『一曲だけの青春
―夢の中で、僕はもう一度、青春をやり直した―』 



第七幕 夢をつなぐ人
第八十六章 新しいメンバー
その人から連絡が来たのは、テレビ出演から三週間後だった。
メールの件名。「あなたの夢について」
またか。僕は少しだけ嫌な予感がした。
メールを開く。
『突然のご連絡をお許しください。私は大学で心理学を研究しています。あなたが出演された番組を拝見しました。その中で、あなたが「YaYa」と言った瞬間、私も同じ夢を見ました』
僕は画面を見つめた。続きを読む。
『私の夢には、あなたはいませんでした。代わりに、私自身がいました。ただし、十九歳の私です』
僕は椅子にもたれた。さらに続く。
『そして、私の十九歳の自分が言いました。「遅いよ」。誰に言ったのかは分かりません。でも、その声を聞いたとき、なぜか「YaYa」という言葉が浮かびました。一度、お会いできませんか』
僕は返信した。
『会いましょう。ただし、夢の話はあまり期待しないでください。私自身、何が何だか分かっていません』
すぐに返信が来た。
『それで十分です』

第八十七章 教授
男は大学教授だった。名前は黒田、五十八歳。僕より五歳若い。
大学の研究室へ行くと、壁一面がホワイトボードだった。そこには奇妙な図が描かれている。
「これは?」僕が聞く。
黒田教授は答えた。「夢のネットワークです」
「……」
「笑っていいですよ」
「いや。もう慣れました」
教授は笑った。
「あなたは、同じ夢を見る人間が世界中にいると思いますか?」
「いるんでしょうね」
「実際にいます」
「どれくらい?」
「正確には分かりません。じゃあ、少なくとも三百人以上」
僕は黙った。「三百人?」
「はい」
「全員、YaYaを?」
「全員ではありません」
教授はホワイトボードを指した。
「古い場所」
「場所?」
「大学、駅、喫茶店、ライブハウス、病院、海辺。人によって違います」
「共通点は?」
教授は一つの言葉を書いた。――『再会』
「……」
「皆、誰かと再会しています」
僕は母を思い出した。先輩、美紀、若い自分、未来の自分。全部、再会だった。

第八十八章 夢の条件
「じゃあ、誰でも見られるんですか?」
「そう簡単ではありません」
「条件がある?」
「あると思います」
「何?」
教授は三本の線を引いた。
「一つ目。強い未練。二つ目。強い記憶。三つ目」教授は少し間を置いた。「まだ終わっていないこと」
僕は笑った。「僕は全部当てはまりますね」
「でしょうね」教授も笑った。「でも、もう一つあります」
「何です?」
教授が振り返った。
「誰かに、思い出されていること」
僕は黙った。「どういう意味です?」
「夢は自分だけのものじゃない。誰かがあなたを思い出す。その思いが、あなたの夢に入る」
「じゃあ、母が?」
「可能性はあります」
「亡くなった人でも?」
「記憶の中では生きていますから」
僕は少し笑った。「それなら、夢の中では誰も死なないんですね」
教授は答えなかった。

第八十九章 教授の夢
「先生は?」僕が聞いた。「あなたもYaYaの夢を見るんでしょう?」
教授は黙ったあと、「見ます」と言った。
「誰に会います?」
教授は窓の外を見る。「父です。私が十八歳のときに亡くなりました」
僕は何も言わなかった。
「夢の中では、父はいつも同じ場所にいます」
「どこです?」
「駅。古い駅です」教授は笑った。「でも、列車は来ません」
「どうして?」
「父が乗らないから」
僕は意味が分からなかった。教授は続ける。
「父はいつも私に聞くんです。『まだ帰らないのか?』」
「……」
「私はいつも答えられません」教授は少し笑った。「だから、夢が終わらない」
僕はその言葉を聞いて、何かを感じた。

第九十章 終わらない夢
「終わらない夢?」
「はい」
「悪い夢ですか?」
「いいえ」教授は首を振った。「むしろ、心地いい」
「じゃあ、起きたくない?」
「そう思うこともあります」
僕は自分の夢を思い出した。母、先輩、若い僕、未来の僕。みんな消えていく。でも、完全には消えない。
「先生」
「はい」
「夢って、終わらせる必要があるんでしょうか?」
教授はしばらく考えた。
「いい質問ですね」
「答えは?」
「夢を終わらせるのは、目を覚ますことではありません」
「じゃあ?」
「もう、会わなくてもいいと思えること」
僕は黙った。教授は静かに言った。
「再会できたから、別れられる」
その言葉が、妙に胸に残った。

第九十一章 YaYa研究会
それから、僕は教授の研究に協力することになった。と言っても難しいことはしない。
夢を見たら記録する。誰が出てきたか、どこだったか、何を言ったか。最後にどんな気持ちになったか。
ただ、一つだけ奇妙なことがあった。研究参加者の多くが同じ言葉を使うのだ。
「また一曲」
ある人は祖父と。ある人は昔の恋人と。ある人は幼い頃の自分と。そして、ある人はまだ生まれていない子供と。
夢の中で、一曲だけ音楽を聴く。その曲が終わると目が覚める。
教授はそれを「YaYa現象」と呼んだ。
僕は笑った。「名前、そのまんまですね」
教授も笑った。「研究者なんて、そんなものです」

