どこでもドア、抽選に外れる 別巻
〜ある凡人と、超電導リニアと、日本を揺るがした大騒動の記録〜
序章 夢の電話ボックス
その夜、僕は電話ボックスの中にいた。
古い、赤い電話ボックス。今どき現物を見ることさえ珍しいのに、夢の中の僕はごく自然にその扉を押し、狭い箱の中に体をねじ込み、黒い受話器を持ち上げた。
ダイヤルは回転式だった。指を穴に入れ、回す。ジー、ジー、ジー、と間延びした音がして――次の瞬間、僕は見知らぬ台所に立っていた。
「え」
驚く間もなく、台所の主らしき老婦人がこちらを見て、あくびをしながら言った。
「またあんたかい。今度は何分だった?」
「……何分、とは?」
「移動時間だよ。前は一秒半だったろう」
僕は答えられなかった。なぜなら、これが夢の中で何度目の訪問なのか、僕自身にも分からなかったからだ。
目が覚めても、その感触だけが指先に残っていた。ダイヤルを回す、あの重たい手応え。
現実の僕は、その朝もスマートフォンでとある抽選の結果発表ページを開き、そして案の定、外れていた。
超電導リニア、体験乗車。
かれこれ何十回目の落選か、もう数える気力もない。
だがこの後、日本という国が、僕の知らないところで、とんでもない騒ぎに巻き込まれていくことになるとは、この時の僕はまだ、まったく想像していなかった。
第一章 抽選、また外れる
僕の名は、まあ、どうでもいい。四十代、会社員、これといった特技もない。ただ一つ、人より熱心なものがあるとすれば、それは「中央高速リニア」というものへの、説明のつかない憧れだった。
体験乗車の抽選には、思い出せる限りで四十二回申し込んだ。当選したのはゼロ回。
「今回は倍率、二百八十倍だってさ」
会社の後輩、宮田くんにそう零すと、彼はスマホから顔も上げずに言った。
「そんなに人気なんですか、リニア」
「開業が遅れに遅れているせいで、余計に“幻の乗り物”感が出てるんだろうな」
トンネル工区を巡る協議は長年難航し、開業目標はもはや誰も口にしなくなっていた。
「品川―名古屋、四十分らしいですね」
「らしいな」
「そんな急いでどこ行くんです?」
「知らん。俺も同じこと思ってる」
それでも申し込む。それが人間という生き物の、滑稽なところだ。
その日の夜も僕は次回の抽選要項をブックマークし、布団に入った。
そして、また電話ボックスの夢を見た。
第二章 赤い電話ボックス
夢の中、電話ボックスは山の中にあった。周囲には工事現場のフェンス、そして遠くにトンネルの入り口。
看板には「どこでもトンネル株式会社」という、聞いたこともない社名。
電話ボックスの扉には、貼り紙。
『体験乗車、絶賛受付中! 当選確率:あなた次第』
受話器がひとりでに持ち上がり、宙に浮いた。
『どちら様まで、おつなぎいたしましょうか』
「え、いや、あの」
『行き先をおっしゃってください。品川でも、名古屋でも、大阪でも。あるいは――ご覧になりたい未来、でも』
その一言に、僕は目を覚ました。
枕元のスマートフォンに、見覚えのない件名のメールが届いていた。
『超電導リニア体験乗車 当選のお知らせ(特別枠)』
「は?」
第三章 リニア研究所の男
指定された集合場所へ向かう途中、僕はいつの間にか見慣れない側道に迷い込み、気づけば目の前に、あの夢そっくりの赤い電話ボックスが立っていた。
「ようこそ。お待ちしておりました」
白衣の男。名札には「主任研究員:関口洋」。
「あなたが、四十二回目の挑戦者ですね」
「ご存知なんですか」
「当研究所は、落選し続けた方の“執念データ”を長年収集しておりまして」
関口いわく、超電導磁石が極めて強い磁場を発生させ続けると、ごくごく稀に時空にわずかな“よじれ”が生じ、それが強く「そこへ行きたい」と願い続けた人間の意識と共鳴することがある――これを研究所は内部で「どこでもドア現象」と呼んでいるという。
「本日は、特別に“本物”をご案内いたしましょう」
僕は、まだ知らなかった。この現象が、僕一人の夢物語では済まされない規模で、既に国のあちこちで暴走を始めていたことを。
第四章 全国同時テレポート騒動
その日の午後三時十七分、事態は動いた。
きっかけは、あろうことか、関口の同僚である若手研究員・鈴木の「ちょっとした出来心」だった。彼は上司に隠れて、実験線の超電導コイルの出力を、規定値の百二十パーセントまでこっそり引き上げていたのだ。
「ちょっとだけ、ちょっとだけだから」
その「ちょっとだけ」が、日本中の“強く何かを願い続けている人間”と、次々に共鳴してしまった。
大阪の商店街で鯛焼きを四十二年間焼き続けてきた店主が、瞬きの間に、なぜか国会議事堂の中央広間に立っていた。
