三部作


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となりの僕、あるいは宇宙の余白



まえがき

「世界には、自分にそっくりな人間が三人いる」
そんな言葉を、一度は耳にしたことがあるだろう。統計上の偶然なのか、ただの都市伝説なのか。日常の中で思い出すことなど、普通はない。

だがもし、その「三人」が、あなたのすぐ近くで、それぞれの人生を生きながら、ときどきこちらの世界へ「顔を出して」いるとしたら――?

この物語は、ごく普通の日々を歩んでいた一人の男が、選ばなかった自分の人生たちと鉢合わせしてしまう、少し奇妙で、どこか滑稽な記録である。
どうぞ、宇宙の隙間に転がる「余白」を覗き込むような気持ちで、気楽にお付き合いください。




プロローグ 三人のそっくりさん

最近、初対面の人にやたらと言われるようになった。

「あれ、どこかでお会いしましたよね?」

そのたび僕は、いえ初めてかと思いますが、と答える。すると相手は決まって苦笑しながら、「そっくりな方がいるんですねえ」と去っていく。

一度や二度なら気にしない。だが月に三、四回となると話は別だ。コンビニ、駅、取引先。僕は何度も「初対面」を繰り返す羽目になった。

友人の哲也に話すと、彼はコーヒーを噴き出しそうになりながら言った。

「知らないの? 世界には自分にそっくりな人間が三人はいるらしいよ。都市伝説だけどさ」

「三人?」

「顔のパーツの組み合わせなんて有限だから、七十七億人もいればそっくりさんが三人や四人いても不思議じゃないってこと」

なるほど、と思った。思っただけで、そのときはまだ笑い話のつもりだった。

問題は、その三人が「どこかで、何かをしている」らしいという一点だった。



第一章 ショッピングモールの奥様

発端は近所のショッピングモールだった。

週末、書店の帰りにフードコートへ寄ると、顔なじみの店員が声をかけてきた。

「先週、奥様とご一緒でしたよね? とても素敵な方で」

僕は独身だ。奥様などいるはずがない。

「いえ、それは僕じゃないですよ」

即答すると、店員はきょとんとした顔で「でも本当にそっくりで……」とつぶやきながら奥へ引っ込んだ。

その夜、布団に入ってから妙に気になった。綺麗な奥様らしき人と歩いていた「僕」。もし本当に僕にそっくりな誰かが、僕の生活圏をうろついているのだとしたら。

悪さをしていなければいいが――そう考えた瞬間、背筋が冷えた。もしそっくりさんが僕の名を騙って何かしていたら? 借金? 犯罪?

考えすぎだ、と自分に言い聞かせて眠った。だが翌週、また別の人から同じような話を聞かされることになる。



第二章 尾行、あるいは追いかけっこ

それから僕は妙な癖がついた。街で自分と似た背格好の男を見ると、つい二度見してしまう。

ある夕方、駅前の交差点で、その「男」を見た。
グレーのコート、黒縁眼鏡、歩き方まで僕そっくりだった。

声をかけようとした瞬間、信号が変わり、男は雑踏へ消えた。
僕は反射的に走り出した。人混みをかき分け、路地へ飛び込む。

息が切れたところで、目の前にいたのは――知らないおじさんだった。

「な、なんですか、あなた」

おじさんは怯えた顔で後ずさった。僕は平謝りしながらその場を離れた。

家に帰って鏡を見る。眼鏡の位置、無精ひげ、少し猫背の姿。自分の顔なのに、なぜか他人のもののように見えてくる。

そっくりさんは三人いるという哲也の言葉が頭の中でぐるぐる回った。
もし本当に三人いるなら、彼らはどこで何をしているのだろう。
そしてなぜ最近になって急に目撃情報が増えたのだろう。