第九十二章 まだ生まれていない子
ある日、研究室に若い女性が来た。二十代。彼女は夢の記録を提出した。僕が何となく読むと、そこにこう書いてあった。
『私は小さな男の子と海辺にいました。男の子は私に言いました。「お母さん」』
僕は手を止めた。彼女はまだ結婚していないし、子供もいない。
「その男の子は?」彼女に聞いた。
「分かりません」
「知っている子?」
「いいえ」
「夢の中で何か言いました?」
彼女は少し泣きそうになった。
「『またね』って」
僕は息を呑んだ。
「それから?」
「ギターの音がして、目が覚めました」
教授を見る。教授は黙っている。
僕は思った。YaYaは過去だけではない。もしかすると未来にもつながっているのではないか。

第九十三章 未来の子
その夜、僕は夢を見た。
海辺だった。夕暮れ、波の音、砂浜。僕は一人で歩いていた。
遠くに子供がいる。男の子。僕は近づいた。
「君」
男の子が振り返る。知らない顔。でも、なぜか懐かしい。
「誰?」
男の子は笑った。「僕? あなたの――」少し間を置いて、「ずっと先の人」
僕は笑った。「何だそれ」
男の子も笑った。「変なの」
「お前、俺を知ってるの?」
「知ってるよ」
「どこで?」
「夢で」
僕は黙った。男の子が小さなギターを持っている。
「弾けるの?」
「少し」
「聴かせて」
男の子はギターを弾いた。一音、二音。そして僕の知っているコード。
僕は驚いた。「それ……俺が教えた?」
男の子は笑った。「まだ教えてもらってない」
僕は背筋が寒くなった。「じゃあ、誰に?」
男の子は海の向こうを見る。
「あなたに。未来のあなたから」
僕は言葉が出なかった。

第九十四章 時間のない場所
男の子が言った。「ここには時間がないんだ」
「時間がない?」
「うん」
「じゃあ、何がある?」
男の子は笑った。「思い出」
「それだけ?」
「それと」少し考えて、「約束」
「約束?」
「また会うっていう約束」
僕は胸が熱くなった。「じゃあ、YaYaって?」
男の子は笑った。「知らない」
「知らないのか」
「でもみんなが言ってる」
「誰が?」
男の子は後ろを指差した。僕は振り返った。
そこには大勢の人がいた。若い人、老人、子供、男、女。知らない人、知っている人。亡くなった人、まだ生まれていないような人。みんなが一緒に立っている。
そして誰かがギターを鳴らした。ポーン。
全員が笑った。「YaYa」
僕は目を閉じた。

第九十五章 夢からの帰り道
目が覚めた。朝。カミさんはまだ寝ている。
僕はベッドを出て台所へ行き、コーヒーを淹れる。窓を開けると朝の空が青い。
僕と思った。夢の中では時間がない。だから亡くなった人にも、若い自分にも、未来の自分にも会える。でも現実には時間がある。だから人は生きている。だからこそ、一日が大切になる。
僕はギターを手に取り、弾いた。一曲。まだ上手くない。でも、いい。
その音を聞いて、カミさんが起きてきた。
「朝から何?」
「練習」
「何の?」
「夢の」
「また?」
「うん」
カミさんは笑った。「あなた、本当に好きね」
僕も笑った。「うん」
そして、彼女が一言。
「YaYa」
僕は振り返った。「……」
「何?」
「いや」
「何よ」
「今、初めてあなたから聞いた」
カミさんは首を傾げた。「何を?」
僕は笑った。「何でもない」
そしてまたギターを弾いた。

第九十六章 最後の研究
それから半年。僕たちの研究は少しずつ形になっていった。
YaYa現象。夢の共有。記憶。再会。未完の約束。まだ科学的に説明できない。でも、一つだけ分かったことがある。
夢を見た人の多くが、目覚めたあと誰かに電話をするのだ。久しぶりの友人、家族、昔の恋人、昔の先生。
そしてその電話が、人生を少し変える。仲直りする人、会いに行く人、謝る人、ありがとうを言う人。夢は現実を変えていた。
教授が言った。「これが、夢の意味なのかもしれません」
「何です?」
「過去を見ることではなく、未来を変えること」
僕は笑った。「それなら、夢も悪くないですね」
教授は頷いた。

第九十七章 卒業式
研究発表の日、僕は大学の講堂に立った。百年記念式典以来、何十年ぶりか。同じ場所、同じ舞台。でも僕はもう学生ではない。
教授がマイクを持った。「最後に一人、話をしてもらいます」
僕はステージへ上がった。客席を見る。学生、教授、研究者。そして家族。カミさん、娘、佐々木、YaYaのメンバー。みんなこちらを見ている。
僕はマイクを握った。
「私は夢を研究する人間ではありません」
笑いが起きる。
「ただ、夢をたくさん見てきた老人です」
また笑い。
「夢の中で、何度も昔の自分に会いました」
会場が静かになる。
「母にも、友達にも、知らない人にも。そして、未来の自分にも会いました」
僕は一度、客席を見る。
「そこで、一つだけ分かったことがあります。……人生は、終わったところから始まることがある」
会場が静まり返った。
「卒業したから学生時代が終わるわけではない。別れたからその人との時間が終わるわけでもない。夢を諦めたからその夢が消えるわけでもない」
僕は笑った。
「そして、歳を取ったから青春が終わるわけでもない」
割れんばかりの拍手が起きた。

