夢追い人と騙され屋
〜国民感情発電所の秘密〜



まえがき

私たちは毎日、数え切れないほどの情報に囲まれて暮らしています。

テレビ、ニュースサイト、SNS、動画配信。
気がつけば、「みんながそう言っているから」「今、一番勢いがあるから」という理由だけで、何かを信じたり、応援したりしてしまうことがあります。

もちろん、それ自体は悪いことではありません。
人は誰かと喜びを分かち合い、夢中になり、熱狂することで前へ進む生き物だからです。

けれど、その勢いは、本当に自分の意思でしょうか。
それとも、誰かが少しだけ針を動かしているのでしょうか。

本作は、そんな疑問から生まれた社会風刺ファンタジーです。

地下で「国民感情」を発電する不思議な生き物ノリ助。
勝ちそうなものに巻き付く「長い物様」。
そして、「国民感情予報士」という少し奇妙な仕事。

笑いながら読める物語ですが、読み終えたあと、ニュースやSNSを見る目がほんの少しだけ変わるかもしれません。

もし、この物語が、あなたが立ち止まって考える時間をほんの少しでも作れたなら、とても嬉しく思います。たまま?




第一章
国民感情予報という仕事

望月ヒカルの朝は、体温より先に「国民感情」を測ることから始まる。
といっても大げさな話ではない。チャンネル7、通称「なな」の朝の情報番組『おはようジャパン、きょうの気分』で、ヒカルは五年間、"国民感情予報士"という肩書きを背負って生きてきた。仕事の内容はいたってシンプルだ。スタジオの隅に置かれた高さ二メートルほどの真鍮色の装置——通称「気分計」——の針がどこを指しているかを読み上げ、視聴者に伝える。それだけ。
「はい、それではきょうの国民感情、まいりましょう」
ヒカルがそう言うと、カメラの向こうでディレクターの手が小さく回る。気分計の針がゆっくりと右へ傾いていく。緑、黄色、オレンジ、赤――色分けされた目盛りは、天気予報でいうところの「快晴」から「暴風警報」に相当する。
「本日は……『高揚注意報』です。全国的に、何かこう、勢いのあるものに引っ張られやすい一日になりそうです。お出かけの際は、話のうまい人にはご注意ください」
スタジオの端でカンペを持つ若手ADが、笑いをこらえて肩を震わせている。ヒカルの十八番の締め台詞だ。視聴者からは「うちのおじいちゃんが今日もこの番組を楽しみにしている」という便りが届くくらいには愛されている。
この気分計がどういう原理で動いているのか、ヒカルは深く考えたことがなかった。局に入ったとき先輩からはこう説明された。
「全国のSNS投稿とか通話量とか、電力使用量とか、いろんなビッグデータをAIが解析して、その日の"国民のノリ"を数値化してるんだよ。すごいだろ」
なるほど、と当時のヒカルは素直に頷いた。今どき何でもAIとビッグデータで片付く時代だ。気にする方が野暮というものだった。
ただ、この五年で一つだけ気になっていることがある。
気分計の針は、いつも決まって「大きなニュースがあった翌日」に振り切れる。誰かが選挙で勝った翌朝、大企業が新製品を発表した翌朝、人気タレントのスキャンダルが出た翌朝——決まって針は右へ右へと動く。そして、その"高揚"は長くは続かない。三日後にはたいてい元通り、もしくはそれ以下にまで沈む。
「別に、それが普通なんじゃないの」
同僚のマユミはそう笑って済ませた。銀縁眼鏡がよく似合う、ライバル局「チャンネル・エース」の看板アナウンサーだ。局は違うが、地元の記者クラブで顔を合わせるうちに、なんとなく気の置けない関係になっていた。
「熱しやすくて冷めやすい。それが国民性ってやつでしょ、ヒカルくん」
マユミの言葉には妙な説得力があった。何しろ彼女自身、毎週のように"いま話題の"何かに全力ではしゃいで見せる仕事をしているのだから。
だが、ヒカルにはどうしても引っかかることがあった。
――針が振り切れる"タイミング"が、いつも本番の三分前に決まる。
これは偶然にしては、あまりにも出来すぎていた。

