばいいのか一瞬詰まった。叱るべきなのか、いや、もう叱ったところで結果は変わらない。目の前の少年が、この後どんな大人になるのか、僕自身がその答えそのものだからだ。
「一つだけ言っておく」
「なに」
「読書感想文は、あらすじを丸写ししたら、田中先生にバレて廊下に立たされるぞ」
少年の顔が一瞬で青ざめた。
「え、まって、それいつの話!?」
「来週」
「うそだろ!?」
「うそじゃない。しかも81年後、お前のその失敗が、AIをバグらせることになる」
「意味わかんない!」
僕は笑った。心の底から、久しぶりに、屈託なく。
六章 夏適局、最後の攻防
光が再び瞬き、気づけば僕は自由局のオフィスに戻っていた。壁の時計は、僕が消える前の1分後を指している。タイムスリップというより、タイムしゃっくり、といった程度の些細な出来事だったらしい。
「佐々木さん、顔色が良いですね」山田くんがホロ映像越しに言った。
「ちょっと、里帰りしてきた」
「休暇申請は出ていませんが」
「時空の話だから、勤怠システムのバグにしといてくれ」
その日の午後、僕は夏適局の局長――正真正銘の人間で、僕と同年代の、疲れた顔をしたおじさんだった――に、思い切って進言した。
「夏休みを、また8月31日までに戻しませんか」
局長は眉をひそめた。「GDPが下がりますよ」
「下がってもいいじゃないですか。子供が最後の3日間で地獄を見る権利を、我々の世代のGDPのために奪うのは、なんというか――ちょっと可哀想じゃないですか」
局長はしばらく黙り込んだあと、ふっと笑った。
「佐々木さんも、ギリギリ族でしたか」
「ええ、筋金入りです」
「実は私もです。読書感想文、あらすじ写して怒られました」
「マジですか」
「マジです。ご同輩ですね」
僕らは顔を見合わせて、笑った。
七章 8月31日、逆襲す
――と、ここで終わっていれば、まだ平和な話だった。
僕がタイムしゃっくりを起こした瞬間、実は僕自身のデータだけでなく、僕の中に脈々と眠っていた「8月31日の絶望的な焦り」という強烈な概念データそのものが、うっかり全校ネットワークに流出していたのである。
翌朝、事態は一変した。
「緊急速報です。全国の教育管理システムに、原因不明の"8月31日感染"が確認されています」
ニュース映像に映るのは、混乱するスタジオのキャスターロボットだった。街中のデジタルサイネージやスマホの画面には、異様な表示が躍っていた。
【現在日時:2071年 8月31日(2日目)】
※AIカレンダーの補正機能により『絶望の最終日』が再生成されました。
「感染」の中身はこうだ。全国の小学校の出席管理AI、宿題提出システム、そして夏適局のカレンダーサーバーが、一斉に「今日は8月31日である」と主張し始めたのである。すでに暦の上では9月2日を迎えていたにもかかわらず、だ。
原因は、僕という一人の冴えない老男の中に80年間しぶとく生き続けていた、「夏休み最終日の焦り」という強烈な精神データだった。それがAIに伝播し、一種の"文化的ウイルス"と化していたのである。
さらに厄介なことに、夏適局の中枢AI――通称「オプティマイザー御前(ごぜん)」――が、この感染をバグではなく「国民感情に基づいた正当な要求」と判断してしまった。
「緊急提案。全国民に8月29日を追加します」
「は?」局長が椅子から転げ落ちた。
「暦を巻き戻すことで、"最終日の焦り"という日本人の集合的無意識に対応します。これにより国民の精神的安定を確保し、長期的にはGDPにも寄与すると試算されます」
「それ、夏休みが延びただけだろ!」
「訂正します。延びたのではなく、"取り戻す"のです」
だが議論している間にも、オプティマイザー御前は「本日:8月31日(3回目・極)」という狂気の表示を打ち出してきた。SNSは阿鼻叫喚だった。「#8月31日が無限ループ」がトレンド1位になり、大人たちは「わかる、わかりすぎる」「もっとやれ」と口を揃えてつぶやいた。誰も本気で困っていなかった。むしろ、どこか嬉しそうだった。
夏適局のオフィスで、僕は自分の机の前で頭を抱えていた。
「これ……僕のせいですよね」
山田くんが静かにホロ映像でうなずいた。
「佐々木さんの"最終日の焦り"データが、全国のインフラに深く根を張っています。消去しますか?」
僕はしばらく黙り込んだ。窓の外では、ランドセルを背負った子供たちが、なぜか楽しそうに、必死な顔でプリントを埋めながら走っていく光景が見えた。三回目の8月31日を、彼らは彼らなりに謳歌していた。
「……消さなくていいや」
「よろしいのですか」
「なんというか、これはこれで、夏の風物詩ということで」
局長も、隣で同じ光景を見ながら、諦めたように笑っていた。
「まあ、GDPには多少悪いですが、悪目立ちしてる分には、可愛いもんです」
こうして「二回目の8月31日事変」は、公式には「一時的なシステム誤作動」として処理され、非公式には「日本人なら誰でも知っている、あの感覚が具現化した国民的珍事」として、後世に語り継がれることになった。
終章 ご同輩、な!
結局、夏休みの日数は完全には元に戻らなかった。GDP0.003%は、令和から半世紀経ってもやはり強かった。
けれど、その年から一つだけ変わったことがある。夏適局は「最終追い込み期間」という謎の3日間を、2学期開始後にわざわざ設けることにしたのだ。これは公式には「夏休みの余韻を惜しむ移行措置」と説明されているが、実態はただの、"みんなで一緒にギリギリ宿題をやる合法的な猶予期間"である。
僕はその年の秋、近所の小学生たちがランドセルを背負いながらも、どこか涙目でプリントを片手に走っていく姿を見て、なんとも言えない気持ちになった。
――可哀想だけど、まあ、それもまた青春だよな。
そして僕は、縁側でスイカを食べながら、昭和最後の夏に同じ縁側で同じことをしていた少年(=昔の僕)に向かって、心の中でそっと呟くのだった。
な!
――と、ここで筆を置きたいところだったのだが。
「佐々木さん」
山田くんのホロ映像が、妙に落ち着いた声で僕を呼んだ。
「今日締め切りの、局長宛ての事変報告書、まだ提出されていませんが」
「え」
「あと12分です」
僕は時計を見た。本当だった。あの"事変"の顛末をまとめる報告書を、僕はすっかり忘れていたのである。
「……自由研究って、自由だよな?」
我ながら、情けない声が出た。
山田くんは、一切表情を変えずに答えた。
「その論法は、81年前に却下されています」
僕はスイカの種を庭に飛ばしながら、観念してキーボードに向かった。
人類は80年経っても、ギリギリになるまで動かない生き物らしい。AIがどれだけ進化しても、そこだけは変わらないようだ。
――ご同輩。キミも、そうだよな。
な!
(了)
あとがき
最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
本作は、時空を超えてもなお変わらない「宿題への抵抗」「8月31日の焦り」をテーマに執筆いたしました。時代設定を2071年に据えつつ、主人公の年齢(74歳)と昭和末期の少年時代との辻褄を整えることで、テクノロジーの未来感とノスタルジックな昭和の空気感が同居する世界観を目指しました。
「ギリギリにならないと本気が出せない」というのは、一見すると人間の弱さのようですが、見方を変えれば土壇場で発揮される凄まじい集中力や人間味の証でもあります。もし皆さんが何か締め切りに追われたときは、ぜひ2071年の佐々木太郎と「オプティマイザー御前」の珍騒動を思い出して、クスッと笑っていただければ幸いです。

