城路転生記 〜加藤清正と刻をこえた男〜
玉響転生記・第三十七話



まえがき
三十六度の邂逅を経て、榊原凪は、また新たな「刻(とき)」へと導かれることになった。
太田道灌との旅で、凪は「山吹路」という言葉を得た。今回、彼が得た言葉は「城路(じょうろ)」であった。
難攻不落の城を、幾つも築き上げた男。
慶長十六年(一六一一年)五月。齢五十。二条城での、家康と秀頼の会見という大役を、無事に果たした男――加藤清正。だが、その築城の名声の陰には、幼き日からの友であり、共に城を築き上げてきた、一人の忠臣がいた。




プロローグ 皐月の来訪
東京は、初夏に向かう、爽やかな夜だった。
榊原凪は、七十歳になっていた。太田道灌との旅から、半年余りが経っている。
上杉館で、道灌が山吹の少女への想いを、語り遺した、あの夜のことを、凪は今も思い出す。
書き上げた小説『名も知らぬ恩人』は、静かな反響を呼んだ。
その夜、凪は書斎で、古い城郭図の写しを眺めながら、うたた寝をしていた。
ふと、石灰と、湿った土のような匂いがした。
顔を上げると、部屋の隅に、一人の恰幅のよい武将が座っていた。
長烏帽子形の兜。大柄な体軀。だが、その目には、武人らしい鋭さと共に、深い忠義の色が宿っていた。
「夜分に、無礼つかまつる」
武将は、朗らかに言った。
「あなたは……」
「加藤清正と申す。肥後熊本を、治めておる者じゃ」
凪は、息を呑んだ。
加藤清正。熊本城をはじめ、名古屋城、江戸城の築城にも携わった、稀代の築城名人。そして――このおよそひと月後、その生涯を閉じることになっている男。
「なぜ、ここにおるのか」
「さて、それがしにも分からぬな」清正は、豪快に笑った。「気づけば、この妙な部屋におったわ。真田、坂本、手塚、道灌――そなたが会うてきた数多の魂の気配が、なんとのう伝わってくる。不思議な御仁じゃな、そなたは」
彼は、凪を穏やかに見つめた。
「それがしは今、二条城での大役を、ようやく果たしたところじゃ。家康公と、秀頼様の会見をな」
「清正様……」
「されど」武将の目に、懐かしむような光が宿った。「その前に、伝えておきたいことが、ある」


一章 三十七度目のたゆたい
その夜、凪は城郭図の写しに埋もれながら、考え続けていた。
これまでの三十六人には、皆、「死をどう引き受けるか」という、それぞれの重さがあった。
だが加藤清正の場合、その重さは、また違う質のものだった。
史実において、清正は慶長十六年六月、二条城での会見から肥後へ帰る船中で発病し、まもなくその生涯を閉じることになる。享年五十。死因は、脳卒中とも、腎の病とも言われ、家康による毒殺説も、後世、囁かれることになった。
清正の生涯には、あまり語られない存在があった。幼き日、剣の試合を通じて縁を結んだ、飯田覚兵衛(いいだ・かくべえ)である。覚兵衛は、後に「加藤家の三傑」の一人として、清正の忠臣となり、とりわけ、築城の技に長けていた。難攻不落と謳われた熊本城の、あの見事な石垣「武者返し」にも、覚兵衛の技術と工夫が、深く関わっていたと伝えられている。だが、後世、加藤清正という名が、築城名人として、あまりに大きく語り継がれる一方で、覚兵衛の名は、広くは知られていない。
五十で世を去る清正の、その倍以上の歳月を生きてきた凪の胸に、一つの問いが浮かんだ。
清正が最期に伝えておきたいものがあるとすれば――それは、己が築いた、幾つもの名城の功績だけなのか。それとも――共に城を築き上げてきた、忠臣への想いも、あるのではないか。
凪は、暗い天井を見つめた。
「行きます」
呟くと同時に、部屋の空気が震え、城郭図の匂いが、石灰と土の匂いに変わった。
玉響(たまゆら)。
世界が、揺れた。


