複勝1.1倍の神様
――有馬記念が世界を救う日――
まえがき
競馬場には、独特の熱気と、どこか浮世離れした寂寥感が同居している。
パドックを回る馬たちの美しい馬体、締め切り間際にマークシートを握りしめる手、そしてレース直前に訪れる一瞬の静寂。
本書は、「もしも絶対に負けない勝負が存在したら」というひとつの if から始まった物語である。
第一章 三十連敗の男
僕には特技がない。
宝くじは当たったためしがない。年末ジャンボもサマージャンボも掠りもしない。商店街の福引きですら、ここ十年ポケットティッシュより上等なものは引いたことがない。
にもかかわらず、僕は年に一度だけ賭け事をする。十二月最終日曜日、有馬記念。
理由はない。強いて言うなら一年の「運勢占い」のようなものだ。競馬新聞も買わない。予想の記号も知らない。スポーツ紙の隅の予想欄を眺め、字面が強そうな馬を一頭、単勝で一枚だけ買う。それが僕の一年の総決算だった。
そして毎年、外れる。今年でちょうど三十連敗である。
「宮田さん、また外れたんすか」
帰り道、後輩の高橋がニヤニヤしながら追いついてきた。毎週末場外に通う筋金入りで、僕のことを「年に一度だけ現れる貧乏神みたいな人」と呼んでいる。
僕、宮田修一、四十二歳。都内の中堅広告代理店の営業。貯金はほぼゼロ、住宅ローンと塾代でカツカツ。勇気もゼロ。会議で反対意見を言ったことなど数えるほどしかない。石橋を叩いた上で、結局渡らない人。それが僕だった。
家に帰れば妻の由美子に「今年もダメだったの」と驚きもされず、小学五年生の娘の遥には「パパ、才能ないねー」と言われる。
「お父さんのそのお金、貯金しておけば三十万円は貯まってたのに」
一年一万円、三十年で三十万円。計算は正確だった。
その日、高橋に誘われるまま駅前の立ち飲み屋で飲み、酔った足取りで駅へ向かう途中、僕はいつもと違う裏路地に迷い込んだ。
そこに、見たことのない店があった。
古い喫茶店のような木造二階建て。看板には掠れた墨文字で「馬券堂」とだけある。磨りガラスの向こうから確かにブラウン管モニターの青白い光が漏れていた。
吸い寄せられるように引き戸に手をかけた。カラン、と澄んだ鈴の音が鳴った。
第二章 馬券堂の老人
店内は外の喧騒が嘘のように静まり返っていた。色褪せた提灯、壁一面の古い競走馬ポスター。線香のような香り。
カウンターの奥に、恐ろしく年老いた男が一人座っていた。真っ白な眉と髭。だが目だけが若々しく爛々と光っている。
「いらっしゃい。三十連敗の兄さん」
なぜ連敗数を知っているのか。困惑する僕の前に、老人は古い十円玉をコトリと置いた。
「これを持って、来年の有馬記念で複勝を買いなさい」
「複勝ですか」
「そう。ただし1.0倍では絶対に買うな。1.1倍以上ついたときにだけ買いなさい」
「そんなに違うもんなんですか」
「大違いだ。多くの人間は、その差に気づかない」
老人はそれ以上語らなかった。十円玉は普通のものより少し重く、表面に円を三つ重ねたような紋章が刻まれていた。
顔を上げると老人の姿はなかった。照明も看板の灯りも音もなく消え、店は最初から存在しなかったかのように静まり返っていた。
酔いのせいだと思い、僕は十円玉をコートのポケットに突っ込んで帰った。
翌日、気になって裏路地を訪ねたが、馬券堂は見つからなかった。そこにあったのはシャッターの下りた空き店舗で、テナント募集の張り紙が貼られていた。不動産屋は「五年くらい空いてますよ」と言った。
財布の中の小さなポケットに、僕はその十円玉をしまった。
第三章 見えてしまうもの
数日後の昼休み、来年の有馬記念の出走予定をスマホで眺めていたとき、ポケットの十円玉に指先が触れた。
瞬間、視界が変わった。
画面の奥に無数の光の糸が見えた。出走予定馬の名前の脇に細い金色の糸が幾重にも絡み、その太さや輝き方がまるで未来の確からしさを示しているようだった。
