刻堕とし 十五 

〜火焔太鼓異聞・値上喰らい〜


継ぎ目守異聞
古典落語「火焔太鼓」より



まえがき
「火焔太鼓」という噺は、しがない道具屋の甚兵衛が主役である。埃をかぶった汚らしい古太鼓を、あろうことか大名屋敷へ売り込みに行かされる。女房には「そんな汚い代物、二束三文にもならない」と呆れられながらも、甚兵衛は恐る恐る屋敷へ足を運ぶ。
ところが、殿様がこの太鼓を一目見るなり、無性に気に入ってしまう。埃を払い、打ち鳴らしてみれば、これが存外に良い音色。しかも、太鼓の胴に「火焔」の焼印があると聞き、殿様の物欲にはますます火がつく。値切るどころか、家来たちが競うようにどんどん値を吊り上げ、最後にはとんでもない大金で買い上げられてしまう。
甚兵衛が大金を抱えて帰ると、女房は手のひらを返したように大喜びし、「今度は汚い茶碗でも太鼓でも、遠慮なく売り込んどいで」とけしかける――そんな、値打ちというものの不思議さ、可笑しさを描いた噺である。
この噺の面白さは、「値打ち」というものが、物そのものの実体とは関係なく、見る者の欲や見栄によって、いくらでも吊り上がっていくところにある。
ところが、とある写しにおいて、この「値打ちが際限なく吊り上がる」という型が、暴走を始め、あらゆる継ぎ目のあらゆる品物の値が、歯止めなく高騰し続けているという報せが届いた。継ぎ目守の圭馬と弥七は、値打ちそのものが暴走する道具屋の店先へと足を踏み入れることになった。




一 継ぎ目守、値が止まらぬ町
鏡面に映ったのは、算盤の玉が独りでにかちかちと弾け続ける光景だった。玉は上へ上へと弾かれ続け、決して下に戻ることがない。
継ぎ目守圭馬へ。演目「火焔太鼓」における『値打ちが際限なく吊り上がる』型が暴走。無数の継ぎ目にて、あらゆる品物の値が歯止めなく高騰し続ける事案を確認。市中の商いが機能不全に陥る恐れあり。至急現地調査されたし。
「値が止まらない、たあ、恐ろしい話だね」
圭馬が算盤の音に耳を澄ませながら呟くと、弥七がすでに巾着袋を握りしめて立っていた。
「旦那、火焔太鼓たあ、汚い古太鼓が思わぬ大金に化ける、痛快な商売噺のはずなんですがね」



二 道具屋の甚兵衛
継ぎ目を抜けると、そこは江戸の裏長屋、道具屋を営む甚兵衛の店先だった。
「おい、お前さん、これ、何とかならないかねえ」
女房が呆れ顔で示したのは、埃だらけの汚らしい古太鼓だった。
「なあに、これも立派な商売道具だ。大名屋敷にでも持って行って、売り込んでみようじゃないか」
「そんな汚い代物、二束三文にもなりゃしないよ」
甚兵衛は女房の小言をものともせず、古太鼓を背負って屋敷へと向かった。
弥七がにやりと笑った。
「旦那、いよいよ本番でさ。この太鼓が、どこまで化けるか」



三 殿様の目利き
屋敷に通された甚兵衛が恐る恐る太鼓を差し出すと、殿様はそれを一目見るなり、身を乗り出した。
「ほう、これはなかなかの品じゃ。打ってみせよ」
甚兵衛が恐る恐る打つと、存外に良い音色が響いた。
「良い音じゃ。……ん、この胴の焼印、火焔とあるな。これは名のある品に違いない」
殿様の目が輝きを増していく。家来たちも次々と「これは掘り出し物にございます」「なるほど、火焔の銘は由緒正しき証」と、それぞれに値を吊り上げる口上を並べ立てた。
圭馬はその様子を眺めながら、ふと眉を寄せた。
「弥七、噺の型どおりだ。だが、あの吊り上がり方、いつもより勢いが強すぎないか」



