死んだら、もうひとつの地球のブラック企業に配属されました

――もうひとつの地球ホールディングス 労働実態レポート――



まえがき

人が死んだら、どこへ行くのだろうか。
静かな安らぎの地か。生前の行いを裁く厳かな法廷か。
どちらでもなかった。
ただの、やたらと大きな企業グループだった。
還暦を過ぎてあの世のブラック企業に放り込まれた男と、そこで四十年も彼を待ち続けていた親友の、少しおかしな再会の物語である。






プロローグ 川と、光る泡

水は、思ったより冷たく、そして勝手だった。
甲斐隆、六十一歳。定年退職して三年。暇を持て余して河原を散歩していたら、目の前で小学生くらいの女の子が増水した川に落ちた。
「あっ」
と言う間に、体が動いていた。日頃の腰痛を忘れるくらいの反射だった。
女の子を岸へ押し上げる。誰かの手が、彼女を受け取ったのが見えた。よし、と安堵した瞬間、足元を強い流れがさらった。視界がぐるりと回る。
意識が遠のく間際、水面にきらきらと光る泡が、ひとつ、ふたつと増えていくのが見えた。クラゲのような、シャボン玉のような、不思議な光だった。
きれいだな。
そう思った途端、すべてが暗くなった。



一章 迎えのバスは定刻運行

「――遅かったな!」
聞き覚えのある声で目が覚めた。川岸でも病院でもない。満天の星空だった。空には見たこともないほど太く、明るい天の川が流れている。
その手前に、懐かしい顔が立っていた。
「蓮見……? お前、四十年前に死んだだろ」
「そうそう。工事現場の落下事故な。で、迎えに来たぞ、隆」
蓮見誠。高校時代の親友。就職して三年目に足場から落ちて死んだ男だ。四十年経っても顔はあの頃のままだ。白いポロシャツに名札が光る。
〈もうひとつの地球ホールディングス 移行支援課 主任 蓮見誠〉
「主任? お前、あの世で出世してんのか」
「まあな。四十年も勤めりゃ主任くらいにはなる。ほら行くぞ。今夜は七夕だから天の川渡航便が混むんだ。遅れると次は来月だぞ」
「便って……」
「バスだよ、バス。魂の輸送バス」
指さした先には、光る筏のようなものが列をなして浮かんでいた。老若男女、様々な格好の魂が、皆一様に「ああ、またこれか」という、妙に慣れた顔で並んでいる。その慣れっぷりが、逆に不穏だった。
「ちゃんと名前あんのか、その乗り物」
「〈天の川シャトル〉。運行は下請けの星雲交通ってとこ。去年コスト削減で自社便から委託に切り替わったんだよ。だから座席が硬いんだ」
「あの世で委託とかコスト削減とかあるのかよ……」
蓮見はふっと真顔になった。
「隆。先に言っとく。あの世、想像してるようなとこじゃないからな」
その言い方に、隆は嫌な予感を覚えた。



二章 もうひとつの地球、到着

天の川を渡り終えると、目の前に見覚えのある青い星が浮かんでいた。
「おい、あれ地球じゃないか」
「そっくりだろ? 『もうひとつの地球』ってんだ。正式名称はクソ長いから、社内じゃ〈もうアス〉って略してる」
降り立った街は、清潔で穏やかだった。空気は澄み、緑は美しい。行き交う魂たちの表情も柔らかい。パンフレット通りの光景だ。――受付の建物に入るまでは。
「〈もうひとつの地球ホールディングス 総合受付〉へようこそ。恐れ入りますが、まずはこちらの入社……もとい、入居手続き書類にご記入ください」
受付の女性は、抑揚のない声でA4の束を差し出した。二十枚以上ある。
「生前の功績自己評価シート、未練申告書、来世希望職種アンケート、そしてこちらが誓約書です」
「誓約書?」
「はい。当施設で知り得た運営上の情報について、口外しない旨の誓約になります」
隆は蓮見を見た。蓮見はあからさまに目をそらした。
「なあ、俺って待機してりゃいいんじゃないのか。生まれ変わるまで、のんびり……」
「隆。『のんびり待機』は、パンフレットの一ページ目にしか存在しないんだよ」
書類の最後のページに、小さな文字でこう書かれていた。
もうひとつの地球ホールディングスは、限りある魂資源を活用し、持続可能な輪廻サイクルの実現に努めています。
他に選択肢はなさそうだった。隆はサインした。



三章 オリエンテーション、社訓の理不尽

翌朝、隆は「新規着任者オリエンテーション」に参加させられた。
会場のスクリーンには、輝かしい社訓が掲げられていた。
魂ひとつ、笑顔ひとつ。
未練は資産、後悔は資本。
隣の老婦人が小声で呟く。
「二番目の社訓、去年変わったのよ。前は『未練は捨てましょう』だったのに」
「なんで変わったんですか」
「上の都合でしょ」
司会の男が、〈次世代デザイン推進室 室長〉の名札を揺らしてマイクを握った。
「皆さま、ようこそ〈もうアス〉へ! こちらでの滞在は来世への準備期間ですが、現在、需要に対して供給側、つまり皆さまの魂の熟成が追いついておらず、待機期間が長期化しております」
「どのくらいですか」
「かつては平均三年でしたが、現在は平均十七年です」
会場がどよめいた。
「その間、皆さまには各部署で軽作業をお手伝いいただきます。これは強制ではなく――」
「あくまで?」
「あくまで、実質的な義務です」
室長は満面の笑みで言い切った。心の中で全員が「それは強制って言うんだよ」と突っ込んだ。誰一人笑っていなかった。



