『一曲だけの青春
―夢の中で、僕はもう一度、青春をやり直した―』 



第三十六幕 初代の話
第二二六章 店主の休日
「客になれ」
そう言われて、僕は初めてYaYaの客席に座った。何とも妙な気分だった。今までずっと店を開ける側で、コーヒーを淹れ、ギターを渡し、「一曲だけ」と言ってきたのに、今日は僕が客なのだ。 
カウンターの向こうには、17歳の少女——新しい店主が立っている。さっきまで制服だったのに、今はエプロンを着ている。 
「似合います?」
「うん」
「本当に?」
「かなり」
「ありがとうございます」 
僕は笑った。「でも、店主って何するの?」
彼女が真顔で答える。「分かりません」
「……」
「初代の人も教えてくれませんでした」 
僕は笑った。「それがYaYaなんだろうね」 
彼女はコーヒーを淹れた。「どうぞ」
僕は一口飲んだ。「うまい」
「本当?」
「うん」
「じゃあ、成功ですね」 
僕は笑った。「店主って案外簡単だな」 
その瞬間、店の奥から声がした。「最初だけだ」 
僕と少女は同時に振り返った。初代が笑っていた。 

ーーーーーーーーーー

第三十七幕 初代YaYaの青春
第二二七章 1948年
「俺が最初にこの店を作ったのは——」初代は古い椅子に座った。「1948年だ」 
僕は驚いた。「そんな昔?」
「そう」
「じゃあ、YaYaって何年あるんですか?」 
初代は笑った。「数えたことがない。店は何度もなくなった」
「え?」
「焼けたこともある、壊されたこともある、立ち退きもあった」
「じゃあ、今の店は?」
「四代目」 
少女が言う。「私?」
「そう」
「四代目って少なくないですか?」 
初代が笑う。「店主は代わるたびに名前を変えるからな」
「え?」
「店そのものは同じじゃない」
「じゃあ、どうしてYaYa?」 
初代はギターを見た。「名前だけは残した」
「なぜ?」 
少し黙って、初代が言った。「最初にその名前をくれた人がいたからだ」 

第二二八章 YaYaという女
僕は聞いた。「人の名前?」
初代は頷く。「女だった」 
少女が目を輝かせる。「恋人?」
初代が笑う。「まあ、そういうことだ」 
僕は思わず笑った。「結局、恋愛なんですね」
「人間なんてそんなもんだ」初代は遠くを見る。「戦争が終わって、東京は何もなかった。食べ物も、仕事も、家も何もない」
「そんな時代に?」
「俺はギターだけ持っていた。ギターが俺の全部だった」初代は笑った。「ある夜、女が店に入ってきた」
「YaYa?」
「そう」
「本名?」
「違う、愛称だ」
「どういう人?」 
初代は少し困った顔をした。「よく笑う女だった」
「美人?」
「ものすごく」 
少女が笑う。「惚気ですね」
「そうだな」初代も笑った。 

ーーーーーーーーーー

第三十八幕 最初の一曲
第二二九章 雨の夜
「その夜も雨だった」初代は話を続ける。「女はびしょ濡れで店に入ってきた」
「何の店だったんです?」
「その頃は喫茶店」
「じゃあ、最初からギターの店では?」
「違う」 
僕は驚いた。「コーヒーを出していた」
「普通の店?」
「普通だった」
「なのに、どうして?」 
初代はギターを持った。「女が泣いていた。俺は何も言えなかった」
「それで?」
「ギターを弾いた」
「何を?」
「自分で作った曲」
「曲名は?」 
初代が笑う。「なかった。曲名なんて考えたことがなかった」 
少女が聞く。「じゃあ、その曲を彼女がYaYaと?」
「そう」
「何で?」 
初代は答えた。「『あなたの歌、YaYaみたい』って」 
僕には意味が分からない。初代が笑う。「俺にも分からなかった」
「じゃあ、どうして?」
「好きな女がそう言ったんだ」
「それだけ?」
「それだけで十分だろ」 
僕は笑った。確かにそうかもしれない。 

