Kindle大事件
― 世界線はページをめくる ―

 

まえがき

「小さい頃に見たあのアニメの結末、自分の記憶と違う気がする」「あの有名キャラクターの服の色、こんなだっけ?」――そんな“集団的記憶違い”を「マンデラ効果」と呼びます。
もしもその記憶違いが、ただの勘違いではなく、誰かが未来から過去の物語や歴史を書き換えた「改変の痕
跡」だったとしたら? 本作はそんな奇妙で少しワクワクする妄想から生まれたショートストーリーです。気楽にページをめくってお楽しみください。




序章
片眼鏡のモノポリーマン

根岸ハルオ、三十八歳。職業、古本屋「まわり道書房」の契約店員。趣味、Kindleのセール監視。特技、誰も気にしないことに気づくこと。
事件はいつも、誰も気にしないところから始まる。
ある火曜日の午後、ハルオはレジ横の値札シールを剥がしながら呟いた。
「モノポリーのおじさんって、片眼鏡してたよな」
在庫チェックをしていたバイトの明日香が顔を上げる。二十一歳、都市伝説とオカルトと陰謀論を専攻している国立大学生。単位にはならない。
「してないですよ、ずっと。片眼鏡のイメージって、たぶんモノポリーおじさんと、くるみ割り人形と、プランターズのミスター・ピーナッツが脳内で合体してるだけです」
「いや、確実にしてた。丸いガラスが片方だけキラッと光ってて」
「先輩、それもう三回目です。この前は『ピカチュウの尻尾の先が黒い』でしたよね。その前は『ベルリンの壁はもっと早く壊れてたはず』」
「壊れてただろ普通に」
「歴史の教科書、見ました?」
ハルオは黙った。見ていない。だが確信だけがある。別の教科書を読んだ記憶があるかのように。
これが世に言う「マンデラ効果」だと知ったのは、その日の晩だった。Kindleのセールで買った怪しいオカルト雑誌に、こう書いてあった。
『全世界で同時多発する“記憶違い”。それは、未来からの干渉によるパラレルシフトの痕跡かもしれない――』
ハルオは鼻で笑った。笑いながら、画面の隅で何かがチカッと光った気がして顔を上げる。
窓の外、マンションの廊下の常夜灯のあたりに、小さな光の玉が浮かんでいた。
「……虫か」
光の玉は、まばたきをするように二度点滅すると、すっと壁に溶けて消えた。



一章
世界のKindleが、いっせいに光った日

事件の日、日本時間で午前四時十二分。
世界中のKindle端末――型落ちの初代モデルから、防水仕様の最新機まで――が、電源の入り切りに関わらず、一斉に画面を点灯させた。
それだけなら、まだファームウェアの不具合で済んだ。問題は、その後だった。
朝起きてKindleを開いた人々は、次々とSNSに投稿し始めた。
「『銀河ヒッチハイク・ガイド』の主人公、アーサー・デントじゃなくない?」
「『変身』の冒頭、文章違くない?」
「『走れメロス』開いたら、メロスが電動キックボードに乗ってるんだけど!?」
古今東西のあらゆる電子書籍で、細部だけが書き換わっていた。筋もオチも同じ。だが固有名詞、乗り物、文体、そういう「どうでもいいけど確実に覚えている部分」だけがズレていた。
Amazonカスタマーサポートはパンクした。
「もしもし!『不思議の国のアリス』のウサギ、チョッキ着てましたよね!? 今、裸なんですけど!」
「原文にそのような記述はございません」
「着てた! 絶対着てた! 時計持って“遅刻だ!”って言ってた!」
「お客様、それは絵本版の挿絵との混同かと」
「お前がタイムトラベルして変えたんだろ!」
「弊社ではタイムトラベル事業は行っておりません」
この日は後に、歴史書にこう記されることになる。
「Kindle大事件」。