四章 配属、そして残業

隆が配属されたのは「感情資源管理部 回収三課」だった。
「仕事内容は簡単だよ」蓮見が説明する。「人間ってのは生きてる間に、後悔とか未練とか、いろんな感情エネルギーを溜め込むだろ。それを〈もうアス〉の動力源に変換してるんだ」
「は?」
「街灯も、天の川シャトルも、受付の空調も、全部未練エネルギーで動いてる。新人はまず、自分の未練を棚卸しして、資源登録するんだ」
「俺の未練が、受付の空調に……」
「そういうこと。未練が多い奴ほど、ここじゃ重宝されるんだよ」
初日の業務は「未練登録シート」の作成だった。
• 「昨晩の晩酌で、締めのアイスを我慢すればよかった」→ 査定:微小 0.01ルーメン
• 「還暦を過ぎても、まだ働きたかった」→ 査定:中 0.3ルーメン
• 「もっと孫と旅行に行きたかった」→ 査定:大 1.2ルーメン
• 「あの女の子を、最後まで助けられたか分からない」→ 査定:特大 5.0ルーメン
査定官は無感情にスタンプを押した。
「甲斐さん、高品質ですね。アイスのやつは正直ゴミみたいな数値ですが、最後の『少女救出』、今需給逼迫してるんで助かります」
「人の後悔を電力扱いすんな」
「規則ですので」
その日、隆は「未練の追加ヒアリング」という名目で二時間居残りさせられた。もちろん残業代はない。
帰り際、隆は聞いた。
「なあ蓮見。お前、四十年もここにいるって言ったよな。お前の生まれ変わりは、いつ来るんだ」
蓮見は視線を逸らしたまま、小さく笑った。
「さあな。人事は教えてくれないんだ」
その笑い方が、初めて少し不気味に見えた。



五章 違和感、蓮見の秘密

数週間経ち、隆は〈もうアス〉の暮らしに慣れてきた。慣れると、見えてくるものがある。
同僚の佐伯さんが、休憩室でこっそり教えてくれた。生前は看護師だったという女性だ。
「甲斐さん、蓮見さんのこと変だと思わない? 四十年前に来た人が、主任どまりなんておかしいのよ。優秀な魂は五年、十年で『卒業』して生まれ変わるのに」
「なんで残ってるんだ?」
「噂だけどね。生まれ変わりの権利を、何度も『後回し』にしてるんだって。誰かを迎えに行くために」
隆は息を呑んだ。もしかして、俺を?
その夜、隆は魂専用の居酒屋――酔えないが雰囲気だけはある施設――に蓮見を呼び出した。
「お前、俺を待つために四十年、生まれ変わりを我慢してたのか」
蓮見は「アルコール風味の何か」が入ったグラスを見つめたまま、しばらく黙っていた。
「……最初は違ったよ。俺も早く生まれ変わりたかった。でも人事のシステムに詳しくなっちまってな。お前がいつかここに来るって分かった時に、ちょっとした裏技を使ったんだ」
「裏技?」
「生まれ変わりの権利を担保にして、お前の『帰還処理』の優先枠を確保したんだ」
「帰還って、まさか」
「そう。お前、本当は完全にこっち側の名簿に登録されるはずだった。でも俺が裏で手を回して、『まだ向こうで頑張れる案件』ってことにして、送り返す準備をしてた」
「そんなことできるのか」
蓮見は店の隅にある監視カメラのような光る玉に、ちらりと目をやった。
「本来はできない。禁止されてる。……この続きは、大きな声じゃ言えないんだ」



六章 内部告発、感情資源の闇

数日後、佐伯さんに連れられて「感情資源プラント第七棟」の地下へ潜り込んだ。
そこで見たのは、無数の魂がベンチに並べられ、胸元からうっすらと光る雫をポンプで絞り取られている光景だった。プロローグで見た、あの川の玉響にそっくりだった。施設には低い機械音が響き、壁のメーターが無機質に数字を刻んでいる。
『本日回収:後悔 3421ルーメン』
「搾乳ならぬ、搾未練よ」佐伯さんが苦い顔で言った。「表向きは『自然に滲み出るエネルギーを回収』って建前。実際は待機期間を意図的に延長して、未練を熟成させてから絞り取ってるの」
「待機十七年って……」
「そう。効率化じゃなくて、搾取の最適化」
そこへ、蓮見が息を切らして駆け込んできた。
「隆、まずい。お前の帰還処理優先枠のこと、上にバレた」
「どうなるんだ」
「俺は懲戒、お前は帰還取り消しで十七年やり直しだ」
施設中にアナウンスが響いた。
『次世代デザイン推進室より緊急通達。感情資源プラントの内部情報が漏洩している模様。関係者は至急、第一会議室まで出頭してください』
隆は拳を握った。
「逃げも隠れもしねえ。行こう、蓮見」



