鎌路転生記 〜藤原鎌足と刻をこえた男〜
玉響転生記・第三十四話
まえがき
三十三度の邂逅を経て、榊原凪は、また新たな「刻」へと導かれることになった。
板垣退助との旅で、凪が得た言葉は「民路」であった。今回、彼が得た言葉は「鎌路」である。
蘇我氏の専横を断ち、新しき国の形を切り開こうとした男。
天智八年十月。齢五十六。中大兄皇子と共に乙巳の変を成し遂げ、大化の改新へと導いた男――中臣鎌足。だが、その改革の陰で、共に蘇我入鹿を討ちながら、非業の死を遂げた一人の同志がいた。
なお、飛鳥時代という遠い時代のことゆえ、鎌足の生涯については、『日本書紀』に基づく史実と後世の潤色とが分かちがたく織り交ざっている。本作もまた、その重なりの上に、一つの物語を紡ぐものである。
プロローグ 神無月の来訪
東京は、秋の深まる夜だった。
榊原凪は、六十九歳になっていた。板垣退助との旅から、半年余りが経っている。
東京の書斎で、板垣が内藤魯一への感謝を筆に込めた、あの夜のことを凪は今も思い出す。書き上げた小説『言葉より前にあった勇気』は、静かな反響を呼んだ。
その夜、凪は書斎で古い史書の写本を眺めながら、うたた寝をしていた。
ふと、墨と乾いた木簡のような匂いがした。
顔を上げると、部屋の隅に一人の男が座っていた。
質素な衣冠。だが、その目には深い思索と、老いによる疲れとが共に宿っていた。
「夜分に、無礼つかまつる」
「あなたは……」
「中臣鎌足と申す。主上――天智天皇陛下と共に、この国の形を求めて歩んできた者じゃ」
凪は息を呑んだ。
中臣鎌足。中大兄皇子と共に蘇我入鹿を討ち、大化の改新を導いた重臣。後に藤原の姓を賜り、藤原氏の祖となる人物。あるいは、このひと月後にはその生涯を閉じることになる男。
「なぜ、ここにおるのか」
「さて、それがしにも分からぬ」鎌足は力なく微笑んだ。「気づけば、この妙な部屋におった。由井、明智から板垣まで……そなたが会うてきた三十三人の気配が、なんとのう伝わってくる。不思議な御仁じゃな」
彼は凪をじっと見つめた。
「それがしは今、病の床に伏しておる。もう、長くはないやもしれぬ」
「鎌足様……」
「されど」老臣の目に複雑な光が宿った。「まだ、はっきりさせておきたいことがある」
一章 三十四度目のたゆたい
その夜、凪は史書の写本に埋もれながら考え続けていた。
これまでの三十三人には、皆「死をどう引き受けるか」というそれぞれの重さがあった。
だが藤原鎌足の場合、その重さは違う質のものだった。
鎌足は天智八年十月、病により生涯を閉じる。死の直前、即位して天智天皇となっていた中大兄皇子より「藤原」の姓と最高位の冠位を賜ったと伝えられる。
そして鎌足の生涯には、あまり語られない出来事があった。
皇極天皇四年、乙巳の変。鎌足は蘇我氏一族の中から、蘇我倉山田石川麻呂という男を同志として引き入れていた。石川麻呂は変の当日、皇極天皇の御前で朝鮮からの使者の上表文を読み上げる役を担い、その朗読の間に中大兄皇子が蘇我入鹿に斬りかかるという決死の計画に加わっていた。震えながらも役目を果たした石川麻呂の功により、入鹿は討たれ、改新への道が開かれた。だが大化五年、石川麻呂は異母弟の讒言により謀反の疑いをかけられ、氏寺である山田寺にて一族諸共に命を絶つ。
凪の胸に一つの問いが浮かんだ。
鎌足が最期にはっきりさせておきたいものがあるとすれば――それは己が導いた改革の功だけなのか。それとも、共に入鹿を討ちながら非業の死を遂げた石川麻呂への想いもあるのではないか。
凪は暗い天井を見つめた。
「行きます」
呟くと同時に、部屋の空気が震え、史書の匂いが墨と木簡の匂いに変わった。
玉響。
世界が揺れた。
二章 飛鳥・鎌足の邸
気づくと、凪は飛鳥にある鎌足の邸の裏手に立っていた。
晩秋の冷たい風が、質素な邸を吹き抜けていく。
身なりは邸に仕える下人風に変わっていた。
「もし」
邸の前にいた従者に声をかけると、彼は驚いた顔で凪を見た。
「鎌足様にお目通り願いたい」
「そなた、何者じゃ」
「鎌足様のお導きで参った者です。到着を告げていただければ、通じるはずです」
従者は訝しみながらも奥へと入っていった。
しばらくして戻ってきた。
「サカキバラと申したな。お入りくだされ」
この従者こそ、鎌足の身の回りの世話をする若き舎人であった。
三章 鎌足の病床
病床の間は、調度も少なく、ひっそりとしていた。
鎌足は床の中から凪を見た。
「よう参られた」
「参りました」
「座られよ」鎌足は言った。「それがしは主上と共に、この国の形を新しゅうしてまいった」
「乙巳の変のことを伺ってもよろしいでしょうか」
鎌足はしばらく黙していた。
