高気圧ガールを追いかけて
―惑星風待、ある還暦男の回顧録―



まえがき

歳をとるというのは妙なものだ。
体はあちこち痛むし、手元の文字は見えづらくなるというのに、ふとした風の匂いや日差しの傾きひとつで、心だけは十九歳の夏にぴょんと飛び戻ってしまう。
僕が暮らすこの「惑星風待」は、高気圧も低気圧も人の姿をして歩く、少し変わった星だ。
いま振り返れば、あの頃の僕らが追いかけていたのは、天気そのものだったのか、それとも眩しすぎる乙女たちの幻影だったのか、自分でもよくわからない。ただひとつ言えるのは、僕らの青春はカッコいい場面などひとつもなく、失敗と撃沈の連続だったということだ。
けれど、還暦という人生の大きな節目を越えた今、あの情けない失敗の数々こそが、僕の人生をどれほど豊かに彩ってくれたかを痛感している。
これは、かつて「高気圧ガール」を追いかけ、低気圧に阻まれてばかりいた、僕と仲間たちの小さな記録である。
どうか肩の力を抜き、一杯のお茶でも飲みながら、僕らの間抜けで愛おしい夏の物語にお付き合いいただければ幸いです。




序章 
桃色でも群青でもなく、少しくすんだ水色の話

これは、遠い星の話。
といっても、光年にして眩暈がするほど遠いわけではない。惑星風待(かざまち)は、地球からロケットで三日と半日、乗り換え一回で着いてしまう、拍子抜けするほど気軽な星である。
この星がなぜ「風待」と呼ばれているかというと、住人たちが昔から、空を流れてくる「気圧の乙女」を待ちながら暮らしてきたからだ。
気圧の乙女――と聞くと、なにやら神々しい存在を想像するかもしれないが、早い話が、この星では高気圧も低気圧も、人の姿をして地上を歩いているのである。晴れた日は「高気圧乙女」が浜辺を散歩している証拠だし、雨がしとしと続く日は「低気圧」が機嫌を損ねて空の上でむくれている証拠だ。
科学的な説明は誰にもできない。星の古老いわく「そういうものだから、そういうものなのだ」。実に投げやりだが、風待の住人はそれで納得して何百年も暮らしてきた。
僕は今年、還暦を迎えた。
還暦というのは妙なもので、体はあちこち軋むくせに、心だけは十九歳の夏にぴょんと戻ってしまう瞬間がある。今年の夏がそうだった。早く訪れたと思ったら、戻り梅雨のようにふっと姿を隠し、また戻ってくる。そんな落ち着かない天気を眺めながら、僕はふと、あの夏のことを思い出したのだ。
高気圧の乙女を追いかけ、低気圧に阻まれてばかりいた、十九の夏のことを。
これは、その回顧録である。ただし、真面目に書くつもりは毛頭ない。なにしろ僕らの青春は、カッコよくもなれず、目的も果たせず、志半ばで終わった、実に間抜けな夏の連続だったのだから。



一章 
風待という星

風待には四季があるが、この星の四季は少しばかり暴力的である。
夏になると、南の海に「高気圧乙女」たちが大挙して降りてくる。彼女たちが海面に足をひたすと、波はぴたりと形の良いうねりに変わり、空は雲ひとつない青に染まる。逆に、彼女たちが機嫌を損ねてどこかへ姿を消すと、とたんに「低気圧」がどこからともなく湧いて出て、海を引っ掻き回し始める。
冬になると、今度は北の山に彼女たちが移動する。高気圧乙女が山頂に腰掛ければ、空気中の水蒸気がみるみる結晶化し、ふわふわの粉雪となって降り積もる。風待の山々は、地球のようにただ雪が降るのではない。乙女たちの吐息が、そのまま雪になるのだ――というのが、この星の子供たちに語られる寝物語である。
つまり風待の若者たちにとって、夏の海も冬の山も、「高気圧乙女に気に入られるかどうか」がすべてだった。
乙女に好かれた浜には、極上の波が立つ。
乙女に好かれた山には、極上の雪が積もる。
そしてその波と雪の上で、いちばんカッコよく滑れた者が、村でいちばんモテる――という、実に単純明快な、しかし残酷な仕組みが、この星には昔からあった。
僕が十九の夏を迎えた年、村の若者たちは大きく二つの派閥に分かれていた。
ひとつは「若大将組」。彼らは見た目もよく、動きもしなやかで、高気圧乙女たちにいつも取り囲まれていた。もうひとつが、僕の所属する「青大将団」。名前の由来は誰も覚えていないが、たぶん「粘り強いが、脱皮しても代わり映えしない」という自虐から来ていたのだと思う。
青大将団のモットーはただひとつ。
「今年こそは、高気圧乙女を我らのものに」
そして毎年、それは見事に叶わなかった。



