太子路転生記 〜聖徳太子と刻をこえた男〜
玉響転生記・第四十五話


まえがき
 四十四度の邂逅を経て、榊原凪は、また新たな「刻(とき)」へと導かれることになった。
 卑弥呼との旅で、凪は「巫女路(みこみち)」という言葉を得た。今回、彼が得た言葉は「太子路(たいしみち)」であった。
 仏の教えと、新しき政(まつりごと)の形とを、この国に根付かせようとした皇子。
 推古三十年(六二二年)一月。斑鳩の宮にて、かつて十七条の憲法を定め、仏教を篤く敬った男――厩戸皇子、後の聖徳太子。だが、その学びの原点には、遠い高句麗から渡ってきた、一人の師の存在があった。
 なお、聖徳太子については、後世の仏教的な伝説によって、大きく理想化された人物像が形成されており、近年の歴史研究においては、史実としての実像と、後世の潤色とを、慎重に見分ける必要があるとされている。本作もまた、そうした伝説の重なりの上に、一つの物語を紡ぐものである。




プロローグ 睦月の来訪
 東京は松の内も明けた、冷え込む夜だった。
 榊原凪は、七十四歳になっていた。卑弥呼との旅から、半年余りが経っている。
 邪馬台国の御座所で、卑弥呼が弟への想いを静かに語ったあの夜のことを、凪は今も思い出す。
 書き上げた小説『鬼道の陰にある支え』は、静かな反響を呼んだ。
 その夜、凪は書斎で、古い経典の写本を眺めながらうたた寝をしていた。近頃、急に体の奥が冷えることが増えた。死が、遠い他人のものではなくなっていた。
 ふと、香と、乾いた木材のような匂いがした。
 顔を上げると、部屋の隅に、一人の若い皇子が座っていた。
 質素な衣。だが、その目には、驚くほど深い思索と、澄んだ知性の光が宿っていた。
 「夜分に、失礼つかまつる」
 皇子は、静かに言った。
 「あなたは……」
 「厩戸と申す。世の人々は、聖徳太子と、呼ぶこともあるようじゃ」
 凪は、息を呑んだ。
 聖徳太子。十七条の憲法を定め、冠位十二階を制定し、仏教を篤く敬った、推古天皇の摂政。そして――このおよそひと月後、その生涯を閉じることになっている男。
 「なぜ、ここにおるのか」
 「さて、それがしにも、分からぬ」厩戸は、静かに微笑んだ。「気づけば、この妙な場所におった。由井、明智、石田、真田、土方、坂本、大石、楠木、伊能、北斎、芭蕉、玄白、定信、松陰、伊藤、田中、渋沢、野口、三島、芥川、力道山、将門、道真、崇徳院、植村、手塚、武蔵、次郎吉、空海、清少納言、鑑真、利休、板垣、鎌足、義経、道灌、清正、一休、尊氏、家康、信長、小町、紫式部、卑弥呼。そなたが会うてきた者たちの気配が、なんとのう、伝わってくる。不思議な御仁じゃな、そなたは」
 彼は、凪を静かに見つめた。
 「それがしは今、斑鳩の宮にて、静かに、日々を過ごしておる」
 「太子様……」
 「されど」若き皇子の目に、懐かしむような光が宿った。「その前に、伝えておきたいことが、ある」


一章 四十五度目のたゆたい
 その夜、凪は経典の写本に埋もれながら、考え続けていた。
 これまでの四十四人には、皆、「死をどう引き受けるか」という、それぞれの重さがあった。
 だが聖徳太子の場合、その重さは、また違う質のものだった。
 史実において、太子は推古三十年二月、斑鳩の宮にてその生涯を閉じることになる。伝えられるところによれば、妃であった膳部菩岐々美郎女(かしわでの・ほききみのいらつめ)もほぼ同時期に世を去ったとされ、疫病がその死因であった可能性が指摘されている。
 太子の生涯には、あまり語られない、深い学びの原点があった。慧慈(えじ)という、高句麗から渡ってきた一人の仏教僧である。推古二十三年、慧慈は太子より先に故国・高句麗へと帰っており、太子の死の知らせを、遠い異国の地で受け取ることになる。『日本書紀』によれば、慧慈は太子の死を深く悲しみ、翌年の同じ日に、自らも世を去ることを誓ったと伝えられている。
 凪の胸に、一つの問いが浮かんだ。
 太子が最期に伝えておきたいものがあるとすれば――それは、己が定めた十七条の憲法や、仏教への篤い信仰だけなのか。それとも、遠い異国へ帰った、恩師への想いもあるのではないか。
 凪は、暗い天井を見つめた。
 「行きます」
 呟くと同時に、部屋の空気が震え、経典の匂いが、香と木材の匂いに変わった。
 玉響。
 世界が、揺れた。