「あの日のことは、忘れようにも忘れられぬ。入鹿殿を討つ、あの一瞬のために何人もの者が命を懸けた」
「石川麻呂様のことでしょうか」
鎌足はわずかに目を伏せた。
「あの者のことを、近頃よく思い出す。あの者がおらねば、乙巳の変は成らなんだであろう」
四章 名の記されなかった同志
その夜、凪は邸の一室で眠れずにいた。
――あの者がおらねば、成らなんだであろう。
これまでの三十三人は皆、有限の生の中で何を選ぶかという問いを抱えていた。だが鎌足が向き合っているのは、「己が導いた改革をどう遺すか」だけでなく、「共に戦い、死なせてしまった者を、どう記憶するか」という問いであるように思えた。
欠くべからざるはずの男の名は、四年後の山田寺で、自ら絶たれた。
鎌足自身がどこまで関われたかは定かではない。だが少なくとも、止めることはできなかった。
鎌足の名が藤原氏の祖として大きく語られる陰で、石川麻呂への想いはどれほどはっきりと語られてきたのか。
窓の外、飛鳥の夜風が木々を揺らしていた。
五章 舎人との対話
翌日、凪は庭先を掃除していた舎人に声をかけた。
「鎌足様は、石川麻呂様のことをよく話されますか」
「ええ、時折。乙巳の変の折、上表文を読まれた御方だと。震える声だったそうですが、最後まで読まれたと」
「そのお名前は、世に広く知られておりますか」
舎人は首を振った。
「いや。鎌足様のお名前は皆知っておりますが、石川麻呂様のことまでは……」
凪はその言葉の重さを受け止め、庭を掃く手を止めた。一呼吸置いて、少し踏み込むように重ねた。
「鎌足様ご自身は、それをどう思っておられるのですか」
「たまに、遠い目をされます。名を口にして、それきり。後の世に向けて何か語られたことは……まだ、ないかと」
六章 子・不比等との対話
その日の夕刻、鎌足の子である史(のちの藤原不比等)が病床を訪れた。十一の若さであったが、その眼光には既に並外れた才が宿っていた。
「サカキバラ殿と申されるか。父上より伺っております」
「不比等殿――いえ、史殿は、石川麻呂様のことをどう見ておられますか」
若き不比等は少し驚いた顔をした。
「あの方なくば、乙巳の変は成らなかった。震えながらも、大役を最後まで果たされた方だと」
「それは父上も認めておられることですか」
「父上は……」不比等は言葉を選んだ。「内心では誰よりも石川麻呂様を思っておられるはずです。ただ、あの方の最期について語ることは、父上にとっても、自らを責めることに繋がるのでしょう」
凪は頷いた。
「もし父上が、はっきりと言葉に遺されたら、何か変わると思われますか」
不比等はしばし考え、十一歳とは思えぬきっぱりとした口調で言った。
「変わります。父上がそう遺せば、藤原は、石川麻呂様の名と共に立つ家になります。わたくしが、この家を継いだ暁には、必ずそういたします」
七章 夜半の対話
その夜、凪は鎌足に呼ばれ、二人だけで残った。
「舎人や不比等から聞き申した。そなたが石川麻呂のことを問うておるそうじゃな」
「差し出がましいことをいたしました」
「いや。向き合わねばならぬ角度であった」
凪は一歩踏み込んだ。
「鎌足様は、大化の改新というご自身の功について多くを語ってこられました。ですが、石川麻呂様への想いを、はっきりと言葉にされる場はなかったように見受けます」
長い沈黙があった。灯火がパチリと爆ぜる。
「それがしは……」やがて鎌足は絞り出すように言った。「石川麻呂の勇気なくば、事は成らなんだ。あの者は震えながらも役目を果たしてくれた。……だが、あの者が非業の死を遂げるのを、止めることができなんだ」
「どのように受け止めておられますか」
「悔いと、申し訳なさと……その両方が、常に胸の内にござる。あの者の犠牲の上に、この国の新しい形があることを、忘れてはならぬと常々思うておる」
凪は深く息を吸った。
「鎌足様。あなたは今、病の床にあられます。もし想いを言葉にしないまま終われば、その勇気はあなたの功績の陰に埋もれたままになってしまうやもしれません」
鎌足の目が微かに揺れた。
「あなたが本当に遺したいものは、ご自身の功だけでしょうか。それとも――共に戦い、非業の死を遂げた同志の存在を、次の時代へはっきり伝えることも、含まれているのではないでしょうか」
鎌足は長い間、目を閉じていた。
八章 語られた言葉
その夜遅く、鎌足は不比等を呼び寄せた。凪は傍らに控えていた。
「石川麻呂は……」鎌足はゆっくりと言葉を選んだ。「震えながらも、あの大役を最後まで果たしてくれた。この国の新しい形は、あの者の勇気の上に築かれておる」
不比等は深く頭を下げた。
「これより後、我が藤原の家を継ぐ者は、皆に石川麻呂のことを伝えよ」鎌足の声は弱々しいが、確かだった。「この国の礎は、それがし一人のものではない。あの者と共に築いたものなのだと」