二章 肥後・熊本城
気づくと、凪は、肥後国熊本にある、熊本城の裏手に立っていた。
初夏の緑が、普請中の高い石垣を、静かに彩っている。切り出した石を運ぶ槌音が、城下まで響いていた。
凪の身なりは、城に仕える下人風の姿に変わっていた。
「もし」
城の前にいた家臣に声をかけると、彼は驚いた顔で凪を見た。
「清正様に、お目通り願いたい」
「そなた、何者じゃ」
「清正様のお導きで参った者です。到着を告げていただければ、通じるはずです」
家臣は、訝しみながらも、奥へと入っていった。
しばらくして、戻ってきた。
「サカキバラとやら申したな。お入りくだされ」
この家臣こそ、清正の身の回りの世話をしていた、若き従者・小山田であった。


三章 清正の居室
居室からは、普請が進む石垣と、運ばれてゆく切石が一望できた。
清正は、窓辺から、朗らかな目で凪を見た。
「よう参られた」
「参りました」
「座れよ」清正は、豪快に言った。「それがしは、この熊本城を、我が生涯の集大成として、築き上げておる最中よ」
「あの石組みは、まことに、見事なものと、伺いました」
清正は、しばらく黙っていた。
「あれは、それがし一人の功績ではない」彼は言った。「覚兵衛の技なくば、あの武者返しは、生まれなんだ」
「飯田覚兵衛様のことでしょうか」
清正は、少し目を細めた。
「あの男のことを、近頃、よく思い出す」


四章 名の記されなかった忠臣
その夜、凪は熊本城の一室で、眠れぬまま過ごした。
清正の言葉が、頭から離れなかった。
――あの男のことを、近頃、よく思い出す。
翌日、凪は城内を歩くことを許された。西の石垣普請場で、人夫たちの間を、一人の男が泥にまみれて指示を飛ばしていた。図面を片手に、石の反りを指でなぞり、角の据え方を自ら見せる。汗と土に汚れたその背は、誰よりも石と語り合っているようだった。
「飯田様」と、人夫がその男を呼ぶのが聞こえた。
覚兵衛は、振り返りもせず、ただ頷いて、次の石へ向かった。その横顔に、不満の色は一片もない。あるのは、ただ職への矜持だけだった。
凪は、遠くからその姿を見つめ、静かに息を吐いた。
これまでの三十六人は、皆、有限の生の中で、何を選ぶかという問いを抱えていた。だが清正の場合、彼が向き合っていたのは、「己の築城の功績をどう語るか」だけでなく、「己を支えた忠臣を、どう遺すか」という問いであるように思えた。
史実において、飯田覚兵衛は、清正の幼き日からの盟友であり、築城の技に長けた、忠実な家臣であった。熊本城の見事な石垣にも、その技術が、深く関わっていたと伝えられている。だが、後世、加藤清正という名が、築城名人として、あまりに大きく語り継がれる一方で、覚兵衛の名は、広くは知られてこなかった。
凪は、ふと思った。
清正が、これほどまでに己の築城の功績を語られる一方で、共に城を築き上げてきた覚兵衛への感謝は、これまで、どれほど、はっきりと語られてきたのか。
窓の外、熊本の夜風が、積み上げられた石垣の間を、静かに抜けていった。


五章 小山田との対話
翌日、凪は、居室の掃除をしていた若き従者、小山田と、言葉を交わす機会を得た。
「殿は、覚兵衛様のことを、よく話されますか」
「はい」小山田は、真剣な目で頷いた。「あの見事な石組みは、覚兵衛様が泥まみれになって工夫を重ねた技あってのものだと、いつも懐かしそうに語られます。城の者で、あれが覚兵衛様の功績だと知らぬ者はおりませぬ」
「では、そのお名前は、世間でも広く知られているのでしょうか」
小山田は、少し寂しそうに首を振った。
「いいえ。殿のお名前は天下に轟いておりますが、覚兵衛様のことまでは、城の外にはあまり知られていないように思います」
凪は、その言葉の重さを、静かに受け止めた。
「殿ご自身は、それを、どう思っておられるのでしょうか」
小山田は、しばらく考えていた。
「殿は、時折、とても優しげに、覚兵衛様のお名前を口にされます。ですが……それを、はっきりと書き記されたことは、まだ、ないように思います」