二章 
高気圧乙女と、僕らの夏

高気圧乙女というのは、実に厄介な存在(生き物と呼んでいいのか怪しいが)だった。
見た目は人間の若い女性とまったく変わらない。ただし機嫌の良し悪しが、そのまま天気に直結する。彼女がにこにこ笑っていれば快晴、ちょっとむくれれば薄曇り、本気で怒ると――これがいちばん厄介なのだが――彼女はふいと姿を消し、代わりに低気圧が湧いて出る。
低気圧というのは、高気圧乙女のように整った姿をしていない。もわもわとした輪郭の、機嫌の読めない存在で、気まぐれに雨を降らせたり、風を巻き起こしたりする。悪い奴ではないのだが、とにかく空気が読めない。
僕ら青大将団は毎週末、浜に繰り出しては、高気圧乙女に気に入られようと必死だった。
波乗りの腕を見せつけようとして転び、決めゼリフを用意して噛み、颯爽と歩こうとして砂に足を取られる。そのたびに高気圧乙女はくすくす笑い、僕らのことはそっちのけで、若大将組のもとへふわりと飛んでいってしまうのだった。
「今日もダメだったな」
「ああ、見事に撃沈した」
浜辺に寝転がりながら、僕らはいつもそんな会話を交わした。誰かが一人でもモテれば、それはそれで妬ましいのだが、全員そろって撃沈すると、なぜか妙な連帯感が生まれるものである。青大将団の結束は、モテなさによって強化される、実に奇妙な組織だった。
それでも僕らは諦めなかった。
なぜなら、高気圧乙女に選ばれるということは、その夏いちばんの波を独り占めできるということでもあったからだ。そう、白状してしまえば、僕らの目的の半分は、たしかに波乗りそのものへの情熱だったが、残りの半分は――いや、もしかしたら七割くらいは――彼女たち自身への興味だったのだと思う。
青春とは何か、と時々自問することがある。
一言で答えるならば、あの頃の僕にとってそれは、間違いなく「彼女たち」だった。



三章 
青大将団、参上(そして毎回撃沈)

青大将団のメンバーは全部で五人。
リーダー格のタケシは声だけは大きいが、波に乗ると必ずどこかで転ぶ。ジュンは口が達者で高気圧乙女に話しかけるのは得意なのだが、話が長すぎて彼女たちに毎回あくびをされていた。ヒロは見た目に自信があったが、緊張すると変な汗をかく体質で、これが夏の日差しの下では致命的だった。
そして僕と、いちばん年下のマモル。マモルはとにかく素直で、高気圧乙女に会うたびに「好きです」と直球を投げるのだが、直球すぎて彼女たちに気味悪がられていた。
ある夏の日、僕らは一大作戦を立てた。名付けて「五人がかり波乗り連携技」。
高気圧乙女の視線を集めるため、五人同時に波に乗り、空中で華麗に交差する――という計画だったのだが、実行してみると誰かの板が誰かの頭にぶつかり、結果的に五人まとめて海に沈むという、これ以上ないほど見事な失敗に終わった。
浜で見ていた高気圧乙女たちは、腹を抱えて笑っていた。
「あれは酷かったな」
「いや、ある意味大成功だったろ。笑わせたんだから」
「それは違う意味でモテてるんじゃないか……?」
海水を吐き出しながら、僕らはそんな不毛な議論を繰り広げた。
冬になれば、舞台は山に移る。雪山でも僕らの惨敗ぶりは変わらなかった。タケシは転び、ジュンは喋りすぎて凍え、ヒロは緊張で汗をかいて風邪をひき、マモルは直球すぎて雪玉をぶつけられた。
僕はといえば、目立つことも失敗することもなく、いつも端のほうで滑っていた。目立たなさすぎて、高気圧乙女に「あら、あなたもいたのね」と言われたことさえある。褒め言葉なのか、そうでないのか、いまだにわからない。
それでも、夜になれば僕らは決まって焚き火を囲み、安酒を飲みながら今日の失敗を肴に笑い合った。
失敗の多くは、当時は本気で悔しかった。しかし今こうして思い出せば、それはすべて、宝物のように良い思い出として、僕の中に積み重なっている。