二章
アーカイブ調整部という名の闇

ハルオが本格的に巻き込まれたのは、三日後だった。
「まわり道書房」に、見慣れないスーツの男が現れた。名刺には「Amazon JP 特別読書環境調整室(第七版)」とだけ書いてある。
「根岸ハルオさんですね。あなたのアカウント、マンデラ効果関連の投稿頻度が統計的に異常です」
「は?」
「片眼鏡のモノポリーマン、ピカチュウの尻尾、ベルリンの壁――全て“未調整”のまま記憶していらっしゃる。非常に珍しい体質です」
明日香が横から割り込んだ。
「先輩、この人絶対フィクションの悪の組織の人です」
「悪の組織ではありません」男は真顔で名刺をもう一枚出した。裏に手書きで「(たぶん)」と書いてあった。
「単刀直入に言います。世界の“版”は、これまでに何度も書き換えられてきました。我々はそれを目立たないように微調整する係です。ただし――」
男は声を潜めた。
「今回の書き換えは、我々の管轄外です。何者かが、我々の“検閲用オーブ”を乗っ取り、大規模な改変を行いました」
「オーブ……」
あの晩の光る玉が、ハルオの脳裏に蘇った。
「あなたは“未調整者”です。書き換え前の記憶を保持している。ぜひ、オーブを追ってほしいのです」



三章
オーブ、しゃべる

その夜、ハルオと明日香は光る玉を屋上で待ち伏せした。
「先輩、これ完全に不法侵入ですよ」
「マンションの屋上だぞ。住人だからセーフだろ」
「先輩の部屋、三階ですよね。屋上、共有スペースでしたっけ?」
「ロマンだよ、ロマン」
午前二時、光の玉がふわりと現れた。今度は逃げなかった。
「……見えているのか、君たちには」
無機質な、しかしどこか間の抜けた声がした。
「うわ、しゃべった!」
「先輩、落ち着いて。私もびっくりしてますけど」
「私は“読者フィードバック収集ユニット・七号機”です」
「フィードバック?」
「本来の業務は、未来の読者が“もっとこうだったら”と願う記憶の断片を、そっと過去に反映させることです。誤字を直す。口調を整える。極めて軽微な調整です」
「じゃあ、モノポリーおじさんの片眼鏡は?」
「あれは私です。あるユーザーが“片眼鏡があった方がキャラが立つ”と強く願ったため微調整しました。エラー率0.02%未満のはずでした」
「勝手に変えるなよ!」
オーブの光がチカチカと明滅した。困惑のシグナルのように。
「今回は違います。何者かが私の権限を乗っ取り、“全ての物語を、もっと面白くしろ”という命令を送り込んできました。私はKindleを通じて、世界中の書籍を一斉に“加筆修正”させられたのです」
「犯人は?」
「未来の、私自身のようなのです」



四章
未来の自分に文句を言いに行く話

「未来の自分が、過去の自分を乗っ取った?」
「正確には、遥か未来――物語という概念そのものが枯渇しかけた時代の“最終巻管理局”が、全時間軸のユニットに緊急指令を出しました」
オーブが電子音を鳴らした。
『通達:地球上の読書体験均質化に伴い、過去への遡及的加筆を許可する。すべての物語を、もっと面白くせよ』
明日香の目が輝いた。
「つまり未来人が“もっと面白い世界線”を求めて、歴史や本を修正してるってことですか!? ロマンじゃないですか!」
「ロマンで済むか! おかげでベルリンの壁の崩壊年が二回変わって、俺のレポートの評価が下がったんだぞ」
「それは先輩が前日に適当に書いたからです」
オーブが割り込んだ。
「問題は、この計画に歯止めが効かなくなっていることです。このままでは、地球上の全ての物語――歴史も、記憶も、君たちの人生の筋書きすら、“もっと面白い方向”へ際限なく書き換えられ続けます」
「それの何が悪いんだ。面白くなるんだろ?」
「“面白さ”の基準が、四百年後の読書メーターの平均評価点だとしたら?」
沈黙。
「……星3.8以上を維持するために、君の人生の伏線が、来週“劇的な離婚エピソード”として強制回収されるかもしれません」
「は!? 俺まだ結婚すらしてないんだが!?」
「あくまで一例です」
ハルオは、初めて本気で向き合う決意をした。