それから毎晩、十円玉を握ってオッズや出走表を見つめると金色の糸が見えるようになった。日を追うごとに解像度が上がっていく。
居酒屋で高橋に半分冗談で聞いてみた。
「もし競馬の未来が見える力があったらどうする?」
「即、家買います。会社辞めます」
「俺は多分、その力があっても怖くて大きい額は張れないと思う」
「相変わらずですね」
セコいのではない。臆病なのだ。その臆病さが誰も予想しなかった形で世界の運命を左右するとは、その時の僕はまだ知らなかった。
第四章 オッズという名の多元宇宙
十二月に入り、毎晩十円玉を握りしめて情報を眺めていたある夜、ついに声が聞こえた。
『ようやく見えてきたようだね』
老人の声だった。
『儂の名は名乗るほどではない。強いて言うなら複勝の神様とでも呼んでくれ』
老人は金色の糸の意味を説明し始めた。あれは単なる予想オッズではない。並行して存在する無数の有馬記念、その結果の束だという。
『この世界には無数のもしもが同時に存在している。もしもあの馬が絶好調だったら。もしも天候が違っていたら。その無数のもしもの世界でそれぞれ違う馬が勝ち負けしている』
「じゃあ1.1倍ってのは」
『複勝オッズというのは本来ほぼ確実に三着以内に入ると見なされた馬につく極めて低い倍率だ。多くの並行世界でその馬は三着以内に収まっている。だがごくわずか、全体の一割ほどでは不覚を取る』
「一割で負ける」
『そう。そしてその一割の不確実性がわずかなプレミアム、1.1倍という上乗せを生む。1.0は全ての世界で当たる。だから何も起きない。1.1にだけ、世界と世界との隙間がある』
「でも複勝1.1倍なら九割の並行世界で当たる」
『理屈の上ではな。だが九割で勝てると分かってるのにそれが当然の権利みたいに思えてくるんだよ。欲は少しずつ当たり前の顔をして忍び込んでくる』
『その一回に大枚を張った人間たちが何人も消えていった』
第五章 消えた人々
『欲望の重さに器が耐えられなくなったとき落ちる場所がある。儂はそれをオッズの狭間と呼んでいる』
『無数の競馬場が幾重にも折り重なった場所だ。同じレース、同じ馬、同じ観客席。だが着順だけが少しずつ違う。そのすべてが同時に存在している』
『閉じ込められるというより選べなくなるのだ。どの結果が本当の自分の結果なのか分からなくなる。いつまでも決着がつかないまま無限にレースを繰り返し続ける』
『この力を使い複勝1.1倍で大金を得た人間の多くは、次の年もっと大きな金額を賭けようとする。九割という安全神話に酔い、賭け金を吊り上げていく。そしていつか必ず来る一割の日に全てを失う。正確には並行世界のどこか、負けた世界の自分に意識ごと吸い込まれてしまうのだ』
「実際にそんな人間がいたのか」
『儂が最初に十円玉を託した相手は二十年ほど前、お前と同じような平凡な男だった。五年目まではうまくいった。だが六年目、彼は思ったのだ。もっと大きく張っても同じではないかと。そして八年目の有馬記念、彼は三百万円を複勝一点に注ぎ込んだ。その年、選んだ馬はゴール寸前で不利を受け四着に敗れた。翌朝、家族が目を覚まさない彼を見つけた。医者は原因不明の昏睡と診断した。今も病院のベッドで眠り続けているはずだ』
『だから儂は毎年一人、器に見合った人間にだけ託す。強欲な人間ではなく臆病な人間にだ』
「なあ、他のギャンブラーって負けた話はほとんどしないよな。みんな勝った話しかしない。本当はどれくらい負けてるのか誰にも分からない」
『鋭いな。人間は勝った自慢は饒舌に語るが負けた恥は打ち明けない。だからこの世界には実態の見えない静かな敗北が無数に積み重なっている』
その夜、僕は決意した。今年の有馬記念、複勝で一万円だけ、あの光る糸の馬に賭けてみようと。
第六章 プレ有馬記念
有馬記念前日、高橋を誘って場外に下見に行った。
一番人気の馬を仮にクロノスバレットとしよう。その複勝オッズは1.0倍。鉄板中の鉄板だ。