第二章
針が触っていることに気づく夜

その夜、ヒカルは忘れ物を取りにスタジオへ戻った。
局内はすでに真っ暗で、非常灯の緑色だけが廊下を照らしていた。気分計が置かれたセットの奥、誰も入らないはずの機材置き場から、かすかに人の声がしていた。
「――だから、あと三分早めてくれって言ってるだろう。総理の会見が押してるんだ。針が先に動いちゃ意味がない」
聞き覚えのある、恰幅のいい声。局のオーナー、ゼニガタ・キンノスケだった。普段は経営には一切口を出さない、というのが局内での評判の人物だ。番組にも滅多に顔を出さない。
ヒカルは息を潜めて機材の陰から覗いた。そこには、気分計の裏側に隠された配線盤があり、キンノスケが分厚い指でダイヤルを回していた。
「オーナー……何を」
思わず声が出た。キンノスケが振り返る。丸い顔に、丸い眼鏡。いつもテレビで見る温厚な笑顔のままだった。
「ああ、望月くん。夜遅くにご苦労さま」
「これは……気分計の、針を」
「ちょっとした調整だよ。機械なんてものは、放っておくと狂うものだからね」
キンノスケはそう言って、何事もなかったかのようにダイヤルから手を離した。だが、ヒカルの位置からは見えてしまった。ダイヤルの横に貼られた小さなラベルには、こう書かれていたのだ。
「勢い操作つまみ(手動)」
「あの、これは……国民感情って、AIが自動で解析してるんじゃ」
「解析はしてるよ、もちろん」キンノスケは笑顔を崩さない。「ただ、AIというのは時々気まぐれでね。人間の"良識"で微調整してあげないと、視聴者に混乱を招くことがあるんだ。望月くんも、明日からもっと安心して仕事ができるはずだよ。何せ、番組の"サプライズ"は、ちゃんと僕らが用意しておくんだから」
そう言い残し、キンノスケは笑顔のまま暗い廊下の奥へ消えていった。革靴の音が、やけに長く尾を引くように聞こえた。
ヒカルはしばらくその場に立ち尽くした。頭の中で、五年間読み上げてきた無数の「高揚注意報」や「熱狂警報」が、次々と色を失っていく気がした。
その日から、ヒカルは眠れなくなった。

第三章
たい焼き屋の博士

翌週末、局からの帰り道、ヒカルは駅裏の小さなたい焼き屋の前で足を止めた。
「あんこ、それとも謎解き、どっちがいい?」
屋台の奥から、白髪頭の老人がそう声をかけてきた。妙な問いかけだった。
「……あんこで」
「じゃあ両方つけとくよ。サービスだ」
老人はにやりと笑うと、紙袋にたい焼きを二匹入れて渡した。中を開くと、あんこの他に折りたたまれた紙切れが入っていた。走り書きでこう記されていた。
「気分計の裏側、見ましたね。話がしたければ、この屋台に毎晩八時。名前は古井田(こいだ)」
ヒカルは老人の顔をまじまじと見た。テレビ局の関係者には見えない、しかしどこか研究者じみた眼差しをしていた。
「あなたは……」
「昔、あの装置を作った側の人間だよ。今はもう、たい焼きを焼くだけの余生さ」
古井田はそう言うと、続きは今夜また、とだけ告げて次の客の注文を取り始めた。
その夜、八時。ヒカルは屋台に戻った。客が途切れたのを見計らって、古井田は小さな声で語り始めた。
「あの気分計はね、AIなんかじゃない。もっと"生き物"じみたものが動かしてるんだ」
「生き物……?」
「この街の地下、正確には旧地下鉄の廃線跡に、大きな施設がある。そこで、"ノリ助"って呼ばれる生物が飼われている。あれが、勢いや熱狂を吸い込んで、電気に変える。ついでに、その電気で施設中のディスプレイに"次に流行らせるもの"を映し出して、街中のノリを操作する」
荒唐無稽な話だった。だが、キンノスケが弄っていた「勢い操作つまみ」を思い出すと、妙に筋が通ってしまう自分がいた。
「なぜ、そんなことを」
古井田は少し悲しそうな顔をした。
「金になるからだよ、単純にね。人が"何かに夢中になっている状態"は、電力にも広告費にも変えられる、この上ない資源なんだ。おまけに、夢中になっている間は、みんな他のことを考えなくなる。都合のいい話ばかりが通っても、誰も気づかない」
「誰が、それを?」
「オーナーだよ。ただし、あの男の後ろには、もっと大きな……いや、これは今夜話すには早すぎる」
古井田はそこで言葉を切り、たい焼きの型に生地を流し込みながら、こう付け加えた。
「地下に行ってみるかい、望月くん。見れば、嫌でもわかる」