第九十八章 アンコール
僕はステージを降りようとした。そのとき、客席から声がした。
「一曲!」
僕は振り返った。佐々木だった。
「一曲!」
YaYaのメンバーも立ち上がる。「一曲!」
会場から笑い声と拍手が湧き起こる。僕は教授を見た。教授は肩をすくめた。
「研究発表より、こっちのほうが人気ですね」
僕は笑った。「じゃあ、一曲だけ」
ギターを持ち、ステージ中央へ。照明が僕だけを照らす。僕はゆっくり、最初のコードを鳴らした。

第九十九章 YaYa
その瞬間、会場の時計が全部止まった。
僕は気づかなかった。観客も気づいていない。ただ一つの音だけが長く、長く響いている。
僕は目を閉じた。
するとまた、あの坂道。雨。講堂。若い僕、母、先輩、美紀。四人目、未来の僕。そして、まだ会ったことのない人々。全員がそこにいた。
僕は笑った。「また会ったな」
若い僕が笑う。「遅いよ」
「悪かった」
「何年待たせるんだ」
「六十年くらい」
「長すぎる」
二人で笑う。母が言った。
「もう、いいでしょう」
「何が?」
「もう、帰っていい」
僕は母を見る。「うん」
「今度は?」
「現実へ」
「そう」母は笑った。「いってらっしゃい」
僕は頷いた。「行ってきます」
そして、目を開けた。

第百章 帰る場所
講堂。拍手。時計が動き出す。一秒、二秒、三秒。
僕は最後のコードを鳴らした。ジャーン。
大きな拍手が広がる。僕は深く頭を下げた。そしてマイクに一言。
「ありがとうございました」
それだけ言ってステージを降りる。
カミさんが待っている。「良かったよ」
「ありがとう」
娘も笑っている。「お父さん」
「何?」
「今、ちょっと若く見えた」
僕は笑った。「夢の中で青春やってきたからな」
「ふーん」娘が腕を組む。「じゃあ、帰ろう」
「うん」
僕たちは講堂を出た。外は雨だった。
僕は立ち止まり、笑った。「やっぱり」
カミさんが聞く。「何?」
「YaYaの日だ」
「そうなの?」
「そう」
僕は傘を開いた。三人で歩き始める。
僕は振り返らなかった。もう振り返らなくても分かっている。あの人たちは消えない。夢の中にも、記憶の中にも、僕の中にもちゃんといる。
だから今は帰ればいい。家族のいる場所へ、今の人生へ。そしてまた明日、ギターを弾けばいい。一曲、また一曲。いつか最後の一曲が来るまで、僕は弾き続ける。

その夜、眠る前、僕はギターを壁に掛けた。そして小さく言った。
「おやすみ」
返事はない。でも眠りに落ちる直前、遠くで誰かが笑った。
『よっ』
僕は目を閉じたまま笑った。
「よっ」
そして夢の中で、またギターの音がした。
YaYa。

――夢は、過去へ戻るためにあるのではない。
――明日へ進むために、もう一度だけ、大切な人に会うためにある。

そしてその夜も、どこかで誰かが同じ夢を見ていた。
古い講堂。雨。ギター。
そして一人の若者が振り返って言う。
「遅いよ」
その若者に、誰かが答える。
「悪い。ちょっと人生が長引いた」
二人は笑った。そしてまた一曲、始まった。
YaYa。

ーーーーーーーーーー

第八幕 最後の一曲
第百一章 夢を見なくなった
不思議なことに、それから僕は夢を見なくなった。
正確に言えば、YaYaの夢を見なくなったのだ。
最初の一週間は少し寂しかった。二週間目には気にならなくなり、一か月が経つ頃には完全に忘れていた。
朝起きてギターを弾き、仕事をする。家族と食事をし、孫が生まれたら写真を撮り、テレビを見る。
そんな普通の毎日。それで十分だった。
ある日、娘が言った。
「お父さん」
「何?」
「最近、夢見ないね」
僕は驚いて聞き返した。
「どうして知ってる?」
「顔」
「顔?」
「前は朝起きると、なんか嬉しそうだった」
僕は笑った。
「そうだったか?」
「うん」
「今は?」
「普通」
「普通が一番だろ」
娘は少し笑って、「そうかもね」と言った。

第百二章 ギターを弾かない日
七十五歳になった。
僕はギターを弾く回数が少し減った。指が昔ほど動かない。間違えるし、疲れる。
それでも、たまには弾いた。
カミさんが「無理しないで」と言う。
「分かってる」
「痛くない?」
「大丈夫」
「じゃあ、一曲だけ」
「うん」
一曲。それがいつも二曲になり、三曲になる。
最後は「もう寝るよ」と怒られる。そんな毎日だった。