「わし、まだ鯛焼き四十二匹焼いとる途中やったんやが!」
北海道の漁師が、次に瞬きをしたときには沖縄の海の上に浮かんでいた。
「なして俺は褌一丁で沖縄におるんだ!?」
そして極めつけは、満員の通勤電車の乗客およそ三百人が、丸ごと東京駅のホームから、名古屋駅のホームへと入れ替わってしまった事件だった。乗客たちは全員、電車に乗ったままの姿勢で、名古屋のホームに横一列に並んで呆然としていた。
「痴漢じゃないですよね!? 私、動いてません!」
「動いてないのは電車ごと移動したからです!!」
テレビは特番一色になった。
『緊急特集 日本列島、瞬間移動パニック! あなたも巻き込まれるかもしれない』
コメンテーターとして呼ばれた売れっ子解説者・早乙女修一は、フリップボードを片手に、実に自信満々にこう解説した。
「これはですね、皆さん。おそらく“気”の力です」
物理学者たちが一斉に頭を抱えた。
第五章 総理、電話ボックスに吸い込まれる事件
国会は大荒れとなった。
野党議員は「政府の監督責任」を追及し、与党議員は「これは天変地異であり不可抗力である」と反論した。
そんな中、記者会見に臨んだ内閣総理大臣・轟木一雄(とどろき・いちお、架空の人物)は、質問に答えようとした瞬間――
「国民の皆様には、大変ご不安を――」
――と言いかけたその口の途中で、突然、演台の背後に赤い電話ボックスが出現し、総理の体をものの見事に吸い込んでしまった。
会見場は騒然。
「総理! 総理はどちらへ!」
「ただいま確認中です!」
秘書官が電話ボックスに耳を当てると、中からくぐもった声がした。
「もしもし、こちら轟木ですが……あの、ここどこですか。え、ハワイ? いや違う、看板が読めない。中国語? いや、これはタイ文字か……あ、店員さん、すみません、日本国の総理大臣なんですが、今すぐ帰る方法をご存知ないですか」
生放送で全国に流れたこのやり取りは、後に「輝ける迷子会見」として語り継がれることになる。
総理は結局、タイのバンコクの屋台の裏で、パッタイを一皿ご馳走になった後、三時間後に無事、同じ電話ボックスから帰還した。支持率は、なぜか三ポイント上昇した。
「親近感が湧いた」というのが、世論調査における最多回答だった。
第六章 各国からの怪しい観光客
事態を静観していなかったのは、外国勢力も同じだった。
騒動から一週間後、実験線周辺のホテルには、やたらと「鉄道が好きなだけの観光客」を自称する屈強な男女が大量にチェックインしていた。
「私、ただの撮り鉄です。カメラの中身? ただのレンズです。分解しないでください、壊れます」
そう言い張るスーツ姿の男の三脚には、明らかにカメラとは思えない配線が這っていた。
別のホテルには、やたらと流暢な日本語を話す団体客が。
「われわれ、ただの修学旅行の付き添い教員団です。年齢? 気にしないでください。全員、心は永遠に十七歳です」
関口は苦笑いしながら、僕にこっそり耳打ちした。
「ここだけの話、あちらの国とあちらの国が、この現象の“軍事転用”に興味を持っているという噂がありましてね」
「軍事転用って……瞬間移動を、ですか」
「兵士を一瞬で戦地に送り込む、とか、ミサイルを瞬間移動させる、とか、諸説あるようですが」関口は肩をすくめた。「幸い、この現象、狙った場所へ正確に送る技術は、まだ我々にも解明できていないので、当面は“事故待ち”の域を出ないでしょう」
その夜、鯛焼き屋の店主が、なぜかまた瞬間移動して、今度はスパイたちの密談の真っ只中、ホテルの一室に出現するという珍事が起きた。
「わし、今度はどこや!?」
スパイたちは全員、鯛焼きを奢って店主を丁重に見送った。
第七章 実験車両、消失す
そして、事件は最大の山場を迎える。
出力を上げすぎたコイルの影響で、ついに実験線を走行していた無人の試験車両そのものが、トンネルの途中で忽然と姿を消してしまったのだ。
車両には、たまたま同乗を許可されていた海外メディアの記者三名が乗っていた。
『日本のリニア新幹線、走行中に消滅 乗客の安否不明』
世界中の通信社がこのニュースを打電した。
国土交通省、研究所、そして総理官邸(例の電話ボックス事件以来、総理はすっかりこの分野に詳しくなっていた)が、緊急対策本部を設置した。
「関口くん」総理は、今や妙に頼もしい顔つきで言った。「例の“執念データ”とやらで、一番、値が高い人間は誰だ」
関口は、僕の名前が書かれた資料を、静かに差し出した。
「四十二回。歴代最高記録です」
総理は僕を見た。
「済まないが、あの車両を、迎えに行ってくれないか」
僕は、思わず聞き返した。
「僕が、ですか。一介の、抽選に外れ続けているだけの会社員が?」