第三章 喫茶店の女性研究者

答えのヒントは思わぬところから来た。

会社帰り、いつもの喫茶店で時間をつぶしていると、隣の席の女性が声をかけてきた。名刺には「量子生物学研究所 特任研究員 柊木環」とある。

「失礼、盗み聞きするつもりはなかったんですが……そっくりさんが増えたという話、されていましたよね」

僕はこれまでの経緯を話した。柊木さんは興味深そうにメモを取りながら言った。

「実は最近、似た相談が研究所にいくつか来ているんです。『自分にそっくりな人物の目撃談が急に増えた』という」

「ただの都市伝説の流行じゃなくて?」

「かもしれません。でも、もし本当だったら面白いと思いませんか」

彼女は紙ナプキンに枝分かれする線を描いた。

「理論上、宇宙にはこの宇宙とほんの少しだけ枝分かれした『隣の宇宙』が無数に存在する可能性があります。もし境界がごくまれに薄くなる場所があるとしたら――」

「隣の宇宙のあなたが、ふとした拍子にこちら側へ『滲み出す』。長くは留まれない。でもその一瞬、誰かに目撃される」

「それじゃあ、僕が見た男やショッピングモールの『僕』は……」

「別の宇宙のあなた自身かもしれません」

柊木さんは、線と線のあいだの余白を指でなぞった。

「宇宙と宇宙のあいだには、完全な空白があるわけじゃないのかもしれません。私たちが『余白』だと思っている場所にも、案外、誰かの人生がある。ただ見えないだけで」

冗談のような話だったが、彼女の目は真剣だった。

「もしよければ、詳しく調べさせてもらえませんか。あなたのケースは目撃頻度が異常に高い。何か境界を薄くする要因があるのかもしれません」



第四章 研究所の地下で

柊木さんに連れられて訪れたのは、大学の外れにある古い研究棟の地下だった。
案内された部屋には巨大なドーナツ型の装置と無数のモニターが並んでいた。

「これは『共鳴観測装置』、通称『鏡の間』です。宇宙同士のわずかな『滲み』を検出するための機械なんです」

同僚の速水という研究者がモニターを指差した。

「見てください。ここ一ヶ月、あなたを中心にした半径二キロ圏内で異常な波形が七回も検出されています。普通は十年に一度あるかないかなんですけどね」

「なんで僕なんですか」

「正直わかりません。ただ仮説はあります。あなたの『隣の宇宙たち』が、何らかの理由でこちらの宇宙に強い興味――引力のようなものを持っている可能性がある」

「興味……ですか」

「たとえば隣の宇宙のあなたが、こちらのあなたの人生をうらやましく思っているとか」

冗談めかした口調だったが、妙に納得してしまった。

「一つ提案があります」と柊木さんが言った。
「装置を使えば、ごく短時間ですが、意図的に境界を薄くできます。もし興味があれば――『隣の僕』と直接会ってみませんか」



第五章 三人の僕

週末、僕は再び研究所を訪れた。
装置の中央、光の輪の中へ足を踏み入れる。耳の奥で高い音が鳴り、視界が歪んだ。

気づくと、白い何もない空間に立っていた。
そして目の前には――三人の「僕」がいた。

一人目はふくよかで、腕に子どもを抱いていた。
「やあ、不思議なこともあるもんだね」と疲れたような温かい笑顔。
ショッピングモールで「奥様」と歩いていた僕だ。結婚し、子どもがいて、毎日てんてこ舞いだが幸せそうだった。

二人目は痩せていて、目つきが鋭い。
「ふん……お前がこちらの俺か。案外パッとしないな」
駅前ですれ違った男だ。彼の世界では会社を興して成功しているが、人間関係は冷え切っているという。