四章 
乗り物の進化と、広がる恋の戦場

僕らが十七の頃、行動範囲はごく限られていた。
村に一台きりの「風車バイク」――ペダルを漕ぐと小さな風車が回り、その力でふわりと浮き上がる、実に頼りない乗り物――を順番待ちで借りて、村のはずれの浜まで行くのが精一杯だった。
十八になると、僕らはそれぞれ小型の「跳ね馬号」を手に入れた。これは風車バイクよりずっと速く、隣村どころか、隣の州まで足を延ばせるようになった。跳ね馬号を手に入れた途端、世界のすべてが自分のためにあるような気がした。地球の男子でいうところの、原付の免許を取った十六の夏のような、あの根拠のない万能感だ。マシンを手に入れたことで、出会う高気圧乙女の数も増えた。増えたところで、撃沈の数も比例して増えただけなのだが。
そして十九の夏。僕らはついに、村いちばんの整備工から中古の「跳躍艇(スカイポッド)」を安く譲ってもらった。これに乗れば、風待の全域――北の雪山から南の海まで――どこへでも一日で行けてしまう。
「これでこの夏は違うぞ。俺たちの時代が来たんだ!」
翼を得た僕らは本気でそう思っていた。行動範囲が全惑星規模になったのだから、出会う高気圧乙女の数もぐんと増える。数打てば当たる、下手な鉄砲も、というわけだ。
しかし現実は甘くなかった。乗り物がどれほど進化しようと、僕らの喋り方や波の乗り方が突然上手くなるわけではないのだ。むしろ「今日はどの町の浜辺でカッコ悪く撃沈するか」という選択肢が増えただけだった。
「はいそうですか、と上手くいかないのが、夏ってもんだよな」
スカイポッドの操縦席で、夕陽に染まる海を見下ろしながらタケシがぼやいた言葉を、僕は今でもよく覚えている。



五章 
妖艶な先輩乙女、ハルヨさんのこと

高気圧乙女にも、実は歳の差というものがある。
僕らと同い年くらいの、うぶで気まぐれな乙女たちがいる一方で、村にはもう何十年も居座り続けている、年季の入った高気圧乙女もいた。名をハルヨといった。
ハルヨさんは、僕らが子供の頃から浜にいた。彼女が笑うと決まって、その日の海は絹のように滑らかになる。若い高気圧乙女たちのように、はしゃいだり気まぐれを起こしたりすることはなく、いつも波打ち際に静かに腰掛けて、僕らの騒々しい失敗を、遠くから面白そうに眺めていた。
「あんたたち、また今日も派手にやらかしたわねえ」
夕暮れ時、撃沈して砂まみれになった僕らに、ハルヨさんはよくそう言って笑った。彼女には、若い乙女たちにはない、なんというか、こちらの至らなさごと包み込んでしまうような、不思議な色気があった。年上特有の、妖艶とも呼べる余裕とでも言おうか。
タケシなどは本気で「ハルヨさんに惚れてる」と公言していたが、ハルヨさんはそのたびに「あんたにはまだ早いわよ」と軽くいなしていた。
それでも彼女は、僕らにいろいろなことを教えてくれた。波の読み方、風の匂いの嗅ぎ分け方、そして――これがいちばん大事だったのだが――「モテようとするより、まず楽しんでいる姿を見せなさい」ということ。
「必死に追いかけてくる男の子より、波と戯れて笑ってる男の子のほうが、よっぽど素敵に見えるものよ」
そう言われても、当時の僕らにその意味が本当にわかっていたかは怪しい。ただ、ハルヨさんの言葉だけは、なぜか妙に胸に残った。彼女がどれほどの年月、この浜で高気圧を保ち続けてきたのか、僕らは誰も知らない。ただ、ハルヨさんがいる限り、村の夏は安泰なのだと、皆がなんとなく信じていた。