第四章
地下への招待状

古井田に案内されたのは、駅から歩いて十五分、蔦に覆われた古い変電所の跡地だった。錆びた鉄扉には「関係者以外立入禁止」の看板が申し訳程度に貼られている。
「この裏に、換気口を装った入口がある」
古井田が壁のパネルを外すと、下へ続く狭い階段が現れた。ヒカルは唾を飲み込み、後に続いた。
階段を降りること五分、目の前に広がったのは想像を絶する光景だった。
かつての地下鉄駅のホームがまるごと改装され、巨大な水槽のような施設になっていた。天井には無数のケーブルが這い、壁一面に「本日の全国トレンド」「明日の炎上予定」「来月の流行語」と書かれたモニターがずらりと並んでいる。
そして、施設の中央。直径十メートルはあろうかという巨大な球体の水槽の中に、それはいた。
見た目はハムスターとクラゲを足して二で割ったような、丸くて半透明の生物だった。表面がぼんやりと発光し、脈打つたびに淡い光が波のように広がっていく。
「うおっ、来客だ来客だ!」
生物が突然、しゃがれた、しかし妙に人懐っこい声で喋りだしたので、ヒカルは飛び上がった。
「し、喋った……!?」
「僕はノリ助。見ての通り、勢いを食べて生きてる。いやー、久しぶりに新しい人間だ。最近人手不足でさ、ここ」
ノリ助は水槽の中でくるりと一回転した。その度に、天井のモニターの数字がわずかに揺れる。
「彼が食べているのは、正確には"熱狂の残り香"だよ」古井田が説明を続けた。「誰かがSNSで盛り上がる、誰かが選挙に勝って万歳する、誰かが新商品に飛びつく――そういう瞬間に発生するエネルギーの波を、このケーブル網が拾い集めて、ノリ助に送り込んでいる」
「なんでそんなことに協力してるんですか、あなたは」ノリ助に向かってヒカルは尋ねた。
「協力っていうか、生まれたときからここにいるからさ。他の生き方知らないし」ノリ助は少し寂しそうに目(らしき発光部)を伏せた。「それに、僕が食べた分だけ、ちゃんと電気になって、街を明るくしてるんだ。悪いことばかりじゃないだろ?」
「問題は」古井田が声を低めた。「その電気とデータの"使い道"だよ。ノリ助が生み出すエネルギーの大半は、街の電力になんて回っていない。もっと別のところに――『長い物様』のもとに、送られている」
その名前を聞いた瞬間、ノリ助の発光がすっと弱まった。
「その名前、あんまりここで言わない方がいいよ、博士……」

第五章
国民感情発電所、ノリ助と対面

「なんですか、その『長い物様』って」
ヒカルが尋ねると、古井田は施設の奥にある一枚の分厚い鉄扉を指さした。扉には古い注連縄が巻かれ、その中央に「触れるな、巻かれるな」と手書きの札が下がっている。
「見せた方が早い。ただし、扉は開けない。開けたら最後、戻れなくなる」
古井田が壁の小さな覗き窓を指すと、ヒカルはおそるおそる中を覗いた。
そこにいたのは、蛇でも龍でもない、強いて言うなら「太くて長い、生成りの布のようなもの」だった。だが、ただの布ではない。とぐろを巻きながら、ゆっくりと脈打つように蠕動している。表面には無数の顔——政治家の顔、経営者の顔、時々見覚えのある芸能人の顔――が浮かんでは消えていく。
「あれは……」
「『長い物様』。この国で一番強くて、賢くて、抗いがたいものにくっついて生きる生き物だよ。誰が勝つか分からないうちは大人しくしてる。でも一度"これが勝ち馬だ"と分かった瞬間、そいつにピタッと巻きついて、離れない」
古井田の声には、諦めと恐怖が混ざっていた。
「厄介なのは、あれに巻かれた人間は、みんな同じことを言い出す、ということだ。昨日まで正反対のことを言っていた人間が、掌を返したように同じ台詞を口にする。テレビも、新聞も、SNSのインフルエンサーも」
ヒカルは、キンノスケの丸い笑顔を思い出した。あの笑顔もまた、あの布に巻かれた誰かの顔なのかもしれない。
「ノリ助が生み出す"熱狂のエネルギー"の大半は、実はあの『長い物様』を太らせるための養分になっている」古井田は続けた。「勢いのある者に、みんなが引き寄せられる。引き寄せられた人間の"信じたい"という気持ちが、またあの布を太らせる。太った布は、ますます強く見える。だからさらに人が集まる――その繰り返しだ」
「終わりが、ないじゃないですか」
「終わりはあるさ」古井田は少し笑った。「あれが太りすぎて、支えきれなくなったときにね。ただ、そのときには大抵、下敷きになった人間たちがひどい目に遭う」
水槽の中でノリ助が、ぽつりと呟いた。
「僕はさ、勢いを食べるのは嫌いじゃないんだ。お祭りは楽しいし、みんなが笑ってる方がいいに決まってる。でも――勝った後、あいつは何にもしてくれないんだよな。祭りが終わったら、後はみんな置いてけぼり」
その言葉は、ヒカルの中で妙に長く響いた。