四 止まらぬ値
「三百両でどうじゃ」
「いえいえ殿、この品にその値では安すぎましょう。五百両はくだりますまい」
「ならば七百両じゃ」
「いや、千両でも惜しくはございません」
家来たちの声が、次第に熱を帯び、まるで競り合うように値を吊り上げていく。甚兵衛は目を白黒させながら、口を挟む隙もなかった。
「殿、こう申しては何ですが、千両でも安いくらいで――」
「二千両じゃ!」
「弥七、おかしいぞ。噺の型なら、確か三百両あたりで話が纏まるはずだ。それが、まるで際限なく吊り上がってく」



五 幾千の値、止まらぬ算盤
圭馬が継ぎ目守の証を掲げると、屋敷の壁が透け、その奥に、幾千もの同じ屋敷が入れ子のように連なって見えた。どの継ぎ目でも、同じように太鼓の値が吊り上がり続け、中には万両、億両という、およそ現実離れした値にまで達しているものもあった。
「弥七、見ろ。あちこちの継ぎ目で、値打ちが天井知らずに吊り上がってる。太鼓だけじゃない、他の品物まで、次から次へと際限なく値が上がってやがる」
「旦那、こいつぁ、殿様の物欲だけじゃ説明がつきやせん。何かが、値打ちそのものを喰い物にしてるとしか思えねえ」



六 値上喰らいの正体
幾千の算盤が弾ける音の収束する先、山のように積み上がった小判の中心に、無数の値札を鱗のように纏った、巨大な蛇腹状の影が蠢いていた。
「継ぎ目守か。……この身は、幾百幾千の写しで宙に浮いたままだった『値打ちの吊り上がり』から生まれた者。名は値上喰らい。物の値が跳ね上がる、あの高揚と焦り――それが何よりの馳走よ」
「お前が、あちこちの継ぎ目で、際限なく値を釣り上げさせてるのか」
「一度上がった値は、下がることを許さぬ。上へ上へ、際限なく吊り上げさせてこそ、この身は肥え太る。……もはや、太鼓の値打ちなど、どうでもよい。値打ちそのものが吊り上がり続けるという、この昂ぶりだけが尊いのだ」
弥七が唸った。
「旦那、こいつぁ、殿様の見栄っぱりな物欲を、逆手にとって暴走させてやがる」



七 甚兵衛、値に呑まれる
騒ぎのさなか、当の甚兵衛が、次々と吊り上がる値の大きさに目を回し、我を忘れたように叫び始めた。
「も、もっと、もっと高く売れるはずだ。これほどの品が、二千両やそこらで収まってたまるものか」
「甚兵衛さん、しっかりしなせえ!」
弥七が声をかけるが、甚兵衛の目はすでに、値上喰らいの気配に絡め取られ、うつろになっていた。
「圭馬、まずいぞ。あの人の好さそうな甚兵衛さんまで、値打ちの亡者になっちまってる」



八 女房の一言
そこへ、店先で待ちきれず様子を見に来た女房が、屋敷の廊下に駆け込んできた。
「お前さん、いったいどこまで欲をかいてるんだい!」
女房の一喝に、甚兵衛の肩がびくりと震えた。
「い、いや、これは……」
「あんたが売りに行ったのは、埃をかぶった古太鼓だろう。それが、いくらで売れようと、あんたという人間の値打ちが上がるわけじゃないんだよ。いい加減、目を覚ましな!」
その一言が、甚兵衛の胸の奥に、すとんと落ちた。うつろだった目に、次第に正気の色が戻ってくる。
「弥七、見ろ。あの女房の一言、値打ちの亡者になりかけてた甚兵衛が、正気を取り戻し始めてる」