六章 
伝説の大波「白鯨」

風待の南の海には、昔からこんな言い伝えがあった。
「二十年に一度、すべての高気圧乙女が心をひとつにしたとき、伝説の大波『白鯨』がやってくる」
白鯨が立つとき、海は虹色に光り、波の高さは村の教会の塔をも超えるという。そしてその波に乗りきった者は、望む高気圧乙女の心を永遠に手に入れられる――という、ロマンチックなんだか、ずいぶん都合が良いんだかわからない伝説だった。
僕らはこの伝説が大好きだった。焚き火を囲むたびに、誰かが必ずこの話を持ち出した。
「白鯨が来たら、俺は挑むぞ」
「俺もだ。今年こそ来るんじゃないか」
しかし本音を言えば、僕らの誰ひとりとして、本気で白鯨が来ることを望んではいなかった。なぜなら、あの伝説の波を、僕らはただの一度も、実物として見たことがなかったからだ。低気圧が多少張り切って、少し大きめの波を作ることはあっても、教会の塔を超えるような波など、想像するだけで足がすくむ。
「そんなの来ねえよ」と、僕らは強がってみせた。
「来たら来たで困るけどな」と、誰かがぼそりと本音を漏らす。
そう、僕らには、その大波に挑む度胸など、これっぽっちもなかったのだ。伝説はあくまで、酒の肴として、焚き火の傍らで語るための物語であってほしかった。
今にして思えば、白鯨とは、僕らが本気で手に入れたいと願いながら、同時にどこかで「手に入らなくていい」とも思っていた、あの頃の淡い恋心そのものだったのかもしれない。



七章 
低気圧の海

十九の夏の終わり、事件は起きた。
その日、南の海はいつになく穏やかで、高気圧乙女たちの姿が珍しく見当たらなかった。空気が重く、生ぬるい風が吹いている。伝説の白鯨でもやってくる前触れかと一瞬錯覚するような、不気味な静けさだった。村の古老は「今日は海に出るな」と忠告した。低気圧の気配が濃い日だ、と。
しかし僕らは、その忠告を無視した。
「こんな凪の日こそ、俺たちの実力を見せつけるチャンスだ」
タケシが言い出し、ジュンが賛成し、ヒロとマモルもそれに乗った。僕も、ただ皆から取り残されたくない一心で、板を抱えて海に入った。
海に出て三十分もしないうちに、空が急に暗くなった。
低気圧が、ものすごい速さで発達していたのだ。
風がうなり、波が急激に高くなった。僕らは慌てて岸へ戻ろうとしたが、凶暴な波にもてあそばれ、なかなか前に進めない。マモルが板から投げ出され、ヒロが波にのまれ、僕自身も一度、水中でぐるぐると回転し、肺の空気が泡になって口から逃げていくのを見た。息が続かない恐怖の中、僕は死を覚悟した。
助けてくれたのは、村の漁師の老人だった。彼の小舟が僕らを一人ずつ拾い上げてくれたのだ。
「いきがって飛び込んだ低気圧の海は、助かることもあるが、溺れかけることもある。忘れるなよ、若いの」
浜に打ち上げられ、げらげら笑いながらも、僕らの膝は震えていた。あの日、僕らは初めて、憧れの対象である高気圧乙女の裏側に、彼女たちの気まぐれと表裏一体の、低気圧という本物の恐ろしさが潜んでいることを知ったのだ。
それでも、翌週にはまた板を抱えて浜に出ていたのだから、僕らの懲りなさも大したものである。