第二三〇章 YaYaは歌だった
初代は続けた。「YaYaは歌の名前だった。女の名前でも、店の名前でもなかった」
「じゃあ?」
「音そのもの」
「音?」
「彼女が笑うときの音」 
少女が笑った。「分かりません」
初代も笑う。「俺も今でもよく分からない」 
僕は思った。この店らしい。何もかも説明できない。でも、何となく分かる。それでいい。 

ーーーーーーーーーー

第三十九幕 別れ
第二三一章 彼女が消えた日
「でも」初代の声が少し低くなった。「YaYaはある日いなくなった」 
少女が黙る。僕も黙る。 
「どこへ?」
「分からない」
「亡くなった?」
「それも分からない」
「じゃあ?」
「ある朝、いなくなっていた」 
初代はギターを見つめた。「手紙が一枚だけ」
「何て?」 
初代は答えなかった。代わりに古い封筒を出し、僕の前に置く。封筒には一言、「一曲だけ」とあった。 
僕は息を呑んだ。「これ……」
「最初の『一曲だけ』だ」
「じゃあ、僕たちが聞いてきたのは……」 
初代は頷いた。「全部、あの女からの続きだ」 
少女が封筒を見る。「その人は今?」
初代は微笑んだ。「知らない」
「ずっと?」
「ずっと」
「探さないんですか?」 
初代は笑った。「探したさ」
「見つからなかった?」
「見つからない」
「どうして?」 
初代は静かに言った。「見つけたら物語が終わるから」 
僕は胸を突かれた。 

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第四十幕 最初の読者
第二三二章 僕の夢の始まり
僕は突然思い出した。僕が最初にYaYaの夢を見た夜、雨だった。小さな店、ギター、「一曲だけ」、そして知らない女性が僕に笑いかけていた。 
僕は初代を見る。「もしかして」
「そう」
「僕が見た女性は」
「YaYaだ」 
僕は言葉を失った。「でも、僕はその人を知らない」
「当然だ」
「じゃあ、どうして?」 
初代が笑う。「夢だから」
「またそれ?」
「いや」初代は真顔になった。「夢は記憶の反対じゃない。未来の記憶だ」 
僕は黙った。 
少女が聞く。「未来の記憶?」
初代が頷く。「まだ起きていないことを先に覚えている」 
僕は笑った。「そんな馬鹿な」
初代が笑い返す。「YaYaだからな」 
その答えで全部済ませてしまう。 

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第四十一幕 未来から来た少女
第二三三章 彼女の正体
僕は少女を見る。「じゃあ、君は?」
「私?」
「どうして僕の夢に出てきた?」 
少女は黙った。しばらくして言った。「まだ分かりません。でも、私もあなたを夢で見てました」
「僕を?」
「はい」
「どんな僕?」
「今のあなた」 
僕は笑った。「それ、夢で見るほどの男かな」
少女が笑う。「夢の中ではギター弾いてました」
「それだけ?」
「はい」
「じゃあ、たいした夢じゃない」 
「でも」少女が少し真面目な顔になる。「私の夢では、あなたが死んだ後でした」 
僕は黙った。 

第二三四章 僕の葬式
「葬式?」
少女は頷く。「はい」
「僕の?」
「そうです」
「嫌だな」
「私も嫌でした」
「それで?」
「あなたの写真の前で、私が一曲弾くんです」 
僕は笑えなかった。「何の曲?」
「分かりません。でも弾き終わると、あなたが笑うんです」 
僕は目を閉じた。「何て?」
少女が言う。「『ありがとう』って」 
店内が静かになる。初代が静かに笑った。「それでいい」 
僕は少女を見る。「まだ君は生きてる」
「はい」
「僕も生きてる」
「はい」
「だったら、そんな未来変えよう」 
少女は首を振る。「変えません」
「え?」
「死ぬのは仕方ないです。でもそのとき、一曲弾けるなら、私はそれでいい」 
僕は何も言えなかった。 