六章 同輩・森本義太夫との対話
その日の夕刻、清正の忠臣の一人であり、覚兵衛とも肩を並べる武将、森本義太夫(もりもと・ぎだゆう)が、居室を訪れた。
「サカキバラ殿と申されるか。殿より、伺っております」
「義太夫殿。お訊ねしたいのですが、義太夫殿は、飯田覚兵衛様の功績をどう見ておられますか」
義太夫は、少し驚いた顔をした後、深く頷いた。
「あの御方なくば、熊本城のあの石垣は、決して生まれなかったでしょう。殿の大きな構想と、覚兵衛殿の緻密な技――その両方があって、初めて、この城は形を成すのです。なれど、天下が称えるのは『清正公の城』ばかり」
「それは、清正様ご自身も、気にしておられるのでしょうか」
「殿は……」義太夫は、言葉を選びながら言った。「内心では、誰よりも覚兵衛殿への信頼と感謝を抱いておられます。ただ、御自身が築城名人として世に知られる立場になられたことに、いささか、心苦しさも抱いておられるのでしょう。強すぎる光は、時に陰を深くしますからな」
凪は、頷いた。
「もし、殿が、はっきりと、覚兵衛様への感謝を、書き記されたら――何か、変わると思われますか」
義太夫は、しばらく考えた。
「変わりましょう。……殿のお言葉には、それだけの重みがございます」


七章 夜半の対話
その夜、凪は清正に呼ばれ、二人だけで居室に残った。
「小山田や、義太夫から、聞き申した」と清正は言った。「そなたが、覚兵衛のことを、あれこれ問うておるそうじゃな」
「差し出がましいことを、申し上げました」
「いや」清正は、朗らかな目で凪を見た。「それがし自身、向き合わねばならぬ角度でござったわ」
「清正様は、ご自身の築城の功績について、あれほど多くを語られてこられました。ですが、覚兵衛様への感謝については、あまり、はっきりと言葉にされる場がなかったように見受けました」
清正は、しばらく、窓の外の暗い石垣を見つめていた。
「それがしは……」やがて彼は、静かに言った。「覚兵衛の技なくば、あの石垣は生まれなんだ。幼き日からの友であり、誰よりもそれがしを支えてくれた男じゃ。異国の地で、共に泥をすすり、飢えに耐えて城を守った仲でもある。あやつの忠義が、いつしか水や空気のように当たり前になっておった。城を築くたびにそれがしの名ばかりが大きく語られ、覚兵衛はそれを不満に思うこともなく、ただ黙々と技を尽くしてくれた。……それゆえ、それがしも、つい甘えてしもうたのやもしれぬな」
凪は、深く息を吸った。
「清正様。あなたが本当に遺したいものは、何なのでしょうか」
清正の目が、微かに揺れた。
「ご自身の築いた城だけでしょうか。それとも――」
清正は、長い間、目を閉じていた。


八章 語られた言葉
その夜遅く、清正は、義太夫と小山田を呼び、静かに語り始めた。
凪は、その傍らに、静かに控えていた。襖の向こう、廊下の暗がりに、泥のついた足袋の男が一人、影のように立っているのを、凪だけが気づいていた。
「覚兵衛は……」清正は、ゆっくりと、言葉を選びながら言った。「幼き日から、それがしを支え続けてくれた。この熊本城の石垣は、あの男の技があってこそ、成ったものじゃ」
義太夫と小山田は、深く頭を下げた。
「これより後、それがしのことを語り継ぐ者は、皆に、覚兵衛のことも伝えてほしい」清正は、静かに続けた。「この城は、それがし一人の功績ではなく、あの男と、共に築いたものなのだと。小山田、しかと、書き遺しておいてくれ」
小山田は、声を震わせながら、「はっ」と応えた。
凪は、静かに、その言葉を聞いていた。
やがて清正は、深く息をついた。
「これで……少しは、心が軽うなったわ」
廊下の影は、物音ひとつ立てずに、その場を去っていった。