二章 斑鳩の宮
 気づくと、凪は、斑鳩にある宮の裏手に立っていた。
 真冬の冷たい風が、静かな宮を吹き抜けていく。
 凪の身なりは、宮に仕える下人風の姿に変わっていた。
 「もし」
 宮の前にいた舎人に声をかけると、彼は驚いた顔で凪を見た。
 「太子様に、お目通り願いたい」
 「そなた、何者じゃ」
 「太子様のお導きで参った者です。到着を告げていただければ、通じるはずです」
 舎人は、訝しみながらも奥へと入っていった。
 しばらくして、戻ってきた。
 「サカキバラとやら申したな。お入りくだされ」
 この舎人こそ、太子の身の回りの世話をしていた、若き従者であった。


三章 太子の居室
 居室には、数多の経典と、かつて自らが定めた十七条の憲法の紐解かれた写本が、静かに置かれていた。
 太子は、文机の前から、澄んだ目で凪を見た。
 「よう参られた」
 「参りました」
 「座られよ」太子は、静かに言った。「それがしは、この国に、仏の教えと、新しき政の形とを、根付かせようとしてまいった」
 「慧慈様のことを、伺ってもよろしいでしょうか」
 太子は、しばらく黙っていた。
 「あの方は、それがしに、仏の教えの、真の深さを、教えてくださった」彼は言った。「今は、遠い高句麗の地に、おられる」
 「今、ご自身の来し方を、どう振り返っておられますか」
 太子は、少し目を細めた。
 「慧慈様のことを、近頃、よく思い出す」


四章 遠い異国へ帰った師
 その夜、凪は斑鳩の宮の一室で、眠れぬまま過ごした。
 太子の言葉が、頭から離れなかった。
 ――慧慈様のことを、近頃、よく思い出す。
これまでの四十四人は、皆、有限の生の中で、何を選ぶかという問いを抱えていた。だが太子の場合、彼が向き合っていたのは、「己が定めた政の形をどう遺すか」だけでなく、「己を育てた、異国の師を、どう記憶するか」という問いであるように思えた。
 史実において、慧慈は高句麗から渡ってきた仏教僧であり、若き日の太子に仏教の深い教えを説いた人物であった。だが、後世、聖徳太子という名が日本の仏教興隆の中心人物としてあまりに大きく語り継がれる一方で、慧慈の存在はその陰に埋もれがちであった。
 凪は、ふと思った。
 太子が、これほどまでに仏の教えと政の形を語られる一方で、その学びの原点にいた異国の師への感謝は、これまで、どれほど、はっきりと語られてきたのか。
 窓の外、斑鳩の夜風が、静かに吹いていた。風は、遠い大陸の匂いを運んで来はしなかった。


五章 従者との対話
 翌日、凪は、居室で経典を整理していた従者と、言葉を交わす機会を得た。
 「太子様は、慧慈様のことを、よく話されますか」
 「はい」従者は、頷いた。「太子様に、仏の教えを、最初に説かれた御方だと、伺っております」
 凪は、その言葉の重さを、静かに受け止めた。
 「太子様ご自身は、それを、どう思っておられるのでしょうか」
 従者は、しばらく考えていた。
 「太子様は、時折、遠い目をされて、慧慈様のお名前を、口にされます。ですが、それを、はっきりと、書き記されたことは、まだ、あまりないように思います」


六章 側近・秦河勝との対話
 その日の夕刻、太子の側近である、秦河勝(はたの・かわかつ)が、居室を訪れた。
 「サカキバラ殿と申されるか。太子様より、伺っております」
 「河勝殿は、慧慈様のことを、どう見ておられますか」
 河勝は、少し考えた。
 「あの御方なくば、太子様の仏教への深い理解は、生まれなかったでしょう。異国から渡られながら、太子様に、これほど深い教えを授けられた御方は、他におりません」
 「それは、太子様ご自身も、認めておられることですか」
 「太子様は……」河勝は、言葉を選びながら言った。「内心では、誰よりも、慧慈様への感謝を、抱いておられるはずです。ただ、遠く離れておられるゆえ、それを、はっきりと伝える機会が、なかったのでしょう」
 凪は、頷いた。
 「もし、太子様が、はっきりと、慧慈様への感謝を、書き記されたら、何か、変わると思われますか」
 河勝は、しばらく考えた。
 「変わりましょう。太子様のお言葉には、それだけの重みがございます」


七章 夜半の対話
 その夜、凪は太子に呼ばれ、二人だけで居室に残った。
 「従者や、河勝から、聞き申した」と太子は言った。「そなたが、慧慈様のことを、あれこれ問うておるそうじゃな」
 「差し出がましいことを、申し上げました」
 「いや」太子は、静かに凪を見た。「それがし自身、向き合わねばならぬ角度でござった」
 「太子様は、ご自身が定められた政の形や、仏教への信仰について、あれほど多くを、語られてこられました。ですが、慧慈様への感謝については、あまり、はっきりと言墨にされる場が、なかったように見受けました」
 太子は、しばらく、黙っていた。
 「それがしは……」やがて彼は、静かに言った。「慧慈様の教えなくば、それがしは、仏の道の、真の深さを、知ることは、なかったであろう。国をまとめ、新しき政を推し進める中では、それがしは『非の打ち所なき摂政』でい続けねばならなんだ。異国の師に甘えるような弱音は、誰にも見せられぬと、心を鬼にしておったのかもしれぬ。だが、正直に言えば、会いたかった。慧慈様に、一度でいいから、この国の寺の鐘の音を聞かせたかった。あの方は遠く離れた地におられる。今となっては、この感謝を直接伝える術もない」
 「それを、どのように、受け止めておられますか」
 「寂しさと、感謝と。その両方が、いつも、それがしの中にござる」太子は、静かに言った。「せめて、この地に残る者たちには、慧慈様のことを、はっきりと、伝えておきたい」
 凪は、深く息を吸った。
 「太子様。あなたは今、この国に、新しき政の形を、根付かせようとしておられます。ですが、もし、慧慈様への感謝を、はっきりと言葉にしないまま終われば、その教えの恩は、あなたの功績の陰に、埋もれたままになってしまうかもしれません」
 太子の目が、微かに揺れた。
 「あなたが本当に遺したいものは、ご自身が定めた政の形だけでしょうか。それとも、慧慈様という、あなたを育てた、異国の師の存在を、次の時代へと、はっきり伝えることも、含まれているのではないでしょうか」
 太子は、長い間、目を閉じていた。