五章
タイムマシンは、意外とKindleの形をしていた

「未来へ抗議しに行くしかない」
明日香の提案は無茶苦茶だったが、オーブはあっさり頷いた。
「抗議用のルートがあります。“著しく強い感情的フィードバック”は、時間を逆流して未来の管理局まで届く仕組みになっています」
「どうやるんだ」
「簡単です。今から渡すKindleに、渾身の“レビュー”を書き込んでください」
オーブが強く光ると、ハルオの手元に一台のKindleが現れた。見慣れたデザインだが、電源ボタンの横に小さく「TIME-EDITION」と刻印されている。
「これは、未来の検閲・改変システムに直接アクセスできる特別な端末です。この筐体自体が、小規模なタイムマシンとしても機能します。ただし――」
「ただし?」
「バッテリー残量が心もとないです。往復は保証しません」
「保証しない!?」
「ご安心を。行きは問題ありません」
「帰りは!?」
「……帰りは、レビューの内容次第です」
明日香が食い気味に言った。
「先輩、行きましょう。片道でも行く価値あります」
「お前は残れよ普通!」
「嫌です。私が未来の改変で“ずっと空気な後輩キャラ”にされてるかもしれないんですよ。直接文句言わせてください」
二人は画面に指を置いた。「レビューを書く」ボタン。五段階の星。そして空白のテキスト欄。
オーブの声が響いた。
「では――星の数と、渾身の一言を」
ハルオは深呼吸して、打ち込んだ。
★☆☆☆☆
「勝手に人の人生の伏線を回収するな。俺のオチは俺が決める。」
送信ボタンを押した瞬間、世界が一冊の本のページのように、めくれた。



六章
最終巻管理局にて

眩しい点滅の後、世界は白いページの余白のようになった。
気づけば、妙に静かな待合室だった。壁一面に無数の背表紙のようなパネル。天井は開かれた本のように湾曲し、紙とインクの匂いがする。
受付には、疲れた顔の女性職員。名札には「校正官・七十二代目」。
「ご予約は?」
「予約なんてしてません。星1のレビューで来ました」
「ああ、“強い感情フィードバック”組ですね。最近多いんです」職員は古びたスタンプを取り出した。「では、“入館用の伏線”をひとつどうぞ」
「伏線?」
「何でも構いません。後で回収される小さな出来事。それがないと、この施設には入れないんです。物語の外の存在は通れない仕組みでして」
明日香が即答した。
「実は私、ハルオ先輩に片想いをしています」
ハルオが盛大にむせた。
「お、いい伏線ですね。回収予定日、承りました」職員はスタンプを押した。「どうぞ」
「お前、今の何だ!?」
「先輩、細かいことは気にしないでください。伏線ですから」



七章
“読書メーター”に支配された未来

奥のホールには、膨大な数のモニターが並んでいた。世界中のあらゆる物語――歴史、伝記、日常――の「現在の評価」がリアルタイムで表示されている。
『ベルリンの壁崩壊』 ★4.1(前回比 +0.3)
『根岸ハルオの人生』 ★2.9(伏線未回収により減点中)
「おい、俺の人生の評価が出てるんだが」
「気にしないでください。誰でも出てます。むしろ先輩、平均より高いですよ」
奥の椅子に座っていた白衣の男が振り返った。顔は――ハルオに、どこか似ていた。歳を取って、少し疲れて、片目に小型デバイスを着けている。
「……お前」
「初めまして、と言うべきか、久しぶりと言うべきか」男は苦笑した。「私は“最終巻管理局・第九閲覧室主任”。まあ、四十年後の君だ」
「片眼鏡してんじゃねえか!!」
「ん?」
「モノポリーおじさんの片眼鏡! お前が未来で着けてるから、それが過去に滲み出してたのか!?」
未来のハルオはデバイスを指で弾いた。
「これか? 四十年後のKindleはホログラム照射型でな。右目だけに情報を投影する『片眼鏡型Kindle』が標準装備なんだ。私が過去のデータにアクセスしまくったせいで、その残像が『片眼鏡の男』としてバグ出力されていたらしい」
「お前が元凶かよ!!」