第六章
「長い物様」の正体

「そもそも」ヒカルは尋ねた。「あの布は、誰が呼んだんですか。最初から地下にいたわけじゃないでしょう」
古井田は施設の隅にある古い書類棚から、色あせたファイルを一冊取り出した。表紙には「資本共鳴計画・極秘」と印字されている。
「三十年前、ある投資家グループが立てた計画だ。"国民の気分を安定して管理できれば、市場も選挙も広告費も全部読める"というのが発端だった。彼らは科学者を集めて、集団心理のエネルギーを可視化・増幅する装置を作らせた。それが、ノリ助と、あの『長い物様』の生まれた経緯だ」
「投資家グループというのは」
「今で言う、ゼニガタ・キンノスケのような人たちだよ。彼らにとって、あの布は都合のいい"味方"だった。誰が勝つか分からない選挙戦でも、序盤から一番勢いのある候補にみんなが群がってくれれば、あとはその候補に恩を売っておくだけでいい。誰が世論を動かしたかなんて、後からは誰にも証明できやしない」
古井田はファイルをぱらぱらとめくり、ある頁で手を止めた。そこには、当時の会議の議事録が記されていた。
「――国民の"考える時間"を減らすことが、最も効率的な統治コストの削減である――」
ヒカルは思わず声を失った。
「これを書いた人間たちは、今も生きているんですか」
「一部はね。だが、もっと厄介なのは」古井田はファイルを閉じた。「この計画に加担しているのが、投資家だけじゃないということだ。マスコミ自身が、これに乗っかっている」
「マスコミが……?」
「考えてもみなさい。あの布に巻かれた人間の言葉をそのまま垂れ流せば、視聴率が取れる。反対に、地道に事実を検証する報道は、退屈で数字が取れない。だから、局はどんどん"勢いのある側"の言葉を追いかけるようになる。誰も命令したわけじゃない。ただ、数字がそれを"選ばせている"んだ」
「それじゃあ……」
「そう。あの布を太らせているのは、資本家であり、同時に――正確に伝えることをやめてしまった、私たちマスコミ自身でもある」
古井田の言葉は、静かだが重かった。ヒカルは五年間、自分がその片棒を担いでいたのかもしれないと思うと、胃の底が冷えていくのを感じた。
その時、施設の警報が鳴り響いた。
「侵入者検知――これはまずいな」古井田が顔色を変えた。「キンノスケの手の者が、定期巡回に来る時間だ。急いで戻ろう」

第七章
生放送ジャック未遂

地下から命からがら脱出したヒカルは、その日を境に人が変わったようになった。
「望月くん、最近、原稿にないこと喋りすぎじゃない?」
チーフディレクターの苦言も、ヒカルの耳には入らなくなっていた。彼は毎朝の生放送で、少しずつ"余計なひとこと"を挟むようになっていた。
「本日の国民感情は『高揚注意報』です……なお、この数値がどのように算出されているか、局として詳しい説明は、実はまだ視聴者の皆様にできておりません」
スタジオがざわついた。ディレクターがイヤホン越しに「本編に戻れ」と怒鳴る。ヒカルは無視して続けた。
「勢いのある意見に、つい引っ張られてしまうことってありませんか。それは皆さんの心が弱いからじゃありません。そう感じるように、作られているのかもしれません」
放送はそこでCMに切り替えられた。スタジオに戻ってきたヒカルを待っていたのは、めずらしく現場に顔を出したキンノスケだった。
「望月くん、少し休んだ方がいいんじゃないかな。お疲れのようだ」
その笑顔は変わらなかったが、目の奥だけがまったく笑っていなかった。
「オーナー、僕は地下で見ました。ノリ助のことも、『長い物様』のことも」
スタジオが凍りついた。マユミもたまたま局に来ていて、遠巻きにこのやりとりを見つめていた。
キンノスケはしばらく黙った後、ふっと笑い声を漏らした。
「望月くん、それを言ってしまったら、君はもう戻れないよ。この業界のどこにも、居場所がなくなる」
「脅しですか」
「忠告だよ。世の中というのは、正確さより"分かりやすさ"の方を選ぶものだ。君が今から何を言おうと、視聴者は結局、勢いのある方の話を信じる。それが、この装置がなくても変わらない、人間の性質なんだよ」
その言葉は、奇妙な説得力を持って響いた。ヒカルは反論しようとして、しかし言葉に詰まった。
その夜、ヒカルは番組を外された。
翌朝の『おはようジャパン、きょうの気分』には、代役として、いつも通りの明るい笑顔でマユミが立っていた。気分計の針は、何事もなかったかのように「快晴ムード」を指していた。