三人目は作業着姿で、絆創膏だらけの手をしていた。
「……俺の世界の俺は、山奥で木を削ってるよ。小さな工房さ」
木工職人になった僕らしい。

四人の僕はしばらく無言で顔を見合わせた。同じ顔、同じ声、しかし歩んできた道はまるで違う。

「なあ」と痩せた僕が言った。「お前の世界はどうなんだ。俺たちの中で一番『普通』みたいだが」

「普通、というか……特に何も」

正直に答えると、三人はどっと息を漏らした。

「羨ましいよ、それが」とふくよかな僕。
「うちは毎日子どもが泣いて暴れて、自分の時間なんて一分もない」

「俺は逆だ。時間は腐るほどあるが、言葉を交わす相手がいない」と痩せた僕。

「俺は……もっと違う生き方もあったのかなって時々考えてた」と職人の僕。



第六章 境界のゆらぎ

三人との対話は二時間近く続いた。
話すうちに、僕はある可能性に思い至った。

「もしかして……お前たちが最近、頻繁にこっちへ『滲み出して』きてたのって」

痩せた僕が鼻を鳴らした。

「察しがいいな。俺たち三人とも、自分の世界で何かに行き詰まってたんだよ。成功しても孤独、温かくても余裕がない、やりたいことをやっても何かが足りない」

「それで無意識に――僕の世界を覗きに来てた、ってことか」

柊木さんの仮説は当たっていた。
隣の宇宙の「僕たち」は、それぞれの人生に渇望を抱えていて、その渇望が境界を薄くする引力になっていた。

「じゃあ、俺たちがここに来られるのもあと少しかもしれないな」と職人の僕。
「境界が閉じる前に、一つ聞いておきたい」

「なに?」

「お前は、今の人生に満足してるか?」

すぐには答えられなかった。特別に幸せでも不幸でもない。ただ平凡な毎日を、なんとなく生きている。

「わからない。でも、少なくとも今この瞬間、こんな不思議な体験ができてることは悪くないと思ってる」

三人はそれぞれ違う表情で笑った。
優しく、寂しそうに、安心したように。



第七章 選ばなかった道

「ひとつ聞いていいか」と僕は言った。
「もし――僕たちの誰かと人生を交換できるとしたら、そうしたいと思うか?」

沈黙が流れた。

痩せた僕が口を開いた。
「……考えたことはある。だが断る。この成功も孤独も、俺自身が選んで積み上げてきたものだ」

ふくよかな僕もうなずいた。
「僕も遠慮しておくよ。しんどい日ばかりだけど、あの子の笑顔を見たら他の人生なんて考えられない」

職人の僕は傷だらけの手を見つめながら言った。
「俺の手は、この生き方でできた手だ。他の誰かの手と取り替えたいとは思わないな」

三人の言葉を聞きながら、僕は不思議な安堵を覚えた。
彼らは彼らの人生を肯定していた。そして僕もまた、平凡だと思っていたこの人生を、初めて少しだけ愛おしく思えた。

「じゃあ、僕も同じだ。この人生を続けるよ」

その瞬間、白い空間が揺れた。
「境界が閉じ始めています! 早く戻って!」
柊木さんの声が遠くから聞こえた。

三人の僕は手を上げた。
「またな」「元気で」「たまには覗きに来いよ」

最後の声が響いた瞬間、視界は真っ白になった。



第八章 それからの日々

気づくと、僕は「鏡の間」の中央に座り込んでいた。
柊木さんと速水さんが心配そうに覗き込んでいる。

僕はこれまでの出来事を話した。二人は驚きながらも納得したようにうなずいた。

速水さんがモニターを操作し、ふと手を止めた。

「柊木さん……これ、見てもらえますか」

柊木さんが画面を覗き込み、表情が硬くなった。

「……おかしいですね」

「何がです?」と僕。

「装置のログです。向こう側から『滲み出して』きたのは三人だったはずですよね。あなたを入れて四人」

「ええ、そうですけど」

柊木さんは画面を指差した。

「装置が記録した『存在』の反応は、五人分なんです」

僕を含めて四人しかいなかったはずだ。
じゃあ、残りの「一人」は――。

しばらく誰も口を開かなかった。

「……機械の誤作動、ってことは」

「かもしれません。境界が閉じる瞬間の残留波形を二重に数えた可能性もあります。今はそう考えておきましょう」

その説明でひとまず納得することにした。
その日は誰も深く追及しなかった。

「ゆらぎは収束しています」と速水さん。
「たぶんもう当分は、そっくりさんの目撃情報は減ると思いますよ」

その予測は当たった。半年、誰からも「どこかでお会いしましたね」と言われなくなった。

哲也に話すと、案の定笑い飛ばされた。

「疲れてたんじゃないの? 変な夢でも見たんだろ」

「かもしれないけどさ」

でも僕は知っている。
あの白い空間で交わした会話も、三人の僕の顔も、決して忘れることはないだろう。

あれ以来、平凡だと思っていた毎日は、少しだけ違って見えるようになった。
通勤電車の窓の外を眺めながら、ふと思う。
この選択の先に、また別の「僕」の人生が枝分かれしているのかもしれない、と。

先日、久しぶりにあのショッピングモールへ行った。
フードコートの店員さんが僕を見て、小さく首をかしげた。

「あの……以前、奥様とご一緒に……」

僕は今度は即答しなかった。
少し間を置いて、笑いながらこう答えた。

「さあ、どうでしょうね」

店員さんはきょとんとした顔をしていたが、僕はそのまま機嫌よく帰路についた。
もしかしたら、あの三人のうちの誰かが、また少しだけこちらの世界を覗きに来ているのかもしれない。
それならそれで、悪くないと思う。

その夜、洗面所で歯を磨きながら、ふと鏡に目をやった。
いつもの自分。少し疲れた顔、寝癖のついた髪――そのはずだった。

一瞬。
瞬きよりも短い、本当に一瞬。

鏡の中の僕が、僕より先に、笑った気がした。

気のせいだろう。
そう思うことにした。

それに、たとえ気のせいでなかったとしても――
今はそれで、悪くないと思っている。

――了――


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あとがき

「もしもあのとき、別の道を選んでいたら」。
そんな思いは、生きている中で誰もが一度は抱く感情ではないでしょうか。
私自身、日常のふとした瞬間に「選ばなかった自分」の姿を思い描くことがあります。

作中に登場した「5人目の存在」が何者であったのか。
それは、主人公が気づいていないもう一つの選択肢なのか、
あるいはまったく別の何か――。

その答えは、読者のみなさまそれぞれの「余白」の中に委ねたいと思います。

この小さなお話が、あなたの帰り道や、ふと見上げる空の片隅に、
少しだけの不思議と楽しさを添えられたなら幸いです。