僕は十円玉を握りしめた。掲示板の向こうに金色の糸が見えた。クロノスバレットの糸は太く輝いていたが、一部だけ微かに揺らいでいる。
そして電光掲示板が切り替わった瞬間、1.0倍から1.1倍へ変わった。
『これが今年の答えだ。明日、レース直前までオッズは1.0と1.1の間を揺れ動くだろう。締め切り直前、必ず一度だけ1.1倍以上になる瞬間がある。そこで買え』
第七章 有馬記念、当日
十二月最終日曜日、中山競馬場は朝から異様な熱気に包まれていた。
第十一レース、発走時刻が近づく。僕は電光掲示板の前に立ち、十円玉越しに金色の糸を見つめ続けた。
クロノスバレットの複勝オッズは1.0と1.1の間を行ったり来たりしていた。
締め切り五分前。
『今だ』
オッズが1.1を表示した瞬間、窓口に駆け込んだ。
「クロノスバレット、複勝、一万円!」
発券されたたった一枚の紙切れ。三十年分の連敗を経て初めて勝算という言葉の意味を少しだけ理解した気がした。
その時、異変が起きた。電光掲示板の光が激しく明滅し始めたのだ。
後で知ったことだが、この異変は中山だけではなかった。京都のウインズでも、大阪の場外でも、全国のテレビ画面でも同様のノイズが確認され、SNSには #有馬記念バグ が広がったという。
金色の光の糸が嵐に巻き込まれたかのように渦を巻き、ちぎれかけている。
『何かが狂い始めている。誰かが儂の想定を遥かに超える大金をこの揺らぎに注ぎ込んだ』
第八章 諭吉一万枚の男
ゲートが開く直前、巨大スクリーンに映るクロノスバレットの姿が一瞬透けて二重に見えた。
「なんだあれ!」
観客席がどよめく。場内アナウンスの声が一瞬だけ二重に聞こえ、空を見上げれば有り得ないはずの二つの太陽が薄く重なって見える。
『見つけた。どこかの並行世界で誰かが儂の力のまがい物を使い途方もない額を注ぎ込んでいる。諭吉にして一万枚以上』
「十億か!」
『並行世界のバランスは賭けられる金額の熱量によっても揺らぐ。あまりに巨大な熱量が一点に集中すれば世界と世界の境界そのものが軋み始める』
『このままでは今日のレースそのものが無数の並行世界に引き裂かれる。どの世界のクロノスバレットが本物の三着以内なのか答えが定まらなくなる。レースの結果が永遠に確定しなくなるということだ』
「どうすりゃいいんだ!」
『分不相応の欲に対して真逆の分相応の意志を同じだけの強さでぶつけることだ。お前の中にあるちっぽけな一万円の複勝馬券を最後まで握り締め続けろ』
ゲートが開いた。十六頭が一斉に飛び出す。
僕はポケットの中で一万円の複勝馬券を握りしめた。
第九章 もう一人の宮田修一
直線、クロノスバレットが抜け出した。スクリーンのノイズが激しくなる。
一瞬、視界が真っ白になった。
気がつくと見知らぬ高級マンションのリビングに立っていた。壁には有名な画家の絵、棚には高級ウイスキー。
振り返るともう一人の宮田修一がソファに沈み込んでいた。憔悴しきった顔で目の下に濃いクマ。
『ここがあちらの世界の俺の部屋だよ。羨ましいか?この部屋も時計も全部複勝1.1倍で稼いだ金だ。最初の五年はお前と同じようにちっぽけな額から始めた。だが止まらなくなった』
『九割で勝てると分かってるのにそれが当然の権利みたいに思えてくるんだよ。欲は少しずつ当たり前の顔をして忍び込んでくる』
『今日負けたら俺は全部失う。分かってるのに止められない。お前はまだ引き返せる。俺みたいになるなよ』
視界は再び真っ白になり、中山競馬場の喧騒に引き戻された。
ゴール板が近づく。僕は目を閉じ、ずっと前からぼんやり考えていたことを思い出した。
「それの勝ち負けよりも、そこにそれだけの大枚を張れるかどうかってことの度胸を試されてるのかもしれないけれども。僕はそんな度胸もないし、またそんな予算もないけれども」
そうだ。それでいい。それが僕なんだ。
第十章 ゴール、そして選択