第八章
干された望月、逃亡生活

局を追われたヒカルは、荷物をまとめてアパートに戻ると、テレビをつける気にもなれずただ天井を見つめていた。
数日後、玄関のドアをノックする音がした。開けると、そこにいたのは古井田と、見慣れない金属製の小さなロボットだった。
「紹介するよ。ポンコツ号。うちの施設の元・事実確認ロボットだ」
「ポンコツという名前で呼ばないでください。正式名称は事実検証支援ユニット3号です」
ロボットは真面目くさった声で訂正した。
「彼(彼女?)は、あらゆる報道の"事実確認"だけを目的に作られたんだが……」古井田は苦笑した。「作動させると、いつも誰も聞きたくない結論を出すから、電源を落とされっぱなしだったんだ」
「私の分析によれば、望月ヒカル氏が先日の放送で述べた内容の正確性は九十二パーセントです」ポンコツ号が淡々と告げる。「一方、視聴率への貢献度はマイナス十五パーセントでした」
「ほら見ろ、こういう調子だ」古井田が肩をすくめた。
ヒカルは久しぶりに小さく笑った。
「僕はこれから、どうしたらいいんでしょう」
「一人で戦っても意味がない」古井田は真剣な顔になった。「あの布が本当に恐れているのは、勢いに逆らう"個人"じゃない。時間をかけて、正確な話を、面白がって聞いてくれる"大勢の人間"だ。だから、私たちは仲間を集めないといけない」
「仲間、ですか」
「かつて、この街にも大勢いたんだよ。夢を追いかけて、丁寧に物事を調べて、それでも笑って生きていた人たちが。今はみんな、あの布に巻かれることに疲れて、隅の方でひっそり暮らしている。彼らを、もう一度呼び集めるんだ」
その日から、ヒカルと古井田、そしてポンコツ号による地道な"仲間探し"の日々が始まった。

第九章
闇市場の「本当のニュース」

仲間探しの手がかりとして、古井田はヒカルをある場所へ連れて行った。
「ここは……」
商店街の裏路地、シャッター街の一角にひっそりと開かれた夜市だった。ただし、並んでいるのは野菜でも古着でもない。小さなガラス瓶や、丸めた紙、カプセルのようなものが所狭しと並べられている。
「『本当のニュース』の闇市だよ」古井田が声を潜めて説明した。「今どき、じっくり検証された事実なんて、テレビじゃ数字にならない。だから、それを求める人たちは、ここでこっそり手に入れるんだ」
屋台の一つで、店主らしき中年女性がカプセルを差し出してきた。
「お兄さん、掘り出し物だよ。『三年前の再開発計画、実は誰が得したか』のフルバージョン。普通のニュースじゃ三十秒で終わる話を、ちゃんと四十分かけて解説してある」
「なんでこんな……普通に放送すればいいのに」
「数字が取れないからさ」店主は肩をすくめた。「勢いも、感動も、怒りの爆発もない。ただ淡々と正しい。それだけの代物は、今の電波には乗らないんだよ」
ヒカルはそのカプセルを一つ手に取った。ラベルには小さく「気分計、本当は誰が回してるのか」と書かれていた。
「これは……」
「ああ、それは人気商品だよ。作者は匿名の"元・気分計エンジニア"らしいけどね」
古井田が横で小さく笑った。
「私が流したんだよ、実は。表立って発表する場所がなかったから」
夜市には、思いのほか多くの人が集まっていた。誰もが周囲を気にしながらも、静かに、しかし確かな熱量でカプセルを選んでいる。
「みんな、本当は知りたがってるんですね」ヒカルが呟いた。
「知りたがっている人は、いつだって一定数いる」古井田が頷いた。「問題は、それを"届ける仕組み"の方が壊れていることだ。届け方さえ変えれば……ひょっとすると」
その時、屋台の奥から小さな悲鳴が上がった。キンノスケの手先とおぼしき黒服の男たちが、夜市の摘発にやってきたのだ。
「散れ! 散れ!」
古井田がヒカルの腕を引いて路地の奥へと走り出す。振り返ると、屋台の灯りが次々と消されていくのが見えた。それでも、逃げていく人々の顔には、不思議と怯えよりも、悔しさと、それでも消えない好奇心の光が浮かんでいた。