八章 
あの夏から、還暦の夏へ

あれから四十年以上が過ぎた。
タケシもジュンもヒロもマモルも、みんな還暦を過ぎ、それぞれの家庭で、良いおじいちゃんの顔を演じている。孫にせがまれて絵本を読み聞かせるタケシの姿を見ると、あの頃波乗りで毎回転んでいた男と同一人物とは、とても思えない。
それでも、年に一度か二度、僕らは集まって酒を酌み交わす。
そして不思議なことに、杯を重ねるうちに、話題は決まって「あの夏」に戻っていく。
「あの伝説の大波、結局一度も見なかったな」
「白鯨か。懐かしいな」
「お前、あのとき低気圧の海に飛び込んで溺れかけただろう」
「お前もだろうが」
一瞬にして、僕らは十九のあの日に連れ戻される。取り巻いていた仲間たちの顔つきが、皺の奥から若かりし頃の輪郭を覗かせる。まるで、還暦の僕らの中に、あの夏の十九歳がずっと眠っていて、酒の力で目を覚ますかのようだ。
今年の夏、僕はふとこんなことを思った。
早く訪れたと思ったこの夏が、戻り梅雨のように一瞬姿を隠し、それでもまた戻ってくるように――僕らの中の十九歳も、決していなくなったわけではなく、ただ普段は姿を隠しているだけなのかもしれない、と。
あれほど好きだった夏すら、この歳になると「もう暑いだけでいらないかも」と思う瞬間がある。この星の夏を、果たして無事に越せるだろうか、などと、埒もないことを考えてしまう昨今である。
それでも――やはり僕は、避暑地に逃げ込むよりも、海のある場所を選んでしまう。夏は夏の顔で、冬は冬の顔で迎える。そういう生き方を、僕はこの星でずっとしてきたのだから。



終章 
十九歳の僕へ、かける言葉

もしも今、あの夏の浜辺に立つ、十九歳の僕に、そっと近づいて声をかけられるとしたら。
「その乙女じゃない、あの乙女でもない、この乙女でもない。それはただの、夏の迷いだよ」
そう教えてやりたい気持ちはある。だが、きっと僕はそれを言わないだろう。
なぜなら、その迷いの中で溺れかけた痛みが、次の夏、また次の夏へと、彼を少しずつ運んでいくことを、還暦になった僕は知っているからだ。
そして今なら、あのハルヨさんの言葉の意味がよくわかる。必死になって追いかけるのではなく、ただ波と戯れ、目の前の夏を心から楽しむこと。それがどれほど贅沢で、眩しいことだったのかを。
だから忠告などせず、ただ笑って、遠くから見守ってやりたいのだ。
ただひとつだけ、伝えるとしたら。
「いきがって低気圧の海に飛び込むなよ。助かることもあるが、溺れかけることもあるからな」
それくらいのことは、こっそり耳打ちしてやってもいいかもしれない。
風待の夏は、今日もどこかの浜辺で、高気圧乙女を探す若者たちを迎えている。そして僕は知っている。明日にはまた、誰か別の十九歳が、僕らとまったく同じことで思い悩み、同じように撃沈し、同じように焚き火を囲んで笑うのだろう、と。
それはきっと、今この瞬間にも、この星のどこかにいる十九歳の若者たちの中で、静かに繰り返されている。
それが、夏というまったく手強い季節の、正体なのだろう。

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あとがき

最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
この物語は、還暦を迎えた一人の男が、遠い記憶の底に眠る「十九歳の夏」を掘り起こして書き上げた、ちょっと変わった回顧録です。
架空の星「惑星風待」を舞台にしてはいますが、そこに描かれている撃沈の数々や、格好つけきれない青くささ、そして仲間たちと囲んだ焚き火の温もりは、私自身の青春の匂いそのものでもあります。
若い頃は「成功すること」や「手に入れること」ばかりに必死でした。ですが、歳を重ねた今振り返ってみると、愛おしく思い出されるのはいつだって「失敗した日々のこと」であり、「手に入らなかったもの」のことばかりです。
もし今、あなたが何かに敗れ、撃沈し、落ち込んでいるとしたら――どうぞ安心してください。何十年か経ったあと、その苦い失敗はきっと、あなたの人生を照らす極上の酒の肴になっているはずです。
最後に、かつて同じ夏を走り抜け、今は良きおじいちゃんとなった「青大将団」の仲間たちと、あの頃僕らを優しく包んでくれたすべての「高気圧乙女」たちに、深い感謝と愛を込めて。
季節の変わり目、皆様もどうぞ「低気圧」にはお気をつけてお過ごしください。