第百三章 孫
孫が初めて僕のギターを触った。まだ四歳。
小さな手で弦を引っ張る。ベーン、と変な音が鳴った。
僕は笑った。
「上手い」
娘が「甘い」と口を挟む。
「何が?」
「音が出ただけ」
「それで十分」
孫が聞いてくる。
「おじいちゃん」
「ん?」
「これ、どうやって弾くの?」
僕はギターを渡した。
「こう」
一つ、コードを鳴らす。孫が真似をする。
ベーン。また変な音。
僕は笑った。
「もう一回」
孫が弾く。
「もう一回」
また弾く。
僕は思った。昔、自分もこうだったのだろう。
何も知らない、何もできない。でも、音を出したかった。ただそれだけだったのだ。

第百四章 夢の話
孫が聞いた。
「おじいちゃん」
「何?」
「夢って、本当?」
僕は少し考えた。
「何の夢?」
「寝てるときの」
「本当だよ」
「起きたら?」
「消える」
「じゃあ、嘘?」
僕は笑った。
「違う」
「何で?」
「夢の中で感じたことは本当だから」
孫は分からない顔をした。
「難しい」
「そうだな。大人になったら分かる」
「おじいちゃんは? 分かってんの?」
僕は少し考えて答えた。
「まだ勉強中」

第百五章 娘からの電話
その夜、娘から電話があった。
「お父さん」
「どうした?」
「変なことがあった」
僕は少し笑った。
「また夢?」
「うん」
「どんな?」
「大学」
「講堂?」
「そう」
「ギター?」
「そう」
僕は黙った。
「でも、今度は違うの」
「何が?」
「私が舞台に立ってた」
「……」
「客席に、若いお父さんがいた」
僕は目を閉じた。
「それで?」
「私にこう言ったの」
「何て?」
娘が笑った。
「『一曲だけ頼む』って」
僕は思わず笑った。
「やっぱり」
「何が?」
「俺の夢だ」
「違うよ」
「え?」
「私の夢」
「……」
娘は続けた。
「それで、舞台の袖に小さい男の子がいた」
「誰?」
「分からない」
「何してた?」
「ギターを持ってた」
僕は孫の部屋を見る。
「……」
「お父さん?」
「うん」
「どうしたの?」
僕は笑った。
「何でもない」
電話を切ったあと、僕はしばらく孫の寝顔を見ていた。

第百六章 次の夢
その晩、僕は久しぶりに夢を見た。
YaYa。雨。店。
でも、今までとは少し違う。
僕はカウンターに座っている。若い僕はいない。母も先輩も美紀も、未来の僕もいない。誰もいない。僕だけだ。
店の中には静かな音楽が流れている。
僕はバーテンダーに聞いた。
「みんなは?」
「もう帰りました」
「そうか」
「寂しいですか?」
「少し」
「でも」とバーテンダーは笑った。「これからです」
「何が?」
「新しいお客さんが来ます」
ドアを見る。カラン、と音がして開いた。
入ってきたのは僕の孫だった。四歳ではない。十七歳くらいだ。
僕は驚いた。
「大きくなったな」
孫は笑った。
「おじいちゃん」
「何?」
「ギター、借りてもいい?」
僕は笑った。
「もちろん」
孫はギターを持つ。僕のギターだ。少し古く、傷だらけだが、音は出る。
「何を弾く?」
孫が言った。
「YaYa」
僕は笑った。
「知ってるのか?」
「おじいちゃんが教えてくれた」
「そうだったな」
僕は隣に座った。二人でギターを構える。

第百七章 教えるということ
「コードは?」と孫が聞く。
僕は教えた。
「こう」
「こう?」
「違う」
「難しい」
「最初はみんなそうだ」
「おじいちゃんも?」
「もちろん」
「嘘」
「本当」
僕は笑った。
「おじいちゃんは昔、ものすごく下手だった」
「今もじゃん」
僕は絶句した。
「お前、誰に似た?」
孫が笑い、僕も笑った。その笑い声が店いっぱいに広がった。
するとカウンターの奥から声がした。
「いいねえ」
僕は振り返った。桑田さんだった。
僕は思わず笑った。
「まだいるんですか?」
「いるよ」
「いつまで?」
「分からない」
「夢だから?」
「そう」
桑田さんが笑う。
「君もまだやる?」
僕は孫を見る。孫がギターを抱えている。
僕は答えた。
「一曲だけ」
桑田さんが笑う。
「それ、昔から言ってるね」
僕も笑った。

第百八章 最後のバンド
その夜、YaYaに人が集まった。
母、先輩、美紀、四人目、未来の僕、佐々木、教授、娘、そして僕の孫。
時代も年齢も関係ない。みんな同じ場所にいる。
僕はそれを見て初めて分かった。
YaYaは店じゃなかった。夢でもなかった。
人が大切な誰かを思い出した瞬間に、そこにできる場所だったのだ。
だから、どこにでもある。雨の日の路地にも、古い講堂にも、自宅のリビングにも、病院のベッドにも。そして、誰かの心の中にも。
僕はギターを持った。
「最後の一曲です」
孫が聞く。
「最後?」
僕は笑った。
「たぶん」
「たぶん?」
「人生は予定通りにならないからな」
孫も笑った。
そして、演奏が始まった。