「ゴール!一着クロノスバレット!」
実況が響いた瞬間、電光掲示板の明滅がふっと止んだ。嘘のように静寂が戻った。
クロノスバレット複勝確定1.1倍。三着以内、当たっている。
高橋が肩を叩いた。
「宮田さん当たってるじゃないですか複勝!いくら賭けたんです?」
「一万円」
「しょっぼ!三十連敗の後の一勝が一万円て!」
確定払戻金は一万一千円。利益たった千円。だが胸の奥が温かかった。三十年間味わえなかった当たったという感覚だった。
翌週のスポーツ紙には小さく載った。
『十二月二十八日、中山競馬場にて発生した映像トラブルについてJRAは一時的な信号障害と発表。原因は調査中。レース結果および払戻金には影響がない』
たった三行。あれほどの騒ぎが味気ない三行に収められてしまうことに可笑しさを覚えた。
第十一章 馬券堂、ふたたび
家に帰って一人になったとき十円玉が最後にもう一度だけ淡く光った。
『よくやった、宮田修一』
「あんたのおかげだよ」
『それでいい。分からないままちゃんと分相応を選べる。それがお前の唯一にして最大の才能だ』
『九割九分の人間が持ちえない、それだけの度胸がなくてもそれでいいと思える静かな強さのことだ』
「なああんたと馬券堂はいつからあるんだ」
『儂の記憶が正しければあの土地は遥か昔まだ中山に競馬場すらなかった時代から旅人の賭け事の願掛けを受け付けていた小さな祠のあった場所らしい』
「なんで有馬記念なんだ?」
『有馬記念はファン投票で出走馬の一部が決まる年に一度唯一のレースだ。専門家の理屈だけでなく無数のただの人間の願望が直接レースの構成に織り込まれる。しかも一年の締めくくりだ。無数の並行世界のズレが最も凝縮しやすいのがまさにこの瞬間なのだ』
「あんた結局何者なんだよ」
『儂も昔はお前と同じただの人間だった。ある年の有馬記念で一枚の十円玉を託された。そして欲に呑まれかけた。だが寸前で踏みとどまった。その踏みとどまる力を買われて今は次の誰かに託す役目を負っている。儂も三十連敗の兄さんだったのさ』
十円玉の光がふっと消えた。それきり声は聞こえなくなった。
第十二章 三十一年目の男
年が明けた。会社は変わらず忙しく僕は変わらず平凡なサラリーマンとして働いている。貯金はほとんど増えていない。千円の利益など忘年会の割り勘一回分にもならない。
僕は誰にも話していない。年に一度しか馬券を買わないしがない中年男が並行世界の崩壊を一万円の複勝で食い止めたなんて誰が信じるだろう。
一つだけ変わったことがある。毎晩ポケットの中の何もない空間を少しだけ確かめるようになった。あの十円玉がまた光り出さないかと。
もちろん光りはしない。ただの日常が続くだけだ。それでいいと思う。
来年の有馬記念も僕はきっとあの裏路地を探すだろう。
三十一連敗目にならなかったことだけは確かな事実として僕の手帳の隅に小さく記されている。
とほほ、ではなく。ちょっとだけ、めでたし、めでたし。
番外編 三十二年目、ふたたびの十二月
翌年の十一月末、ふと思い立って裏路地を再び訪れてみた。シャッターの下りた空き店舗は相変わらずそこにあった。
帰り道、財布を確認するとあの十円玉はいつの間にかただの十円玉に戻っていた。円を三つ重ねた紋章もよく見れば経年劣化の傷にしか見えない。
僕はその十円玉を自動販売機に入れてみた。ジュースが一本コトンと落ちてきた。ただの十円玉としてその生涯を静かに終えたようだった。
それでも今年も有馬記念の季節がやってくる。今度は単勝か複勝か、まだ決めていない。1.1倍かどうか確かめる術はもうないけれど。
娘の遥は中学生になった。「お父さんの複勝理論、数学の確率の授業でちょっと役立ったよ」と生意気なことを言う。妻の由美子は以前ほど文句を言わなくなった。
分不相応な夢は見ない。分相応のささやかな一点。それが僕という男の精一杯の度胸なのだから。
さて、あなたならどうする?