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第四十二幕 人生の予約
第二三五章 予約票
初代がカウンターの下から紙を出した。「これ」 
僕が見る。古い予約票。 
日付:2098年11月18日 
僕は固まった。「これ、何?」
「予約」
「誰の?」
「お前」
「……」
「この日に一曲」 
僕は笑った。「僕、そんなに長生き?」
「知らん」
「じゃあ、何で予約?」
「YaYaだから」 
僕は頭を抱えた。「何でもありですね」
初代が笑う。「人生だって何でもありだろ」 
少女が予約票を見る。その裏にもう一枚。 
日付:2098年11月18日
名前:少女 
僕は驚いた。「君も?」
少女は頷く。「どうやら」
「同じ日?」
「はい」 
僕は笑った。「じゃあ、二人で一曲だ」
少女も笑う。「はい」 
初代が言う。「それがYaYaだ」 

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第四十三幕 現在へ
第二三六章 目覚め
目が覚めた。朝、雨。僕はベッドの中。隣に妻が眠っている。時計は午前七時。 
僕は笑った。「全部、夢か」と呟いた。 
すると、枕元に何かある。古いカセットテープ。僕は固まり、手に取る。 
ラベル:YaYa 1976 
僕はしばらく動けなかった。そして妻を起こす。 
「ねえ」
「……何?」
「これ」 
妻が半分眠ったまま見る。「何それ?」
「夢でもらった」 
妻は目をこする。「また?」
「うん」
「今度は何?」
「カセット」 
妻は笑う。「再生してみれば?」 
僕は古いカセットデッキを押し入れから出した。いつ買ったのか覚えていない。テープを入れる。再生。 
ザーッ—— 
そして、声。『聞こえるか?』 
僕は凍った。その声は確かに聞き覚えがあった。でも祖父ではない、先輩でもない、桑田さんでもない、初代でもない。 
その声は、僕自身だった。 

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第四十四幕 僕から僕へ
第二三七章 未来の声
テープの中の僕が言う。 
『これを聴いているということは、お前はYaYaをまだ続けている』 
僕は息を止めた。 
『安心しろ。人生は思っているほど悪くない』 
僕は笑った。 
『失敗もする、恥もかく、後悔もする。でもそれでいい。一番大事なのは——』少し間が空く。『誰かと一緒に笑えるかどうかだ』 
妻が僕の隣に座り、二人で聴く。 
『もし今、お前が一人なら、誰かを呼べ』
『もし喧嘩しているなら、一言謝れ』
『もし夢を諦めているなら、一度だけもう一回やってみろ』
『そして——』少し声が笑った。『もしギターを持っているなら、一曲だけ弾け』 
僕は泣きそうになった。最後に、僕の声。 
『その一曲を、誰かに渡せ』 
そこでテープが終わった。 

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第四十五幕 もう一度、渋谷へ
第二三八章 妻と二人
妻が言った。「行こうか」
「どこへ?」
「渋谷」
「今から?」
「今から」 
僕は笑った。「何で?」 
妻は立ち上がる。「一曲、弾くんでしょう?」 
僕は笑った。「そうだった」 
二人で家を出る。雨は上がっていた。電車、渋谷、駅、改札……あの日と同じ場所。 
僕は少しだけ立ち止まる。肩に何か触れた。 
「よっ」 
振り返るが、誰もいない。 
妻が僕を見る。「どうしたの?」
「いや」
「誰かいた?」
「昔の友達」
「見えないけど」
「うん。でも、いる」 
僕が笑うと、妻も笑った。 

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第四十六幕 坂道
大学へ向かう坂道。昔は長かったが、今は短い。坂道が変わったのではない、僕が変わったのだ。 
妻が隣を歩く。「ここ?」
「うん」
「懐かしい?」
「すごく」
「じゃあ、一曲」 
僕はギターケースを開けた。街角、小さなベンチ、ギター。ポーン……。 
妻が笑う。「下手」
「昔よりは上手い」
「そう?」
「たぶん」 
そこへ一人の青年が立ち止まった。「すみません」 
僕は顔を上げる。「はい?」
「それ、何ていう曲ですか?」 
僕は少し考えた。「まだ名前はない」 
青年が笑う。「じゃあ、僕にも教えてください」 
僕はギターを渡した。「一曲だけ」 
青年が受け取り、弦を弾く。ポーン……。 
僕は笑った。妻も笑った。そしてどこか遠くから、誰かの声。「よっ」。 
僕も答える。「よっ」。 