「他に適任がいない。データがそう示している」
こうして僕は、日本という国の命運を左右する(かもしれない)任務を、電話ボックスの受話器を握りしめて、引き受けることになった。
第八章 異次元からの来訪者
受話器のダイヤルを回す。ジー、ジー、ジー。
気づくと、僕は真っ白な空間に立っていた。上も下も、右も左も分からない。
「あの……もしもし」
「もしもーし」
背後から、間延びした声がした。振り向くと、そこにいたのは――クラゲのような、しかし妙にスーツを着こなした、半透明の生物だった。
「あなた、探し物?」
「あ、はい。実は、リニアの試験車両を探していまして」
「ああ、あの銀色の細長いの。うちの子供が拾って遊んでる」
生物が指差す方向を見ると、消えたはずの試験車両が、無傷でぷかぷかと宙に浮いていた。小さなクラゲたちが、その周りをくるくる回って遊んでいる。
「あの、返していただけると助かるのですが」
「いいよ、いいよ。子供のオモチャ、すぐ他のに移るから」
生物はあっさりと車両を差し出した。
「それより、あなた、さっきから“抽選”がどうとか、頭の中で何度も繰り返してるけど。それ、なに?」
「ああ、それは……何かに当たりたくて、何度も申し込んで、外れ続けてる、という話でして」
「へえ。それ、こっちの世界にも似たようなのあるよ。“存在するかしないか”の抽選。生まれる前、みんな並ぶの。倍率、うちの宇宙だと、だいたい無限倍」
「無限倍……」
「でも、あなた、今ここにいるでしょ。ってことは、その抽選、実はもう当たってるんだよ。生まれた時点で」
僕は、しばらく言葉を失った。
「体験乗車の抽選には、まだ当たってませんけどね」
生物は、げらげらと笑った。
「それは、また別の話!」
第九章 英雄の帰還と、しょぼい真実
僕は試験車両を引っ張りながら(実際にはクラゲたちに手伝ってもらいながら)、電話ボックスの光る扉を見つけ、そこを通って現実に戻った。
トンネルの中に車両が無傷で現れた瞬間、対策本部は歓声に包まれた。
海外メディアの記者三名も無事だった。彼らは一様に「クラゲに似た生物にとても親切にされ、お茶をご馳走になった」と証言し、世界中の科学者たちを盛大に困惑させた。
総理は僕の手を握り、涙ぐんだ。
「君は、国の恩人だ」
「いえ、あの、僕は特に何も。向こうの生物が、勝手に返してくれただけで」
「謙虚だな。君にはこれから、特別功労賞を――」
「あの、それより」僕はおずおずと切り出した。「次のリニア体験乗車の抽選、優先枠とか、いただけたりは」
総理の顔が、少しだけ曇った。
「ああ……それは、その、担当省庁が別でね。うちからは、ちょっと」
「縦割り、ですか」
「縦割りだ」
英雄になっても、抽選のシステムはびくともしなかった。それが、この国の、ある意味で最も揺るぎない真実だった。
第十章 それでも僕は申し込む
騒動から半年。コイルの出力は規定値に戻され、超電導リニアの実験は粛々と続いている。開業目標は、また少し先に延びたらしい。
鯛焼き屋の店主は、瞬間移動の一件をきっかけに「瞬間移動鯛焼き」という謎の新商品を開発し、ちょっとした有名人になった。国会議事堂で焼いていた四十二匹の鯛焼きは、結局、警備員たちに温かいうちに全部食べられてしまったという。
総理は、あの日以来「親近感のある総理」として支持率を保ち続けている。パッタイは今でも時々食べているらしい。
僕はといえば――
その日の夜、パソコンを開いた。
超電導リニア体験乗車、次回募集要項のページ。
倍率、二百九十倍。
「よし」
四十三回目の申し込みボタンを、僕は押した。
枕元には、いつかのメモがまだ、しまってある。
『四十二分間、お疲れ様でした。――関口』
窓の外では、遠い工事現場の音が、かすかに、しかし確かに聞こえていた気がした。
宇宙人にさえ「もう当たってるようなものだ」と言われた、この人生という名の抽選。
それでも僕は、次の抽選にも申し込む。
トンネルの向こうに、まだ見ぬ景色――そして、まだ見ぬ珍事が、きっと待っているから。
― 完 ―
アマゾン キンドル
あとがき
本作は、ある一つのブログ記事――リニア中央新幹線の体験乗車抽選に何十回も外れ続けている、という何気ない日常の記録と、電話ボックスで瞬間移動する不思議な夢の話――から着想を得て書かれた、完全なるフィクションです。登場する研究機関、政治家、外国勢力、異次元生物、その他すべての人物・団体・鯛焼き屋は架空のものであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
読んでくださったあなたの人生にも、いつか、しょぼいけれど確かな「英雄的な一日」が訪れますように。

