渡路転生記 〜鑑真と刻をこえた男〜
玉響転生記・第三十一話



まえがき
三十人の邂逅を経て、榊原凪は、また新たな「刻」へと導かれることになった。
 清少納言との旅で、凪は「枕路」という言葉を得た。今回、彼が得た言葉は「渡路(わたじ)」であった。
 六度の航海に挑み、両目の光を失いながらも、海を渡ることを、諦めなかった男。
 天平宝字七年(七六三年)五月。齢七十六。唐から日本へ、正しい戒律を伝えるため、十二年にわたり、幾多の困難を乗り越えてきた男――鑑真。奈良に唐招提寺を開きながら、その最晩年、己をこの地に導いた、一人の日本の僧への想いを、静かに抱き続けていた高僧の物語である。




プロローグ 皐月の来訪
 東京は、初夏に向かう、穏やかな夜だった。
 榊原凪は、六十七歳になっていた。清少納言との旅から、半年余りが経っている。
 都のはずれの庵で、清少納言が定子への想いを、筆に込めた、あの夜のことを、凪は今も思い出す。
 書き上げた小説『明るさを選んだ女』は、静かな反響を呼んだ。
 その夜、凪は書斎で、古い渡海記の写本を眺めながら、うたた寝をしていた。
 ふと、香と、潮の匂いがした。
 顔を上げると、部屋の隅に、一人の老僧が座っていた。
 質素な法衣。両の目は、固く閉ざされている。だが、その顔には、驚くほど穏やかな、深い慈悲の色が宿っていた。
「夜分に、失礼いたします」
 老僧は、どこか異国の響きを残す、静かな日本語で言った。
「あなたは……」
「鑑真と申します。唐より、この国へ、参った者です」
 凪は、息を呑んだ。
 鑑真。六度の渡航の末、両目の光を失いながらも、日本に正しい戒律を伝えた、唐の高僧。奈良に唐招提寺を開くことになる人物。そして――このおよそひと月後、その生涯を閉じることになっている男。
「なぜ、ここにおられるのでしょう」
「さて、私にも、分かりません」鑑真は、静かに微笑んだ。「気づけば、この妙な部屋におりました。由井、明智、石田、真田、土方、坂本、大石、楠木、伊能、北斎、芭蕉、玄白、定信、松陰、伊藤、田中、渋沢、野口、三島、芥川、力道山、将門、道真、崇徳院、植村、手塚、武蔵、次郎吉、空海、清少納言――あなたが会ってこられた方々の気配が、なんとなく、伝わってまいります。不思議な方ですね、あなたは」
 彼は、凪の方へ穏やかに顔を向けた。
「私は今、唐招提寺にて、静かに、日々を過ごしております」
「鑑真様……」
「ですが」老僧の声に、澄んだ光が宿った。「その前に、伝えておきたいことが、あります」


一章 三十一度目のたゆたい
 その夜、凪は渡海記の写本に埋もれながら、考え続けていた。
 これまでの三十人には、皆、「死をどう引き受けるか」という、それぞれの重さがあった。
 だが鑑真の場合、その重さは、また違う質のものだった。
 史実において、鑑真は天平宝字七年五月、奈良の唐招提寺にて、その生涯を閉じることになる。享年七十六。彼は、日本への渡航を、六度試み、五度の失敗――難破、逮捕、暴風雨――を経て、ようやく六度目に、日本の地を踏むことができた。五度、海に拒まれた。それは五度、死に見放されたのと同じことだった。その苦難の中で、両目の光を、完全に失っていた。
 鑑真の生涯には、あまり語られない出発点があった。彼を、遠い唐の地から、日本へと招くために、命懸けで海を渡った、二人の日本の留学僧――栄叡(ようえい)と普照(ふしょう)である。
 とりわけ栄叡は、鑑真を説得し、幾度もの失敗の航海に、共に立ち会いながら、天平勝宝元年(七四九年)、その道半ばで、病により、この世を去っていた。栄叡は、ついに、鑑真が日本の地を踏む姿を、見ることが叶わなかった。
 凪の胸に、一つの問いが浮かんだ。
 鑑真が最期に伝えておきたいものがあるとすれば――それは、己が伝えた、戒律の教えだけなのか。それとも――その旅を可能にした、一人の日本の僧への感謝も、あるのではないか。
 凪は、暗い天井を仰いだ。
「行きます」
 呟くと同時に、部屋の空気が震え、渡海記の匂いが、香と潮の匂いに変わった。
 玉響。
 世界が、揺れた。