九章 遺されたもの
この夜からおよそひと月後、慶長十六年六月、加藤清正は、二条城での会見から肥後へ帰る船中で発病し、まもなく、その生涯を閉じることになる。享年五十。
史実において、飯田覚兵衛の築城の技は、熊本城をはじめとする、清正の手がけた城々に、確かに、その痕跡を残している。だが、後世、加藤清正という名が、築城名人として、あまりに大きく語り継がれる一方で、覚兵衛の名は、広くは知られてこなかった。
凪は、その事実を知り、静かに思った。
難攻不落の名城の陰にも、確かに、その技を支えた、忠実な家臣の存在が、息づいていたのかもしれない、と。


終章 もう一つの城路
四百年余りの後。
熊本城は、幾多の地震にも耐え、今なお、多くの人々に、その堅固な姿を、伝え続けていた。
「清正公(せいしょこ)さん」として、熊本の人々に慕われるその名の陰で、共に城を築き上げた、一人の忠臣の存在を、知る人は、多くはない。
だが、あの夜、清正が言葉を遺したからこそ、歴史のわずかな隙間に、覚兵衛の功績は確かに記録され、今も熱心な歴史家たちによって語り継がれている。
「難攻不落の城を築いた名人」としてだけではなく、「己を支えた家臣の技を、生涯、忘れなかった、一人の武将」として。


エピローグ もう一つの光
東京の書斎で、凪は、書き上げたばかりの原稿を、静かに読み返していた。
窓の外では、初夏の風が、心地よく吹いていた。
「あなたが遺したかったのは、ご自身の築城の功績だけではなかったはずです」
凪は、静かに呟いた。
パソコンの画面には、彼が書き上げた物語の、最後の一文が残されていた。
『慶長十六年六月、肥後への海路に、静かな夕暮れが訪れようとしていた。難攻不落の城を幾つも築き上げた男は、その最期の日々に、己の功績を語りながらも、もう一つの光を、確かに、忠実な家臣へと、語り遺したのである。』
風が吹いた。原稿の紙が、どこか懐かしい手触りをしていた。
玉響の揺らぎは、今日もまた、静かに続いている。


――了――


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あとがき
本作は加藤清正の最晩年を題材としたフィクションです。加藤清正、飯田覚兵衛、森本義太夫などは実在の人物ですが、物語における対話の内容は、著者の創作です。
実際に清正は慶長十六年(一六一一年)三月、二条城における徳川家康と豊臣秀頼の会見の実現に尽力し、万一に備え短刀を懐に忍ばせて随行したと伝えられています。会見から三ヶ月後、肥後へ帰る途上で発病し、まもなく五十歳で逝去しました。死因については脳卒中や腎の病とする説が現在では有力とされていますが、当時から家康による毒殺を疑う声もありました。
飯田覚兵衛(直景)は清正の幼少期からの盟友であり、森本義太夫と共に「加藤家の三傑」と称された忠臣です。築城に長けた覚兵衛の技術は、熊本城の石垣にも活かされたとされていますが、その具体的な貢献の詳細や、清正との最晩年のやり取りについては、本作における描写は、著者の創作です。
なお、清正は豊臣秀吉の命により文禄・慶長の役(朝鮮出兵)に参陣しており、この歴史については、今日に至るまで、日本と韓国それぞれの立場から、様々な評価がなされています。本作は、その評価に立ち入ることを意図するものではなく、清正の築城家としての側面に焦点を当てています。
本作は、前三十六作と同じく、「もし介入できたなら」という思考実験として書かれています。
そして、玉響は、いつの時代にも、静かに揺らいでいるのかもしれません。