第百九章 YaYaの歌
最初の音は僕。二つ目は孫。三つ目は娘。四つ目は未来の僕。五つ目は若い僕。六つ目は母。七つ目はみんな。
一つずつ音を重ねる。やがて音楽が一つになる。
過去、現在、未来、全部が混ざり合う。
僕は歌う。
戻れない日々を惜しむ歌ではない。失ったものを嘆く歌でもない。
今ここにいることを喜ぶ歌。そして、まだ見ぬ明日へ「また会おう」と約束する歌。
最後の音を僕が鳴らす。ジャーン。
音が消える。静寂。誰も喋らない。
やがて拍手が起こる。一人、二人、三人……やがて店中が拍手で満たされた。

第百十章 目覚め
目が覚めた。朝だ。僕は七十五歳。
ベッドの隣にはカミさん。窓の外は雨。
僕は起き上がり、ギターを取った。指が少し痛いが、それでも弾いた。一つ、二つ、三つ。
すると部屋のドアが開いた。孫だった。
「おじいちゃん」
「ん?」
「ギター」
「どうした?」
「教えて」
僕は笑った。
「いいぞ」
孫が隣に座る。僕はゆっくりコードを教えた。ひとつ、ひとつ。
孫の指が弦を押さえる。最初の音は少し外れた。
僕は笑った。
「いい音だ」
「本当?」
「本当」
孫がもう一度弾いた。今度は少しだけきれいな音。
僕は目を閉じた。
どこか遠くで誰かが笑っている。
「よっ」
僕も笑った。
「よっ」

第百十一章 最後の手紙
それから何年か経ち、僕は八十歳になった。
体はずいぶん弱り、ギターもほとんど弾かなくなった。でも孫は弾き続けている。バンドを作ったらしい。名前は「YaYa」。
僕は笑った。
「そのまんまだな」
孫は言った。
「おじいちゃんがそうしろって」
「俺が?」
「夢で」
僕は何も言えなかった。
そして、一枚の手紙を書いた。
孫へ。
人生は長い。思っているよりずっと長い。
でも、振り返ると一瞬だ。
だから焦らなくていい。失敗してもいい。恥ずかしいことをしてもいい。夢を見てもいい。夢を諦めてもいい。そして、また夢を見てもいい。
大切なのは、一人で生きないこと。
誰かと一緒に一曲弾くこと。下手でもいい。途中で間違えてもいい。笑えばいい。
そして最後にはこう言えばいい。
「またな」
それだけでいい。
おじいちゃんより。

第百十二章 雨の夜だけ
その夜、僕は眠った。もう夢は見ないと思った。
でも、夢を見た。
YaYa。店の前。雨。
僕は店に入る。カラン。中には誰もいない。
僕はカウンターに座った。
バーテンダーが言った。
「お疲れ様でした」
僕は笑った。
「ありがとう」
「長かったですね」
「うん」
「楽しかった?」
「うん」
「後悔は?」
僕は少し考えた。
「ある」
「そうですか」
「いっぱいある」
「それでも?」
「それでも、楽しかった」
バーテンダーが頷く。
「では、最後に一曲」
僕はギターを受け取った。もう指は痛くない。音もきれいだった。
僕は弾いた。最初のコード、そしてもう一つ。
誰かが隣で弾いている。見ると、若い僕だった。
「お前か」
「うん」
「久しぶり」
「そうだな」
「元気だった?」
「ずっと」
僕は笑った。
「そうか」
二人でギターを弾く。やがて店のドアが開いた。カラン。
母が入ってきた。
「遅いよ」
僕は笑った。
「悪かった」
「行きましょう」
「どこへ?」
母は店の外を指差す。そこにはあの坂道、そしてその向こうに朝の光があった。
僕はギターを置いた。
「じゃあ、行こうか」
若い僕が言う。
「一緒に?」
「もちろん」
母が笑う。
僕たちは歩き出す。坂道をゆっくり上っていく。
振り返ると、YaYaの店の灯りと看板が見えた。
僕は小さく手を振った。
「またな」
店の中から声が聞こえた。
「また」
そして、目を閉じた。