エピローグ YaYaは、まだ始まったばかり
その夜、僕はノートを開いた。新しいページの改行一行目、僕はこう書いた。 
『YaYaは、終わらない。』 
二行目、少し考えてからこう書いた。 
『なぜなら、まだ一曲も弾いていない人がいるから。』 
三行目。 
『そして、まだ一度も夢を見ていない人がいるから。』 
四行目。 
『そして、まだ誰にも「よっ」と肩を叩かれていない人がいるから。』 
そこで筆を止めた。窓の外は雨がポツ、ポツと降っている。僕は笑った。また始まる。 
カラン——と店のドアが開く音。僕は振り返る。「いらっしゃい」 
誰かが入ってくる。顔は見えないが、声だけは聞こえる。「すみません」
「はい」
「ここ、YaYaですか?」 
僕は笑う。「そうですよ」
「何の店ですか?」 
僕はギターを一本取り出した。そして答える。「人生の途中で、ちょっとだけ寄り道する店です」 
客が笑う。「じゃあ、一曲だけ」
僕も笑った。「どうぞ」 
雨が降っている。東京のどこか、誰にも知られない小さな店「YaYa」。そこでは今日も、誰かが誰かに一曲を渡している。 
そしてその曲は、また次の誰かへ渡される。一人、また一人。百年、また百年。 
そうしていつの日か、僕たちがすっかり忘れられた頃、どこかの知らない青年がギターを弾く。ポーン……。 
誰かが言う。「いい音だね」
青年が笑う。「ありがとう」 
そのとき、YaYaの初代店主がどこかで笑っている。祖父も笑っている。先輩も笑っている。桑田さんも笑っている。原さんも笑っている。そして、僕も笑っている。 
時間など関係ない。夢も、現実も関係ない。ただ一曲、同じ音を聴いた。それだけで、人は何十年も繋がっていられる。 
だから、もしあなたが今夜雨の音を聞いたなら、少しだけ耳を澄ませてほしい。 
カラン。ドアが開く。「よっ」。 
あなたが振り返る。そこに誰がいるかは分からない。でもきっと、あなたの人生で一度だけ会うべき人。その人が笑っている。 
そして、あなたにギターを渡す。「一曲だけ」。 
あなたは聞く。「僕に?」
「そう」
「弾けないよ」
相手は笑う。「俺も」 
二人、笑う。 
そして、最初の音。ポーン……。 
その音が鳴った瞬間、また新しい物語が始まる。 
YaYa——
夢から始まった物語は、いつしか誰かの現実になる。
そして、その現実もまた、誰かの夢になる。 
YaYa——次の一曲へ。

ーーーーーーーーーー

第四十七幕 同じ夢
第二三九章 翌朝のニュース
翌朝。テレビをつけると、珍しく朝からニュースが騒いでいた。
『昨夜、都内を中心に、奇妙な夢を見たという人が相次いでいます』
僕はコーヒーを吹き出した。妻が振り返る。
「何?」
「これ」
テレビでは街頭インタビューが流れていた。
若い女性『雨の中で、小さな店に入ったんです』
会社員『ギターを渡されました』
老人『昔の友達に会いました』
女子高校生『知らないおじさんに、「一曲だけ」って言われました』
僕は黙った。妻が言った。
「あなたの夢?」
「……」
「どうなの?」
「たぶん」
妻がテレビを見る。
『夢の中に登場した店の名前については――』
画面に大きく文字が出た。
YaYa
僕は立ち上がった。「……始まった」
妻が聞く。「何が?」
僕は窓の外を見た。「店が」
雨は降っていない。それなのに、遠くから雨音が聞こえた。