七章 大立ち回り、社訓との対決

第一会議室には、室長をはじめ幹部が居並んでいた。
「甲斐さん、蓮見くん。規約違反ですね。権利の私的流用、そして企業秘密の漏洩」
「聞きたいことがある」隆は前に出た。「あんたら、未練を絞るためにわざと待機期間を伸ばしてるのか」
室長はパンフレットのような笑顔のまま答えた。
「持続可能な輪廻サイクルの実現には、安定的な資源供給が不可欠です」
「人の心を燃料扱いして、何が持続可能だ」
「騒ぎを起こしても、あなたの帰還は取り消されるだけですよ」
その時、扉が勢いよく開いた。佐伯さんが大ぜいの同僚を連れて入ってきた。手には手作りのプラカード。
『未練は資産にあらず』『搾未練反対』『星雲交通、委託費5年据え置きは違法!』
先頭に立つ強面の男が叫んだ。「天の川シャトルで何万光年も走らされて腰をやられてんだよ! これ以上安くこき使われてたまるか!」
「回収三課、四課、それに星雲交通の運転手さんたちも一緒です!」佐伯さんが胸を張る。
蓮見が一歩前に出た。
「室長。俺は四十年、真面目に働いてきた。その俺が最後にやりたいのは、隆を無事に帰すことだけだ。邪魔するっていうなら――俺が知ってるプラントの不正会計、全部『天の川新聞』と現世の監督官庁にリークする」
会議室が凍りついた。室長の笑顔が、初めて完全に崩れた。
「……脅迫ですか」
「交渉と言ってほしいね」



八章 和解、そして帰還

経営陣も、外部にスキャンダルが漏れることだけは避けたかったらしい。交渉はあっさりまとまった。
一、蓮見の懲戒処分は取り消し。ただし本人の希望通り、来月付けで生まれ変わりの権利を正式に行使すること。
二、感情資源プラントの待機期間延長方針は、外部監査を条件に段階的に是正すること。
三、甲斐隆の帰還処理は、特例として即日承認すること。
「あっさり通ったな」と隆が言うと、室長は疲れ果てた顔で答えた。
「うちも、こんな運営したくてしてるわけじゃないんですよ。上……もっと上の、本社の方針でして」
「本社ってどこにあるんだ」
「それは、私も知りません」
その空虚な答えが、妙にリアルだった。どこの世界にも「上の方針」で片付けられる理不尽は存在するらしい。
出発の前夜、隆と蓮見は天の川シャトル乗り場で並んで缶コーヒー――のような味の飲み物――を飲んでいた。
「結局、四十年も俺のために足止めくらってたのか」
「深刻に考えるなよ。ここでの仕事、案外楽しかったところもある。佐伯さんたちとの労組活動とか、悪くなかったし」
「労組結成してたのかよ」
「そりゃそうだろ。ブラック企業には労組だ」
隆は腹の底から笑った。
「じゃあな、蓮見。今度はお前が先に行けよ」
「遅いなよ、今度は」蓮見はいつものように笑った。「まあ、数十年くらいなら待っててやるよ」



エピローグ 天井で揺れる、玉響

「夢か!」と思った瞬間、目が覚めた。
救助船の甲板だった。「意識戻ったぞ!」という声。助けた女の子の母親らしき人が、泣きながら何度も頭を下げていた。
病院のベッドで天井を見上げながら、娘に呆れられる。
「還暦過ぎて無茶するからだよ、お父さん」
九死に一生を得て、現実に戻ってきたのだ。
ふと、病室のテレビに目をやる。画面には、最近急成長している巨大ITグループ企業のCMが流れていた。どこかで見たような、青い地球を模した球体のロゴマーク。
……まさかな。
その時、天井の隅で何かが揺れた。ひとつ、ふたつ。プロローグで見たあの玉響だ。
――監視カメラか? にしては、妙にきれいだけど。
誓約書のことを思い出す。『滞在期間中に知り得た運営上の情報について、口外しないこと』
退院したら、この不思議な体験を物語にでもしてみようか。
そう思った矢先、天井の玉響が、心なしか少し楽しそうに点滅した気がした。
まあいいか。バレたらバレたで、また向こうで蓮見と一緒に労組活動でもすればいい。

(完)


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あとがき

還暦を過ぎてなお、あの世にすら「上の方針」があり、ブラック企業的な理不尽が存在するとしたら――。
それでも人は、隣に立つ旧友の微笑みひとつで、もう少しだけ逞しく笑っていられるのかもしれません。
本作は、どこか憎めない死後の世界と、そこで織りなされる人情を描いた労働コメディです。
社会の理不尽に少し疲れたとき、ふっと肩の力を抜いて愉しんでいただける一冊となっていれば幸いです。