凪はその言葉を聞き届けた。
やがて鎌足は深く息をついた。
「これで……少しは心が安まった」
九章 遺されたもの
この夜からおよそひと月後、天智八年十月、藤原鎌足はその生涯を閉じた。享年五十六。死の直前、天智天皇より「藤原」の姓と最高位の冠位・大織冠を賜ったと伝えられる。
史実において、石川麻呂が乙巳の変に果たした役割は『日本書紀』にも記されている。だが後世、鎌足の名が藤原氏の祖として大きく語り継がれる一方で、石川麻呂の死は広く語られることが少なかった。
新しい時代の礎の陰にも、確かにその礎を築くために犠牲となった同志の存在が息づいていたのかもしれない、と凪は思った。
終章 もう一つの鎌路
千三百年余りの後。
奈良にある山田寺跡には、蘇我倉山田石川麻呂を偲ぶ静かな史跡が今も残されている。
藤原氏の祖として日本史に大きく名を刻む鎌足の陰で、共に乙巳の変を成し遂げながら非業の死を遂げた一人の同志の存在を知る人は多くはない。
「大化の改新を導いた重臣」としてだけではなく、「共に戦った同志の犠牲を生涯忘れなかった一人の政治家」として、その名はもう一つの鎌路を示しているのかもしれない。
エピローグ もう一つの光
東京の書斎で、凪は書き上げたばかりの原稿を読み返していた。
窓の外では晩秋の風が吹いていた。
「あなたが遺したかったのは、ご自身の功だけではなかったはずです」
凪は呟いた。
パソコンの画面には、彼が書き上げた物語の最後の一文が残されていた。
『天智八年十月、飛鳥の空は暮れようとしていた。蘇我氏の専横を断ち、新しき国の形を切り開いた男は、その最期の日々に己の功を語りながらも、もう一つの光を、非業の死を遂げた同志へと向け、確かに語り遺したのである。』
風が吹いた。墨と木簡の匂いが微かにした。
玉響の揺らぎは、今日もまた続いている。
――了――
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あとがき
本作を書き終えて、まず思い浮かんだのは、山田寺跡の風景だった。
私はこの物語を書くにあたり、奈良、桜井の近くまで足を運んだ。蘇我倉山田石川麻呂が一族と共に最期を遂げたという山田寺。そこには今、礎石だけが残されている。金堂の跡を示す大きな石。何もない、と言えば何もない場所だ。だが、その何もなさの中に、千三百年という時間が、妙に生々しく残っている。
藤原鎌足という人物は、日本史の中であまりに完成された肖像で語られてきた。聡明、果断、温厚。中大兄皇子という鋭利な刃を、最後まで支えた鞘のような男。正式に即位した天智天皇を大織冠として支え、藤原という日本史最長の権門の始祖となった男。
だが、その完成された肖像の裏側には、必ず「語られなかった名」があるはずだ、と思った。
今回題材にした石川麻呂は、その象徴である。蘇我氏の一族でありながら、蘇我入鹿を討つ計画に加担した。皇極天皇の御前、入鹿がすぐ側にいる。そこで上表文を読み上げる。噛めば計画は終わり、噛まなければ自身の一族を裏切ることになる。その震えを想像すると、この乙巳の変というクーデターが、後世の「大化の改新」という立派な額縁の中だけでは収まらない、血の通った怖ろしい時間であったことがよく分かる。
勝者の記録である『日本書紀』の行間をどう読み解くか。彼は改革からわずか四年で、讒言によって失脚する。これを止められなかった鎌足の心中を、史書は語らない。
三十三人の旅を経て、榊原凪は六十九歳になった。私自身も、このシリーズを書き始めた頃より、確実に老いに近づいている。だからだろうか、最近の凪は「偉大な死に様」よりも、「生き残ってしまった者の後悔」に惹かれるようになってきた。板垣退助の「民路」もそうだった。新しい世を作る者は、必ず誰かを置き去りにしてしまう。その置き去りにした者の名を、最期に呼び戻すことができるかどうか。
それが「鎌路」という言葉に込めたかった意味である。
鎌は、道を切り開く道具であると同時に、刈り取る道具でもある。何を切り開き、何を刈り取ってしまったのか。鎌足が最期の一ヶ月で向き合ったのは、まさにその問いだったのではないか、と私は想像した。
本作における対話の全ては創作である。だが、山田寺の礎石の冷たさだけは、創作ではない。もし奈良を訪れる機会があれば、法隆寺や飛鳥寺の華やかさだけでなく、あの静かな礎石の前にも、少しだけ立ってみていただきたい。そこに、もう一つの大化の改新の始まりがあるように、私には思えたのである。
次回、三十五度目のたゆたいは、再び少しだけ時代を下る予定である。
玉響は、まだ揺れている。
令和八年 文月