ーーーーーーーーーー

第四十八幕 東京のYaYa
第二四〇章 夢の目撃者
その日の午後、SNSには「YaYa」という言葉が溢れ始めた。僕は見ないようにしていたが、妻が勝手に見せてくる。
「ほら」
画面には、投稿が並んでいた。
『昨夜、渋谷の古い店の夢を見た』
『ギターを弾いたら、知らない人が泣いていた』
『夢の中で高校時代の親友に会った』
そして、一番下の投稿。
『店のカウンターに、「一曲だけ」と書いてあった』
僕は背筋が寒くなった。
妻が言う。「有名になったね」
「嫌だな」
「どうして?」
「YaYaは、ひっそりしてる方がいい」
妻が笑う。
「でも、あなたずっと物語にしてたじゃない。ひっそりしてるわけないでしょ」
確かに、その通りだった。

第二四一章 電話が鳴る
夜、電話が鳴った。知らない番号。僕は出る。
「もしもし」
『YaYaの方ですか?』
「……」
『私、昨夜夢を見た者です』
「はい」
『どうしても聞きたいことがあって』
「何でしょう?」
『あなたの店、本当にあるんですか?』
僕は黙った。
「あります」
『どこに?』
「それが……」
答えられない。
『渋谷ですか?』
「たぶん」
『たぶん?』
「雨が降れば、分かります」
電話の向こうでしばらく沈黙があり、そして女性が笑った。
『変な人ですね』
「よく言われます」
『でも、今夜雨が降ったら探してみます』
「……」
『見つけたら、一曲お願いします』
電話が切れた。僕は受話器を見つめた。妻が言った。
「何だって?」
「客」
「へえ」
「新しい客」
妻は笑った。
「店主さん、忙しくなりそうね」
僕も笑った。

ーーーーーーーーーー

第四十九幕 雨が降る
第二四二章 午前二時
午前二時、雨が降り始めた。
僕は目を覚まし、窓を見る。雨がポツ、ポツ、ポツと落ちていた。妻は眠っている。
僕は起き上がり、ギターを持った。玄関で靴を履き、外へ出る。
東京は静かだった。雨の中を歩く。渋谷駅には誰もいない。改札を通り過ぎ、あの坂道へ向かう。
昔と同じ。いや、違う。昔より少し狭い気がする。街の灯りがぼんやり濡れていた。僕は歩いた。

第二四三章 YaYaの行列
坂を上りきると、そこに店があった。YaYa。
だが、今日は様子が違った。店の前に人が並んでいる。一人、二人、十人、二十人……百人。
僕は固まった。
「嘘だろ」
最後尾の男が僕を見る。
「すみません」
「はい?」
「ここ、YaYaですよね?」
「そうですけど」
「じゃあ、並んでれば入れます?」
「いや、僕も……」
言いかけて気づく。僕は店主ではない。今日は客だった。
だから、最後尾に並んだ。前には高校生、会社員、老人、外国人、大学生、そして僕の知らないたくさんの人。みんなギターを持っていた。

ーーーーーーーーーー

第五十幕 店内満員
第二四四章 入れない
一時間待った。二時間待った。三時間待った。僕は疲れた。
「まだ?」
前の老人が言う。
「あなたも?」
「はい」
「何しに?」
「一曲」
「私も」
僕は笑った。
「じゃあ、同じですね」
老人も笑う。
「人生、一曲で十分ですよ」
その言葉が、妙に胸に響いた。
ようやくドアが開く。カラン。中からあの新しい店主の女の子が顔を出した。
「お待たせしました」
僕は言う。「大変だったね」
彼女は笑う。「百人目です」
「僕も?」
「はい」
「客として?」
「もちろん」
僕は笑った。