二章 奈良・唐招提寺
 気づくと、凪は、奈良にある、唐招提寺の裏手に立っていた。
 初夏の若葉が、境内を、静かに彩っている。
 凪の身なりは、修行僧風の姿に変わっていた。
「もし」
 境内にいた弟子に声をかけると、彼は驚いた顔で凪を見た。
「鑑真様に、お目通り願いたい」
「あなたは、どなたですか」
「鑑真様のお導きで参った者です。到着を告げていただければ、通じるはずです」
 弟子は、訝しみながらも、奥へと入っていった。
 しばらくして、戻ってきた。
「サカキバラさんとやら。お入りください」
 この弟子こそ、鑑真の身の回りの世話をしていた、日本人の僧であった。


三章 鑑真の房
 房の中は、質素ながらも、静謐な空気に満ちていた。傍らには、弟子が読み上げる経典の声が、静かに響いている。
 鑑真は、その声の方へと顔を向け、穏やかに凪の方を向いた。
「よく来られました」
「参りました」
「お座りください」鑑真は、静かに言った。「私は、この地に、正しい戒律を、伝えることができました」
「六度の渡航の末、両目の光を失われたと、伺いました。悔いは、ございませんか」
 鑑真は、しばらく黙っていた。
「悔いはございません」彼は言った。「ただ、この目で、日本の景色を、見ることが叶わなかったことだけは、少し、残念に思います」
「今、ご自身の来し方を、どう振り返っておられますか」
 鑑真は、少し目を細めた。
「栄叡殿のことを、近頃、よく思い出します」


四章 名の記されなかった人
 その夜、凪は唐招提寺の一室で、眠れぬまま過ごした。
 鑑真の言葉が、頭から離れなかった。
――栄叡殿のことを、近頃、よく思い出します。
 これまでの三十人は、皆、有限の生の中で、何を選ぶかという問いを抱えていた。だが鑑真の場合、彼が向き合っていたのは、「己が伝えた教えをどう遺すか」だけでなく、「己をこの地に導いた者を、どう伝えるか」という問いであるように思えた。
 史実において、栄叡は、鑑真を日本へ招くため、幾度もの失敗の航海に、共に立ち会い続けた人物であった。だが天平勝宝元年、その道半ばで、病により、世を去ってしまう。鑑真が、ついに日本の地を踏んだのは、それから四年後のことであった。栄叡は、自らが命を懸けて開いた道の、その先を、見ることが叶わなかった。
 凪は、ふと思った。
 鑑真が、これほどまでに己の伝えた戒律の教えを語られる一方で、その旅を可能にした、栄叡への感謝は、これまで、どれほど、はっきりと語られてきたのか。
 記録には残っている。だが、記録と、人の口から語り継がれることとは、別の重さを持つはずだった。
 窓の外、唐招提寺の木々のざわめきが、遠く微かに聞こえていた。


五章 弟子との対話
 翌日、凪は、経典を整理していた弟子と、言葉を交わす機会を得た。
「鑑真様は、栄叡様のことを、よく話されますか」
「はい」弟子は、頷いた。「唐にて、鑑真様を説得し、この国へお招きしようとされた御方だと、伺っております」
「栄叡様のお名前は、世に、広く知られておりますか」
 弟子は、首を振った。
「いいえ。鑑真様のお名前は、多くの人に知られておりますが、栄叡様のことまでは、あまり、知られていないように思います」
 凪は、その言葉の重さを、静かに受け止めた。
「鑑真様ご自身は、それを、どう思っておられるのでしょうか」
 弟子は、しばらく考えていた。
「鑑真様は、時折、懐かしそうに、栄叡様のお名前を、口にされます。ですが……それを、はっきりと、後の世に向けて、語られたことは、まだ、あまりないように思います」