(了)
あとがき
この物語はある年末、一編の詩から始まった。
「博才なんてあるはずはなく、宝くじはかすりもせず」――そんな自嘲めいた一節を書き留めた人物が果たして本当にどこかにいるのかどうか僕は知らない。だがもしいるのだとしたらその人はきっと宮田修一と同じように年に一度だけこっそりと馬券を買い続けているのだろう。
三十連敗してもなお続けてしまう理由。それは勝つためではないのかもしれない。負け続けることそのものがその人にとってのささやかな年中行事なのかもしれない。
複勝1.1倍の理論は決して絵空事ではない。実際に複勝のわずかな上乗せに着目する馬券戦略は昔から一部の玄人の間で語られてきた実在する考え方だ。もっともそれで並行世界が崩壊するかどうかはもちろん誰にも分からない。
「それの勝ち負けよりも、そこにそれだけの大枚を張れるかどうかってことの度胸を試されてるのかもしれない」――そんな言葉を残した誰かに、この物語をささやかな返歌として捧げたい。
度胸も予算もなくても。それでも僕らは今日も明日も自分の身の丈に合った小さな賭けを続けていく。それでいいのだとそう思わせてくれる物語をこれからも書いていきたい。
ーー原詩ーー
博才考
博才 なんてあるはずはなく
宝くじは かすりもせず
商店街のくじ引きすら当たらず
日常 ギャンブルには手を出さず
それでも年に1度だけ 馬券を買う
有馬記念 来年を占う意味で わずか1点 こっそりと買う
しかしてすでに 30連敗中~
とほほ…
結局1着も当たらないわけだから 1着2着の両方を!ってな連勝の買い方が当たるはずはなく ましてや1着から3着までをも なんて奇跡でも起こらない限り難しいってなわけだ
なんたって相手はこれで食ってるわけだからね こちらに部が悪いに決まってるわけだ
またギャンブラーたちはみんな勝ったときのことしか話さないから本当はどのくらい やられてるのかすらわからない
しかしてもしも利益が取れるとしたならばおそらくこんな買い方しかないはずで…
それはガチガチの鉄板な1番人気を複勝で見たときに1.0倍戻しではなく1.1倍以上付いたときそこに大枚をドカンとに入れる
これはまあどう転んでも3着までなら大丈夫だろう!ってやつでサドンリーアクシデント!でもない限りそこそこの確率は取れるはずで…
仮に諭吉100枚とすれば一瞬で諭吉10枚の利益となり1000枚なら100枚10000枚にしたならばな なんと 1000枚にもとなる
現にそれで食ってる方々がいるらしいからその度胸とやらは生半可ではない
ようするにそれの勝ち負けよりもそこにそれだけの大枚を張れるかどうかってことの度胸を試されてるのかもしれないけれども…
さてあなたなら どーする?
僕はそんな度胸もないしまたそんな予算もないけれども…残念