第二四五章 桑田さんの苦情
店の奥で、桑田さんがギターを抱えている。
「おい!」
「はい?」
「何でこんなに客がいるんだよ!」
「僕に聞かないでください」
「お前、元店主だろ!」
「元です」
「じゃあ何とかしろ」
「無理です」
桑田さんは「役に立たねえな」と呟く。
原さんが「あなたもね」と突っ込む。
先輩が「まあ、俺たちも並べばいいんじゃないか?」と言った。
「俺も?」と桑田さん。
「客なんだから」と先輩。
原さんが「ほら、最後尾」と言い、桑田さんが渋々僕の後ろに並ぶ。僕は振り返った。
「桑田さん」
「何だよ」
「有名人なのに」
「今日は客だ」
「じゃあ、一曲だけ」
桑田さんが笑った。その瞬間、店内から大きな拍手が湧き起こる。
「桑田さん! 一曲!」
桑田さんは僕を見た。
「お前、代わりに弾け」
「嫌です」
全員が笑った。

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第五十一幕 夢の同窓会
第二四六章 知らない人ばかり
店内には見知らぬ人ばかり。なのに不思議と居心地が良い。
誰かが昔の話をする。誰かが失恋話をする。誰かが仕事の愚痴を言う。誰かが夢を語る。誰も否定しない。
そして一人ずつギターを弾く。上手い人、下手な人、一音だけの人、コードを一つしか知らない人。でも、全部拍手される。
僕は思った。ここでは上手い下手など関係ない。一曲を誰かに渡す、それだけ。それがYaYaだ。

第二四七章 最後の客
夜が明ける頃、最後の一人が入ってきた。二十歳くらいの若い男。手ぶらだった。
「ギターは?」と店主の少女が聞く。
男は首を振った。「持ってません」
「じゃあ、どうする?」
男は少し恥ずかしそうに言った。
「歌だけでもいいですか?」
店内が静かになる。
「もちろん」
男がアカペラで歌う。上手くはない。でも、声がまっすぐだった。
僕はなぜか涙が出た。
歌い終わり、拍手が起こる。男は頭を下げて「ありがとうございました」と言った。
少女が聞く。「何で歌いたかったの?」
男は笑った。「父が昨日、亡くなったんです」
店内が静まり返る。
「父が昔よく歌っていた歌を、もう一度誰かに聴いてほしくて」
僕は目を閉じた。YaYaで、また一曲が渡された。

ーーーーーーーーーー

第五十二幕 父から息子へ
第二四八章 知らない父
男はポケットから写真を出した。「これ」
僕は見つめる。古い写真。若い男、ギター、隣に女性、そして後ろにYaYa。
僕は息を呑んだ。
男が言う。「父です」
写真の裏には、日付「一九七六年」。僕は写真を持つ手が震えた。
この人を知っている。祖父の友人、そしてあの日YaYaにいた男。初代の店に来ていた人だ。
「どうしました?」と男が聞く。僕は答えられない。
写真の端に、小さく書いてあった。
一曲目を渡した。次は息子へ。
僕は男を見た。
「君の父親、YaYaを知ってた」
男は驚く。「本当ですか?」
「うん」
「どんな人でした?」
僕は少し考えた。
「優しい人だった」
男の目から涙がこぼれる。「そうですか」
「それと」僕は笑う。「かなり音痴だった」
男も泣きながら笑った。「やっぱり」
店内から笑いが起きる。泣きながら笑う、これもYaYaだった。

ーーーーーーーーーー

第五十三幕 僕の役目
第二四九章 最後の一曲
夜が明ける。店の外で雨が止む。YaYaの灯りが少しずつ薄くなっていく。
少女が僕を見る。「そろそろ」
僕は頷く。「うん」
「また来ます?」
「もちろん」
「客として?」
「そう」
僕は笑い、彼女も笑う。
僕は最後にギターを一本手にとった。そして弾く。一音。ポーン。
店内が静かになる。その音をみんなが聴いている。
僕は言った。
「この一曲は、僕からみんなへ」
そしてもう一度弾く。ポーン。
誰かが歌い始め、誰かが手拍子をし、誰かが泣き、誰かが笑う。いつの間にか、全員が一緒に歌っていた。