六章 同行者・普照との対話
 その日の夕刻、栄叡と共に唐へ渡った、僧・普照が、唐招提寺を訪れた。
「サカキバラ殿と申されるか。鑑真様より、伺っております」
「普照殿は、栄叡殿のことを、どう見ておられますか」
 普照は、少し目を伏せた。
「あの方なくば、鑑真様を日本へお招きすることは、叶わなかったでしょう。幾度もの失敗にも、決して諦めず、鑑真様を説得し続けた、まことに、粘り強い方でした」
「それは、鑑真様ご自身も、深く認めておられることですか」
「鑑真様は……」普照は、言葉を選びながら言った。「内心では、誰よりも、栄叡殿への感謝を、抱いておられるはずです。ただ、この地で、戒律を伝えることに、常に、全身全霊を注いでこられたゆえ、それを、まとまった形で語る間が、なかったのでしょう」
 凪は、頷いた。
「もし、鑑真様が、はっきりと、栄叡殿への感謝を、伝え遺されたら――何か、変わると思われますか」
 普照は、しばらく考えた。
「変わりましょう。……鑑真様のお言葉には、それだけの重みがございます」


七章 夜半の対話
 その夜、凪は鑑真に呼ばれ、二人だけで房に残った。
「弟子や、普照殿から、聞きました」と鑑真は言った。「あなたが、栄叡殿のことを、あれこれ聞いておられるそうですね」
「差し出がましいことを、申し上げました」
「いいえ」鑑真は、静かに凪の方を向いた。「私自身、向き合わねばならない角度でした」
「鑑真様は、ご自身が伝えられた戒律の教えについて、この地で、多くを語ってこられました。ですが、栄叡殿への感謝については、まとまった形で、語られる場が、なかったように見受けました」
 鑑真は、しばらく、黙っていた。
「私は……」やがて彼は、静かに言った。「栄叡殿の粘り強さなくば、私は、この地に、渡ることは、なかったでしょう。幾度もの失敗にも、あの方は、決して、諦めませんでした。……ですが、あの方は、ついに、この地を、その目で見ることが、叶いませんでした」
「それを、どのように、受け止めておられますか」
「申し訳なさと、感謝と……その両方が、いつも、私の中にあります」鑑真は、静かに言った。「あの方の想いを、私一人が、独り占めしてはならないと、常々、思うております」
 凪は、深く息を吸った。
「鑑真様。あなたは今、この地で、多くの弟子を育てておられます。ですが――もし、栄叡殿への感謝を、はっきりと言葉にしないまま終われば、その献身は、あなたの功績の陰に、埋もれたままになってしまうかもしれません」
 鑑真の眉が、微かに揺れた。
「あなたが本当に遺したいものは、ご自身が伝えた戒律の教えだけでしょうか。それとも――栄叡殿という、あなたをこの地に導いた恩人の存在を、次の時代へと、はっきり伝えることも、含まれているのではないでしょうか」
 鑑真は、長い間、黙っていた。


八章 語られた言葉
 その夜遅く、鑑真は、弟子と普照を呼び、静かに語り始めた。
 凪は、その傍らに、静かに控えていた。
「栄叡殿は……」鑑真は、ゆっくりと、言葉を選びながら言った。「この地を、その目で見ることなく、逝かれました。ですが、私が、この地で伝える戒律の一つ一つは、すべて、あの方の粘り強さの上に、成り立っております」
 弟子と普照は、深く、深く頭を下げた。
「これより後、私の教えを語り継ぐ者は、皆に、栄叡殿のことを、伝えてほしい」
 鑑真は、そこで一度言葉を切った。房に、静かな沈黙が満ちる。
「この道は、私一人の功績ではなく、あの方と、共に切り開いたものなのだと」
 凪は、静かに、その言葉を聞いていた。
 やがて鑑真は、深く息をついた。
「これで……少しは、心が、安まりました」