第十章
勝った後、何もしちゃあくれない集会

夜市で出会った人々を通じて、ヒカルたちは思いがけず大勢の"賛同者"を得ることになった。
集まったのは、選挙のたびに期待して裏切られてきた商店主、応援していた企業に散々尽くした挙句リストラされた元社員、推していたインフルエンサーに理想を裏切られたファン――誰もが一度は「勢いのある者」に賭け、そして同じ結末を迎えていた。
「勝った後、何もしちゃあくれないんですよ」
集会に集まった一人が、ぽつりとそう漏らした。他の誰もが、黙って頷いた。
「僕らはただ、応援したかっただけなんです。それなのに、いつも置き去りにされる」
ヒカルはその言葉に、詩の一節のようなものを思い出していた。自分がかつて気分計の前で読み上げていた無数の「高揚注意報」――あれは結局、こういう人々の心を数値化し、利用してきただけだったのだ。
「僕たちは、勢いのある者を悪者にしたいわけじゃない」ヒカルは集まった人々の前で、初めて自分の言葉で語った。「ただ、勢いに巻かれる前に、少しだけ立ち止まって考える時間が欲しいんです。それだけで、結果はきっと変わる」
古井田がその隣で頷いた。
「私たちがやろうとしているのは、あの布を壊すことじゃない。壊しても、また誰かが新しい布を育てるだけだ。そうじゃなくて、"みんなが少しだけ立ち止まって考える"という、今はもう誰も持っていない習慣を、もう一度この街に取り戻すことだ」
ポンコツ号が一同を見回して発言した。
「統計的補足です。立ち止まって考える時間が一日あたり十分増えるだけで、誤情報の拡散速度は平均四十二パーセント低下するというデータがあります」
「ポンコツ、空気読め」古井田が苦笑した。
集会の熱気は、決して"高揚注意報"が指すような激しいものではなかった。むしろ、ゆっくりと、じわじわと灯りがともっていくような、そんな温度だった。
その夜、ヒカルたちは決めた。次の大型生放送――全国ネットで放映される「国民大感謝祭」の日に、あの装置に真正面から立ち向かうと。

第十一章
決戦前夜、夢追い人たちの合流

「国民大感謝祭」は、チャンネル7が総力を挙げて放送する年に一度の特番だ。政財界の要人が勢揃いし、その年最も"勢いのあった"人物や企業を表彰する、いわば『長い物様』の晴れ舞台でもあった。
決戦前夜、ヒカルたちは古井田の隠れ家に集まっていた。集会で出会った夜市の店主、リストラされた元社員、そしてかつてヒカルの番組を楽しみにしていた視聴者たち。誰もが特別な能力を持っているわけではない、ごく普通の"夢追い人"たちだった。
「作戦はシンプルだ」古井田が地図のような配線図を広げた。「本番中、地下の気分計とノリ助を繋ぐケーブルに、私たちが用意した"別のデータ"を流し込む。これまでノリ助が食べてきたのは"熱狂"だけだった。今夜は、代わりに"検証された事実"と"素朴な疑問"を、大量に流し込む」
「ノリ助はそれ、食べてくれるんですかね」ヒカルが尋ねた。
水槽の中継映像越しに、ノリ助が答えた。
「正直、味は薄そうだけどさ。……僕もいい加減、飽きてたんだよ。同じような"祭りの後の寂しさ"ばっかり食べさせられるのは」
「問題は『長い物様』だ」古井田が続けた。「あれは"勢いのある者"にしか巻きつかない。だから今夜、我々は誰にも巻きつかせない。特定のヒーローを立てるんじゃなく、大勢の"ごく普通の人"が、それぞれの言葉で、同時に、静かに疑問を投げかける。一つの大きな勢いじゃなく、無数の小さな声にする」
マユミもその場にいた。局を通じてヒカルの動きを知り、こっそり合流していたのだ。
「私、ずっと"勢いのある方"を応援するのが仕事だと思ってた」マユミはぽつりと言った。「でも、それだけやってると、いつのまにか自分が空っぽになっていくんだよね。今夜だけは、空っぽじゃない自分でいたい」
ポンコツ号が全員の顔を順に見て、いつになく穏やかな声で言った。
「統計にはない数値ですが、この部屋の中の感情を分析すると――『諦めていない』という状態を検出しました」
その夜、全員が短い眠りにつく前、ヒカルは窓の外の夜空を見上げた。星は少なかったが、それでも確かに光っていた。
「僕らの持ち時間は、まだ終わってない」
小さくそう呟いて、ヒカルは目を閉じた。