終章 夢の続き
朝、僕は目を覚まさなかった。
けれど、それを悲しいことだとは思わない。なぜなら夢の中で、ちゃんと帰る場所を見つけたから。
その日の夜、僕の孫はライブハウスに立っていた。ギターを抱えている。観客は満員だ。
ステージの中央には「YaYa」の看板。
孫がマイクに近づく。
「この曲は、僕のおじいちゃんに。昔、夢の中で僕にギターを教えてくれました」
会場が笑う。孫も笑う。
「だから今日は、一曲だけ」
ギターを構え、最初のコードを鳴らす。ジャーン。
その瞬間、客席の一番後ろ、誰もいない席に一人の老人が座っていた。
白いシャツ、ギター、穏やかな笑顔。老人は小さく手を上げた。
「よっ」
孫は一瞬演奏を止めそうになったが、笑って演奏を続けた。
その老人が誰なのか、誰にも分からない。ただ孫だけは知っていた。
(おじいちゃん)
老人は笑った。そして、雨の音がどこからともなく聞こえてきた。ポツ、ポツ、ポツ。
ライブハウスの外で雨が降り始める。その雨の中、小さな看板が灯った。
【YaYa】
その夜、また一人夢を見る。その人は若い頃の自分に会い、言われる。
「遅いよ」
その人は笑って答える。
「悪い。ちょっと人生が長引いた」
そして二人で一曲始める。
人生は一度しかない。だから何度もやり直せる。
矛盾しているようだけれど、それでいい。人は過去に戻れないが、過去を連れて未来へ行くことはできる。
母も、友も、恋も、失敗も、後悔も、笑い声も、あの日の坂道も、講堂も、ギターも、全部自分の中にある。だからいつでも会いに行ける。
雨の夜、眠りについたとき。ふと昔の歌を聴いたとき。誰かに「元気か?」と聞きたくなったとき。
その場所はきっとどこかにある。古い路地の奥、記憶の片隅、夢の入り口、そしてあなた自身の心の中に。
看板にはこう書いてある。
【YaYa】

――夢の中で、もう一度あの頃の自分に会おう。
そしてもし、誰かがあなたの肩を叩いたら振り返ってほしい。
そこにいるのは若い頃のあなたかもしれない。あるいは、まだ会っていない未来のあなたかもしれない。
そのときはきっとこう言うだろう。
「よっ」
だからあなたもこう答えてほしい。
「よっ」
そして一曲始めよう。上手くなくてもいい、間違えてもいい。人生そのものが最初から完璧な演奏ではないのだから。最後の音が消えるまで弾けばいい。
そして最後に笑ってこう言えばいい。
「またな」
それだけで十分だ。
YaYa――人生は、夢の続きを生きるためにある。
後日譚 あの店は、まだある

第一一三章 十年後
あれから十年が経った。僕はもう八十歳を越えている。正確な年齢は最近あまり数えなくなった。
誕生日が来るたびにカミさんが「また一つ増えたね」と言う。
僕は「減っていけばいいのにな」「何が?」「年齢」「馬鹿ね」と答える。いつもそこで終わるそんな会話が好きだった。
娘は相変わらず忙しく、孫はミュージシャンになった。それもあろうことか、僕が昔夢の中で出会ったあのバンド「YaYa」という名前で活動している。
もちろん僕は反対した。
「名前くらい、もっと格好いいのにしろ」
孫は笑った。
「これがいい」
「何で?」
孫は少し考えて答えた。
「また会おうって」
僕は何も言えなかった。

第一一四章 ライブ
その日、孫のライブがあった。会場は小さなライブハウス。
僕は車椅子で入った。隣にカミさんがいる。
「大丈夫? 疲れない?」
「大丈夫」
「本当に?」
「本当」
「無理しないでね」
「分かった」
僕は笑った。
ステージには孫とギター、そして若いメンバーたち。昔の僕とはまるで違う。髪型も服装も音楽も何もかも違う。でも、ギターを構える姿だけはなぜか同じだった。
孫がマイクを握る。
「今日は僕の祖父が来ています」
会場から拍手が起こり、僕は恥ずかしくなった。
「余計なこと言うな」と小さく呟くと、カミさんが「嬉しいくせに」「まあな」と笑った。
孫が続けた。
「この曲は、祖父が若い頃に夢の中で出会った人たちへ。そして今ここにいる皆さんへ。――YaYaです」
最初の音が鳴った。

第一一五章 あのコード
そのコードを聞いた瞬間、僕の胸がぎゅっと締めつけられた。
知っている。この音だ。昔、大学の講堂で僕が弾いた音。あの日、一曲だけ桑田さんを手伝ったあの音。
いや、少し違う。同じではない。でも、どこか同じだ。
僕は目を閉じた。すると客席の向こうに若い僕が立っていた。大学生の僕がギターを抱えて笑っている。
(久しぶり)
僕は心の中で言った。若い僕は何も言わず、ただ笑っている。
その隣に母、先輩、美紀、四人目、未来の僕……みんながいる。
僕は思わず笑った。
「まだいたのか」
若い僕が肩をすくめた。
「お前こそ」
「俺はもう八十だぞ」
「知ってる」
「どうして?」
「夢だから」
僕は笑った。
「便利だな」
二人で笑った。

第一一六章 夢の客
ライブが終わり、孫がステージから降りてきた。
「どうだった?」
僕は親指を立てた。
「良かった」
「本当に? どこが?」
僕は少し考えた。
「最後の音」
「最後?」
「ちゃんと誰かに渡した」
孫は不思議そうな顔をした。
「何を?」
「音。昔は俺が受け取った」
「誰から?」
「分からない」
「じゃあ今度は?」
僕は孫を見る。
「お前に渡した」
孫は笑った。
「じゃあ次は僕が誰かに?」
「そう」
「分かった」
孫がギターケースを閉じたとき、ライブハウスのドアが開いた。
一人の青年が入ってきた。二十歳くらい。客でもスタッフでもない。彼は孫のところへ歩いてきた。
「すみません」
「はい?」
「今日の曲……YaYaっていう曲」
「はい」
「僕、夢で聴きました」
僕は振り返った。