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第五十四幕 現実
第二五〇章 朝
目が覚めた。朝。妻が隣にいる。
「おはよう」
「おはよう」
「また夢?」
「うん」
「今回は?」
「百人くらい店にいた」
妻が笑う。「随分繁盛したね」
「うん」
僕はベッドから起き上がる。テーブルに何か置いてあった。
古い写真が一枚。僕は固まった。
昨日の夢で見た写真。「一九七六年」「YaYa」「若い男」「ギター」「僕の祖父」……そしてもう一人。
僕は妻を見る。
「これ」
「何?」
「どこにあった?」
「知らない」
写真の裏の文字。昨日と同じ。
一曲目を渡した。次は息子へ。
僕は笑った。「……またか」
妻が聞く。「何が?」
僕は写真を大切にしまった。
「いや」
窓を開ける。雨は降っていない。でも、どこか遠くからギターの音が聞こえる。ポーン。
僕は笑った。
「今日も一曲だな」
妻が笑う。「朝から?」
「朝だからこそ」
僕はギターを手にとった。

エピローグ 歌は消えない
人は死ぬ。店もなくなる。街も変わる。駅も建て替えられる。大学も百年経てば別の顔になる。
青春も終わる。恋も終わる。夢もいつか覚める。
それでも、一曲だけは残る。
誰かが誰かへ渡した歌。その歌を、また誰かが次の誰かへ渡す。
それは録音されていなくても、楽譜がなくても、名前がなくても残る。人の中に、記憶の中に、夢の中に。
そしていつか、雨の夜。あなたが一人で歩いていると、どこからかギターの音が聞こえる。
ポーン。
振り返ると、小さな店「YaYa」の灯りがついている。
ドアを開ける。カラン。中には誰かがいる。その人が笑う。
「よっ」
あなたは戸惑う。「……誰?」
その人は笑う。「忘れた?」
あなたは首を振る。「覚えてない」
「そうか」とその人はギターを差し出す。「じゃあ、これから覚えればいい」
あなたはギターを受け取る。「弾けないよ」
「俺も」
「じゃあ」
「一緒に」
最初の音。ポーン。
その瞬間、あなたは思い出す。まだ生まれていなかった頃の誰か、若かった頃の父、母、祖父、祖母、友達、恋人、そしてまだ出会っていない人。
全部が一つの音に繋がっている。
あなたは笑う。そして初めて、一曲を誰かに渡す。
それがYaYa。
人生は、何度でも最初の一曲に戻れる。
だから、もし今夜雨が降ったなら、少しだけ遠回りをしてほしい。知らない路地を歩いてほしい。
もし小さな灯りを見つけたなら、迷わずドアを開けてほしい。
そこにはきっと誰かがいる。そしてきっと、こう言う。
「よっ」
そのときは、あなたもこう答えてほしい。
「よっ」
それだけでいい。あとは一曲、弾けばいい。
YaYa――雨の夜だけ開く、人生の寄り道。
そして物語は、また誰かの夢の中で始まる。

ーーーーーーーーーー

最終章 朝だからこそ
目が覚めた。朝だった。雨は、もう上がっていた。
隣では、妻がまだ眠っている。僕は、しばらく天井を見つめていた。
夢だった。きっと。
桑田さんも。先輩も。祖父も。
YaYaという店も。
全部、夢だった。
そう思った。
けれど。
枕元には、古いカセットテープが置いてあった。
ラベルには、手書きで「YaYa 1976」とある。
僕は、それを手に取った。そして、笑った。
「……またか」
そのとき。どこからか、小さなギターの音が聞こえた。
ポーン。
僕は、しばらく耳を澄ませた。そして、ベッドの横に立てかけてあったギターを手に取った。
妻が、眠ったまま言った。
「朝から?」
僕は笑った。
「うん」
「何するの?」
僕は、弦に指を置いた。
「一曲だけ」
妻が、布団の中で笑った。
「好きねえ」
僕も笑った。
窓を開ける。朝の東京に、雨上がりの風が入ってくる。昨日までの雨を洗い流すように。
僕は、最初の音を鳴らした。
ポーン。
誰かに届くかもしれない。届かないかもしれない。それでもいい。
一曲は。弾いた瞬間から。もう、自分だけのものではないのだから。
僕は、もう一度、弦を鳴らした。
そして、思った。
人生は。案外、悪くない。
朝だからこそ。
――YaYa