九章 遺されたもの
 この夜からおよそひと月後、天平宝字七年五月、鑑真は、唐招提寺にて、その生涯を閉じることになる。享年七十六。
 弟子たちは、彼の姿を後世に伝えるため、生前の面影を写した、乾漆の坐像を作り上げた。この像は、今日、日本最古の肖像彫刻の一つとして、国宝に指定されている。
 固く閉じられたその両眼は、失われた光を惜しむのではなく、己をここまで導いてくれた栄叡の面影と、見ることの叶わなかった日本の風景を、じっと見つめているようでもあった。
 史実において、栄叡が、鑑真を日本へ招くために、命を懸けて尽力したことは、鑑真の渡日を伝える記録――『唐大和上東征伝』などに、詳しく記されている。だが、後世、鑑真という名があまりに大きく語られる一方で、その旅を可能にした、栄叡の献身は、広く知られることが、少なかった。
 凪は、その事実を知り、静かに思った。
 海を渡った偉大な高僧の陰にも、確かに、その道を切り開いた、名もなき者の献身が、息づいていたのかもしれない、と。


終章 もう一つの渡路
 千二百年余りの後。
 奈良・唐招提寺の御影堂には、鑑真の坐像が、今も、静かに安置されていた。
 その穏やかな面影を仰ぐ人々の中で、彼をこの地に導いた、一人の日本の僧の存在を、知る者は、多くはない。
 「正しい戒律を伝えた高僧」としてだけではなく、「一人の同志の想いを、生涯、背負い続けた、一人の渡り人」として。


エピローグ もう一つの光
 東京の書斎で、凪は、書き上げたばかりの原稿を、静かに読み返していた。
 窓の外では、初夏の風が、心地よく渡っていた。
「あなたが遺したかったのは、ご自身の教えだけではなかったはずです」
 凪は、静かに呟いた。
 パソコンの画面には、彼が書き上げた物語の、最後の一文が残されていた。
『天平宝字七年五月、奈良の空は、静かに暮れようとしていた。六度の航海に挑み、両目の光を失いながらも海を渡った男は、その最期の日々に、己の教えを語りながらも、もう一つの光を、確かに、名もなき恩人へと、語り遺したのである。』
 風が吹いた。香と、潮の匂いが、微かにした。

――了――


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あとがき
 本作は鑑真の最晩年を題材としたフィクションです。鑑真、栄叡、普照などは実在の人物ですが、物語における対話の内容は、著者の創作です。
 実際に鑑真は、天平宝字七年(七六三年)五月、奈良の唐招提寺にて、七十六歳でその生涯を閉じたと伝えられています。日本への渡航を六度試み、五度の失敗を経て、天平勝宝五年(七五三年)、六度目でようやく渡日を果たしましたが、その苦難の中で両目の光を失っていました。弟子たちが生前に作らせたとされる乾漆坐像は、今日、国宝として唐招提寺に伝えられています。
 栄叡は、留学僧・普照と共に唐へ渡り、鑑真を日本へ招くために尽力した人物ですが、天平勝宝元年(七四九年)、道半ばで病により亡くなり、鑑真の渡日を、その目で見ることは叶いませんでした。この経緯は、鑑真の伝記『唐大和上東征伝』などに記されています。鑑真が最晩年、栄叡への想いを具体的にどのように語っていたかについては、本作における描写は、著者の創作です。
 本作は、前三十作と同じく、「もし介入できたなら」という思考実験として書かれています。
 そして、玉響は、いつの時代にも、静かに揺らいでいるのかもしれません。