八章 語られた言葉
 その夜遅く、太子は、河勝と従者を呼び、静かに語り始めた。
 凪は、その傍らに、静かに控えていた。
 「慧慈様は……」太子は、ゆっくりと、言葉を選びながら言った。「それがしに、仏の教えの、真の深さを、教えてくださった。この国に、仏教を根付かせることができたのも、あの方の教えあってこそじゃ」
 河勝は深く頭を下げ、従者は袖で目元を押さえた。
 「これより後、それがしのことを語り継ぐ者は、皆に、慧慈様のことも、伝えてほしい」太子は、静かに続けた。「この国の仏の道は、それがし一人のものではなく、あの方から受け継いだものなのだと」
 凪は、静かに、その言葉を聞いていた。
 やがて太子は、深く息をついた。
 「これで、少しは、心が、安まった」


九章 遺されたもの
 この夜からおよそひと月後、推古三十年二月、聖徳太子は、斑鳩の宮にて、その生涯を閉じることになる。妃・膳部菩岐々美郎女も、ほぼ同時期に、世を去ったと伝えられている。
 『日本書紀』によれば、太子の死の知らせを、遠い高句麗の地で受け取った慧慈は、深く悲しみ、「来年の同じ日に、私もまた、世を去るであろう」と語ったとされ、実際に、翌年の同じ日に、その生涯を閉じたと伝えられている。
 凪は、その事実を知り、静かに思った。
 仏教興隆の中心人物としての太子の陰にも、確かに、その学びを育てた、遠い異国の師の存在が、息づいていたのかもしれない、と。
終章 もう一つの太子路
 千四百年余りの後。
 法隆寺は、今も、その荘厳な姿を、伝え続けていた。
 「仏教興隆の中心人物」としての聖徳太子の陰で、その学びの原点を育てた、異国の師・慧慈の存在を、深く知る人は、今も多くはない。
 「十七条の憲法を定めた皇子」としてだけではなく、「異国の師から受けた恩を、生涯、忘れなかった、一人の学び人」として。


エピローグ もう一つの光
 東京の書斎で、凪は、書き上げたばかりの原稿を、静かに読み返していた。
 窓の外では、真冬の風が、まだ冷たく吹いていた。
 「あなたが遺したかったのは、ご自身が定めた政の形だけではなかったはずです」
 凪は、静かに呟いた。
 パソコンの画面には、彼が書き上げた物語の、最後の一文が残されていた。
『推古三十年二月、斑鳩の空は、静かに暮れようとしていた。仏の教えと、新しき政の形とを、この国に根付かせようとした皇子は、その最期の日々に、己の功績を語りながらも、もう一つの光を、確かに、異国の師へと、語り遺したのである。』
 香と、木材の匂いが、微かにした。
 風が吹いた。
 玉響の揺らぎは、今日もまた、静かに続いている。

——了——


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【作者注】
 本作は聖徳太子(厩戸皇子)を題材としたフィクションです。聖徳太子については、後世の仏教的な伝説によって、大きく理想化された人物像が形成されており、近年の歴史研究においては、史実としての実像と、後世の潤色とを、慎重に見分ける必要があるとされています。本作もまた、そうした伝説の重なりの上に書かれています。慧慈、秦河勝などは実在の人物とされていますが、物語における対話の内容は、著者の創作です。
 実際に太子は推古三十年(六二二年)二月、斑鳩の宮にて、その生涯を閉じたと伝えられています。妃・膳部菩岐々美郎女も、ほぼ同時期に世を去っており、疫病が死因であった可能性が指摘されています。
 慧慈は、高句麗から渡来した仏教僧で、太子の仏教の師であったとされ、太子の死の知らせを受けて深く悲しみ、翌年の同日に自らも世を去ったとする逸話が、『日本書紀』に記されています。太子が慧慈への想いを最晩年、具体的にどのように語っていたかについて、本作における描写は、著者の創作です。
 本作は、前四十四作と同じく、「もし介入できたなら」という思考実験として書かれています。
 そして、玉響は、いつの時代にも、静かに揺らいでいるのかもしれません。