第十二章
全国生放送、最後の視聴率戦争

「国民大感謝祭」当日。会場となる巨大スタジオには、政財界の要人たちが並び、キンノスケが満面の笑みで壇上に立っていた。
「本年、最も勢いのあった皆様に、心より感謝を申し上げます!」
拍手が鳴り響く中、会場の裏では古井田とポンコツ号が制御室に忍び込んでいた。地下からケーブルを通じて、あらかじめ集めておいた"検証済みの事実"と、夜市に集った人々が録音した"素朴な疑問"のデータが、少しずつノリ助へと送り込まれ始める。
「一つ質問です」
生放送中、壇上のマイクの前に、事前に仕込んでいた"普通の人々"が次々と立ち上がった。台本にない光景に、会場がざわつく。
「先ほど表彰された企業さんは、去年も同じように表彰されていましたが、あの時約束していた地域の雇用は、結局どうなったんでしょうか」
「昨年『勢いがある』と言われていた政策、今どうなっているか、教えてもらえますか」
一つ一つは小さな声だった。だが、それが十人、二十人と続くと、不思議な塊になっていった。怒りでも熱狂でもない、ただ丁寧に、事実を知りたいという静かな圧力。
「――何なんだ、これは!」
キンノスケの笑顔が初めて崩れた。会場のディレクターに向かって「切れ、放送を切れ」と叫ぶが、副調整室ではポンコツ号がすでにシステムに介入していた。
「システムは正常です。データに基づき、放送は継続すべきと判断します」
地下では、ノリ助が水槽の中で身をよじらせていた。
「うわ、なんだこれ、変な味……! でも……」
初めて食べる"事実"と"疑問"の混じった栄養は、これまでの熱狂の残り香とはまるで違う質感だった。ノリ助の身体を巡るうちに、施設中のケーブルを通じて、あの分厚い鉄扉の奥へと届いていく。
『長い物様』が、初めて身をよじった。表面に浮かんでいた無数の顔が、次々と困惑した表情に変わっていく。誰かに巻きつこうにも、巻きつく先の"圧倒的な勢い"が、今夜はどこにもなかった。無数の小さな声が、あちこちからばらばらに響くばかりで、一つの大きな流れになってくれない。
「巻けない……巻く先が、ない……」
くぐもった声が地の底から響き、布はゆっくりと、力なく緩んでいった。
会場では、キンノスケがなおも声を張り上げていたが、その声はもう誰の耳にも「勢いのある声」としては届かなかった。ただの一人の、慌てた中年男性の声として、静かに宙に浮くだけだった。
ヒカルは壇上の隅から、その光景を見つめていた。
「勝ちも負けもない。ただ、みんなが少し、立ち止まっただけだ」
放送はその後も続いた。派手な逆転劇も、劇的などんでん返しもなかった。ただ、いつもより少しだけ、静かで、少しだけ、誠実な特番として、その夜の記録に残ることになった。