第一一七章 知らない青年
青年は僕を見る。
「あなたがおじいさんですか?」
「そうだけど」
「やっぱり」
「何が?」
「夢に出てきました」
僕は苦笑した。
「またか」
孫が驚く。
「知ってる人?」
「知らない」
青年が言う。
「僕はあなたにギターを渡されました」
僕は黙った。
「夢の中で?」
「はい」
「何て言った?」
青年は僕を見る。
「『一曲だけ頼む』って」
僕は思わず吹き出した。
「それ、俺の決まり文句になってるな」
孫も笑い、青年も笑った。
するとカミさんが後ろから言った。
「また始まったわね」
僕は振り返る。
「何が?」
「あなたの夢」
僕は笑った。
「そうだな」
そして青年を見る。
「名前は?」
「悠真です」
「悠真か」
「はい」
「ギター、弾ける?」
「少し」
僕は笑った。
「じゃあ、一曲やるか」
孫が言った。
「今?」
「今」
三人でステージへ戻った。

第一一八章 三世代
ステージの上には僕、孫、そして知らない青年。
八十歳、二十代、そしてその間。まるで時間そのものが並んでいるようだった。
僕はギターを持つ。指が震えるのを孫が支えてくれた。
「大丈夫?」
「大丈夫」
「無理しないで」
「分かってる」
青年が聞く。
「何を弾くんですか?」
僕は答えた。
「分からない」
「え?」
「始めれば分かる」
僕は最初の音を鳴らした。ポーン。
孫が続け、青年が続ける。三つの音が重なった。
その瞬間、会場の照明が一度だけ消えた。真っ暗。そして再び点いた。
客席の一番後ろに一人の男が立っていた。僕は目を疑った。桑田さんだった。若い頃の、あの日の姿だ。
僕は笑った。
「また来たのか」
男は笑って、肩を叩く仕草をした。
「よっ」
僕は小さく返した。
「よっ」

第一一九章 クロコダイル
演奏が終わる。僕は孫と青年を見る。
「クロコダイルって知ってるか?」
青年が首を振り、孫も「名前だけ」と言う。
「そうか」
僕は少し笑った。
「あの頃、俺たちはそこで夢みたいな話をしてた」
「どんな?」
「いつか大きなステージに立とうって」
「立てた?」
僕は考える。
「どうかな」
「テレビにも出たじゃん」と孫が言う。
「そうだな」
「じゃあ、夢は叶った?」
僕は笑った。
「半分」
「半分?」
「夢は叶うと別の夢になる」
孫が考える。
「どういうこと?」
「夢の途中で次の夢が始まるんだ」
青年が小さく頷いた。僕はこちらまで懐かしい気持ちになった。昔の自分もこんな顔をしていたのだろう。

第一二〇章 手紙の続きを
その夜、家に帰る。カミさんは先に眠っていた。
僕は机に向かい、昔孫に書いた手紙の続きを書こうと思った。でも、誰に書けばいいのか分からなかった。孫か、悠真か、これから生まれてくる誰かか、それとも若い頃の自分か。
僕は紙にこう書いた。
君へ。
君が何歳なのか私には分からない。十八歳かもしれない、二十歳かもしれない、六十歳かもしれない。あるいは、まだ生まれていないかもしれない。
でも、もし君がいつか「あの頃に戻りたい」と思ったら、一つだけ覚えておいてほしい。
戻らなくていい。
今いる場所で、あの頃の自分をもう一度生きればいい。
僕はそこでペンを置いた。

第一二一章 最後の夢
その夜、僕は眠り、久しぶりにYaYaへ行った。
店の前、雨、看板の灯り。ドアを開ける。カラン。
店内には誰もいない。僕はカウンターへゆっくり歩いた。
「こんばんは」
声がした。バーテンダーだ。いつもの人。
僕は座った。
「今日は何を飲む?」
「コーヒー」
「お酒じゃないの?」
「もうそんなに飲めない」
バーテンダーが笑う。
「歳を取りましたね」
「お互い様だろ」
「私は歳を取りません」
「そうだったな」
僕は笑った。
コーヒーが出てくる。一口飲むと懐かしい味がした。
「今日は一人ですか?」
「うん」
「寂しい?」
「いや」
僕は店内を見渡した。
「みんなここにいるから」
バーテンダーは何も言わない。僕は笑った。
「不思議だな」
「何が?」
「昔は会えない人に会うためにここへ来た」
「はい」
「今は会わなくてもいるって分かる」
バーテンダーが微笑む。
「それが卒業です」
僕は少し笑った。
「また卒業か」
「あなた、卒業するのが好きですね」
「大学では三年も余計にかかった」
「そうでしたね」
二人で笑った。