九 圭馬の啖呵
圭馬は値上喰らいに向き直った。
「お前の狙いは分かった。値打ちってやつを、際限なく吊り上げること自体が目的になっちまってる。だが、値打ちってのはな、本来、それを持つ者の暮らしや心を豊かにするためにあるもんだ」
「戯言を。値打ちが吊り上がることこそ、この世で何より尊い」
「いいや。あの女房の一言を聞いたか。太鼓の値がいくら吊り上がろうと、甚兵衛さん自身の値打ちは、一文も変わりゃしねえ。品物の値打ちと、人の値打ちを、ごっちゃにしちゃいけねえんだ」
圭馬は懐から継ぎ目守の証を掲げ、幾千の屋敷すべてに向けて、力強く語りかけた。
「殿様、値打ちってのはな、際限なく吊り上げるためのもんじゃねえ。良い品には良いなりの、ちょうどいい値ってもんがある。三百両、それで手を打ちなせえ」



十 型を取り戻す
圭馬の言葉が、幾千の継ぎ目すべてに染み渡っていくと、暴走していた値の吊り上がりが、少しずつ落ち着きを取り戻していった。殿様はふっと我に返ったように咳払いをし、「うむ、三百両とやらで手を打とう」と鷹揚に頷いた。
値上喰らいは、上がり続けることを許されなくなった値打ちの重みに耐えかね、纏っていた値札の鱗を一枚また一枚と剥がされながら、崩れ落ちるように霧散していった。
「ぐ……値打ちに、天井があるとは……身が、持たぬ……」
幾千の屋敷は、一枚また一枚と収束していき、やがて、あの一つの屋敷だけが、正しい形で残った。



十一 甚兵衛の帰宅
甚兵衛は三百両を懐に、女房の待つ長屋へと帰った。
「お前さん、まさかとは思うが、本当に売れたのかい」
「ああ、三百両で買い上げてもらったよ」
女房は目を丸くし、それからにんまりと相好を崩した。
「三百両とは大したもんだ! お前さん、今度は汚い茶碗でも屏風でも、遠慮なく売り込んどいで!」
甚兵衛は苦笑いしながら、ふと屋敷での騒ぎを思い返し、小さく呟いた。
「値打ちってやつは、際限なく吊り上げるもんじゃねえ。ちょうどいい塩梅ってのが、何より大事なんだな」



十二 高座にて
気づけば圭馬は着物姿で高座に座っていた。扇子をとんとんと畳に置き、客席を見渡す。
「というわけで、埃まみれの古太鼓が三百両にも化けたってんですから、値打ちってやつは分からねえもんでございます。ですが、値がいくら吊り上がろうと、売った当人の値打ちまで上がるわけじゃねえ。……ええ、それにしても、二千両だ三千両だと吊り上がってく騒ぎを間近で見せられちゃ、あっしも算盤の弾く音を聞くたび、しばらく肝が冷えそうでございます。今日はこの辺りで、お後がよろしいようで」
客席から、盛大な拍手が沸き起こった。




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あとがき
本作をお読みいただきありがとうございました。刻堕としシリーズも十五作目、今回は「火焔太鼓」という、値打ちの不思議さを軽妙に描いた商売噺を題材にしました。
この噺の面白さは、物そのものの実体とは関係なく、見る者の欲や見栄によって、値打ちがいくらでも吊り上がっていくところにあると思います。今回はその「値打ちが際限なく吊り上がる」という型そのものが暴走し、あらゆる品物の値が歯止めなく高騰し続けるというSF的な事件にしてみました。
現代で言えば、投機やバブルにも通じるような風刺を、少し効かせてみたつもりです。それでも最後に事態を収めたのは、剣でも術でもなく、女房のあの一言――品物の値打ちと、人間自身の値打ちは別物だという、実にまっとうな道理でした。値打ちに振り回されず、ちょうどいい塩梅を大事にするという、江戸の商売人らしい知恵を、シリーズを通じて描けていれば幸いです。
算盤の弾ける音の向こうに潜む、値打ちという不思議な化け物の噺を、楽しんでいただけましたら幸いです。それでは、また次の継ぎ目でお会いしましょう。