(完)

これで おしまい

ーーーーーーーーーー



原詩

YaYa

渋谷駅の改札を出ると
後から先輩が
よっ! って肩を叩いた

僕は
去年 
やっと卒業したばかり

先輩は
今 その卒業の単位不足で
教授と掛け合っている

僕ですら
3年もダブったのに
先輩は
すでに6年も…

今日は
創立100年とかの記念式典で
その巨大な講堂へと向かっている

緩く長いその坂道には
先を越して行った
あいつらと
ふざけた風景ばかりが
残っている

到着すると
なんや黒山の人だかり

覗くと
桑田さんだ!

サザンとかいって
只今 大ブレイク中

すると先輩が
ボソっと呟いた

桑田か!
あいつとは
ちょいとあってな…

なにか?

いや…

氣になったけど
それよりも
僕もと
その中へ潜り込んでみた

すると
やあ! って桑田さんが
微笑んで
待ってたんだよ! と言う

えっ?
僕を?

そうだよ
忘れたのかよ?
クロコダイルで
約束したじゃあないか!

何でしたっけ?

いつか
サザンに入れてくれ! って
言ってたじゃあないか!

はあ
でも
それは叶わぬ願いで

そうじゃあないよ
入って貰おうと思ってたけど
さっさと就職しちまって…

はあ
でもしかし
僕ですか?

そうだよ
ギターがちょいとトラブって
抜けるって言うんだよ

そうですか
でも
下手ですよ

大丈夫だよ
オレらもまだ
下手だからね…

そんな光景を見ていた先輩が
突然 割り込んで来て

おい
桑田! ってちょっかいを出す

なんだ お前か!
まだ何か 用があるのか? と
ぶっきらぼうに返す

女で揉めたのか? と
ふと思うが
分からない

すると
原さんが間に入って来て

もう
いい加減にしてよ! と
鶴のひと声

分かったよ!
すまん! と詫びると

分からないけれど
そういうことかと
なんとなく思った

頼む
今すぐだ!
ギターが来ない

これから
この式典で1曲 歌わねばならない

その時
会場には
その旨を話そうと思う

頼む
今すぐなんだ

分かりました
では
その1曲だけと
引き受けてしまった

会場は超満員
老いも若きもで
熱気に溢れている

桑田さんは言う
カクカクシカジカで
本日 加わってくれましたと…

僕は緊張しながら
お辞儀をしてみた

なんとか
その1曲を終えると

ありがとね
助かったよ

では
来週からのツアーにもと
微笑んだけれど

抜けると言ったはずのギターが
慌てて駆け寄り
すまん!
ハヤトチリした
やはりここでと
土下座して詫びた

僕は…

ちょいと考えて
そうだよ
あなたが遅れたから
仕方なく僕が手伝ったんだよと
微笑んだ

先輩は
去年の僕のように

教授のところへ
ジョニ黒と
オールドパーとを持参し

しょがねえなあ
特別だぞ! って
単位を貰い
卒業出来た

僕は
あの日の講堂でだけ
桑田さんを手伝って

今 家族を持ち
テレビで彼らを観ては
口づさんでいる

あの日の講堂にいた方々は
僕を幻のサザンメンバーだと
言ってるらしい

桑田さんは
時折 連絡をくれて

どうしてる?

また
ちょいと手伝って貰いたいんだがと
微笑んでいる

どうやら
桑田バンド ってやつらしい

参加しようか
しまいかと
カミさんに相談しながら
目が覚めた

今朝は
楽しい夢だった…

I remember younger days
my friends and the family
there were tears
And yes
I fell in love
If I could only go back once more

完結





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