第十三章
それから

『長い物様』は消えなかった。古井田が言った通り、そう簡単に消えるようなものではなかったのだ。ただ、以前ほど太ることができなくなり、地下の奥でひっそりと、以前より小さく、大人しく丸まっているらしい。
キンノスケはその後もチャンネル7のオーナーであり続けた。特番の"事故"についてはあれこれと理由をつけて釈明したが、以前のような絶対的な自信に満ちた笑顔は、心なしか少し薄くなっていた。
「望月くん、いつでも戻ってきていいんだよ」
数週間後、キンノスケは意外にもそう声をかけてきた。もちろん、下心がないわけではないだろう。だが、少なくとも表向きは、以前のような露骨な"つまみ調整"はしにくくなっているようだった。
ヒカルは結局、チャンネル7には戻らなかった。代わりに、古井田やポンコツ号、そして夜市で出会った仲間たちと共に、小さなインターネット配信局を立ち上げた。
名前は『気分計2』。
視聴率は相変わらず振るわない。派手な演出もない。ただ、毎回のテーマについて、丁寧に時間をかけて事実を確認し、誰かの受け売りではない、自分たちの言葉で語ることだけを心がけている。
「本日の再生回数、伸び悩んでます」
配信を終えた後、ポンコツ号が淡々と報告する。おなじみの光景だ。
「まあ、いいさ」ヒカルは笑った。「勢いで人を集めるのは、もうやめたんだ」
マユミも時々ゲストとして顔を出すようになった。チャンネル・エースの看板は今も背負ったままだが、彼女なりに、少しずつ話す内容を変え始めているらしい。
「今日ね、視聴者から手紙が来たの」ある日、マユミがそう言った。「『勢いのある話ばかりじゃなくて、たまにはこういうの見ると落ち着く』って」
「たった一通か」
「たった一通よ。でも――一通は、ゼロじゃないから」
ノリ助は今も地下の水槽にいる。ただし、以前とは違う食生活を送っている。夜市のカプセルの余りや、『気分計2』の配信データが定期的に届けられるようになったからだ。
「うーん、事実って、最初は薄味だけど、後からじわじわ効いてくるんだよなあ」
ノリ助はそう言って、以前より心なしか穏やかな光を放つようになった。

エピローグ
僕らの持ち時間

ある晩、配信を終えたヒカルは、一人で屋上に上がって夜空を見上げていた。古井田がたい焼きの残りを片手に、隣にやってきた。
「解決した、とは言えないよな、これ」ヒカルがぽつりと言った。
「言えないね」古井田はあっさり頷いた。「『長い物様』はまだいる。キンノスケも、まだあの局を持っている。資本家たちが世の中を動かしやすいように仕組みを組む、その構造自体は、たぶん明日もあさっても変わらない」
「それでも」
「それでも、僕らは今夜も、たった数百人にだけれど、事実を届けた。少しだけ、みんなが立ち止まって考える時間を作った。それだけのことだよ、望月くん」
ヒカルは苦笑した。派手な逆転劇を期待していた自分がいたことに、今さら気づく。
「僕らの持ち時間は、いつか終わりますよね」
「終わるさ、誰だって」古井田は星を見上げながら言った。「だからこそ、その時間を、誰かの"勢い"に丸ごと預けてしまうのは、もったいないと思わないかい」
風が吹いて、屋上の物干し竿がかたかたと鳴った。遠くの繁華街では、今夜もどこかのチャンネルで、誰かが威勢よく何かを語っているのだろう。それに巻かれる人もいれば、巻かれない人もいる。
すべては、それを仕掛ける者がいる。そして、その仕掛けに気づかないふりをするか、気づいて何かを選び直すかは、結局のところ、いつだって一人ひとりの手の中にある。
ヒカルはポケットから、あの日もらったたい焼きの包み紙――古井田の最初のメモが書かれていた紙切れを取り出した。すり切れてぼろぼろになっていたが、まだ文字は読めた。
「気分計の裏側、見ましたね」
あの夜から、そう長い時間は経っていない。それでも、世界は少しだけ、違う速度で回り始めている気がした。
「さて」古井田がたい焼きの最後の一切れを頬張りながら立ち上がった。「そろそろ次の配信の準備をしようか。今日のテーマは何にする?」
「決まってます」ヒカルは夜空を見上げたまま答えた。
「"勢い"に頼らない生き方、について」

――了


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あとがき

最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。

この物語には、「悪を倒して世界が変わる」という結末はありません。

現実はもっと複雑で、誰か一人を倒せば解決するほど単純ではないからです。

「長い物様」は、きっとこれからもどこかで誰かに巻き付きます。
新しい流行が生まれ、新しい熱狂が始まり、新しい「勢い」が私たちを包み込むでしょう。

でも、それは決して悪いことばかりではありません。

問題なのは、勢いそのものではなく、自分で考える時間を失ってしまうこと。

ほんの十分でも立ち止まること。
違う意見にも耳を傾けること。
誰かの言葉を、そのまま自分の言葉にしないこと。

そんな小さな積み重ねが、私たちの未来を少しずつ変えていくのだと思います。

この作品を書きながら、私は何度も「夢を追う人は、騙されることもある。でも、だからといって騙す側になってはいけない」という思いに立ち返りました。

夢追い人は、ときに騙され屋です。
それでも夢を見ることをやめない人たちが、少しだけ世界を面白くしているのだと信じています。

また次の物語で、お会いできる日を楽しみにしています。