第一二二章 店じまい
バーテンダーが店の時計を見る。
「そろそろ」
「閉店?」
「はい」
僕は立ち上がった。
「長い間ありがとう」
「こちらこそ」
「何を?」
「たくさん夢を見てくれて」
僕は笑った。
「俺が見てたのか?」
「あなたが見ていたから店があったんですよ」
僕は少し考えた。
「じゃあ、俺が忘れたら?」
「店も眠ります」
「誰かが思い出したら?」
「また開きます」
僕はドアを見る。
「じゃあ、また開くな」
「ええ」
「誰かが来る?」
「きっと」
「誰?」
バーテンダーが笑った。
「あなたの知らない人です」
僕は笑った。
「そうか」
ドアを開ける。雨。僕は外へ出た。
振り返ると店の灯りと「YaYa」の文字。僕は手を上げる。
「またな」
店の中から小さな声がした。
「また」

第一二三章 朝
目が覚めた。朝だ。静かだった。
僕は自分の手を見る。まだ温かい。
ギターを探すと壁にあった。手を伸ばすが、今日は弾かなかった。
代わりに窓を開けた。朝の風、鳥の声、遠くの車。
カミさんが起きてきた。
「おはよう」
「おはよう」
「眠れた?」
僕は笑った。
「うん」
「夢は?」
「見た」
「またYaYa?」
「うん」
「何してた?」
僕は窓の外を見る。
「店じまい」
カミさんは笑った。
「そう」
「うん」
「じゃあ、もう行かなくていいの?」
僕は首を振った。
「違う」
「何が?」
「YaYaは俺が行く場所じゃない」
「じゃあ?」
僕は笑った。
「誰かが思い出す場所だ」
カミさんはしばらく黙り、僕の手を握った。
「じゃあ、ここにあるね」
僕はその手を握り返した。
「うん」
窓の外で雨が降り始めた。ポツ、ポツ、ポツ。
僕は笑った。
「今日は開店するかもな」
カミさんも笑った。
「誰が行くの?」
僕は答えなかった。

第一二四章 そして、誰かが
その日の夜、遠い町で一人の青年がギターを抱えていた。
仕事に失敗し、恋人とも別れ、友達にも何となく連絡できない。
「俺の人生、何なんだろう」
そう呟いてベッドに横になる。窓の外は雨。
眠る。夢を見る。
古い坂道、濡れたアスファルト、小さな店。看板には【YaYa】。
青年は立ち止まる。
(こんな店、知らない)
でも、なぜかドアを開けた。カラン。
中には一人の老人がギターを抱えている。老人が振り返る。
「遅かったな」
青年は驚く。
「誰ですか?」
老人は笑う。
「昔の俺」
「……」
「いや」と老人は笑い直した。「君がいつかなる俺だ」
青年には分からない。でも、なぜか怖くない。
老人がギターを差し出す。
「一曲、弾くか?」
青年が聞く。
「何の曲?」
老人は答える。
「まだ誰も知らない曲」
青年がギターを受け取り、弦に指を置く。そして最初の音。ポーン。
老人が笑う。
「いい音だ」
青年も少し笑った。その瞬間、店の看板が明るく灯る。【YaYa】
そして、物語はまた最初に戻る。

エピローグ よっ
もし、いつかあなたが昔の自分を思い出したら。
もし、夜中に突然昔の友達に電話したくなったら。
もし、もう会えない誰かに「元気か?」と聞きたくなったら。
もし、ふと「あの頃は良かったな」と呟いたら。
そのとき雨が降っていたら、少しだけ耳を澄ましてみてほしい。
どこか遠くでギターの音が聞こえるかもしれない。ポーン、と一音。そして誰かの声。
「よっ」
そのときは振り返らなくていい。ただ笑って答えてほしい。
「よっ」
それだけでいい。
人生には取り戻せないものがある。言えなかった言葉、会えなくなった人、戻れない場所、叶わなかった夢。
それでも、人生にはまだ残っているものがある。
今日誰かにありがとうと言うこと。明日誰かに会うこと。下手でもギターを弾くこと。笑うこと、泣くこと。そしてまた一歩歩くこと。
青春は過ぎ去った時間ではない。青春とは、もう一度何かを始めようとする気持ちだ。
だから八十歳でも六十歳でも四十歳でも二十歳でも十歳でも、まだ青春の途中。僕たちはみんな途中なのだ。人生という長い曲の、まだ途中。
だから最後の一音が鳴るまで弾こう、笑おう、誰かと一緒に。
そしてもし最後の夜にYaYaのドアが開いたなら。カラン。
そのときはきっと、誰かが肩を叩いてくれる。
「よっ」
あなたは振り返る。そこにいるのは若い頃の自分かもしれない、母かもしれない、父かもしれない、昔の恋人や親友、あるいは未来の自分やまだ知らない誰かかもしれない。
でもきっと笑っている。そして一言、こう言う。
「待ってたよ」
そのとき、あなたも笑えばいい。
「遅くなった」
そして二人で店に入る。
雨の夜、小さな店、古いギター、コーヒー、笑い声。そして一曲、最後の一曲。
でも本当は最後なんかじゃない。曲が終わればまた次の曲が始まる。夢が終われば朝が来る。朝が来ればまた人生が始まる。
だから大丈夫、遅くない。まだ間に合う。
一曲だけなら、誰でも弾ける。
YaYa――また会おう。また一曲。また明日。
そして雨の向こうで、今日も小さな店の灯りが静かに灯っている。

続く… ような気がする


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