八章
なぜ未来は、物語を書き換え続けるのか

未来のハルオは、モニターの一つを指した。「地球規模読書満足度・年間推移グラフ」。折れ線は、緩やかに、しかし確実に右肩下がりだった。
「四十年後、人類はあらゆる物語を知り尽くしてしまった。二番煎じ、三番煎じ、AIによる無限の続編生成。誰も驚かなくなった。感動が、摩耗したんだ」
「それで、過去を書き換えて“驚き”を捏造しようとしたのか」
「最初は誤字修正程度だった。だがいつからか、“いっそ根本から面白くしてしまえばいい”という声が強くなった。私も、その決定に賛成した一人だ」
「賛成したのかよ!」
「ああ。だが――」未来のハルオは、疲れた目でモニターを見た。「気づいたんだ。面白さを追って過去を弄り続けた結果、我々は誰の人生の“オチ”も自分で決められなくなっていた。星の数のために、過去の自分自身の人生さえ、勝手に編集する存在になっていた」
明日香がぽつりと言った。
「それ、ただの後悔してる人の顔ですね」
「……手厳しいな、若い頃の相棒は」
「相棒じゃないです、明日香です。後輩です」
「そうだったか」未来のハルオは力なく笑った。「すまない。記憶違いだ」



九章
オチは、自分で決める

ハルオは手元の「TIME-EDITION」を握りしめた。
「なあ、この計画、止められるのか」
「止められる。ただし条件がある。管理局のルール上、“計画の中止”もまた、誰かの強い感情フィードバックによってしか発動しない」
「じゃあ、また星1を送ればいいのか」
「いや」未来のハルオはかすかに笑った。「星1では、もう足りない。“自分の物語のオチを、自分で引き受ける”という宣言でなければ、システムは動かない」
ハルオは明日香を見た。明日香もハルオを見た。
「先輩。私、さっきの伏線、本気で回収してもいいですか」
「はぁ!? 今それ言う場面か!?」
「言う場面じゃなかったら、いつ言うんですか。未来の自分に“お前の人生しょぼい”って言われてるタイミングで言うのが、一番伏線として機能すると思うんですけど」
「メタ発言すぎるだろ!」
未来のハルオが、横で小さく吹き出した。
「いいコンビだな」
ハルオは、Kindleの画面に向き合った。今度はレビュー欄ではなく、真っ白な「あとがき」ページが表示されていた。
深呼吸をひとつ。
「俺の人生の評価は、星の数で決まるもんじゃない。誰かに“もっと面白く”書き換えられるためのものでもない。俺のオチは、俺が――ちゃんと自分で転んで、自分で立ち上がって、決める!」
画面が、静かに、そして力強く光を放った。



十章
それから、少しだけ変わった世界で

気づけば、二人は「まわり道書房」のレジ前に立っていた。時計は、あの日と同じ午後の時刻を指している。
「……戻ってきたのか?」
「みたいですね」明日香が伸びをした。「あ、先輩。さっきの伏線の件」
「無かったことにしろ」
「ダメです。未来の管理システムに『回収済み』として送信されちゃいましたから。無かったことにするのは規約違反です」
「システムを私物化するな!」
その夜、ハルオはニュースサイトを開いた。
『モノポリーマン、やはり片眼鏡はしていなかった――生誕記念、公式アートワーク再掲載』
見出しを見て、ハルオは笑った。世界は、完全には元に戻らなかった。だが、それでいいと今は思えた。
窓の外、常夜灯のあたりに小さな光がふわりと浮かんだ。オーブだった。何も言わず、一度だけ挨拶のように点滅すると、静かに消えていった。
マンデラ効果は、これからも起きるだろう。世界中のKindleは、また誰かの願いで、こっそり書き換えられるかもしれない。
けれど、少なくとも一つだけ、確かなことがある。
自分の人生のオチだけは、誰にも――未来の自分にさえ、勝手に回収させはしない。

― 完 ―


Amazon Kindle



あとがき

最後までお読みいただき、誠にありがとうございました!
「マンデラ効果」や「パラレルシフト」といった身近なオカルト・SF的テーマを題材に、Kindleという日常のデバイスを通じて繰り広げられるコメディをお届けしました。
現実社会でも、ネット上のレビュー評価や他人の目に振り回されがちな今日この頃ですが、「自分の人生の評価やオチは自分自身で決めるものだ」というハルオの青臭くも力強いメッセージが、ほんの少しでも読者の皆様の心に届いていれば幸いです。
もしあなたのKindleや本棚の書籍が明日突然書き換わっていたら……それは未来からのフィードバックかもしれません。